針007 見誤る遠因
夜にはルウナ主催の食事会がある。
試合の前日だから、生ものや酒は控えて……いや、控えめにしておくとしてだ。
今日中にやれることについては、その前に済ませておこうと思う。
まず、相手は“天罰のエンドリック”だ。
使う魔術は風と雷で、身体強化は使えない。環境戦ではなく、雷でガンガン攻めてくるタイプの魔道士だ。ほとんどリュミネに近い相手と言っていい。つまり、対策はほとんど変わらないってことだ。
よし、対戦相手に関してはまぁこんなもんでいいか。正直もう対策時間なんて無いんだし、なるようになるしかねえ。
それはさておき、今必要なのは……ブーツの中敷きだな。
今のままでも全然平気ではあるけど、そろそろ摩耗してきたし、新しい良いやつに変えたほうが動きが良くなるかもしれない。
自分の技術でどうにもならない時には、いっそ道具のせいかもと疑ってみるのも悪くないことだ。これで動きが良くなれば儲けものだし、悪ければ現状が最善だとわかるだろう。
あとは念のためにボタン類の補強、それともう少しだけ鋲打ち強めにやっておくかな。
自分の身につけるものだ。試合に持ち込むものくらいは完璧にしておきたいし……あ、ついでだし食材も買っておこう。クラインも言ってたけど、屋台で飯食って変なもの食わされて失格になったら怖いし、念のため。
それに切らしそうな日用品もいくつかある……。
「なんか普通の買い物になりそうだなぁ」
街の様子は相変わらずだ。ラリマ競技場が話題の中心なだけあって、人波が引きそうな気配は全くない。
これを掻き分けながら進むのはそれなりに苦労しそうだ。
「……面倒だし、屋根の上を走っちゃうか」
見上げれば、ちらほらと民家の屋根を移動する人たちの姿も見られる。考えることは同じなのだろう。誰しもこんな行列の中を律儀に進みたくはない。
三階建ての多いミネオマルタでは屋根の上に登るのがちょっと大変だけど、私なら手を使って上がれるはずだ。
「ほっ……よっと」
雑踏を蹴り、迫梁を掴んで身体を持ち上げる。
アンドルギンがあってもどうということはない。私の身体は難なく顔料専門店(何の店?)の屋根の上に降り立った。
屋根の上からの景色は相変わらずだ。こういう観光客の多い時分だからか警官がうじゃうじゃいるし、忙しそうな配送業の人なんかも器用に飛び回っている。
夜は上がらず、忙しい人優先ってのが屋根の上の暗黙の了解だけど、私も私で時間を無駄にしたくはないからな。少しばかり、見知った市場まで上がらせてもらおう。
「ほっ、ほっ」
「おっ! おーいあんた、特異科のロッカだろう!?」
「お?」
なるべく音を立てないよう集中して歩いていると、道を挟んだ向こう側の屋根の上にいる男から声をかけられた。
星藍っぽい金髪に、大柄な身体。背中には剣を背負っている。
見覚えのある顔に姿だ。彼は確か、二回戦あたりでクラインに負けてた“切り込みのガルハート”じゃなかったかな。
そんな彼がこちらに向けて手を振っている。名前も呼んでいたので、人違いってわけでもなさそうだ。
「あんたの試合も見てたぜー! それと、本戦がんばれよー! あ、そうだ。同じ特異科のクラインって奴にもよろしくなー!」
激励か。嬉しいね。悪い気はしねえよ。
「おう、任せてー」
「夜更かしすんなよー!」
「おーおー」
陽気な声援に応え、アンドルギンを空中でブンブン振ってやった。
向こうも用事があったのか会話はそれきりで、彼は再び屋根の上を伝い、行ってしまった。
……話したこともない相手にも私の名前が覚えられていて、応援もしてもらえる。
なんだか自分が偉い人になっちゃったみたいな錯覚があるけど、これはきっと今だけだ。大会が終わったらきっとみんな私のことは忘れるし、声を掛けたりもしなくなるんだろう。
うーん、寂しいんだか、それで良いんだか……ちょっと複雑かもしれね。
『おーい、ロッカー』
「あっ、ライカン」
屋根の上は目立つのか、道路の奥にいたライカンに見つかったようだ。
よく見えないけど、きっと傍にはボウマがいるのだろう。……あ、手を振ってるのが見えた。
それにしてもやっぱりライカンは大きいな。ここからでも頭一つ飛び抜けてら。
『どこかいくのかー』
「うん、ちょっと買い物ー」
『そうかー。俺たちは適当に露天を回っているから、会えたら声でもかけてくれー』
「おー」
最近は皆と一緒に過ごす時間も多かったけど、今日からは大会とか色々あるし、遊びも控えなきゃいけないな。
もちろん、そんな心配は明日の試合の結果次第なんだけど。……本当になんか気楽だな、私。大丈夫なのか……?
日用品の市場は前にソーニャから教えてもらった所が鉄板なので、買い物はまとめてすぐに終わった。
厚めの硬そうな中敷きと、食材と、それと大きめのコップだ。陶器だけど強い耐熱性があって、なんか大雑把に色々できるのだという。これを何に使うのかなんてちっともわからないけど、ガッと水を飲む分にはちょうど良いサイズだったし、懐もそこそこ余裕があったのでなんとなく買ってしまった。
まぁ、ちょっと高めだけど間違いなく普段使いはできるんだし、損な買い物じゃないはずだ……うん。
……待てよ。この気の緩みってもしかして小金持ちになってるからじゃないか……?
臨時収入で気持ちが浮ついてるからってことは……あり得るかもしれない……。
「ロッカ?」
「え? ああうん、何? ……あ」
呼びかけられた声に思考が途切れ、反射的にそこに顔を向けた。
また知り合いか誰かだろう。そんな気軽な反応だったんだけど。
「あー、イズヴェルじゃんか」
「う、うん。そうだけど。どうしたんだい、何か浮かない顔をして歩いてたけど……」
顔を上げたそこに立っていたのは、ここ数日の間会えなかったイズヴェルだった。
「いや、結構どうでもいいこと考えてたんだ。それよりイズヴェル、探してたよ」
「え、僕を? それはまたどうして……?」
「まぁ、ちょっと聞きたいことがあってさ。今から少し付き合ってくれる」
「……うーん、僕は夕方から理総校の人たちを交えた属性術の意見交換会があるんだ。あまり長引くと困るよ」
随分真面目そうな集まりに参加してるんだなアンタ。
ボウマよりちょっと大きいくらいのくせして立派なもんだ。
「まぁまぁ、夕方とかそんなには時間取らせないから。前にミスイのこと聞いてやっただろ」
「……それもそうだ。わかったよ、ロッカ。僕に答えられることなら何でも聞いてくれ」
「おー」
葡萄の蔓をそのまま編んで作られたであろう、粗っぽい大籠が棄てられている。
かつて何かに使われていたらしいそれは幾つもあり、空き地の三分の一ほどを占領していた。
他の誰かが、それを椅子として使っていたのだろう。空き地には人が座りやすいように、そのような古い葡萄蔓の籠を横向きに何列かに並べられ、ベンチのような役目を果たしているようだった。
ご丁寧なことに、籠の中には大きめのレンガ片まで入れられている。風で飛ばないように、ということだろうか。
私とイズヴェルは、すぐ近くにそのような都合の良い場所があったので、そこで話し込むことになったのだった。
「もらっても良かったのかな。お金は後で払うけど……」
「いいんだよ。こういう奢りは素直に受け取っとけ」
「うん……」
イズヴェルは買ってもらったブドウジュースをどこか気まずそうに飲んでいる。
こんくらい気にせず喜んでれば良いと思うんだけどな。
「それで……ああ、僕が負けたことについて聞きたいんだっけ」
「そう。実はその話はミスイから聞いてて、少しは知ってるんだけどね。けど気になったから、イズヴェルに直接聞いておこうかなって」
「……ミスイと話したんだ。ミスイ、僕の事なにか言ってなかった?」
「さあ。あーいや、ミスイもイズヴェルが負けるとは思ってなかった、みたいなことは言ってたよ」
「そっか」
イズヴェルは気難しそうな顔でブドウジュースを一気に飲み下し、甘い香りのため息を吐き出した。
「うん。実を言うと僕も負けるとは思っていなかった。体調は万全だったしね。試合が開始するまでは油断もしてなかった」
「でも、始まってから油断した?」
「言い訳がましくなるけど、油断していたわけじゃないんだ。……いや、それも気の緩みだったのかも。……うん、言い訳だな。はあ」
イズヴェルは落ち込んだ。さっきから何度かちょくちょくと、こんな浮き沈みを繰り返している。
大会で敗北したことは、彼の中でも結構響いているようだ。
「“整備人のベロウズ”……聞いたことのない魔道士だった。聞いた話では火専攻の六年で、僕よりも先輩だけど……下位クラスだから実力はそうでもない。そういう話を聞いていたから、気が緩んだんだ……僕はいつだってそうだ……」
「おーい」
「相手を過小評価して見誤って……酷い人間だよ。クラインの時だってそうだった。最後の最後で油断していたからあんな目くらましに……」
「イズヴェルー」
「あ、うん、なんだい……」
「あまり自分の世界に沈むなよ」
なんかもうこいつ、ウジウジすると本当にどこまでも沈んでいくんだな。
いちいち会話の途中で引っ張り上げるのも大変だ。
「……で、試合自体はその、なんだ。イズヴェルのミスだったってこと?」
「うーん……多分、そうなんだと思う」
「随分曖昧じゃん」
「そうかな。魔術戦は流動的なものだし、何が要因で敗北したのかはっきりしないことも多いよ。……思い上がった魔道士の凡ミス。ありがちなことなんじゃないかな」
そういうものか。……うん、でもそういう考え方も良いかも知れない。
私だってルウナやクラインに試合開始直後に瞬殺されたことはあるけど、闘いはそんなあっけない終わり方をすることもあるってことだ。
つまりそれは全力を出しきれなかった不幸な試合ってわけ。ちゃんと戦えば次はクラインとも……まぁ、そこそこ長く……多分四十秒くらいは闘えるはず。
「なんだ、凡ミスだったら良いじゃん。あまりウジウジと気にするなよ。ミスイみたいだぞ」
「ミスイみたいって、その言い方……でも、うん……そうだね、情けない敗北ではあったけど、結果に惑わされてばかりではいけないよな」
こうしてちょっと励ましてやると、すぐにキリッとした顔になる。
素直で良いやつだ。ちょっと変に考え込むところはあるけど、純粋に応援したくなるよ。
「ありがとう、ロッカ。……負けた試合の考察をしてるとずっとモヤモヤしてたけど、そろそろ気持ちを切り替えてみる」
「その方が良いよ。ま、大会はあれだけどさ。それが全てじゃないんだし」
魔道士の中には違反の飴やら魔具に手を出すほど切羽詰った人もいたけれど、所詮大会なんてただのでっかい試合なんだ。
見てる人も多いし、そこでは自分の人生全てが懸かっているかのように錯覚してしまいそうにもなるけど、大会が終わった後も人生は続くし、学園には通わないといけないし、仕事について金を稼いでいかないといけない。
少なくとも私は、まあ当然緊張することはあるけど、大会をそのくらいのものだと思っている。
……うん、私の中の余裕は、こういう部分から出てきているのかもしれない。
「なあ、イズヴェル。イズヴェルは学園を出たらどういう仕事につくの?」
「え? 僕? ……うーん、そうだね……自然保護や希少魔獣の保全活動とか……そういう仕事に携われたら良いなと思ってるけど。それがどうかした?」
「うっ、す、すごいな」
随分と具体的だ。それに、何の仕事をするのか全くわからないけど、どことなく立派な感じがする。
将来の予定が鉱夫以外にはほとんど定まってない私とはえらい違いだ……。
「今の時代、人間は魔獣や魔族を自分たちの都合で討伐し、刈り取っている。絶滅した種だって少なくない……僕は数少ない生き物を守り、お金目的で密猟する悪い奴らを捕まえる魔道士になれたらなって思う」
「はー……イズヴェルすごいね」
「そんなことないよ。ロッカも魔道士になるなら、あまり不用意な討伐任務は受けないようにね」
「えーうん、まぁ、わからないけど、そうする」
最後にどことなく熱い夢を語られ、その勢いのままイズヴェルはちゃっちゃと別れを告げ、何やらすべきことがある風な事を言って去ってしまった。
……不用意な討伐任務は受けないようにと言われてもな。不用意かどうかなんて、そんなの多分私にはよくわからないし。そもそもこれから傭兵みたいに討伐の仕事を受けるかも……。
……イズヴェルが何歳かは知らないけど、ボウマと同じくらいの歳でも、しっかり考えてる奴は考えてるんだなぁ。しかもやりたいことを仕事にしようとしてる。自分の考え方を持っている。
ナタリー達も、イズヴェルも、みんな未来を見ている。
私はただなんとなく、減らないもんだからってんで魔術を勉強しているだけだ。
うーん、焦る……どうしよう。魔道士かぁ。魔道士ってイズヴェルが言ったみたいに色々あるのかなぁ……。




