擦012 踊るナタリー
振り子のように大きく振られるメイスが濡れた床を掠める。
「“スティ・リオ・レット”!」
今までと異なる詠唱によって生み出されるのは、三本の鉄槍である。
杖が振り切られると同時に出現した鉄の固まりは、それぞれがお互いの針路を邪魔することなく敵目掛けて飛翔した。
「三本……!?」
「床の環境はくれてやってんだ、嵐とやらを見せてくれよ! なぁ!」
ナタリーの精神力が摩耗し切ることはない。
次から次へと鉄針を打ち出しては、休むことなくまた次の術を展開する。
その上、針の数まで増やしている。
飛んでくる一発一発が演習終了級の威力を持つだけに、避ける方は必死だ。
食らう側の立場に立って状況を想像したくない。鉄の槍が連続的に降ってくるなど、喩え話だけで充分だ。
「スティ……だめ、防御なんてッ……!」
それでもルウナは避け続けた。
ただ転がって横に退避するのではない。時に跳ぶように、這いつくばるように、定石にはないような苦しい避け方をしているのだ。
傍から見ていれば、仁王立ちのまま針を撃ち続けるナタリーに対して見苦しく逃げに徹するルウナの勝負は決している事がわかる。
それでもフィールド上のルウナは諦めていない。
諦めていないからこそ、必死に避けているのだ。
もし彼女が襲い続ける鉄針を恐れきっているのならば、立ちすくんでその猛威を受け入れていることだろう。
「はぁっ……はあっ!」
「良いね良いね! “スティ・レット”!」
ローブを自分の水魔術に濡らしきったルウナの荒い息を見て、その一瞬だけ、ナタリーは攻撃の手を緩めた。
といっても、その緩急にいち早く反応したのは観覧席の誰でもなく、正面から対峙しているルウナ本人だったに違いない。
ルウナはこの時をじっと、辛抱強く待っていたのだ。
二本同時発射でも、三本同時発射でもない。鉄針一本のみの射出攻撃を。
見上げずとも回避することができ、一発分の猶予を手にできるこの時を。
「油断ね! “テルス・クォラル”!」
「お!?」
向かい来る鉄針はローブの裾だけを貫き、そのまま生地をすり抜けて向こう側の床を砕いた。
満身創痍のルウナがやってのけた、博打ともいえる浅すぎる回避である。
「決まったわね」
まだまだ使えたであろうローブを代償として振られたワンドは、白銀の輝きを前方へと振り撒いていた。
「抜けねえ」
ルウナのワンドから飛んだ輝きは床の上に残る浅い水へと沈み、真っ白な氷結としてナタリーのショートブーツまで渡っていた。
水溜りの真ん中に走る氷の直線が二人を繋いだのだ。
ショートブーツの底は僅かに隆起した氷によってしっかり捉えられ、ナタリーが脚を動かそうとも動く様子はない。
防戦一方の状況から、油断した相手の僅かな隙をついて効果的な魔術を当てる。
ルウナの執念がもぎ取った一撃だった。
ナタリーの脚が固められて動きを封じられた今、闘いの流れはわからなくなってきた。
観覧席も二分された賑わいに包まれ、混沌とし始めている。
「どっちだ?ナタリーの優位に変わりは……」
「いや、次にルウナが当てれば一撃じゃないか」
「初動はナタリーの方が……」
会場内の静かな盛り上がりをよそに、フィールドでは杖を構えたままの二人が対峙している。
「これでもう、貴女は動けない」
「ふーん、で?」
会話をしながらでも、絶対に杖は降ろさない。少しでも出遅れれば、それが敗北に直結する状況だからだ。
場を見た限りでは、脚を動かせないナタリーが不利なように見える。
しかし、術自体の速度はナタリーの魔術投擲が圧倒的に上だ。
ルウナが不用意に魔術を先制すれば、そこを鉄針によって狩られる危険がある。
主導権はルウナが握っていたが、実質の先制はナタリーが取ってしまうだろう。ルウナからすぐに攻めに出るメリットは、ほとんど無いのだ。
何より、必死の回避の連続による上がりきった息を落ち着けるには、今しかない。自らの肺を癒やすことこそが、ルウナにとっては一番に優先すべきことであった。
「これから私が貴女の背後へ回り込めば、貴女は得意の魔術投擲を使えない。目は後ろにないものね」
「ま、無茶な体勢になるわな」
「つまり私は貴女の後ろに回るだけで勝利となる」
「ケケケ、かもな」
鉄のメイスで氷を叩けば、ブーツを束縛する氷は砕けるだろう。
しかしその動きは魔術一発分以上の隙に相当する、壇上ではひどく無防備なものだ。
抜け出そうとすればまず間違いなく、ルウナの魔術によって勝敗が決することは疑いようもない。
先制はナタリーが取れるものの、ルウナの言う通り、脚が動かぬまま背後に回られてしまえば、ナタリーの優位性は非常に怪しくなる。
歩くだけならば隙もない。ナタリーから何が来ようとも、対処は易いものだ。
だからルウナは静かに歩き始めた。
右側から、ナタリーの背後へ大きく回り込むように。
「一方的に攻撃される恐怖、ここで味わうといいわね」
それはルウナの堂々たる歩みだった。勝利への凱旋だった。
思えば、ナタリーの連続攻撃を避けるあの動きも、窮地に陥ったと見せかけるための罠だったのかもしれない。
全てはこの時、勝利を予感して油断しきったナタリーの脚を、確実に凍らせるための……。
「おい、待てよ。ルウナちゃん」
「……?」
誰もいない正面を見つめたまま、ナタリーは声をかけた。
ルウナは律儀に立ち止まるものの、警戒自体を緩めてはいない。
「それ以上進めば、身の安全は保証しかねるぜ」
「時間を稼いで足の氷を溶かそうったって、そうはいかないわ」
ナタリーの言葉を聞かずに、ルウナは歩き続ける。
彼女は丁度、ナタリーの真横に差し掛かったところであった。
「それ以上は行かせねえよバーーーカ」
「は?」
「“スティグマ・スティ・レット”」
ナタリーはメイスを振っていなかった。
身体も、会場の正面を向いたままだった。
ただ口だけが詠唱らしい形を取っただけである。
だからルウナは、動かなかった。
しかし黒光りする鉄針は、ルウナに向かって飛んできた。
それは構えすら取っていない彼女にとって、あまりにも突然のことだった。
「ぁ……」
だからルウナは、咄嗟の反撃ができなかった。
その時、壇上で何が起こったのか。
上から眺めているだけの私にもわからなかった。
ナタリーは杖を振らず、構えてもいない。
鉄魔術は、杖で投げなければ決して飛ぶことのない魔術だ。
それなのに、鋭利な鉄針は既にナタリーの真上を飛んでいた。
会場の人間が瞬きする間もなく、豪速の針はルウナの目の前にまで迫っていた。
突如として湧いて出た死の矛先に、ルウナは幸運にも固まりきることはなかった。
彼女の防衛本能は崖っぷちのところで働いたのだ。
「“スタン・バルマ”……!」
とっさに詠唱した呪文は、杖の先から盾のような鉄板を生み出す防御魔術である。
彼女は本能的にこの術を選び、発動させた。
あとコンマ数秒でもあれば別の術に切り替えることはできたはずだが、気付く猶予はなかった。
それが判断ミスであったとして、誰も彼女を責めることは出来ない。
「がっ!?」
鉄針は弩砲で撃ち出されたかのような速さで鉄板に襲いかかる。
厚さ数ミリ程度の鉄板では、鋭利かつ超重量の大きな鉄針を防ぐことはできない。
鉄板の盾は針によってひしゃげ、錐を突き立てられた厚紙のように、半分近くまで貫かれた。
偶然にも針そのものに肉体を刺されることはなかったが、ルウナは自らの盾に押しやられ、ワンドと共に勢い良く床を転げてゆく。
「う、ぐ……!」
命を守った鉄板は貫かれて消失した。
ルウナのワンドは、盾にぶつかった衝撃で遠くに飛ばされている。
あれを拾わなければルウナに勝機は無い。
だが、床に激しく身を打ち付けた彼女が回復するまでは、まだ時間がかかるだろう。
今度こそ、勝負は決定的なものとなった。
ナタリーの勝利だ。
「いいねえ、咄嗟の防御魔術! ケリつくと思ったんだけどなぁ、アタシびっくりだよ! ナイスファイト!」
そう、ナタリーの勝利だ。
結果は明らかだ。
ルウナのワンドは手の届かぬ遠くに飛ばされた。
ルウナは床に這いつくばっている。
転移こそされていないものの、結果は明らかだ。
それなのに、そのはずなのにナタリーは足元の氷をメイスで砕き、無防備な彼女に歩み寄ってゆく。
「ほら、どうしたルウナちゃん。魔術は杖がなくても発動できるじゃんよ? ん?」
「……!」
ブーツの底に残った氷をパキパキと踏み鳴らしながら、ナタリーは壇上に倒れるルウナの傍まで歩いてきた。
もはやルウナには魔術を唱える余裕は残されていない。
そんな彼女を見下して、ナタリーは笑っていた。
「跪いたのはテメーの方だったなぁ?」
「ケイティを……!」
「あ?」
「よくもケイティを! お前のせいでケイティはもう、怯えて杖も握れないっ!」
「覚えてねえよ、そんな奴」
鉄杖がルウナの目の前に突き立てられ、石の床が激しく砕け散った。
「死ぬ覚悟も、まして傷つく覚悟もねえ奴は、そもそも最初から向いてねえんじゃねーの? 才能ねーんだよ、そいつ。知らないけど」
「私は、許さない…… 絶対に許さないぞ! ナタリィ!」
「あ、思い出した。悪い悪い、ケイティだっけ。やっぱりそいつ覚えてたわ」
憎悪混じりに叫ぶルウナをなおも笑い嗤いながら、ナタリーは左足を引いた。
その仕草は、まさに路傍の石を強く蹴り飛ばす時のような、それである。
「確かこれでトドメだったんだよな?」
「……!」
「そうそう、その怯えた顔。アタシの記憶は合ってたみたいだ」
「貴様……」
「キャハッ!」
ざわめいた会場の中央で小さな音が響いた。
それまでの戦闘によって発せられてきた、床を砕いたり、水を打ち付けたりするような音と比べれば、ひどく小さい音だった。
でもその生々しい最後の音だけは、観覧席が騒然とした後も、私の耳にこびりついて離れない。
ナタリーが蹴り飛ばすと同時に、壇上からルウナの姿が消え去った。
一定以上のダメージを受けたために、外部へと転送されたのだ。
「……酷いわね」
「……」
ソーニャもボウマも、揃って苦々しい顔だった。
私もきっと、同じ表情をしているのだろう。
「しょ、勝者、“パイク・ナタリー”!」
導師から決着の宣言があっても。
残った勝者が壇上で小躍りを始めても。
満員の観覧席から彼女へ送られる拍手は疎らだった。
それでもナタリーは心底愉快そうに笑いながら、へらへらと一人、壇上で踊るのだ。
「……」
私は、胸の内から湧き上がる強い感情を抑えるのに必死だった。
それはもちろん、いつか私が戦うべき相手への恐怖でもあったし、それを上回るほどの怒りでもあった。
「終わったし、出ましょうか」
「うん」
私達三人は、この偵察によって得られた情報の分析などはせず、次の闘技演習なども見ず、静かにそれぞれの自室へと帰ってゆくのだった。




