擦024 貫く鉄錐
私は辛うじて立ち上がった。
とはいえ、中腰。傷ついた身体を抱え、出血を押さえて、ようやく二本の足で立っていられる状態だ。
そんな私に、ナタリーは近づかない。
私の歪み始めた視界がまだ正常に距離を測れているのであれば、およそ十メートル、そのままの距離。
瓦礫の上で悠然とメイスを構える姿は、歴戦の戦士。
けど、顔だけは魔族に喩えて失礼なほど、醜悪な笑みを浮かべている。
なるほど、良かった。まだ私の目は正常に動いてくれているらしい。
「虫の息。出血多量は深刻だねぇ。けど、上級保護設定の性質上、ダメージとして出血は考慮されないのよねぇ?」
「……なに」
「どんなに血を流しても、それはダメージじゃない。血じゃないんだ。重要なのは傷口なんだよ」
世界全てが敵に回ったかのような大歓声の中、その恩恵を一身に受けるナタリーが愉快そうに顔を歪める。
「残念だったな、ロッカ。アタシの鉄錐は、傷口としちゃあ小さすぎるんだよ」
「ぐ……」
観覧席から見た中級保護と比べて随分と差があるじゃないか、この上級保護は。
これはあいつの笑みが揶揄する通り、下手をすればこの先、本当に死んでしまうかもしれない。
「けどさすがの私もねぇ……合法とはいえ、人を殺すのは忍びないのよ。だからロッカちゃん? これは私からのお情けだ」
情けなんてものが、その顔のどこにあるっていうんだ。
その掲げられたメイスのどこに容赦があるんだ。
「土下座で敗北を宣言しろ。“ゆるしてください”と。額を瓦礫に押し付けてな」
「ペッ」
返事などいらない。寝言は寝て言え。
私は血混じりの唾をナタリーに向けて吐き捨てた。
「……そうかい」
ナタリーがメイスを振り下ろす。
共に、無詠唱によって作り出された鉄針が、私の目と鼻の先の床に突き刺さる。
「っ……!」
無数に飛び散る石片が全身を刺す、懐かしくも最悪な痛みが襲いかかる。
同時に湧き上がる観覧席。
この闘いは魔族しか見ていないのか。畜生。
「なら……アタシがここでメイスを掲げる度に、故郷とママの姿でも思い出してるこったなァ!」
怒りたいのはこっちの方だっていうのに、ナタリーは腹の底からの怒号で、私の死を宣告した。
血走る赤い目、血管の浮いた額。
ナタリーの鬼のような形相にはふざけた心が半分も、四分の一も無かった。
本気だ。奴は本気で私を殺すつもりなのだ。
「“スティ・レット”ォ!」
「うくっ……!」
振り下ろしのメイスから射出された鉄針が、私の腹を目掛けて真っ直ぐ飛んでくる。
私は糸が半分弾け飛んだ操り人形のような動きで身を翻し、それを躱す。
鉄針の勢いは凄まじく、私を抜き去ったそれは地に着かぬまま、場外の壁にぶち当たって消滅した。
あの勢いの鉄の塊を正面から受ければ……間違いなく、私には大きな穴が開くだろう。
「へぇ、まだ避けんの。じゃあ次は九メートルだ」
「!」
ナタリーが数歩分歩み寄りながら、メイスを高く掲げる。
お互いの距離が、私が弾道を見切るための距離が縮まる。
「“スティ・レット”!」
「うっ……!」
今度は心臓目掛けて飛んできた。距離が近いためか、さっきよりも避けるのが難しい。
そして、咄嗟に動かした脚が激しく痛む。
だが嘆いてもいられない。痛みに屈せば私は死ぬ。
ナタリーが近づくと共に、私はもっと距離を取る。
風を切って迫る鉄針を避けながら。後ろへ。一歩ずつ。早く。
同時に考えるんだ。ここからどうにかして、奴の鼻を明かす方法を。
「どうしたロッカ、足掻くなら無様に足掻け。諦めるなら惨めに頭を垂れろ」
針を避ける。下がる。避ける。下がる。
「処刑場に逃げ場なんてねぇえーんだよボケ! 今更に刑吏の前で逃げてんじゃねえぞクソアマァ!」
「うッ……“スティ・ラギロ・アブローム”……!」
素手による詠唱。久々の杖なしでの魔術の発動だった。
床に手をつき、頭の中の理学式に魔力を走らせる。
「……!」
だが、杖を無しに発動させた私の得意魔術は、実にみすぼらしい出来栄えだった。
高さは二メートル。太さは脚一本分。
柱を隔てても相手の姿が見えるほどの、拙すぎる、滑稽な防御壁であった。
「うあっ!?」
小さすぎる柱が鉄針に砕かれ、大きな破片は敵に回って私を襲う。
柱に直撃し勢いが減衰したはずの鉄針すらも余力を残し、私の肩を浅く突いた。
鎖骨に食い込む鉄と、反旗を翻した故郷の岩石。
つぶてと針の衝撃に私の身体は吹き飛ばされ、砂利混じりの硬い床の上に叩きつけられる。
「う……」
そして朦朧とする頭で、悔しいことに、ナタリーの言葉通りに、故郷の景色を思い浮かべてしまった。
あと、母さんの顔も。
「……」
おぼろげな視界が、色と光の量を落とす。
ほどよく濁って暗くなった視界は、悲しいことに、朝もやに霞んだ私の故郷の朝とそっくりだった。
灰色の空に覆われた、魔金の名産地、デムハムド。
起伏の激しい手付かずの自然が多く残り、その狭間で強力な魔族や魔獣が跋扈する、過酷な鉱山群。
その山々のひとつの中腹に、私の故郷はあった。
デムハムドにいくつもある鉱夫達による集落。
ウィルコークス家は、どこにでもある平凡な鉱夫の家だ。
私の家はどういうわけか、代々遡っても頭の悪い奴しかおらず、嫁や婿に迎える相手も頭が悪かった。
私の知能レベルはもちろんとして、父さんも穴を掘る以外は能がないと言って良いくらいだし、嫁ぎにやってきたウィルコークスの血が流れていない母さんすらもそうだったから、数奇な巡り合わせである。
ウィルコークス家の人間は、学校に通っても、日頃のヤマ仕事のことばかりが頭に浮かんで、ちっとも捗らない。
紙と向き合っても、数字並べの段階で苦痛を覚えるほどなので、ウィルコークスの家系には、商才などは微塵も恵まれていなかった。
品物を動かす金儲けが苦手なので、自分の手で岩を崩して金目の物を当てる。それが私の家の、代々続く原始的な生き方である。
雇われて金を稼ぐことが非効率的だとわかっていても、ヤマの鉱物商を管理するクロエ家と絶縁し、右も左もわからぬ野に出てまで中途半端な貧乏生活から脱したいとも思えない。
だから私達家族は、このヤマで暮らし続けていたのだ。
それでも、ウィルコークスはまだ良い方だった。
私を初等学校に通わせるだけの余裕があったし、生活をそれなりに安定させるだけの、手についた技術もあった。
村には初等学校にも通えないほどの貧しい家も珍しくはないのだから。
両親は馬鹿だが、仕事には非凡な才能と能力を持っている。
父のヘイブルは男衆の中でも熟練の鉱夫で、母のペトラはそんな父を凌ぐほどの優れたクランブルだ。
母さんは深く暗く、硬い断層から、デムハムドの予算が目に見えて動くほどの魔金の塊を掘り当てるという偉業を成し遂げた。
彼女は掘り当てた物をくすねるなんて考えもせずに、魔金塊をそのまま素直に献上した。
実直な母さんの活躍はクロエ家にも認められ、頭首から直々に蓬の紋が刻まれた特別製のピックを授与されたりもしたほどである。
そう、私や父さんも馬鹿だけど、母さんはもっと馬鹿だ。
少しでもその魔金をちょろまかして胃の中にでも詰め込んでおけば、ヤマを降りて大きな家を立てることもできたというのに。
その代わりにクロエから貰ったのは、名誉高い特別製の、採掘用ピックたった一本だけ。
“その調子でクロエのためにどんどん掘れ”と言われているような贈り物を、母さんは嬉々とした顔で受け取ったのだという。
一生分遊んで暮らせる魔金塊が、たった一本のピックだ。ありえない。
そして当時の父さんは母さんの愚直な行動を嘆かず、一緒になって大喜びしていたというのだから、全く救いようがないくらいの馬鹿夫婦である。
「……」
馬鹿な母さんは人生のチャンスを棒に振って、一本のピックを手に入れた。
そんな馬鹿な母さんが残してくれた一本のピックを救い出すために、私は右腕を失った。
そんな馬鹿な私を痛みから助け出すために、父さんは私の右腕を“これ”にした。
男性鉱夫用部分着床義腕。
作業効率重視、見た目最悪の赤錆色の義腕。
「父さん、母さん――」
私は目を開いた。
霞む世界が嘘のように晴れ渡ると、そこにおぼろげな故郷はなく、闘技演習場の丸いホールがあった。
「ほぉ、まだ起きる……か?」
「……ぐっ」
肩に浅く刺さった鉄針を、流血と共に引っこ抜く。
――杖を構成する導芯と先石ですが、この二つは必ずしも別素材でなくてはならないというわけではないのです
「おいおい。なんだその目は、テメェ」
「……」
ナタリーが放った冷たい鉄針を握り、体の支えにして、強引に立ち上がる。
無理な直立は身体を祟り、ヒビの走るような苦痛が私を苛む。
痛みに耐えて一山越えれば、口から白く煙った吐息が溢れ出た。
――大抵の魔石や魔金は、導芯と先石、両方の性質を備えてはいませんからね
「ァアん……?」
「……」
義腕の掌にある小さな金属蓋が開くと、中に収納されていた規格通りの物が顔を出す。
私はそれを左手で摘み、すっと引き抜いた。
――素材は極々、限られてきます
デムハムドを管理するクロエから授かった、誉れ高き蓬紋入りのクランブル・ピック。
滑らかかつ緩やかな流線型を描く全体と、鈍く尖った先端。
この一切の光沢の無い、薄灰色のみすぼらしいたったひとつの工具こそが、私の母さんがその一生の中で得た、数少ない誇りの証。
馬鹿な父さんと馬鹿な私が売り払うことのできなかった、家族の証である。
デムハムドの名に由来する、デム鉄鉱石をふんだんに使用した魔金のピック。
使い慣れたピックを鋼の右手で握りしめ、ぶん、と振るう。
ピックを握った“打ち砕く者”。
その姿はもう、お世辞にも魔道士とは呼べないのだろう。
「クッ……クヒャ、ハハハハッ! なんだそりゃ、ノミか!? いや、アイスピックか! 適度な長さの棒切れだったら、何でも杖になるってか!?」
ナタリーが腹を抱えて笑うのもわかる。
会場の野次馬共が苦笑に包まれるのもわかる。
私だって、他人だったら笑ってしまうだろうよ。
敗北間近の瀕死の魔道士モドキが万策尽きて、無骨な腕から何を取り出したるかと思えば、それは工業用の切削ピックなのだから。
「そんな芋くせえ工具でアタシの術を弾いてやるってんなら、そいつはよぉ。ちと、笑えねー侮辱ってやつだぜ、ロッカ」
距離は七メートル。
ナタリーはメイスを構え、今にも鉄針を撃ち出す構えだ。
もはや私に避ける力などは無い。
かといって、母さんが誇って残してくれた“私”という形見を侮辱した相手に屈するなど、ありえないことだ。
絶対に曲がってやるものか。
「“スティ・レット”ォ!」
だから私は最後まで抗う。
それこそ、石のように頑固で馬鹿な、父さんや母さんのように。
私そのものの生き方であるように。
「“ステイ”!」
ナタリーに刃向けるデムピックの先端に、集束した私の魔力の光が淡く輝き、弾け散る。
頭の中の理学式と、走馬灯に見た故郷の景色と、ピックを握るこの手の感触が、ひとつの現象として重なり合った。
「なん、だ……それは」
ピックの先端に、異国のベッドの上で何度か見た、薄暗い仕事場を思い出す。
そう、夢の中でだって私は、こんな壁面を前にして作業に明け暮れていたのだ。
夢の中だけだった光景は、今、私の目の前いっぱいに広がっていた。
「なんだそのッ、岩石はァ!?」
ナタリーの狼狽える声がこちらへ響く。
高さおよそ三メートル。形状は極めて歪。
正面に向けたピックの先端に顕れたのは、私の身体を覆い隠すほどに大きな岩石であった。
岩を前に、叫ぶ。
「私の、魂だ!」




