表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第二章 貫く鉄錐

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/545

擦013 差し迫る期日

 ストーミィ・ルウナことルウナ=サナドルは、治療室送りになったらしい。

 試合を決する一撃となった顔蹴りによって、派手な鼻血はあったものの、鼻骨を折るまではいかなかったらしい。本当に良かった。

 床に打ち付けられたダメージが蓄積されていたので、それが幸いしたようだ。

 中級保護の転移が、ルウナに必要以上のダメージが及ばないよう、早期に発動してくれたのである。

 もちろん、そっちの打撲はあるらしいんだけど……。


「まあ、風の噂なんだけどね。僕は実際に見ていたわけじゃないから、その場の様子まではわからないんだけど」


 それらはヒューゴが教えてくれた話だ。

 闘技演習があった翌日の朝、私が入る前から、講義室は既にその話で盛り上がっていたらしい。


「ルウナが無事で良かったよぉ」

「だね。まあ、怪我もしてるし、無事とは言えないかもしれないけど……」


 ボウマもそれを聞いて安心しているようだ。

 昨日の闘技演習は私以外のみんなにとっても、ショックな事だったらしい。


 最後のあれは、人の所業とは思えぬ、情けも容赦もない一撃だ。

 無抵抗な相手へ、より酷い結果をもたらすためだけに放たれた、そんな蹴りだった。

 闘いの最中とはいえ、特に恨みもない相手にあんな追い打ちを掛けるなんて、正気の沙汰とは思えない。

 昨日は目に焼き付いた光景のせいで、ぐっすりとは眠れなかった。


 しかし、最後の残虐的パフォーマンスを抜きに思い返してみれば、かなり高度な闘技演習だったように思う。

 水と鉄。全く異なる二つの属性を撃ち合い、避け合う闘い。

 ナタリーもルウナも、お互い最大限の早さで魔術を連発していた。


 特にナタリー。序盤こそ鉄針を一本ずつで放っていたけど、中盤以降は二本、三本同時に放って攻撃していた。

 詠唱も微妙に違っていたので、そこに工夫があるのかもしれない。

 あれはきっと高等技術だろうから、今の私には理解できないけど。

 しかし私が理解できないとしても、相手が使ってくることは覚悟しなければならない。

 運命の闘いはもう、あと三日後に迫っているのだから。




「それで、杖を構成する導芯と先石ですが、この二つは必ずしも別素材でなくてはならないというわけではないのです」


 マコ導師のわかりやすい講義を聞き流すということに、最初のうちは罪悪感に苛まれてもいたものの、近頃ではそれほどでもなくなってきた。

 それほど私が形振り構わなくなっているという事でもある。

 杖の講釈にも興味が無いではないけど、時間のない今は何よりも、クラインから渡された指導書を熟読するのが再優先だ。


『マコ先生! しかし導芯がなければ、魔力は先石へと送られないのではないですか!?』

「ポールウッドさん、良い質問ですね。はい、大抵の魔石や魔金は、導芯と先石、両方の性質を備えてはいませんからね。素材は極々、限られてきます。そういった素材はどれも大変、高価なものなんですよ」


 三級素材ばかりを使ってる私の赤陳の杖にはほとんど関係のない話だ。

 王家や杖士隊なんかは、きっとそんな杖を使っているんだろうな。

 もしかしたらナタリーもそんなメイスを使っているのかも……。

 って、いけないいけない。私は目の前の本を読まなきゃいけないんだった。


 えーと。

 白物質(はくぶっしつ)に魔力を当てる事により生まれる衝紋(しょうもん)が術の起点となるひとつである。

 そのため、地面から魔術を展開する際には、地面が魔術的な液体や物質で覆われていないことをよく確認してからでなくてはならない……。


 ふむふむ。なるほど。

 つまり私のスティ・ラギロ・アブロームは、床が水魔術で濡れている時には発動できないってことなのだろうか。

 けどナタリーは鉄魔術の使い手だし、そういった心配は無用だろう。

 魔道士としては見逃しておけない知識だけど、三日後に役立つものではなさそうだ。

 次のページを見よう。もう少し戦闘の知識を詰め込んだ後は、講義後のために理学式を暗記しないと……。


「ダークスチール、通称鎧奇稲(よろいくしな)

 デム鉱石、通称食土(はんど)

 コア鉄鉱石、通称地核石(ちかくせき)

 アストライト、通称地球石(ちきゅうせき)

 ベルジュライト、通称鉄狂石(てっきょうせき)

 サバマイト、通称仙界石(せんかいせき)

 自然界に存在する生物由来の魔石と魔金で、導芯と先石両方の代役を果たせるものは、この六種類だけですね」

『ほほう! 馴染みのないものばかりですな!』


 自分のやるべきことに集中しなきゃ。

 集中しなきゃいけないんだけど……。

 石や鉄関係の話になると、どうしても耳がそちらへ傾いてしまう……。




 学園端の林の広場で、倒れた石柱に腰を下ろす。

 椅子代わりになる大きさの、長さ五メートルの即席ベンチだ。

 高さ自体は屈んで溜息をつくのにちょうどいいものの、表面がゴツゴツしていて座り心地が悪いのと、中途半端な長さが私を憂鬱にさせるのが珠に瑕だ。

 ため息も出てしまう。


「今日は随分と焦っていたようだな。二、四、六、八……十一本連続で発動とは」


 クラインは私と違って何とも思わないような顔で辺りを見回した。

 広場に生み出された石柱は十一本。

 いずれも私が高速で、次から次へと出現させたものだ。

 それまでの「集中して高い一本を生み出す」というやり方をないがしろにして、質より量とその速さを求めた結果である。


「昨日、ナタリーの闘技演習を見たんだよ」

「言っていたな」

「ナタリー、すげえ速かった」

「だろうな」


 ナタリーの撃ち出す鉄針は速い。しかも、次から次へと撃ち出してくる。

 あの速射に対抗するためには、ただ柱を出すだけでは駄目なんだ。


 多分、私が柱を生み出す早さよりも、ナタリーが鉄針を生み出す速さのほうが上回っている。

 私が一本の柱を建てている間に、ナタリーはそこに三本以上の鉄針を突き立ててくるだろう。

 昨日見た速度から予測するに、私の石柱はその衝撃に耐えられない。

 蹴倒せば真ん中からぽっきりと折れてしまうほどの岩なのだ。故郷の岩と見た目に同じとはいえ、強度は雲泥の差がある。


 とはいえ、鉄針一発程度なら大丈夫だ。一発を受けるくらいの強度はある。

 けど二発、三発と受けては、倒れたり、砕けて折れてしまうだろう。

 蹴り倒して使うための柱が、先に相手に折られてしまっては大惨事だ。

 防御用の魔術としても有効なアブローム。しかしこの魔術を攻撃に転用できなくては、私に勝機はない。


 だから私の戦術は、柱を折られないよう、とにかく多くの柱を出す。

 出しながら、いち早く相手の懐へと飛び込むのだ。

 決死の覚悟でいくしかない。そのためには、魔術の速度が鍵となる。

 今日の私のハイペースは、そういった思惑があってのことだった。


「なるほどな。ウィルコークス君、君は魔術の質よりも、その数にこそ勝利への道標があると考えたわけだな」

「うん」

「ふむ、まぁ無い頭にしては良く考えたほうだな」

「うん?」

「実際、パイク・ナタリーの詠唱速度、発動速度は速い。とりわけ奴のスティ・レットの速度は学園内でも高学年を凌ぎ、最速に近いだろう」


 話の途中に混ぜてきたジャブを軽く無かったもののように放置して、クラインは話を続ける。


「だがこれだけは言っておく。質で勝てないからといって、量で勝とうとするな。魔術の速度で勝とうと思うな。君は質でも量でもパイク・ナタリーに劣っているのだからな」

「うぐっ……そんなの、わかってる」

「どうせ君は馬鹿なのだから、無理に突貫工事の魔術を極めようとはしなくて良い」


 本当に言葉のあちこちにトゲを仕込むな、この男は。


「……じゃあどうすればいいんだよ」

「魔術の方面では、練度に限界が来たということだ。だからこれからは……」


 クラインが足元の灰色の石を手に取って、それを私の方へ投げ渡し……。

 違う。投げ渡しているのではなかった。

 全速力で、顔めがけて投げ放ったのだ。


「うおっ」


 身を捩って、豪速球で放たれた小石を回避する。

 石は遠くの木にぶつかり、幹の皮の一部を砕いて落ちた。


「何すんだ!」

「避ける練習をしてもらう」

「は?」

「オレが放つ術を、ひたすら避けろ」


 理論と式から実践へ。

 実に合理的な、頭の良いプロセスによって成り立っていた私の訓練は、今日より突如として、超肉体的な訓練へと移行することになった。




「“ステイ・ディア(顕鉄)”」


 間合いおよそ十メートルから放たれる、ふたつの小さな金属のつぶて。

 小石程度のサイズではあるものの、顔に当たれば大怪我だ。

 だから私は必死に避ける。


「っく……!」


 視認性の悪い小さな影を、身体を横に向け、飛び退くように回避する。

 直感の避けだ。合理性の欠片もない、咄嗟に逃げる動物のような動き。

 ルウナがやってみせた回避とは雲泥の差がある、みっともない避け方だった。


「どうした、近づいてこい。“ステイ・ディア(顕鉄)”」

「無茶ゆ……うおっ!」


 腿、胴、顔、肩、クラインは私のあらゆる場所を正確に狙って撃ってくる。

 しかも鉄の石は二つ同時だ。

 ひとつは私を狙い、もうひとつは私が避けそうな方へと飛ばしているため、ただ大きく動くだけでは避けきれない嫌らしさがある。


 私はクラインの放つ石を避けながら進まなくてはならない。

 クラインとの間合いは十五メートルから始まったが、私が縮められた距離はほんの十メートル地点までに留まっていた。

 最低でも五メートル地点にまで近づかなければならないのに、クラインがそうさせてはくれない。


 石を打ち込む場所が的確すぎるのだ。

 まるで、私が次に動く場所がわかっているかのように。


「パイク・ナタリーは最大で三本同時だ。このくらいは身体強化無しでも自力で避けてみせろ」

「ふざけっ、うわぁっ!」


 今こいつ無詠唱で飛ばしてきやがった!

 鬼め! 昨日のナタリーでもそんな技はやってこなかったぞ!


「まぁ女にしては動きは良い方だな。この調子で避けの動きを感覚で習得することだ。まだまだ、あと一時間はいくぞ」

「い、いち!?」


 クラインの宣告により、開始五分の時点でへばりそうな私は、その後きっちり一時間、避けと接近の訓練を続けたのであった。




 その間、何発を身体に受けたかわからない。

 オイルジャケットがなければ、青あざをいくつも作っていたことだろう。

 クラインの放つ鉄のつぶてが本物の鉄針だったなら、一発でダウンしていたに違いない。そして今頃は真っ黒なサボテンと化していることだろう。


「……疲れた」


 今日の屋外の実践では、いつもとは違ったことばかりをやったけれど、数日中では最も実りのある訓練だったように思う。

 飛んでくる物を避けるという、全く経験の無い状況への対策訓練。

 汗まみれになりながら、息をぜえぜえとあげながら、理学なんて崇高なものとは程遠い運動だけど、実際の魔道士もこうしているのかもしれない。


 あのふんわりした雰囲気のマコ導師にも、こんなことができるのだろうか、と、ベッドの上に倒れこんだ私は、ふと考えるのだった。




 あれは避ける訓練という名のイジメだ。

 ちょっとした盗みを働いたって、あそこまで石を投げられることもないだろう。

 その場に居られないように当ててくるのはもちろん、前に進ませないように手前へ打ち付けてくるのもまた厄介だ。

 後ろに下がるとすかさず放ってくる胴への一発も、私の体勢を大きく崩してくる。


 クラインが手を軽く払う度に飛ばしてくる鉄の小石は、私が人生で経験した中でも最も恐ろしい攻撃であったことは間違いない。

 つぶてのひとつひとつが、私の動きを読むように飛んでくるのだ。

 私は自分の意志で最善の避け方をしているつもりなのに、まるでそれが相手によって操られているかのような。相手の石が私を操作しているかのような。

 そんな特訓だったのだ。


「ロッカ、生きてるよね?」


 机に突っ伏した私へ心配そうな声をかけてくれるヒューゴ。

 特異科のみんなは優しいな。

 でも私はもう、ダメだ。

 ナタリーと戦う前に、身体がボロボロになって死んでしまうかもしれない。

 みんなありがとう。少しの間でも友達になってくれて、嬉しかったよ。


『昨日のクラインとの特訓で全身筋肉痛らしいぞ』

「うわ、酷いことされてそうだな、それ」


 実際は酷いなんてものではない。拷問だ。


「おいクライン、ロッカにひでーことしてんじゃねーよぉ!」

「オレは当人の望み通りに手伝ってやっただけだ。感謝こそすれ怒ることもないだろう」


 クラインは本当に悪びれる様子がない。

 昨日の特訓の最中もそうだった。奴は笑いも怒りもせず、ただただ的確に私にとって嫌な場所へ鉄石を投げてくるのだ。

 そこに楽しんでいる様子でもあれば、ただの鬼か悪魔かと罵ってやれるのだが、奴は終始無表情だ。

 つまり私のために、真面目に手伝ってくれているのだろう。

 ちくしょう、あんなひどい目にあったのに素直に感謝しなくちゃいけないなんて。納得はできるけど、何か悔しい。


「でもロッカさぁ、大丈夫なのかぁ? あとたったの二日だじぇ?」

「僕らは特訓の内容すら詳しく知らないけど、クラインから見て今はどうなんだ? あのナタリーに勝算があるのかな」

「ない」


 あまりにも衝撃的な一言に、筋肉痛が一斉に悲鳴を上げだした。

 勝算がないってどういうことだ。

 驚きのあまり全身が硬直して、口すら開けない。


「魔術戦という観点で見れば、ウィルコークス君は壇上に立つこと自体がまず間違っている。場違いな人間だ」


 場違いってのはわかってるけど……。


「相手の使う鉄属性しか研究せず、対策せず……パイク・ナタリーの“鉄魔術しか使わない”というポリシーに胡座をかいているんだ。水属性や火属性を使われれば敗北は必至の、脆弱な戦法で挑んでいく。こんな心意気の時点で、ある意味ウィルコークス君は敗北しているのだよ」


 仕方ないだろ。

 残り数日。こんな状況で呑気に全属性の対策なんてやってられるか。

 それに当日やるのは、魔術戦だかなんだか知らないが、そんなのは言葉ばかりの、ただの決闘だ。

 相手が大勢の前で自らのポリシーを挫いたなら、それはそれで良いんだ。

 精神的に勝てば良いんだよ、精神的に勝てば。

 痛いのは嫌だけど。


「オレが判断する勝ち負けは抜きにするとしても、闘技演習の結果として勝てるかどうかも、かなり怪しいところだな」

「やっぱりそうなんだ?」

「対策期間が短すぎた。あと十日でもあれば、それなりに化けたかもしれないが」


 やっぱりそもそも私の設定した短い期間が原因らしい。

 あの時の啖呵が本当に、今更になって何度でも悔やまれるものだ。


「ウィルコークス君の仕上がり自体は予想以上だが、元々の勝算が低いだけに、結果のほどは当日になってみなければわからん」


 元々開きに開いていた海溝のような実力差を埋めるつもりで猛特訓に励んだ毎日だったけど、これでもまだまだ届きそうもないか。

 そりゃそうだよね。海溝を埋めるったって、たったの五メートルだしね。


「だから今日も特訓に励んでもらう」

「え」


 肺から声が漏れた。


「クライン、私、今さ、全身が痛くて動けないんだけど」

「ならソルポットをくれてやる。動け」


 机に頬を付ける私の鼻の先に、薄黄金色の薬液で満たされた小さな瓶が置かれた。

 ソルポット。ヒヨケ草から抽出した主成分からなる、ちょっと高価な滋養増強魔力食品。

 つまり栄養ドリンクである。


「……まぁ、ロッカ。僕らが近くにいるのも目立つだろうから、ひっそりとしか応援できないけど……頑張ってくれ」

『おお、ソルポットがあるなら大丈夫だ。多少の疲労などふっ飛ばしてくれるぞ。良かったな』

「ロッカぁ、故郷はデムハムドだよね。骨はあたしに任せとけ」


 私は今日も、クラインからのイジメを受けるのであった。




 訓練も終わって朝になると、私は再び机の上で項垂れていた。

 この体勢にデジャブを感じる。


 そもそも、どうしてクラインは鉄の石をチョイスしたのだろう。

 避けるだけの訓練なら、そこらにある木片や木の枝を沢山集めて、それをひょいひょい投げてくれればいいのに。わざわざ指環の杖を用いての、本格的な魔術投擲で投げてくるものだから始末が悪い。

 ジャケットは前を開けているし、スカートの丈は短めだし。

 脚なんかに当たると痣ができそうなほど痛いだけに、避ける方は死に物狂いだ。

 いや、そりゃあ必死な方が訓練としては良いんだろうけど。

 身がもたない。


「ロッカ、生きてる?」


 おはようヒューゴ、私は死んでる。

 学園の階段を登っている間に脚の筋肉が固まってしまってね。

 この建物は綺麗で好きだけど、階数が多いっていうのがちょっと辛いよね。

 声に出そうと思っても、肺が動いてくれなかった。結構洒落になっていない状態である。


「クライン、明日は本番なんだろう。ロッカはこんな調子で大丈夫なのかい」

「オレは最善を尽くした」

「ロッカは絶不調みたいだけど……」


 昨日と同じように机に頬を預ける私の目の前には、2つ空き瓶が置かれている。

 クラインからもらった二本のソルポットだ。

 飲み過ぎは副作用を引き起こすと言われる強めの薬だけど、そうも言っていられない体調なので、二本とも一気に飲んでしまったのである。

 クライン曰く「一日に五本までなら大丈夫だった」そうだ。その検証は自分で治験したものなのか。他人の体験談を聞いただけものなのか気になるところである。

 私もずっと前に、過酷な仕事が重なった時に一本だけ飲んだことがある。

 飲んでしばらくすると腹の内から活力が湧いてきて、実際に効果のある不思議な魔力食品なのだが、今の私には何の変調もない。

 まるで砥石にかけた水のようである。


「ロッカ……無理はしなくていいのよ。いざとなったら、周りから笑われたって引き下がることも已む無しだわ」

「ソーニャ」


 前の席の彼女は、机の上に投げ出された私の右手を取り、ぐっと両手で包み込んでくれた。

 ソーニャの暖かな体温が、赤錆びた私の手にじんわりと伝わってくる。


「おいおいソーニャ、ここにきてそれはないんじゃないかな。明日のロッカの身が心配な気持ちはわかるけどさ」

「わかってないわよ! あのね、ロッカは女の子なのよ。戦いが大好きな男とは違う、繊細な生き物なの。見た目に深い傷でも負ったりしたら、取り返しがつかないのよ」


 金属の手を優しく擦りながら、彼女は開きっぱなしにされた私の指導書を閉じてしまった。


「ナタリーの闘いを見て思い直したわ。やっぱり、あんな奴との闘いに、ロッカを送り出しちゃいけないって」

「ソーニャ……?」

「考えてもみて。あのナタリーよ? ルウナっていう子だって、最後に酷いことをされたのよ。もしロッカが闘うことになったら、絶対に……」


 中級保護の闘いで、ナタリーはルウナの顔面を強く蹴りつけた。

 保護が効いていたおかげでダメージは最小限に留まったものの、もしもあの時の闘いが上級保護だったとしたらどうだろう。

 きっと、ルウナの顔には痕が残っていたかもしれない。


 明日に迫るナタリーとの決闘は、上級保護で行われる。

 上級保護は決闘前提の過酷な闘い。

 生半可なダメージでは転送されず、そのため打ちどころによっては保護が効かずに死んでしまうケースもあるらしい。


 しかしよくよく考えて見れば、相手はパイク・ナタリーと呼ばれるほどの鉄錐女だ。

 ナタリーが使う鉄針攻撃を受ければ、打ちどころ云々の問題でなく、どう足掻いたところで大怪我は免れないだろう。

 そこに奴の残虐性が加われば、私の未来には避けようのない暗黒が広がっている。

 確かに、ナタリーと闘うのは危険過ぎる。

 けど……。


「闘うのはウィルコークス君だ。やるか、逃げるか。それは当人が決める事だろう」


 クラインの一本調子でぶっきらぼうな言葉が、この時だけは私の心によく響いた。

 やるか。逃げるか。

 当然やる。やるに決まっている。

 今日まで全力で、慣れない努力し続けてきたんだ。この成果を、最高に気に入らない敵を相手に発揮することができる。

 たとえそれが不利なものであろうとも、痛みを伴うものであろうとも、私は一歩も引いたりしない。


「……クライン。あなた、冷徹ね」

「オレは冷徹じゃない」


 私は闘う。恐ろしい敵だろうが、喜んで闘技演習場へと乗り込んでやる。

 私から売った喧嘩だ。最後まで威勢よく叩き売ってやる。

 何より、あの時の私の怒りは本物なのだと、この学園の連中に知らしめてやらなくてはならないのだ。

 ひどい目にあったルウナの復讐をしようってわけではない。

 あくまで私個人が、気に食わないアイツをぶっとばしてやりたいのだ。

 逃げる理由はない。私はやってやる。


 ……だけど今はまだ、こうしてゆっくり休ませて欲しい。

 明日のために休み、疲れを取らなくては……。


 私自らの言葉の主張がなかったために、クラインとソーニャの話し声は止まずにうるさかったが、対して私の意識は、ゆっくりと闇の中に落ちていった。




 夕時になれば、体に蓄積していた疲労のほとんどは嘘のように消え去っていた。

 身を苛んでいた節々の痛みも、今は随分と楽になっている。

 ソルポット。魔法食品の効能、恐るべし。


「さて、十日。短い期間ではあったが、オレなりに最善を尽くしたつもりだ」


 私とクラインは、物でごみごみした研究室で最後の作戦会議を開いていた。

 テーブルにつくの向かい側に彼、が大人しく座っていてくれれば様にもなっている構図なのだが、彼は先程からずっと、慌ただしく薬品の棚を弄り回している。

 神妙に席に着く私が滑稽になるほどの片手間の会議参加だ。


「旗色は不透明だが、あとはウィルコークス君次第だな」

「もう、これでやれることは全部やったかな」

「最善をやろうとすれば果てはない。あくまでここがキリの良い部分というだけだ」

「……ありがとう」

「礼は必要ない」


 思い返せば、クラインはほとんど私に付きっきりだった。

 本の貸し出しも彼が全て手配してくれたし、魔術の実践には終始立ち会ってくれた。

 おまけに体力回復のための、高価であろうソルポットまで差し入れてくれて。

 研ぎ澄まされた言葉のナイフや、鉄つぶてによるやりすぎたスパルタ訓練など、いろいろな差引勘定もあるけれど、それでもクラインは私のために親身になって、魔術を教えてくれた。

 もし私が一人で先の見えない魔術投擲の練習をし続けていたならば、到底、今日この日のような安心感を得ることはできなかっただろう。


「石柱は五メートルだが、術の使用可能回数は充分だ。術の完成度の割に使用回数が多い事にはひっかかりも覚えるが……遮蔽物を多く出せる事は、パイク・ナタリーと闘う上では優位に働くだろう」

「うん。とにかく柱を建てて、避けて、ナタリーに接近すればいいんだよね」

「そうだ」


 戦術は最初に打ち立てたものと変わらず。

 石柱を出して、相手に近づく。これで決定だ。

 防御にも攻撃にもなる石柱と、広いフィールド。

 実際の闘いがどうなるかは、当日になってみなければわからない。


「おい、ウィルコークス君。テーブルの上に藍色の遮光瓶が転がっていないか?」

「遮光瓶? 藍色…」


 棚漁りに夢中なクラインが訊いてきた。

 雑多な物で埋め尽くされたテーブルは一目で見渡せるものの、ここから小物を探すのは一苦労である。


「瓶、瓶。これかな」


 埃被った古い紙やら石やら本やらをどけて、ようやく小さな瓶が陽の目を見た。

 濃い藍色の硝子瓶には一切の歪がなく、色合いもさることながら、陽だまりの精の装飾が施された栓には高級感が漂っている。

 色つきの硝子の中に入っているものは見えないが、さぞ高価な薬でも入っているのだろう。

 と、なんとなく遮光瓶に顔を近づけて見ていると、瓶を握る手に振動が伝わってきた。


「え」


 手の中で瓶が揺れた。

 私の手が疲れで震えているのかと思い直し、浅く握ってみても、瓶はまだ震えている。

 小刻みに、カタリ、カタリと。


「……」


 瓶の中で何かが蠢いているのだ。

 止せばいいのに、どうせ小さな虫か何かだろうかと、今度は瓶に耳を当て、音を聞いてみる。


「……!」


 瓶の中では、何か粘ついたものが内側でピタン、ピタンと跳ねる音が響いていた。


「ひっ!?」

「おい、うるさいぞ。さっさと瓶を渡せ」


 言われなくともどこかへ投げ捨てたい気分だった。

 ほとんど擦り付けるようにクラインへと渡し、手に粘ついたものがないかを確認する。


「なんだよそれ、中で変なものが!」

「変なものとは失礼だな。これを手に入れるためにどれだけ裏市場を駆けずり回ったと思っている」

「買ったのかよ……というか、裏市場って?」

「ミネオマルタの旧地下水路にある市場の事だ。入り組んだ地下水路は表にはない珍品の宝庫だぞ。君も一度入ってみるといい」


 暗い地下に広がる、珍しい品々のマーケット。

 私のイメージの中では、非合法な品物を扱う店が軒を連ね、道の端では真新しい死体が転がっているのだが……。

 とても足を運んでみたいと思える想像図ではなかった。


「この物体についてはどうでもいい。君はもう明日に備えて、寮で寝ていろ。無駄だとは思うが、アブロームの理学式を熟読しても良いだろう」

「……そうだね。帰って集中でもしてようかな」


 明日の昼にはナタリーとの対決だ。

 それに備えて、今日は早めに眠っておくのもいいかもしれない。


 私は席から立ち上がって、ジャケットの裾を正す。

 父さんから貰った、私には少し大きめのオイルジャケット。

 二つとないこのジャケットに穴を空けられるのは困るけど、明日の決闘に着ていかないわけにはいかないだろう。

 これを背負ってこその私なのだから。


「なあ、クライン」

「なんだ。オレは今忙しい」


 会議はもう終わったものなのだと言いたげに、テーブルの上には既に様々な瓶や、コップや、秤などが置かれていた。

 最後にもう一度「ありがとう」と言ってやろうかと思ったが、そんな素直な気持ちはぶっきらぼうに叩かれ、折れ曲がってしまったようだ。


「じゃ、おやすみ」

「扉は閉めておけ」


 最後くらいお前も“おやすみ”って言えよ。




 廊下に出て、大きな階段を降りてゆく。

 外は雨が降っているらしい。

 階段を歩く最中にも、壁から水の流れる音が聞こえてきた。

 ここらの気まぐれな雨雲である。長丁場の雨宿りの必要はなく、どうせすぐにでも降り止むだろう。


 この雨が止んだら、寮に戻って一休みだ。僅かに残った疲れを消し飛ばしてしまおう。

 いや、その前に浴場にでも行こうかな。身体を綺麗にしてからぐっすり眠りたい気分でもある。


 風呂か。すぐに眠るか。

 二つに一つの難題に頭を悩ませていると、階段の下で動かぬ人影が私の針路を塞いでいた。


「あ」


 そいつは階段の下、踊り場の窓際に立って、こちらを眺めていた。

 その払っても取れないような粘っこい視線には覚えがある。

 いつか闘技演習場でもこちらに視線を送り続けていた、ミスイという名の女であった。


「……やあ」


 一言も会話を交わしたことのない彼女だったが、真っ直ぐな目は間違いなく私だけを見ている。

 熱烈な視線に、もしかして、私が彼女を忘れているだけなのだろうかと錯覚する。

 過去に彼女のような友人や知り合いがいたかと振り返るが、しかし私に同い年の女の子なんてほとんどいないので、その考えはすぐに否定された。


 私が目線を外そうとしない不気味な女の処遇に困っていると、今度はそいつの方から口を開いた。


「貴女がロッカ=ウィルコークスですね」

「ああ……そうだよ」


 あまりにも平坦な口調だったので、短い言葉でも耳から通り抜けそうになってしまった。

 ほぼ初対面の印象としては失礼かもしれないが、特徴もなければ面白みもない、どこかつまらない、苛立つような声だった。


「明日ですね」

「ああ、明日だよ」

「ふーん」


 立ったままのミスイは階段を登り始め、私とすれちがうように歩いて行った。

 静かな足音と、かつん、かつんと大きな杖をつく音が、私の背後へと消えてゆく。


「……ふ、ふーん? ふーん、って言ったのか、今」


 呆然とする私が振り返ると、既にミスイは廊下の遠くを歩いていた。


「……」


 釈然としない曇った気分を植え付けられた私は、寝る前に浴場へ行くことに決めたのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ