鈎014 抜け落ちた歯車
観客席の合間を通って歩いている時、それまで壇上で闘っていた人達の姿を見かけた。
負けた人は不思議と目立つもので、呆気ない敗北を悔やんですすり泣きしている人もいれば、友人に肩を叩かれ励まされている人もいる。
探しているわけでもないのに、見えてしまう。私はなんというか、その負けた人の雰囲気というものがどことなく苦手だった。
「リア、怪我はなかったか」
「はい。無いです……でも……でも私、何も……レドラル将軍の御前だというのに、盾も剣も使えずに……!」
「良いさ。相手は強かった。仕方がない」
階下へ続く最寄りの階段には、先程の試合で負けたレドリアと、そしてデリヌスも一緒にいた。
どうやらデリヌスは負けたレドリアを気遣い、励ましているらしい。前に酒屋で見かけた時のように、見られたら困る場面なのだろうか……。
なんてことを考えるとそんな階段を通る気にもなれず、私は更にもう一つ奥の階段を使い、降りてゆくのだった。
所用は済ませた私は、廊下を歩き、歓声の響く方へ戻りつつあった。
ブーツの硬い足音は、石造りの廊下によく反響する。
なので私が歩いていると、黙っていてもその気配は悟られてしまう。
「あら」
「あ」
廊下の壁に背を預けていた女、ミスイ=ススガレが私に気がついたらしい。
それまで読んでいた小さな本をしまうと、彼女は血の気の薄い顔をこちらに向け、下手くそな笑みを浮かべた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
律儀に挨拶を返してしまったけど、ミスイの顔はまるで笑えと言われたから無理して笑っているような、そんな顔である。
向こうの本意ではない感じがひしひしと伝わってくるので、あまり気持ちのいい挨拶というわけではなかった。
「えっと……ミスイは、どうしてここに?」
「居たら悪いのかしら……? 私は誰の隣でもない、ただ一人でここにいるだけなのに……」
「いやごめん、悪くはないけど……」
「……冗談ですよ。貴女が席を立つところを見かけたから、戻るのをここで待っていただけ」
私が席を立つところを見ていたって……どこで見てたんだ? どこで、いつから?
……まぁ別にいいや。
「どうして私を待ってたんだよ。わざわざ言いたかないけど、私とアンタって、そんなに仲良しなわけでもないでしょ」
「ええ、そうね。同感ですよ……それでも、お礼だけはしておきたかったので」
「お礼?」
「試合でクレア=カーターを追い払ってくれた、そのお礼よ」
ああ……そういえば前に、広場でそんな話をしていたっけ。
クラインの婚約者になら本気で殴ってもいいとか、顔を殴れとか、そんな物騒な話を……。
「別に、ミスイにお礼を言われることじゃないから。あれは私個人としても勝ちたい試合だったし」
「それでも、よ。あの誰にでも媚びを売る船女を潰してくれたのは、私にとって朗報だった。お金を受け取ってくれるのなら、貴女に渡してあげたいくらいには、ね……」
「くれるならもらうけど……」
私が当然そう言ってやると、ミスイはどこか訝しげな顔をしながら暫し停止し、懐を弄った。
「……はい」
そして革製の薄っぺらい財布から一枚の紙幣を取り出し、渡してきた。
絵柄は濃霧街ミトポワナにあるという巨竜の墓。真新しい千YEN紙幣である。
「うん」
私は素直にそいつを受け取った。
「……本当に受け取るのね」
「え、駄目なら返すけど……よくわからないお金だし……」
「……いいえ。受け取っておきなさい。気が引けるのなら、友好の証とでも思えばいいわ」
友好の証が現金って……。
「ミスイお前、絶対友達少ないだろ」
「フッ」
ミスイは視線を右下に向け、卑屈そうに嘲笑った。
「クラインの試合を見に来たのよ。そろそろ対戦相手が強くなってくる頃だし……きっと彼も、本気を出さなければ苦戦をするでしょうから」
私達は観客席まで戻っても、しばらく階段の側で言葉を交わしていた。
こっちも今のところは急いで戻る理由はないし、珍しいミスイとの遭遇である。少しは話しておきたかった。
「クラインの試合ねえ……相手は、えーと……誰だっけ。メイボルド……?」
「“閉ざされた氷室のメイボルド”。詳しくは知りません。けど、二つ名からして私と同じ氷使いでしょうから……気になったのよ」
「そっか。けどクラインだし、どうせ勝つでしょ」
「随分と無条件に、クラインを信じるのね」
「信じる信じないっていうか、あいつが負けるような光景が思い浮かばないしね」
思えば、クラインが負けたのなんて……クリームさんと喧嘩した時くらいのものじゃないだろうか。
後は誰とやっていても勝ちを拾っている気がするし、苦戦している姿を見たこともない。
「……もちろん、私だって同じよ。クラインは負けない。疑っているわけじゃないから」
「私は自分の対戦相手の方が気になるよ。強いらしいし、クラインの方なんて心配してる場合じゃないしさ」
「……」
「何か言えよ」
「いえ、そちらはどうでもよかったので……」
「おい」
なんでクラインの話だとちゃんとするのに、私の対戦相手の話だと一切広げようとしないんだ。
いや、嫌いな相手の話題なんて確かに興味なんてないだろうけどさ。露骨すぎんだろ。
「それよりはむしろ……“整備人のベロウズ”、という魔道士が気になりますね」
「あ、ベロウズ……そうだ。ねえミスイ知ってる? イズヴェルが……」
「負けたのでしょう。そのベロウズとかいう奴に。聞いたわ。本人から。落ち込んでいたわね……」
「うん。それで……」
一際大きな歓声が周囲で巻き起こった。
どうやらよそ見と会話をしているうちに、試合の決着がついたらしい。
ミスイは白い壇上を細い目で無関心そうに見つめている。
……隈はもうほとんど無いように見える。広場で会った時は相当に病んでいる状態だったけど、今はすっかり回復した様子だ。
「……それで。私も気になってたんだけどさ……ベロウズって、そんなに強い魔道士だっけ。というより……これ、ちょっと本人に聞かれたら感じ悪いかもしれないけどさ……イズヴェルって、そんなに簡単に負けるような魔道士だったっけ」
壇上で勝者が杖を掲げ、堂々と退場してゆく。
見事な闘いぶりに送られる拍手を一身に受け、堂々と。
その強さに相応しいであろう、普段からの自信と誇りに満ちた、雄々しい立ち振舞いで。
「いいえ」
ミスイは黒いロッドを抱きしめながら言った。
「あの子が同系統の魔道士相手に負ける可能性など、万に一つも……なかったのですけどね」
私はその後ミスイといくつか話をしてから、席に戻った。
その間に既にいくつか試合が終わっていて、中にはそこそこ見ごたえのある闘いもあったのだと、ヒューゴが教えてくれた。
あと三試合後にはロビナとベロウズの闘いが始まる。それを観戦し終えたら軽い昼食を挟み、午後から私達の試合になるだろう。
自分の試合がある。近づいている。
もちろん緊張はする。けど先程ミスイと話をしたせいか、どうにも今はベロウズの試合が気になってしょうがない。
「さっきね、ミスイと話してたんだ」
「へえ、彼女と。意外だね。ロッカはあの人のこと嫌いだと思ってたけど」
「うんまぁ、正直に言ってあんま好きじゃないんだけどさ。試合のことは私も気になってたから、それだけね。ベロウズのことについて話してたんだけど」
「ほう」
クラインも魔道士のことになると興味があるのか、猫背を少しだけ伸ばしてこっちを向いた。
「ベロウズって、前の試合でイズヴェル倒したじゃん。その時のことについて、ミスイからちょっとだけ話を聞いたんだけどね」
「ああ、イズヴェルとミスイはよく一緒にいるからねぇ」
『ふむ。それで?』
「ミスイもなんかよくわかんないって言ってた」
そう言うと、みんなの頭ががっくりと下がった。
「なんだそれは」
「なんだぁ、結局よくわかんないじゃんよぅ」
「いや、ミスイもイズヴェルに聞いてみたんだって。どうして負けたのかって」
「……オレも、試合の詳細については気になっていた。試合の経過を簡潔に書き記しただけの情報では、要領を得ないからな」
クラインは記者さんから前回の試合のデータを受け取っているが、そこに記されていた試合内容は、使ったであろう魔術と回避や移動などの断片的な情報ばかりだ。
その魔術というのも、フィールド上の魔道士の詠唱がうるさい上に遠い観客席まで聞こえるはずもないので、記録は不正確。多少は魔術に明るい人が試合を見て書いてはいるらしいのだが、メモにあるのは“大火球二つ投擲”とか“馬車水塊投擲、距離十”とか、そんなものだって珍しくはない。
相手の使ってきた魔術を正確に観察し実感できるのは、向き合う魔道士のみなのだ。
「イズヴェルは、体調は万全だったんだって。けど、闘い始めてから相手の……ベロウズの使ってくる魔術に違和感を覚えて……それに気を取られている内に、やられちゃったんだって」
「油断したのかしら」
「ばっかでぇ」
『ふむ……違和感なぁ』
一瞬の遅れが敗北に繋がるのは、そう珍しいことではない。やられる時は呆気ないほどやられるのがこういった試合なのだ。
魔力があとどれほど残っていようと、無傷だろうと、でかいのを一発貰えばそこで決着が付く。
現実に則したこのルールは、時に非情で……見ている側としてみれば、呆気ないものにも成り得る。
「……だが、“激昂のイズヴェル”は試合中に気を散らせるような魔道士ではないはずだが」
クラインはどこか納得できていないように、腕を組んで悩んでいた。
実はミスイも同じことを思っているらしく、イズヴェルがそのようなミスを犯したのが信じられなかったのだそうな。
そして変な話だけど、当人のイズヴェルも不意の敗北によるショックのせいで、“何に気を取られていたか”がいまいちわからないのだという。ミスイ曰く、本戦に出られなかった悔しさは当然感じているらしいのだが、それ以上にもやもやした気分に随分と悩まされているらしい。
確かに、聞いている限りでは食事も喉を通らないような負け方である。イズヴェルが少し心配になってしまった。
「単純な不注意か。あるいは、“整備人のベロウズ”が何らかの……奇妙な手を打ったか」
クラインが眼鏡を外し、そこに収まったレンズを親指で押し砕く。
そして彼が無詠唱の魔術が発動すると、撫でられたフレームには新たなレンズが収まっていた。
「……興味深い。独性術ならば、注視する必要がありそうだ」
度数を調節した眼鏡をかけ、フィールドにのめり込むように猫背を曲げた。
既に壇上には二人の魔道士がおり……これが、午前中の最も重要な試合になるのだろう。
「これより“チッパー・ロビナ”及び“整備人のベロウズ”による、マルタ魔道闘技大会三次予選、第十二戦を開始する!」
一人はロビナ=ジェクタリス。
肩に掛かるか掛からないか程度の黒髪を持つ、臥来系の女魔道士だ。
右側の髪だけを三本の細いヘアピンでまとめており、凛とした細い眉がよく見える。
好戦的なギラついた眼差しや刺々しい雰囲気はナタリーにそっくりだが、背はナタリーよりも高い。
長い脚をよく見せるレギンスや、細身のベストのようなレザーアーマーとの組み合わせもあってか、どこか男っぽい女というのが一番の印象だろうか。
「よろしく、ベロウズちゃん」
「……まぁ、よろしく」
ベロウズはお世辞にも背が高いとはいえない。
ああしてロビナと向き合うと……ややロビナの方が高いように見える。そういった部分でも、なんというかロビナは男勝りなのだった。
「私ねえ、あんたのこと調べたんだよ。先輩なんだってねえ? 属性科六年のさ」
「……」
「つってもクラス分けの方は、あんまし尊敬できないけどなー? 私これでもAだから。くくく……」
何か話しているのだろうか。
ロビナは鈍い輝きを放つ呂金製のショートメイスで肩を叩きながら、ニヤニヤしている様子だが……。
向き合うベロウズの方は、キャスケット帽のつばを深く下げたまま、あまり反応を返していないように見える。
「なーベロウズちゃんよ。試合前だぞ? 何か言い返してくれよー」
「……うるさいな」
「はあ?」
ベロウズが褪せた色のマントを翻し、ロビナに背を向けた。
「あまり、ぼくを馬鹿にしないほうがいいと思うよ。負けた後のきみ、とても恥ずかしくなるだろうから」
……どうやら、ベロウズもいくらか言葉は発しているらしい。
何を喋ったのかはここからは見えないけど……ロビナが不機嫌そうにショートメイスを素振りしているところを見るに、まぁ、穏やかなものではなかったのだろう。
もちろん、最初に突っかかってきたのは間違いなくロビナの方なんだろうけど。
「さて、どうなるか」
「ロビナがんばりぇー」
『お? ボウマはロビナの方を応援するのか』
「うん。あいつおもしれーもん」
間もなく、試合が始まる。




