楔020 挿げ替える煙管
――なぜお前のような異物がこの“横たわる永遠の聖櫃”に居る?
小難しい名詞はわからなかったが、なぜ私がこの場にいるのかという問いかけであることは、なんとなくわかった。
ただそれだけにわからない。
「アンタが……私を、いや、ここにいる魔道士みんなを、このわけのわからない場所に引きずり込んだんだろうが……!」
相手は見るからに肉体的にも頑強そうだし、強力な魔術を使ってくるのは間違いないだろう。
喧嘩して勝てるとは思えない。最初から満身創痍な私じゃ拳の一発も届くかどうかだ。
それでもアンドルギンを握る手に力は籠もる。
眼の前にいるそいつこそが、おそらく全ての波乱の元凶なのだろうから。
「お前を引き寄せたつもりはない。グリモアの契約にも無いし、指南した記録も残っていない」
だがこいつは、ブライオンは白を切った。
小難しい言葉を並べやがって。だったらどうして私がここで餓死に怯えてなきゃならねえんだよ。
「“ジック・ヴァール・ダート”の召喚に偶発的に巻き込まれたか、それとも記載漏れがあったか。ふむ。若者よ、暫し待て」
ブライオンは宝石まみれのロッドをどういう力なのか宙に浮かべると、どこからともなく取り出した黒く分厚い魔導書を開き、ページを一枚一枚丹念に捲り始めた。
そこに目の前の私への警戒や構えは一切無い。ギルドの受付が客の対応でもするかのような自然さで、こいつは凶器を握った私を捨て置いているのだ。
隙だらけな姿を見て、私は逆に呆気に取られた。
同時に、この好機を見逃さずガツン……ともできなかった。
私がとんだ甘ちゃんなのか、そうする気力もないほどに疲れ切っていたせいなのか。
「ふむ、若者よ。やはりお前の魂は正式に記録されていない。やはり偶発的な召喚に巻き込まれたとみるべきだろう」
「……クラインみてえな喋り方しやがって」
わかるか、私が言ってるこの意味が。
赤の他人ならどうしようもなく癪に障るって意味だぞ。
「原因はどこかにあるはずだ。――“ジック・キソルベル”」
「うッ」
その時、唐突に魔術が発動した。
宙に浮かべられた大きなロッドからではなく、男の手にした魔導書からである。
完全な不意打ちと眩い魔光に、私は一瞬自分の死を覚悟した。
……が、何もない。特に痛くもなければ、何かが飛んでくるということもない。
「うわ……!?」
ただひとつ、私の右腕から妖しげな紫の光が瞬いているという明らかな異常を除けば。
「お前の腕から反応があるようだ。見せよ」
「え、なっ、なにが……!?」
「半機人の若者よ。それはお前の腕ではないのか。その内部に納められているものから、“聖櫃”との繋がりがあるようだが」
私の右の義腕。その中に収められているもの。
それが、光っている? なぜ。気にはなるけど、こいつの目の前で大事なデムピックを無防備に晒したくない。
「そこにあるものは杖であろう。杖を“碑文”に翳し契約を結び、我々の縁は成る。グリモアに記載されていないことは不可解だが、若者よ。その杖が光を放っているということは、お前は私と契約したのではないか」
け、契約だって。
「してない。するわけない」
当たり前だろうが。誰がなんのためにそんなことをしなきゃいけないんだ。
だいたい、私はあの時断った……あ。
……まてよ。もしかしてあの夜、この男と会った時……私はこいつの出した壁のような魔術にデムピックを突き立て、壊してやったんだっけ。
ひょっとしてそのせいか? あの壁みたいなのにピックを当てたせいで、巻き込まれた……?
「ふむ。契約はしていないと。ならば偶発的なものか」
……しかし、このブライオンとかいう怪人は、その時のことをまるで少しも知らないかのような口ぶりで話している。
私ともつい数日の間に会ったことがあるというのに。
「……なあ、アンタ。私と会ったこと、覚えてる?」
「記録には残っていない」
記録。またそれか。私が言ってるのは記憶なんだけど。
なんでだろう。話が噛み合わないな。
「若者よ。不完全な契約によりお前がこの“聖櫃”に巻き込まれた。だがここで正式に私と契約を交わし、お前の魂をグリモアに記録することができる。我が魔術の神秘を受け継ぎ、“聖櫃”の守り人になることも叶うだろう」
「……」
ブライオンの言葉に、私は閉口した。
こいつは何を言ってるんだろう、と。
「若者よ、手を伸ばせ。私が神秘の力を教えてやろう」
「嫌だ」
気持ちはすぐに声に出た。
強大な相手の調子に合わせようだとか、機を窺おうとも思えなかった。
ただただ、生理的に受け付けなかったのだ。こいつの、最初からズレきっている誘い文句が。
「私はそんなものに興味ない。だから、さっさとここから出してくれよ」
なにが聖櫃だ。なにが神秘だ。教えだ。
私にそんなものは必要ない。仮に必要なものをアンタが持っていたとしても、私はアンタから受け取りたくはない。
「……魔術を拒むか。今はそれも良いだろう」
アンドルギンを正眼に構える。
いつでも動けるように。何が来ても叩き落とせるように。
ブライオンは浮かんだ杖を手に取り、石突を打ち鳴らした。
「欲しくば求めよ。手を伸ばせ。私はいつでも、授けてやろう」
「前にも聞いたぞ、その言葉」
「スキラー・ブライオンの手は常にそこにある。忘れるな。学ぶことに限界は無い」
「くどい」
「今はそれでも良い。時流と悲嘆が頑迷な魂を正しく歪めることもあるだろう」
ブライオンは私に背を向けると、碑文に向き合った。そして高く聳える碑文に向けてロッドを差し向け、その先端を輝かせる。
「開け、現世の扉よ」
詠唱とも呼べないただの短い言葉。
しかしそれが鍵だったのだろう。鈍い光沢を放っていた石碑は全体が強く発光し、輪郭を失った光柱へと変貌した。
「……これは」
「力を拒む若者よ、この碑文を潜り抜けるが良い」
「……え?」
「現世に戻りたいのだろう」
ブライオンは顔だけで振り向き、その表情は布で見えなかったけれど……確かに“行け”と催促していた。
「……帰れるのか、そっから」
「学ばぬ者はここにはいらぬ」
……てっきり、全ての主導権を握られているからどうしようもないものかと思っていたけれど。
どうもこの男は、すすんで私を出してくれるつもりでいるようだ。
迷惑を被った側はこっちだけど、ありがたい提案だ。ほぼどん詰まりに近い現状、これに乗らない手はない。私は喜んで碑文の前に躍り出た。
しかし、足が止まる。ここから脱出するにせよ、どうしても気になることがあったから。
「……なあ、アンタ」
「気が変わったか」
「いや。ここにいる、他の魔道士はどうなるんだ」
「彼らは学ぶ。同時に、我々も彼らから学ぶ」
「出られないのかよ」
「それこそ彼らが望んだことだ」
「……」
私はブライオンに顔を向け、その意図を読もうとした。
けど、無理だ。一切の表情を隠しきったこの男の思考や感情は、私には一切伝わらない。
仮にそこに何らかの表情が浮かんでいたところで、賛同も共感もできなかっただろうが。
「……邪魔したみたいで悪かったな。私は出るよ」
「ああ。いつでも来るが良い」
私は生暖かい誘い言葉を背中に受けながら、輝く石碑の中へ踏み込んでいった。
未知の体験に緊張がしなかったわけではないが、不思議と足取りに迷いはない。
……私が帰るだけじゃ終われない。
それだけで、全てが解決するわけじゃないだろうから。




