しっぽ
だけどそう言われたら、確かに、もしこの泉が万人に効くならば、沢山の人に活用されてもおかしくない。それにしては、あたしは今までこの場所でお母さんとサキ以外の人を見た事がないんだよね。ゼンが初めて。だけど、この泉以外にも土地があり、そろぞれの種族が住まう事は知っている。それが表すのは、つまり、この泉はあたしが思うよりずっと危険、という事だ。
なんとなく、サキがネガティブな理由を思う。
《精霊王》と呼ばれて、存在意義を持ちながらも、都合の良い解釈で崇められたり恐れられたりする。そして、分かち合う誰かがいないサキの孤独に胸が軋んだ。
「更に言えばこの聖域の中では、全てに規則がない。常識も通じん。だが腐っても《聖域》。王族の馬鹿共はこの場所に踏み入れた者にこそ力があると競うように儀に使う。忌ま忌ましい。本来ならこの程度の傷、この場所で無ければ少し休めば治る。」
不機嫌に眉を曲げてから、まあ三日かからず治るだろ、とゼンは呑気だ。サキ、精霊王だなんて、やっぱりストレス溜まってたんだね。良かったね、こんな頑丈そうな人が現れて。
思わず、熱くなった目頭をそっと押さえているとゼンが「なんとなく馬鹿にされている気がする」と言ってあたしのおでこをペシリと叩いた。痛いじゃないか。
あら?いやあなた片手からダラダラと大量の血が流れてますよ。応急処置はしてるのに巻いた包帯は既に意味を成していませんよ。やっぱ傷深いやつなんじゃないのそれ!
あたしはゼンに近寄るとその傷口にそっと触れる。ゼンは不快そうに眉を曲げて、なんだ、と低い声を吐いた後あたしを見た。なんだとはなんだ。
ゼンの筋肉質な腕は肘から掌までざっくりと赤く割れている。どうやったらこんな派手な傷が出来るのか解らない。他にも古傷があってゼンの戦歴を物語っているような気がした。小さなかすり傷は、確かに治りつつあるけど、この太い傷だけはドクドクと痛々しく血管が波打っている。ああダメだ、痛い。
あたしはその悲惨さに目頭を押さえた。サキなんて傷ひとつないのにな。やっぱサキ強いのかな。
「見るにたえんなら見るな。阿呆が」
ゼンが辛辣に言葉を投げる。あたしはそれをキャッチして丸めて投げ返した。
「なにイキッとんじゃ、ガキが!傷跡が勲章だなんてな、ばっかじゃないの!誰かがあなたの心配してるでしょうが!ひとつ増える度にどれだけ不安に駆られるか、考えないの?考えないか!考えないね!はいごめん!」
捲し立てるように声をあげた。もし怪我をしたのが、サキならあたしはきっとゼンを許さなかった。申し訳ないけどサキは家族で、ゼンは最近出会った他人だ。最後バチと掌を叩いてあげた。ちなみにゼンは傷跡が勲章だとは一言もいってないがな!独断と偏見でごめんね!
あたしの言葉に一瞬ゼンがその瞳を見開いた。「国なら即、首を跳ねる暴言だ」とぷりぷりしながら眉を動かす。あたしは構わず、ゼンの腕をとった。なるべく刺激はしたくない。でも加減がよく分からない。サキがつけた傷だ。サキも悪い。あとでちゃんとごめんなさい、させなければ。
その傷口にゆっくり手をかざして撫でるように優しく掌を動かせる。
治れ、と声に出さず強く意識して。
「────っつ!?」
ゼンが驚いたように声を上げた。それよりも、見開いたその端正な顔に乗る琥珀の瞳が綺麗だ。くそぅ、美形は滅びろ。ゼンの傷はゆっくりと癒えて、残ったのは流れた血の乾いた跡。
「これでよしっ」
あたしは大きく頷いた。
「お、まえ、今」
ゼンの声が戸惑うように揺れた。
「……は?なに?」
なに、まさかこのファンタジーな世界において回復呪文が珍しいとか言わないよね。ん、ていうかゼン、あなた……
え?は?…な、なに、その、
「小娘、おまえ….自分が《鍵》だと自己紹介したようなものだぞっ…」
ゼンが何やら頭をやられたのか訳の分からない事を言っている。可哀相に。だけど、それよりも、あたしはたった今、無視してはいけない物を見つけてしまったんだよ。それは、ゼンの腰の辺り。
おいおい!近寄るまで気付かなかったよ!
バサッと音がして見えたのは、
「しっぽ!!!!」
あたしは叫んでいた。そう、ゼンのお尻からフサフサとそれはもう毛並みの良い、指通りの物凄くよさそうな綺麗な赤い尻尾が生えていたのだ。
「ゼン!尻尾!」
あたしは、思わず飛び付いた。何、そのフワフワスキル。っていうかそんな有り得ん色気垂れ流しのくせに尻尾って!どんな萌ポイントですか!
「は!?あ!?」
ゼンがバッと自分の背中を見る。フサフサの毛に愕然としている。
え、なに?びっくりしちゃったの⁈びっくりしたら出るようなやつなの⁈
その反応も悪くないんですけど!
ゼンの彫りの深い端正な顔立ちが、うっと逃げるように後ずさっていたけど知らない。
「触らせて!」
返事を待たないままあたしはその尻尾を撫でた。なにこれ、すごいよ、この毛並み、艶、指を通る感触は繊細でそれでいて素晴らしくコシがある。
「はうあ、卑怯だ」
あたしは感嘆という溜息を漏らした。
「……なんだ、おまえは。本当、読めん。ここまで読めん女は初めてだ」
ゼンが諦めたように額に手を置く。ん?褒めてるの?
「おい、小娘、」
「ルーだよ」
いい加減、名前覚えて欲しいのだよ。
「…ルーか。」
ゼンが声を紡ぐ。う、なんか今ぞわっとしちゃったよ。
「ん、正確にはルルアかな?」
ルー、なんてコンパクトに略したけど、この可愛らしいニックネームを呼ばれるにはゼンの声は渋過ぎる。はっきり言えば、ちょっと嫌。てへ。
フッと力を抜いたゼン。重みのないその表情はドキッとする位男らしいのに、見惚れてしまう位艶やかな色気がある。
「ルルアか。良いだろう。我の名は、ゼン・フィルド。お前が望めばお前の為に力を貸そう。《コウィケ・サマド・ル・ムル》」
威厳のある口調と共に琥珀の瞳が力強く光った。
ゼンの声に、空気が重くなったような感覚が渦巻いた。だけどそれはほんの一瞬で、あたしはゼンの言葉を頭の中で反復する。
……何やら力を貸してくれるらしい。フルネームを付けるのはこっちの礼儀なのかな?家の修理は勿論手伝ってもらうつもりだよ。ゼンが壊したんだし。だったらあたしもフルネームを名乗って「当たり前だぜ」とかいうべきなの?それに最後の小池さまとるるる的な言葉の意味はさっぱり分からない。ゼンよ、何が言いたいんだ。
首を傾げたあたしにゼンはポフッとその手を乗せた。
「気にするな」
……うん、すごく良い笑顔だね。最後の言葉は忘れる事にしよう。いいよね。はい、忘れたー。
「所でそのモフモフは何でなの!?」
そう、それよりあたしには重大な疑問が残っているのだからね!
「……俺はお前の頭の中を覗いてみたいぞ」
ゼンがハァと溜息をはいた。
「ルーよ、愛いな」
一連を傍観していたらしいサキは穏やかに笑った。(ような気がする)
「俺は獣族だ。聖域では獣化もうまく出来んがな、おまえが治癒をしたのに反応したか。理由は知らん」
ゼンの尻尾が揺れている。獣族?だとしてもその中途半端なスタイルが妙に可愛いよ、なんなのさ。
「我にも分からぬ。《聖術》に触れたのであればそういう事もあるのであろう。此処の性質を考えれば自然であるな」
サキは分かったような分からないような答えをあたしに告げた。《聖術》って聞き慣れない単語に余計頭が混乱しそうだ。そんなあたしを、もう気を取り直したらしいゼンが残念なものを見る目で見つめて息をはいた。




