針017 啜り泣く誰か
ラリマ競技場の満員御礼から注がれる声援に手を振りながら、私はゆっくりと歩いて退場した。
もったいぶっているわけではない。勝利の余韻にどっぷり浸ろうという魂胆があったわけでもなかった。
単純に、動き過ぎで疲れてしまったのである。
「はあ……やべえ、ソルポット欲しい……」
負傷は無い。ちょっとばかし感電はしたけども、それも微々たるものだ。中級保護でアウトになるほどのものでもなかったと思う。
そのかわりに全身が重だるい。クラインやナタリーと特訓した後のような倦怠感だ。
仕事上がりでもこうはならないぞ……やっぱり激しく速く動くのは、仕事とは全然違うんだな。
「お疲れ様です。治療はあちらになります」
「あ、どうも……」
入場口から戻り、案内役の係員に促されるままに治療室へと流された。
一応は試合後なので、これは怪我を負っていることが前提の処置だ。歩くのも難しいと判断されると、勝者であっても壇上から担架で運び出されるらしいが、今のところそのような魔道士は一人もいないらしい。そのくらいの重症ともなると、上級保護相当の設定になるのだろう。
「いたたた……あんまり触らないで」
「我慢してください。すぐ良くなりますから」
「あまり痛くしないで」
「もちろんです」
「いたたた」
治療室には複数のベッドがあり、それぞれが布のパーテーションで仕切られていた。
既に何人かが試合後の負傷を処置しているようで、うめき声やら話し声が聞こえてくる。
……つい流れで入っちゃったけど、私は別にどこも怪我してるわけじゃないんだよな。良いのかな、汚れた格好でここに入ってきちゃって。
「試合終わった方ですかー?」
「あ、はい」
ぼさっと突っ立っていると、奥の方から臥来っぽい長身の女性が声をかけてきた。
困ったな。私、怪我してないんだけど。
「怪我はありますかー?」
「あー、その、特に無いんですけど」
「そうですか。でしたら向こうの端……は駄目だ。えっと、その一個手前の“6”のパーテーションを開いて入ってください。タオルは沢山あります。汚れを拭いたり、身支度を整えられますので」
おお、そういうことも出来るんだ。
ありがたい。全身砂埃被ったように薄汚れているから、丁度拭くものが欲しかったんだよね。
「それとこちら飲む用の水と、ソルポットです。お水はおかわりあるので言ってくださいね」
「お、おおー……」
「ん? ああ、ソルポットは無料ですよ。嫌いじゃなきゃ遠慮せず飲んじゃった方が良いですよ」
私が一番気になっていたことを言ってくれた。
タダか。嬉しいね。タダの飲み物は泥水以外ならなんだって飲むぞ私は。
オイルジャケットをポールハンガーに引っ掛け、濡れたタオルで体を拭う。
ブーツも脱いで脚も拭いておく。汗もかいたし、そのままだと落ち着かないからね。
ひとしきり身体を清め終えると、どっと内側からの疲れが押し寄せてきた。汗をかく時の疲労とは違った、横になって眠らないとどこかに行ってくれないような粘っこい疲れである。
……エンドリックは強敵だった。それは間違いない。
雷の発動は早い、撃ってくる数も威力もまさに凄腕と言って間違いない相手だった。
けど、勝ったのは私だ。思いの外、傷の少ない勝利を掴み取れたと思う。あの、明らかに手練であろう魔道士、エンドリックを相手にだ。
偶然……ではないよな。運が良かったのかどうかは正直よくわからんけども。
ただ私には、私の出せる全力を出して、それでエンドリックを押し潰してやったという実感が残っている。多分これは私の思い上がりとか驕りだとか、そういうものではなくて……実際に私が掴み取ったものなんだと思う。
私の闘い方が、はっきりとエンドリックに通用したのだ。その上で、完勝できた。
魔術投擲がなくても、勝てる。闘える。魔道士としてやっていける。それを……多分、はっきりと証明できた。
「……よっしゃ」
嬉しさに右腕を握り込む。
「うわっ」
と思ったら、握りつぶしたタオルから水が滴ってきた。あぶねえあぶねえ。シーツ汚すところだった。
「……へへ」
けどまぁ、嬉しいもんだな。
今までのマルタ杯の試合はなんていうか、こっちがダメージを負っての辛勝も多かったから。
それが今日は、ほとんど生身にダメージを受けずに勝利できた。危なっかしすぎるような場面も……私の闘ってみた感じではなかったと思うし、上手く岩の環境を利用して、自分の思い描く勝利にまで押し出せた。
もちろんその分、身体強化と高速移動の連続で身体は疲弊しているけども。それはそれで、奮闘の必要経費ってやつだろう。
景気づけに一杯、ソルポットを一気飲みする。……うん、いつもの味だ。なんとなくヒヨケソウの味がする。
これで明日の試合も筋肉痛なく出られるだろう。で、明日もまたソルポットを飲むと。ポーション中毒にならないように気をつけないとな……。
「うっ……ぐすっ……うう……」
空の遮光ビンを握ったまま倦怠感に任せてぼんやりしていると、すぐ近く……ちょうど隣のベッドからだろうか。女のすすり泣くような声が聞こえてきた。
言葉はない。ただ、横になって泣いているだけ。そんなに傷が痛むのかと思ったけど、泣き方から察するにどうも、そういうわけではないようだ。
……きっと、負けたんだろう。それで、嗚咽を漏らしているのだ。
「……ふう」
身体は疲れ果てている。
この部屋は沈み込むベッドの柔らかさが心地良いし、冷たい水がいくらでも飲める素晴らしい休憩スペースだ。私の肉体は、ここでしばらく根を下ろしておけと呻いていた。
でも、やめておく。すぐにでも出ていこう。
この治療室にいるのは、何も名誉の負傷を負った魔道士ばかりではないのだ。
惜しくも敗北し、打ちひしがれた人だって沢山いる。そんな人たちの泣き声を聞きながら上機嫌に天井を見上げるなんてことは、私にはできそうもない。
私は勝ったんだ。それも、かなりいい勝ち方をした。どうせならそれを、皆に褒めてもらうとしよう。
まだまだ私の試合は続くんだぞって、そいつをクラインにも聞いてもらおう。
一人でベッドの上で寝転ぶよりも、きっとその方が、身体の疲れも吹っ飛んでくれそうだった。




