鈎011 吊り下がる人参
「おはよー、ソーニャ」
「おはよ、ロッカ」
女子寮前では、既にソーニャが待っていた。
時間は朝、ほどほどに明るい頃合いだ。
既に寮からは若い女学徒たちが続々と出てきており、よそ行きのお洒落な格好で各地へと散らばっている。
しかし、そんなお洒落な水国の女の子達に負けないくらい、いや、それよりずっと綺麗で可愛く、ソーニャは着飾っていた。
ふわふわとした、薄手のカーテンよりもずっと軽そうな、上品な白のロングスカート。
薄若葉色の、首周りが広くゆったりした毛糸の上着。その上には芸術品のように繊細な白いストールを羽織っている。
細くて折れそうな指には、財布とあと何を入れたらいいのかわからないほど小さな、けど可愛い感じのバッグを摘んでいた。
おしゃれだ。都会っ子って感じがする。
対する私はどうだ。いつも通りの格好である。試合に向けて、ブーツやジャケットをきちっと手入れした程度のものだ。
けどまぁそれも仕方ない。下はともかく上はなかなか着られるもの少ないし……かといってスカートも、膝より長いのはなんか慣れないし。ズボン系は履けるけどヘルメット被りたくなるしな……。
「今日はいよいよ、試合ね」
「うん。リュミネ……多分、結構強い人相手だから、緊張するよ」
「がんばって。最後まで応援してるわ」
「ありがと」
ソーニャが応援してくれるなら百人力だ。
それに、昨日はナタリーと一緒にじっくりと特訓もできたし……緊張する反面、自信だってある。
私には、ナタリーみたいに誰かに見せるためとか、そこまで大きな目標があって試合に臨むわけではないけれど、だからといって手は抜かないし、適当に闘ったりもしない。
こっちはこっちなりに、本気でやってやろう。
「そうだ。ボウマ達は?」
「ボウマはまだだけど、そろそろじゃないかしら。男連中は集合したらこっちにくると思うけど、もう少し時間がかかるんじゃないかしら。向こうはヒューゴもいるしね」
ヒューゴか。また寝坊してなきゃいいけど。
「ごめぇーん! 遅れたー!」
と思ったら、寮の方からボウマの声が聞こえてきた。
わちゃわちゃと寝癖のついたボサボサ髪を揺らしながら、小動物のように駆け寄ってくる。
「おーボウマ、待ってはないよ。私も今来たとこだから」
「はあ、はあ、いやぁ、寝坊しちゃった。昨日、遅くまでライカンと一緒に、練習してて……」
「練習?」
「あっ」
なにか口でも滑らせたのか、ボウマはわかりやすく両手で口を覆い、ジリジリと後退した。
「……まだ秘密だじぇ!」
そんなビシッと親指立てて言われても……まぁ、良いけどな。教えてくれるのを楽しみに待ってるよ。
今日もまたヒューゴが遅れて来るんじゃないかと思ったものの、案外彼がやらかすようなこともなく、集合場所に来てみれば全員が揃っていた。
ライカンとヒューゴ、そしてクライン。三人ともお洒落というものをそこらへんの水路に捨ててきたかのように、いつも通りの格好だ。私だってそうだから頑張れというつもりはないけど、これだとなんだかソーニャが一人浮いちゃいそうで気になってしまう。
……まぁ、それもいつものことなんだけどさ。
「今日はクラインとロッカの試合だね。二人とも同じ会場で助かったよ。移動の手間が無いのは良いことだ」
『試合の時間が昼過ぎというのが少し気になるくらいだな。腹は減るだろうが、あまり飲み食いしないほうが良いぞ』
「動きすぎると出ちまうもんなぁー」
「こらボウマ。下品よ」
私もクラインも、試合は昼過ぎになっている。
ゆったりと同じ会場で観戦していられる時間は長いものの、その分嫌な緊張感が高まってゆく。
心情的には一番最初、真っ先にやりたかったんだけど、まぁクラインと同じ会場になれたんだから、クジ運を恨むべきではないか。
「昼食の分は控えめに、朝食を多めに摂るべきだろうな」
「僕もそう思う。まぁ、朝食べてきた人もいるだろうけど、どこか店入るなり買うなりしておこうか」
今朝の私はまだ何も食べていない。屋台で買い食いする気満々だったのだ。
お金はこの前の飴騒動でまだまだ残ってるしね。
「じゃあ通り道のお店入ろうよ。私も結構お腹空いてるから」
「あたしもー」
「ふむ。なら、そうしよう。オレもある程度は熱のあるものを胃に収めておきたいからな」
今日は少しひんやりする。
寒いってほどじゃないけど、確かにこんな日にはぼそぼそした保存食じゃなく、暖かな料理を食べておきたいところだ。
「とはいえ飲食ばかりしていては、席が取れないか……あまり屋台は好きでもないが……しかし……」
クラインは一人で何を悩んでいるのか、額に手を当てて唸っていた。相変わらず変な所で頭を働かせる奴だ。
そんな彼の中指には、買ったばかりの“メンフェニアの調停者”が上品な光沢を放っている。あの指環が今日、私よりも先の試合で猛威を奮うのだろう。
ありえないとは思うけど、クラインには私より先に負けてほしくないな。いや、もちろんありえない仮定なんだけど。皆の声援があるとはいえ、一人で挑むのってやっぱり重圧が凄そうだから。
『ボウマ、今日は寝坊しなかったか?』
「む、全然平気だったじぇ!」
『おお、そうか。なら良かった。けどな、夜はしっかりと寝るんだぞ。こういう祭りの時は外も明るいし、思わず起きていたくもなるがな。若いうちはしっかりと眠っていた方が良い。子供はそうして……』
「うっせ!」
『あ、こらボウマ!』
そういうわけで、いつにも増して騒がしい二人の追いかけっこを眺めつつ、私達は会場の席を確保するべく移動を始めたのだった。
「ええ!? それじゃあロッカ、昨日はハワード将軍に特訓を見てもらっていたの!?」
「い、いや。見てもらっていたっていうか、あの人が勝手に見てただけっていうか」
さあ後は試合に臨むだけだ。
なんて気分ではあるけれど、昨日の話をちょっとこぼしてしまえば、当然それは大きな話題として受け入れられたのだった。
「へえ、あの大将軍がそこまでロッカとナタリーを気にかけていたのか……これはまた、ロッカは将軍と縁があるみたいだね」
「他人事だなぁヒューゴ……まあ悪い気はしないけどさ」
「ロッカぁ、新聞にも載ったし有名人だな!」
言われてみるとまぁ確かに、アックス将軍にも目を付けられている気はするから……ヒューゴの言うことも間違ってはいないし、ボウマの言うことも事実ではあるんだけど。
「けど、騎士団に目をつけられても困るよ。魔道士として生きていくかどうかだって、まだ全然決まってもないのにさ」
「君は騎士になりたいのか」
「嫌だよ。あ、いや今のは言いすぎた。嫌っていうかその、あれ、イヤなんだよ」
「ロッカ、それ変わってないわよ」
魔道士。傭兵。騎士。将来の道って言ったって色々あるけれど、騎士は違うと思うんだよね……。
買ったばかりの肉入りレンガパンを齧り、特に理由もなしに空を見上げる。
空は晴れ。少し雲が散っているだけの、ミネオマルタでいえばかなり良い日和だった。
これでどんよりしていたのならまだ私の心を写す鏡にもなってくれていたのだろうけど、空は程々に緊張した私の気持ちよりかは、むしろナタリーの方の心境を汲み取っているのかもしれない。
「人通り、増えてきたわね」
『うむ。お、さっき気学科の学徒が通ったな。……皆、試合を見るために移動しているのだろう』
「ここらへんで軽く食べられるもの買ってからね。考えることは皆一緒ってことさ」
「大会、席取り間に合うかにぇ」
「うん。なるべく急ぎたいね」
明るい通り。人も増えて、賑やかだ。
それでも、昨日の夜は散発的にパラパラと雨が降っていたせいか、目立つタイルを見ればまだ雨の染みた跡が窺える。そういえば、一昨日も夜にちょっと降って、似たような感じだったような。
いつだったか、誰の噂だったのかは覚えてもないけれど、陰五国が噛んでいる催し事では、よく天候が良い方向に転がってくれると聞いたことがある。このマルタ杯の日程も、ひょっとすると陰五国が絡んで調整しているのかもしれない。
まぁ、天気なんざ変わるものだし、絶対なんてないんだけどさ。
天気を完全に読んでくれるのなら、私は農家や漁師になりたいよ。
……いや、嘘。
農家も漁師も、騎士と同じくらいイヤだな。
あー、イヤじゃない。なんて言ったら良いんだろうな、こういう時って……。
「視線。隠れながらこちらを視てる気配」
私達が適当なお店の外壁に寄り添って軽食をやっつけていると、その端っこから淡白な声が聞こえた。
クラインの護衛、レティー=フランクスの短い一言である。
しかし、普段何も語らないこの人が発したそれを、ただの“珍しい”で済ませるほど私達は呑気ではなかった。
「探さないで。自然体」
おっと。レティーに注意されて良かった。思わず無警戒にジロジロ見回すところだったよ。
「物騒なことかな」
「怖いにぇ」
「……私、結構冗談抜きで今、怖いんだけど。何、どうしたのよ」
ソーニャは突然の怪しい雲行きに、ちょっと落ち着かない様子だった。
確かにいきなり護衛の人から視線がどうの言われたら、私もちょっと緊張するな。
『どこだ。厄介な相手であれば俺も手伝おう』
ライカンの声はいつもより低く、小さい。けれどその分、いつもは見せない抜き身の闘志が篭っているような気がした。
「……見つけた。一軒隣の向かい側。細く折った新聞を広げているフリをしている。挙動不審で怪しい」
新聞を広げているフリ。
駄目とは思っていても、そう具体的に言われると探してしまうのが、落ち着きのない私の性であった。
「あ」
余計なことをしたとは思っている。けど、結果としてそれは良かったのかもしれない。
何故なら、今レティーが言った人物は、私の知っている人物だったのだから。
「あれ、ベロウズじゃん」
「ベロウズ? ってあの、前にゴーレムの修理をしてた?」
ベロウズ=ビスマロイド。練習を見てくれたり、講義でボウマが壊したゴーレムを修理したりと、色々してくれた親切な人だ。
そして……最近は、色々と気になっている魔道士の一人でもある。
「おーい」
さすがに知り合いが不審者扱いされるのは嫌だし、向こうがこっちに気付いているのならそうアピールしてやるのが礼儀ってものだろう。
なので私は、大きく手を振って、彼に呼びかけた。
「……あれは、知り合い?」
「そうだったみたいね。何もなくて良かったわ……」
『うむ、まさにそうだな』
「そう。ならいい」
手を振る私に気付いたのだろう。ベロウズはハッとした風に身体を軽く揺らすと、何か慌てたようにキャスケット帽のつばを抑え、こちらに向かって浅く会釈した。
「こっちに気付いたようだね。声を掛けようか迷っていたのかな?」
「恥ずかしがり屋だにぇ」
「あ、行っちゃった」
てっきりこちらに来てくれるのかと思ったが、ベロウズはそのまま小さく手を振った後、通りの向こうへと歩き去ってしまった。
薄手のマントが翻り、そしてすぐに見えなくなる。
……人が多すぎて遠慮したのか、恥ずかしかったのか……理由は謎だ。
まぁ、性格だわな……昔のタタミも似たような感じだったし。
「……ベロウズ=ビスマロイド、か。奴も同じ会場で試合を行うのだったか」
クラインは緑野菜をたっぷり挟んだ不味そうなバンゴを齧りながら、同じくらい不味そうな顔でそう呟いた。
「……変な気配を向けてくるのは、風の将軍に、ただの学徒。ミネオマルタの仕事、退屈だわ」
そして気配の察知が勘違いに終わったレティーの方もまた、ちょっと苦々しい顔で空を仰いでいたのだった。




