杁003 どこ吹く風
学園の石造りの廊下を歩いていて思うのは、やっぱり石の事だ。
理学と石。ここでは心に隙さえあれば、どうあっても自分の魔術について考えてしまう。
ナタリーとの決闘前では、石柱の高さは五メートル程度までしか伸ばせなかったものの、本番の最後の最後になって、十数メートル近い石柱を作り出すことに成功し、辛くも勝利を納めた。
その甲斐もあって、ほとんど偶然の力で勝てたようなものなんだけど……。
ところがラビノッチ騒動で私が改めて生み出した石柱は、高さ六メートルほどのものでしかなかった。
同じデムピックを使ってこの差なので、ちょっと気になる結果だ。
きっと私の中に原因があるのは間違いないんだろうけど、それはよくわからない。
ナタリー戦を終えてから指導書に目を通していないので、そのせいだろうか。
他に理由らしい理由も浮かばない。
時の運で起きた奇跡とは、思いたくない。
けど、もしもあれが運による産物なのだとしても、あの巨大な石柱を出すだけの潜在性が私の中にあるということは間違いない。
石も磨けば玉になる。この学園にいる間に、私はどれくらい自分自身を磨けるのだろうか。
再び巨大石柱を生み出せる日は、本当にやってくるのだろうか……。
「……何してんの」
「うるさい、黙れ」
真剣に考えながら歩いている途中、広い廊下の脇の花壇で、見慣れた男の姿が嫌でも目についた。
綺麗な花壇だ。花壇の中で誰かが膝をついてる。変な奴……あ、クラインだ。そんな感じである。
人が通らないわけでもない第五棟の廊下の花壇。その中で、土に片膝を着いて、しゃがみ込んでいる知り合いがいるのだ。
なかなか見なかったことにできるような状態ではないだろう。うるさい黙れとは心外にも程がある。
「……何かの、ハンドル?」
クラインは花壇の中を横切る金属製の四角いパイプに手をかけて、いじっているらしい。
無茶な体勢で固そうな古い金属のハンドルを握り、それをゆっくり回している。
「1、2、3……よし」
何秒かをぼそりと数え、ハンドルを閉める。
すると彼は、一日の厳しい肉体労働を終えたような清々しい顔で、特に汗をかいてもいない額を拭ってみせた。
それは随分と達成感に満ちた顔だったので、もはや意味がわからなくとも羨ましく思えてしまう。
「何してたの、これ」
花壇の中を通る四角いレリーフ入りの金属パイプ。
ところどころに彫られた花模様の雄しべらしき部分には小さな穴があり、そこは僅かに濡れていた。
「水? ってことはこれ、蛇口?」
「ああ、そうだ。ミネオマルタ国立理学学園が誇る優れた水流機関を用いた、花壇への自動供給管だ」
「へえ、こんなのまで……」
雨水や朝露を取り込んで貯水する、マルタ学園の未知の機構。
まさかそれがこんな水やり程度の部分にも及んでいるとは思わなかった。
「けどさっき蛇口、みたいなの捻ってたよね。自動なのにいちいち誰かが手入れしないといけないの?」
そりゃあ、いちいち水を汲んできて花壇の水やりをするよりはずっと楽かもしれないけど。
ここまで自動化しているなら、いっそのこと決まった水の量を与えてやればいいと思ってしまう。
「それは、ここに育つ植物が規定のものではないからだ」
「え? 規定のものじゃない?」
「自動で出てくる水の量は花壇の場所ごとに決まっている。だから学園の花壇に植えられる品種はそれに合わせて植えられているのだが」
「でも違うのが植えられてる。なんでそんな面倒くさいことになってるんだ」
「オレが別のものを植えたからだ」
「は?」
気付けば、クラインは花壇の中にある植物の小さな葉をプチプチと丁寧に千切って、袋の中に集めていた。
「これはカイゼルミントという香草で、薬の原料になる外、よく煮詰めることで茶としても楽しめる便利なものだ」
「お前、またこういうの、勝手に……」
「ペルラビッツ学園長の許可は取っている。水やりの管理もオレが引き受けることになっているから、何の問題もない」
学園長、心広いなぁ。
小川に放流された気持ち悪い魚もそうだけど、ちょっとクラインに甘いんじゃないか。
いや、世話自体は全部こいつがやっているみたいだから、甘いっていうわけでもないのかな……?
「君のような肉を食べる人間には理解できないかもしれないが、このカイゼルミントで淹れた香茶は格別だぞ。タワーポットいっぱいに詰めたザク切りの葉を、熱湯で三分蒸らし……ああ、思い出すだけでも心が癒やされる」
「印刷といい、魚釣りといい、栽培といい……あんたの学園生活は格別に楽しそうだな」
「全ては金のためだ」
金のため、そう断言したクラインの表情は、突然に固いものに変化した。
毟っていたミントの葉が強く押し潰され、さわやかな香りがほのかに漂う。
「お金で、杖を買うんだっけ」
「そうだ」
「クラインは強くなりたいの?」
「そうだ」
「なんで?」
「何故オレが君にそんなことを答えなきゃならない」
「いいだろ」
クラインはしばらく無言でミントの葉を五六枚毟り取っていたが、その間に考えていたのだろう。
意を決して、とは言い過ぎではあるが、合間としてはそれくらいの時を経て、口を開いた。
「君には“絶対に倒さなければならない人間”がいるか」
「え?」
突然の物騒な質問だった。
私の頭の中で咄嗟に浮かんできたのは、何故かナタリーの姿である。
けどあいつはもう倒してしまった。もう一度はっ倒してやろうとも、今では思っていない。
あいつの他に、私の中で倒したいとか、やっつけたいとか……そう思えるほどの人間は、いなかった。
「オレには、いる。だからオレは、強さを求めている」
クラインの平坦な表情や声色からは、その相手がどのような人物かを読み取ることはできない。
ただそれだけに、彼の中の揺るぎない何かを感じた。
「奴を倒さない限り、オレに未来はない」
「……それ、誰だよ。あの、イズヴェルとかいう」
「ふん、イズヴェルにわざわざ戦ってやるまでの価値はない。あいつとは比べ物にならない相手だ」
イズヴェル以上の魔道士が、クラインの宿敵なのだという。
彼の口ぶりからすると、イズヴェルを遥か下に見ているようだが……。
「でもクライン、あんたそのイズヴェルの魔術を破れなかったじゃんか」
「手段を選ばなければ対処はできた」
「本当に?」
「当然だ」
つまり、あの時はまだクラインは本気を出していなかったということらしい。
ほう、なるほど。
……さすがにちょっと、嘘臭いなと思った。
でも、どうやら倒すべき人物がいて、そのために金を稼いでいるということは本当らしい。
クラインがわざわざ嘘をつくとも思えないので、きっと間違いないだろう。
しかし何故、その相手を倒さなければならないのか。
深く踏み込んだ所までは、さすがの私も聞けなかった。
話の流れでまた私がドジを踏んで、彼の機嫌を損ねても良くないから。
「ソーニャ、起きてる?」
「そんないつも寝てないわよ」
いつも寝てると思うんだけどな。まあいいや。
ソーニャは前の席だから、起きているか寝ているかは声をかけてみるまでわからない事がある。
今は運良く、始業前だから当然といえば当然だけど、起きているようだ。
「ブーツってどこで買ったらいいかな」
「ブーツ?」
「うん、ロングで、ヒールがないのが良いんだけど」
「ヒール無しかぁ」
ナタリーとの決闘の際、スティなんとかレットとかいう魔術によって、持っていたブーツのひとつに大きな穴が空いてしまった。
分厚い生地のブーツだったけど、穴が空いてしまってはもうどうしようもない。
その代わりとなるブーツが必要なのである。
辛うじて今のブーツがあるけれど、さすがに履物がひとつだけというのは不安であるし、履き慣れていない適当な靴で済ませるのも、あまりいい気分はしない。
以前にソーニャと見て回った市場の通りにも、服屋の隣あたりに小さい靴屋があったのだが、そこには私の目当ての物は無かったので、困り果てていた所なのである。
なにせ、置いてある女性用のブーツは、どれもヒールの高すぎるものばかり。
男性用のものとなると、今度はロング自体が極端に少ない。あってもサイズが大きすぎる。
デザインを取って見ても、防水性を重視しているためか、私好みのものが少なかったりするし。
かといってブーツを大穴を塞いで修理するほど、財布に余力があるでもない。
そんなところで、困ったときのソーニャ様と相成ったわけである。
「うーん……」
ソーニャが柔らかそうな唇に指を当てて、難しそうに考えこんでいる。
無いのだろうか。やっぱり無いのかな。
ヒールを削って中途半端なブーツを作るのは、さすがに嫌だな。
「多分、あるわよ。店に当てがあるわ」
「ほんと?」
やった、あるんだ。
「けど、実際に見てからじゃないと何ともね。前に行った服屋が連なってる通り、あそこよりずっと先にある店なんだけど……」
「うんうん」
なんてことを話している間に、マコ導師が扉を開けてやってきた。
ソーニャは惜しむように前へ向き直った。
彼女は「後でね」と小さく呟いたので、私は「うん」と答えた。
そして今日からまた、昼までの短い講義が始まる。
「えーっと、皆さん。突然ですが、本日の講義は無しです」
頬杖から顎が滑り落ちる。
おいおい、ついに講義すらなくなったのか。
『それはまた突然ですな。一体何があったんですか、マコ先生』
「なあなあヒューゴ、特異科なくなってまうのん?」
「まあ、一応、それも有り得なくはないね」
そこ、物騒な事を言わない。
せっかく私が乗り気になってるんだから、一ヶ月くらいはこの学園に在籍させてくれ。
仕送りを手渡しなんて、さすがに嫌だよ。
講義室内が好き勝手に騒ぎ散らす中、マコ導師のか細い咳払いひとつが、全ての話し声を制した。
「実は近々ですね、遠方からはるばる、大事なお客様が学園にやってくるのです」
「お客様?」
ボウマは細い首を傾げた。
私も一緒になって傾げた。
理学学園のお客様と言われても、無学な私にはパッと思い浮かばない。
水の国の知られざる王様がついに公へ姿を表わすというのなら、それはそれで見てみたいけど、多分違うのだろう。
「リゲル=ゾディアトス導師。皆さん名前だけは、聞いたことがあるのではないでしょうか」
「え」
私にとっては、おそらく聞いたことのない名前だったのだが、部屋の中の大多数は知っている風な反応を見せていた。
ヒューゴも口をぽかんとあけているし、ソーニャも居眠りせずに驚いている。
クラインは、眼鏡が怪しく光っていた。
……皆の様子を伺う限り、どうやらかなり有名な人物らしい。
「術として確立していなかった八つめの属性、光属性術の理学式を発見し、体得した……あくまで属性術に限ったことではありますが、光魔術を扱える、史上初にして現在唯一の魔道士。それが、リゲルさんなのです。私よりも五つも若いんですよ」
属性術。
火、水、鉄、風、雷、影、光、闇の8種類から成る属性の、解明されていなかった最後の属性、光。
その先駆者がやってくる。つまり、理学学園としてはものすごい先生が来てくれたような感じなのだろう。
ん?
マコ先生よりも五つ若い?
「すみません、マコ先生って、今おいくつなんですか」
「私は二十五ですね」
つまり、二十歳。私とそう変わらないじゃないか。その二十歳にして魔術の先駆者になるって、すごいな。
いや、それを言ったらそもそもマコ導師だって、十分すごいんだけど。
「ゾディアトスさんはミトポワナにある理総校の導師さんなのですが、今回こちらのミネオマルタの学園にて、光魔術について集中講義をしていただくことになったのです」
「おお」
感嘆の声を上げたのはクラインだった。
その声色から、導師の講義に出るつもりなのは間違いないだろう。
今ですら沢山の魔術を覚えているのに、光魔術も覚えるつもりなのか。
「もう既に、ミトポワナからの馬車は発っている頃でしょう。何日かすれば……発表会前にはこちらへ到着するはずです。そこで、学園から私達特異科へ、臨時の集団学徒指令が下ったんですよ」
「臨時……集団学徒指令?」
学徒指令といえば、学徒が行う学園への貢献活動のこと。
通常は週に一度、一時間もしない簡単なものをやらされるはずだけど……。
それを特異科という集団規模で、させるっていうことは、ええっと、つまりどういうことだろう。
「これから皆さんにやっていただくのは、掃除です!」
……。
なるほど。
特異科も入っている学園の第五棟。
その五階にある部屋のいくつかは未使用の状態で、半分物置のような扱いを受けているらしい。
魔術を研究する余地があった昔とは違い、今ではかなり洗練されているので、多すぎる研究室が閉ざされたのだろう。
第五棟以外にもそんな部屋が点在しているようで、学園としても持て余しているのだとか。
そんな余った古い部屋を綺麗にし、やってくる導師さんのための臨時の宿とする。
これが、私達特異科が本日の学業をフイにしてでも行うべき使命なのであった。
「チッ、なめやがって」
私にだってわかる。
“どうせ特異科なんだから掃除でもやってろ”ってことだ。
畜生め、馬鹿にしやがって。馬鹿だけどさ。
腕が力んで埃が舞うぜ、畜生。
「まあまあ、そう怖い顔するなよ、ロッカ」
「してねーよ」
「いや、してるしてる」
ヒューゴに言われ、頬に手を添える。
確かにちょっと強張ってるかもしれないけど、このくらいなら私にとって普通の範疇だ。
怖い顔なんかじゃないはず。
「部屋を掃除すればゾディアトスさんのためになる。
ゾディアトスさんが講義をして多くの人が光属性術を学ぶ。
結果として理学の未来は明るくなるってことさ。
風が吹けばなんとやらだ、これも理学のためだよ、ロッカ」
ヒューゴが上手いこと言うものだから一瞬だけ騙されそうになるが、いいや、それにしたって私達には関係のないことだろう。
手が空いてるからって掃除なんかに割り振りやがって。
私達だって学徒なんだから、講義を受けさせろってんだ。
「それにここは第五棟。第五棟に講義室を持つ中で最も人数が少ないといえば、特異科だ。僕としては、結構妥当な判断だと思うけどな」
「少ないからってこんなの、酷いじゃん」
「はは、まぁ、我慢だよロッカ」
「くっそー」
床をがしがしと叩き、埃を集め、一息ついた。
気疲れに見上げれば傘付きの灼灯。
ああ、あそこも拭かなきゃいけないのか。尚更気分が滅入ってくる。
「“ボン”!」
ボウマの短い詠唱による小さな爆風が、天井近くの桟に溜まっていた埃を一斉に払い落とす。
「“テルス”」
クラインの掌より生まれる膨らんだ風が、払われた埃を窓から外へと押し流す。
窓際の古びたカーテンがバタバタと鳴いている。
「これで上の方はやんなくていいの?」
「あとは拭くだけだな」
箒を持って呆然とするクラスメイトがいる中で、ボウマとクラインは実に楽しそうだった。
……魔術を利用しての掃除。なるほど、その手もあったか。
しかし考えてみる。
私に使える魔術は鉄魔術、もとい、岩魔術のみだ。
岩を生み出して何になるというのか。下手をすれば砂埃の量がこんもりと増えるだけだろう。
私には掃除で手を抜くための才能が無いらしい。残念だ。
「でも特異科が顎でこき使われるっていっても、来るのは導師さん一人だけなんでしょ」
「それだけ偉大なんだよ、リゲル=ゾディアトスさんって導師はさ」
「偉大って」
ヒューゴの口から出ると冗談のように聞こえてしまい、ついついそう言ってしまった。
「大げさにはしてないよ、実際偉大な人だしね」
「光魔術を生み出した、だっけ? でも」
「それもある。けど、三年前に勃発した大事件を自ら解決したっていう功績がきっと、一番大きいね」
三年前に勃発した大事件?
私は箒を握る手を休め、しばし考えた。
三年前。三年前と言われても、ポンとは浮かんでこない。
大事件らしい大事件は、そりゃあ、ヤマではいくらかあったけど……。
『魔導士の大量死事件だな』
「あ」
ライカンに斜め上横から口を挟まれて、そこでようやく思い出した。
確かにそうである。三年前、辺境であるデムハムドのヤマにも、そんな事が起こっているような事を耳に挟んだ時期があった。
隔週で届くチェックスの新聞張り出しをこまめに見る噂好きの連中らが吹聴し、何人かのお喋りを間に挟んで、黙々と岩を掘る私達にまで伝わってきたのだ。
人の生き死にだってのに、誰彼もそんなことを面白半分で話していたので印象に残っている。
三年前に、魔道士や導師が一斉に、それも大人数が死んだり、行方不明になったことがある。
高名な導師、有能な魔術の使い手、果てはゴーレムの作成者まで。
多くの理学関係者が、その事件をきっかけに命を落としている。
実行犯のほとんどは暗殺者と呼ばれる雇われ人で、その被害が広がってもしばらくは、彼らが尻尾を出すまでに時間を要したそうだ。
魔導士達への被害は五大国内だけに収まらず、隠五国にまで及んだという。
当時の理学関係者は、疎開やら隠遁やらで大変だったとか。
世界規模で勃発した、数十日に及ぶ謎の虐殺事件。
首謀者は一人の悪しき魔道士、ザフィケル。
暗殺によって何を企てていたのか、馬鹿な私にはわからないのだが、ともかく、それに立ち向かい、解決へと導いた“勇者”とも言うべき者がいたのだ。
思い出した。
それが魔道士リゲル、その人だ。
「防御困難といわれる闇魔術を打ち消す唯一の手段、光魔術。リゲル=ゾディアトス導師は光魔術を扱う唯一の存在として、悪の魔道士ザフィケルへ果敢に立ち向かい、そして勝利した。リゲルさんは単に光魔術の唯一の使い手というだけではない、世界中の魔導士達を救った人物でもあるんだよ」
「おお……」
「な? 偉人って言っても差し支えないだろ?」
「うん、すごいね。そんな人が同じ時代に生きてるのって」
なんてエピソードを聞かされてしまうと、何故だかこの単調で押し付けられたような掃除にも力が入る。
世界で唯一の魔術を使い、巨悪を倒す。絵本や小説の中でしか見られないような、それこそ本当に勇者のような魔道士だ。
考えているうちに、部屋を綺麗にしなければという気持ちになってきたぞ。
「理学のため、か。うん」
『どうした? ロッカ』
「私、掃除、頑張るよ」
『おう、そうか。じゃあ俺と一緒に拭き掃除でもやるか』
「うん」
燃える私をよそに、ヒューゴが口笛を吹いていた。
ソーニャは部屋の隅でぼーっとしている。
まあ、そんなことはどうでもいい。掃除しよう、掃除。




