杁004 指名する老師
室内にあった住所不定の荷物を、とりあえず別の空き部屋に移動。
ひと通り小ざっぱりしたところで、次に部屋全体の埃払い。
これはヒューゴやボウマ、そしてクラインの魔術によって吐き出され、抜かりなく終わった。
そして次が雑巾による拭き掃除。
クラインが水魔術を扱えないので、じゃあ桶に入れて汲んでこなくちゃいけないのかなと思っていたら、マコ導師が魔術で用意してくれた。
大きめの桶に木製の小さなタクトを差し向けて、たった一言呟くだけで、なみなみと水が溜められる。
水魔術の便利さを目の当たりにした瞬間であった。
さすがはマコ先生。
実際に魔術の水を使って掃除をしてみても、やっぱり水は水で、しっかり掃除ができたので感心する。
ただ、ちょっとだけ雑巾の乾きが早かったのが気になるか。
拭いていく傍からどんどん湿り気が失われていくため、水に付け直して絞る頻度が多かった。
ただ、早く乾くその分だけ、新たな汚れが床につきにくいという利点もあるので、どっちが良いとも、悪いとも言い難いところ。
無いよりはあったほうが断然良いなと、そう思う。
ひと通り拭き終わり、埃臭かった部屋が見違えるほど綺麗になったところで、他のクラスメイト達は大きな家具のようなものを運び入れてきた。
それはどこからか持ってきたベッド台であったり、衣紋掛けであったり、小さな棚であったりと、実に様々。
本当にこの部屋を宿にしてしまうのではないかという量が、次々に運び込まれてくる。
身体強化を使えない人は何人がかりかで運ぶのだが、強化が使えれば一人でも余裕は有り余る。
細身なクラインでも、重そうな端由の棚を一人で担いでいるし、ボウマが肩に乗せている立派な衣紋掛けだって、かなりの重量があるだろうに、よくわからない音痴な歌を歌いながら運んでいた。
どこに居てどう暮らしていても、身体強化を使える人は役に立つものだ。
こちらもしみじみ便利だと思う反面、使い慣れれば筋力を使わないために、肉体が衰え、細身になりやすくなってしまう。
これもまた、一長一短だ。
もちろんのこと、無いよりあったほうがいいんだけど。
そんなこんなで、細かなところまで手を入れた掃除は、割と早いペースで終了した。
ここまで綺麗になったのだ。リゲル導師もお喜びになることだろう。
「ふー、お疲れ様でした! みなさん、お手伝いありがとうございます!」
マコ導師はこの部屋の中で最も低い物腰で、そう私達に感謝を述べた。
彼の柔らかい笑顔による労いだけで、随分と報われた気分になってくるのだから不思議である。
『いやいや、我々特異科も立派な魔道士。その端くれとして、このくらい当然のこと……』
「ふふ。けど背が高い人って本当、こういう時、頼りになりますね。ポールウッドさんも、ありがとうございました」
『いやあ! それほどでも!』
ライカンも幸せそうだな。
そりゃあ私も褒められれば嬉しいけど、あそこまでではない。
部屋のクラスメイトたちが最後の後片付けを始めた頃、部屋の扉が静かに、申し訳なさそうな細く高い音を立てながら開いた。
「すみません、よろしいですかな」
扉を小さく開け、顔だけを部屋に入れたのは、白髪の老人だった。
顔には歳相応の数の皺が刻まれているものの、衰えという印象を感じさせない若々しさがある、血色の良い男性だ。
そんな彼の訪問に、マコ導師が応対した。
「ベルキンス導師。どうしました? あ、掃除はたった今終わったところなのですけど」
「終わったところか、それは丁度良かった。実は昼まで、学徒を一人お借りしたくてね」
ドアの隙間から顔を出す老いた導師。
どこかで見たことがあると思ったが、マコ導師が呼んだ名前で思い出した。
ベルキンス導師といえば、私が初日に貰った学徒指令で手伝うように指示された人物である。
特異科の学徒を一人、またもやどこかで使うつもりらしい。
掃除の後でまた何かの手伝いをするのは、さすがにちょっと面倒だな。
選ばれた人は普段の楽さが身体に染み付いているだけに、ちょっとした災難である。
「おお、いたいた」
「え?」
と、私が彼の方に目をやっていると、あちらも私の姿を捉えて、目標を達成したかのような顔を作ってみせた。
「ロッカ=ウィルコークス君、しばらくぶりだね。ちょっと君に頼みがあるのだが、ワシについてきてくれるかね」
「はあ、え?」
名指しである。
災難なのは私だったようだ。
理式科は主に第三棟に機関を据える、比較的大きな学科である。
理式とはつまり、魔道士が扱う楯衝紋そのものであったり、それをさらに簡略化し、記号化した魔術のための図形だったりする。
簡単に言うと私でもよくわからない何かごちゃごちゃしたものを学ぶ所。それが理式科だった。
「そう、で、この石に指を当てる」
「はい」
「それで魔力を放出……わかるかね? 多少なれ、強化の才能がなければ難しいのだが」
「あ、できます」
「おお、なら良かった」
私は今、そんなよくわからない理式科の導師に連れられて、第三棟でよくわからないことをしている。
よくわからないものはよくわからないので、どう説明しようかといったところだ。
ありのままに今起こっていることを説明しようとするならば、私はテーブルの上に広げられた大きな紙の中心に置かれた水晶に指を当てている。そんな感じである。
聞いたってよくわからない状況だろう。私もわからない。
ただベルキンス導師に“手伝いを頼む”と言われるがままここまで来て、こうしているだけなのだ。
本当に私も何も知らされていない。
「んー」
身体強化の魔力集中、指。
木を削り柱を整える時くらいにしか使わないような、慣れていない魔力操作ではあったものの、この場においては十分すぎる量だったようである。
私の魔力はすぐさま効果を及ぼした。
「わ」
「おお、出たかね」
小石に指を当てて内心で力むこと一秒にして、その下の地図のように大きな紙に変化が現われる。
バーっと、まるで細かな刺繍を飾ったかのような複雑な紋様が、紙の上に現われたのだ。
多層構造の円形を基本とし、その中を幾何学的な線が幾重にも走り、空白を埋め尽くす。
いつか何度も見たものに酷似している図柄だった。
そう、これは私の魔力が持つ楯衝紋である。
「ふむ、くっきり写しだされているな。成功だよウィルコークス君、ありがとう」
「はあ」
ベルキンス導師は大判の紙を持ち上げて、窓の光に晒してじっと眺めた。
ありがとうと言われてもピンと来ないのは、別に私が無知であるからでもないだろう。
「これって私の楯衝紋ですよね」
「うむ、そうだよ」
「こんなの取って、どうするんですか」
「はは、特異科の君がそれを言うかい? 貴重な資料の一つだよ。闘技演習の時から、気になっていてね」
ひと通り眺めて満足したか、ベルキンス導師は朗らかに笑って紙を机に戻した。
……というより、この人にも見られてたんだ。私の闘技演習。
「ここを見たまえ」
そして彼に指さされた場所は、紙の上のごちゃごちゃした模様のひとつだった。
“ここ”と言われてもわからない。
「この環陣のこの領域は、水魔術に対応するための部分だね」
出だしから知らないとは言えないので、首を小さく縦に振っておいた。
「君の鉄魔術を司る部分と水魔術を司る部分が、かなり強く一体化しているようだ」
「はぁ……え?」
「つまり、ウィルコークス君の特異性は、単に鉄魔術単体のものであるとも言い難いというべきか」
とするとなんだろう。
私の特異性は鉄だけでなく、水までもということなのだろうか。
だとしたらちょっと嫌だな。次に新しく魔術を覚えるとしたら、便利そうな水魔術にしようと考えていたのに。
「ここまで侵食しているとなると、水魔術も初等術までが限度だろうかね」
「そんな」
「まぁ、そのおかげということもあって、君の魔術は生成物であるにも関わらず、芯が存在していないのだろうが」
芯のない生成物、というのは闘っている最中のナタリーにも驚かれたところだ。
けどそれのどこが良いのかは、謎である。
岩として出てくるよりもむしろ、最初から鉄が出てくればそれに越したことは無いのだから。
ちゃんと鉄の魔術を使えて、水魔術も問題なく使える。今の私にとっては、そんな姿が理想型なのだが……。
「あの、ベルキンスさん」
「ん?」
「新しい属性を覚えるのって、難しいですかね」
「もちろん難しいとも。魔術においてはそれが一番だと言ってもいい」
ベルキンス導師は諸説あるような悩みもせずに、間髪入れずに答えた。
「一つの属性を学ぶのであれば、何の問題もない。しかし二つ、三つとやっていくごとに、自分の中での魔術の形がよくわからなくなってしまうのさ」
「よくわからなく……?」
「どれがどれだったか、とね」
なるほど、覚えたことがごっちゃになってしまうのか。
それは確かに大変だ。物覚えの悪い私にとっては、特に他人ごとには出来ないことだろう。
「覚えて、忘れて。覚えて、忘れて。また覚えて、忘れているか、忘れていないか。魔術なんてものは、この繰り返しだよ」
白い歯をきらめかせて、ベルキンス導師はにかりと笑ってみせた。
結局、私がこの部屋を出るのは、昼前近くになってからのことであった。




