鈎010 捉え難い圧力
昨日の屋外修練場での特訓は、なかなか実りのあるものだったと思う。
夜から急遽始まった特訓は、クラインの方は新しい指輪を使い慣らすための試振で、私の方は影魔術に対する動き方の確認だった。
なので、主にクラインは影魔術を使い、私の方はそれに対抗して魔術を使ったり動いたりしたわけなのである。
次の対戦相手は“日陰者のリュミネ”。
ボウマを倒してみせた魔道士で、クライン曰く“馬鹿ではない”とのことだ。
なんだそれ、って言いたくなる投げやりな表現だけど、あながち的外れでもない。影魔術は習得困難な属性術として知られており、それまでに火・水・鉄・風・雷の五属性を修めていたとしても何ら不思議ではないのだから。
相手は六属性術士で、主力が影魔術。そう念頭に置いて戦いに望むのが良いだろうと、クラインは言っていた。
私自身、影魔術が発動し、それが効果を発揮する場面は何度も見てきたけど、実際に影魔術を受けたことは一度もなかった。
なので、昨日は実際に何度か、簡単な弱めの影魔術を受けてみたんだけど……なんと言えば良いのか難しいな。正直、言葉で現すのが難しい感覚なんだけど……影魔術を食らうと、見えない壁や塊で殴られているような感触がした。きっと、そう表現するのが近いのだろうと思う。
影魔術の威力は、術によって様々。
強いものは地面のタイルを思い切り砕いてみせるほどの力があるし、弱いものはドンと突き飛ばすくらいの威力しかない。
範囲も術によって多様で、直線状に進む範囲の小さな術もあれば、広範囲の地面全体に効果を及ぼす術だってある。まっすぐ伸びる術もあれば、変則的に効果範囲を動かせる術もある。
不思議な術だ。振る舞いそのものが見てわかりやすい水魔術と比べれば、咄嗟の対応で大きく差がついてしまうだろう。
そして何よりも、目に見えないというのが一番厄介だ。見えない力がいきなり飛んできたり、上から伸し掛かってくるのである。
突然やられたんじゃ、それが軽めの重量であっても思わずそちらへ倒れてしまうし、上からの力には簡単に膝を折ってしまいそうになる。
身体強化をしていればかなり重圧を軽減できるものの、影魔術の力に対抗できるほどの魔力で常に強化状態を保持するのは、昨日の特訓を省みるに、少し難しいように感じた。部分的な強化なら慣れているし大丈夫なんだけど、影魔術の負荷はどこにかかるかわからない。偏った防御で怪我をすることも考えると、強化体で突撃してアンドルギンでぶん殴ってやる作戦は、それほど上質ではないらしい。
見えない影魔術。だが、これにも全く対処法が無いわけではない。
まず第一。わずからしいけど、術によっては発動時に視界が歪むのだそうな。
力の範囲内の空間は陽炎のように光が曲がって見えるので、目に頼るのであればそれも良いだろうとのこと。
ただしこれは咄嗟に判断するのが難しいし、クラインでも“来るか”“来ないか”がわかる程度のものなのだそうだ。発動したかどうかだけなら相手の持つ杖の先石の発光を見ればわかりやすいので、実際のところ意識すべきかどうか迷う部分である。
これはあまり役立つ方法ではないと言いたいのか、クラインは目に見えるものだけに固執すべきではないと忠告してくれた。あとその後にクリームさんの悪口みたいなのが数分続いたんだけど、まぁそれはどうでもいい。
次の対処法が一番有力で、音で察知するという方法があるらしい。
影魔術の発動時は、これも例によって術によるらしいんだけど、独特な音が聞こえるのだそうだ。
というより、実際に音は聞こえる。大きく騒がしいものとは言えないけれど、不思議と距離が離れていても耳に入るような、そんな独特な重低音だった。
無理やり表現するなら……“ブォン”みたいな感じ。
いや違うか。“ブォ”……“ヌゥン”……“ムゥン”……なんでもいいか。とにかく変な音がするのである。
音は発動直後から僅かな時間も聞こえるので、その音の具合でどれくらいで近づいているのか、どちらに放ったのかが推測できるのだという。
実際に試してみると、まぁ距離によるところもあるんだけど、音を聞いた後に“避けられなくもないかな”といった感じだった。
身体強化をしながら速さを増した状態でなら、結構余裕を持って回避できる。生身だとちょっと遅れそうだし、そういう速度の速い影魔術に限って当たると痛いので、要注意だ。
クライン曰く、単体の影魔術は風魔術とよく似た振る舞いなので、風魔術の対抗手段が流用できるそうなのだが……風魔道士相手と戦ったこともないので、残念ながらそれは出来ない。
違いといえば、風圧と影魔術による直接的な圧力は距離による分散や威力の減衰が異なるとかなんちゃらだ。これも昨日クラインに聞いたけど何言ってんのかは忘れたし、昨日も理解できてなかったからまぁ別に良いだろう。
結論。
影魔術は対策が難しく、厄介だということだ。
「もっとわかりやすい相手と戦いたかったんだけどなー……」
朝である。
軽く余り物で作った朝食を食べた私は、自室のベッドの上で新聞を読んでいた。
昨日買ったマイズチャートの読み売りである。大会の組み合わせ発表はもちろんだが、マルタ杯にまつわる記事も多く書かれており、特に大会優勝の有力候補に関する記事は豊富で、読み応えがあった。
そこには小さな荒っぽい写真付きで、巨大な炎を地面にぶつけて壁を生み出す魔道士や、氷の塊を何重にも柵のように生み出し行動を制限する魔道士などが映っていて、私が見ていなかった試合の迫力を臨場感のある文章と共に、存分に伝えてくれる。
巨大な炎。氷の障害物。それらが相手なら、対処法はわかりやすくなっていたに違いない。
しかし見えない影魔術に対処するというのは、クラインの頭脳を持ってしても答えは難しいようだった。
……まぁ、別に炎で炙られるのが好きってわけじゃないんだけどさ。むしろ大嫌いだけどさ。
それとは別に、影魔術のあの、見えない何かでふっとばされるっていう感覚が、なんていうか納得いかないんだよな。
見える何かにやられるのは“避けられなかった”ってまだ納得できるけど、見えない何かでやられるっていうのはこう、理不尽っていうか。
あんまり連続で受けすぎるとアレ、かなりイライラするんだよ。
そんな状態で上から圧力かけられて膝を屈したりなんかすると、もう酷いね。昨日のあれは、クラインの顔面を本気でぶん殴ってやろうかと思ったほどだった……もちろん殴らなかったし、殴れなかったけど。
「試合は明日だけど……今日も少し、魔術の練習をしておくか」
新聞には大会とは別の、文化的な催事の紹介も書かれている。
けれど、私の本懐はマルタ杯にあるのだ。昨日は結構ふらふら遊んでたけど、やっぱり負けるまでの間は出来るだけ準備しておかないとな。
「輸入品の吊るし鉢が沢山あってねぇ。小さな葡萄なんてすぐに枯れちまうけど、一応祭りも近いし、買おうと思ってねぇ……」
「悪い風習でもないさ。今年もうちの店には、良いのを飾っておこう」
「子供用のタクトがビル=モイアの四つセットで良いのがあったんだ。箱も綺麗だったし、きっと仕上がったばかりの新品だと思うよ。息子たちもきっと、喜ぶだろうさ」
「なあすまない、人手を貸してくれないか。箱売りの黒麦が安いんだが、道が混んでいるせいで高く積めないし、売り場が遠いんだ」
「それは大変だな。だが今日の酒をおごってくれるって言うなら、構わんぞ」
「お安い御用だ。頼まれてくれるか? いつもの店で良いなら」
「良しきた。うちの倅も出してやろう。そういえば今度の錫鋏祭でそっちの娘と……」
ミネオマルタの街は、主に市場などは、これまで以上の熱気に包まれていた。
今日はどうやら、世界中から届いた様々な品物が各市場で一斉に売りに出されているらしい。
中央部では何やら大掛かりなオークションが開催されているそうで、その催しに追従してなのかどうかはわからないんだけど、市場でも食材、調味料、日用品、嗜好品など、連日のお祭り騒ぎで消費されていったあらゆる品々が再補充されるのだそうな。
だから小規模な競りや売出しが各所で行われ、住民や観光客問わず、大賑わいしているというわけ。
私も臨時収入もあったし結構色々と買い物できるんだけど、明日はリュミネとの試合がある。
いや、それに対する熱が強いっていうだけで、別に買い物したい欲が消えたわけじゃないんだ。許されることなら街を存分に回って服とか革物とか見て回りたいんだ。
けど、中途半端は駄目だから……だから今はまだ我慢して、試合のために……練習に時間を注ぐのだ。
「新鮮なポル肉の黒ダレ焼き、一串百七十YENだよー」
……でも、うん。食事は人には欠かせないものだから、また別だ。
幸いというべきか、市場や街中の賑わいのおかげなのか、近場の修練場にはほとんど人がいなかった。
何人かの魔道士は遠くの方でロッドやらメイスをぶんぶん振り回している様子だが、そんな人々の視線が気になるほどの間隔ではなさそうだ。
……ひょっとすると、大会参加者でまだ勝ち残ってる人たちも、今日は市場とかで買い物したり、楽しんでいるんじゃ……。
いや、だとしても私は今日は遊ぶ気にはなれないし、人の少なさは言い訳にならない。それに、他の修練場にだって、人は大勢いるかもしれないんだ。
急激に成長する、だなんて現実離れした期待はしていない。今日はここで少しでも戦闘の勘を身体に染み込ませておく。そんな日にするつもりだ。
「アンドルギン、よーし」
肩に引っ掛けた愛杖を握りしめ、黒光りする刃先を確認し……うっとりする。
うん、今日もアンドルギンに不備はない。恐ろしいほど頑丈で質も良い、最高のツルハシだ。
究極的には、このメイス一本だけでも十分に練習できるのだが、それでは身体が持たないので。
「水と食事、よーし」
ついでに水筒に水をたっぷり入れてきて、軽食も買ってきた。
冷めても不味くはならないような簡単なものだけど、動けば動くだけ腹は減るので、合間の休憩にでも齧ってやろうと思う。
他にもタオル、灼灯カンテラ、懐炉など、使うかどうかはさておき使えなくもない品々も用意した。
少し日が暮れてもまだ暗い場所で粘れるだろう。そんな想いを込めて用意したんだけど……まあ、きっとその前に疲労がやってくるだろうとは思っている。
「他の魔道士と比べれば、まだ私は全然魔力を使わないタイプなんだろうけどね……」
周囲を見回せば、何人かの魔道士がいる。
遠くの塀際でメイスを振っている金髪の女性などは、水魔術を放っては座り込んで休み、また放っては休みを繰り返しているように見える。きっと、既に魔力が底をついているに違いない。それでもああして限界ギリギリのところを見極めようとしているのだろう。
ただ、見極めを誤れば魂が侵食され、一気に危険な状態に陥ってしまう。あれは耐えようと思ってもどうしようもないほど苦しい状態だ。
……大会中は夢中になるし、いくらかの痛みは無視できる。けど、そのせいで魔力の配分を間違ってしまうのは、重大なミスだ。
その点、私の場合は魔力欠乏症になることは殆ど無いだろう。
以前は“スティ・ラギロール”や“スティ・ガミル・ステイ・ボウ”などの乱発で魔力を食ったけど、魔術投擲が出来ないとわかってからは配分を大きく見直すことになったのだ。
それに、マルタ杯では得意の身体強化も使えるし、わざわざ遮蔽物を生み出す必要性も薄くなってしまった。せっかく覚えた魔術を使う場面が減ったのは少し悲しいけど、総合的に見れば学園の闘技演習よりもずっと上手く闘えるのだから、なんとも言えないものである。
身体強化は、全身にまんべんなく攻撃を……要するにジリジリと炙るような炎だったりを受けていなければ、そう馬鹿みたいに魔力が減ることもない。私は瞬発的な動きや維持にさほど魔力を使わないタイプなので、十分以上の持久戦になったとしても魔力が底をつくことは……多分、ないと思う。
今回の相手は影魔術使いだ。身体強化がどれほど削られるのかは未知数だけど、炎や水などの環境魔術よりはずっと軽い削れで済むことだろう。
「……今日は、肉体のほうが音を上げるまで……身体強化の特訓でもやってみるか」
アンドルギンを構え、腰を落として戦闘態勢を整える。
魔力は柄に。けれどいつでも魔術を発動できるように。
イメージは、遠く離れた場所からリュミネが不可視の攻撃を放ってくるという状況だ。
相手の攻撃を回避し、遮蔽物を生み出し、時に投げつけながら……近づいて、ぶん殴る。
よし、今日はそれでいってみよう。
「特訓開始だ」
およそ一時間か二時間。
そのくらいの時間まで、ずっと動き続けていたと思う。
ツルハシは使い慣れた道具だ。振り回し方、岩の砕き方においては、ミネオマルタ中を探しても私より上の奴なんていないだろうと言えるくらいには、誇りと自信がある。
ただ、このアンドルギンを武器として扱うのには、ちょっとばかし未だ不安があるのも事実だ。
岩は砕くものである。
そりゃ、坑道にはアスメやらタイトンやらロックジェリーもいるし、武器として使わないこともないんだけど、人を相手に使うというのはまた、別の使用感があるのだ。
具体的には、そうキビキビと動くのは難しいということ。
鈍重な、あるいは一直線に向かってくることしか脳のない魔獣相手であれば対処は簡単だ。タイミングよくアンドルギンを振り回してやればそれだけで済む。
けど人間はしっかりこちらの動きを見ているし、人によっては私と同じか、それ以上の機敏さで動く生き物なのだ。
当然、そのような状況では重心が大きく先に偏ったアンドルギンで戦うのは、不利になる。
そうなると相手が身体強化ができなかろうとも、一定の距離においては、私はある程度の速度を持った魔術投擲を撃ち落とすことは難しくなるに違いない。
きっとナタリー相手だと厳しいだろうな……。あいつの“スティ・レット”はやけに速いし、細いから……アンドルギンで撃ち落とすには最悪の部類になる。
昨日のクラインとの特訓でも似たような状況は生まれていたし、間違いではないはずだ。
苦手な距離。それを克服することこそが、魔道士との戦いでは肝になるだろう。
「まぁ、相手によってその距離も変わるだろうから、一概には言えないんだろうけど……」
こればかりは相手の使う魔術に依存した話だ。絶対的にこれがこう、とは言い切れない。
次に戦うのは近距離に秀でた魔道士かもしれないし、遠距離に秀でた魔道士かもしれない。
それを戦闘中に見破り、自分の思い通りの闘いに持ち込んでゆくのもまた、大きな私の課題になるだろう。
うなじに薄くかいた汗をタオルで拭い、石タイルの上に引いたウエスに座り込んで、水を飲んで一息つく。
ついでに買っておいたサンドイッチを平らげ、ハッカ飴を口に放り込んで……身体もある程度休まったところで……そろそろもう一回、特訓を始めよう。
そう思っていたんだけど。
「おーい、ロッカちゃん。動けるんならアタシの相手になってくれなぁい?」
「……マジかよ」
いざ再開しようと立ち上がって前を向いた時、目の前に立っていたのは、ニヤニヤとこちらを見下して笑うナタリーであった。
「マジかよ……勘弁してくれよ……」
あとその後ろにジキルもいた。
「試合前だ。当てはしねぇが、本気出して来いよ」
ナタリーは槍のようなものを構え、腰を低く落としている。
その目はいつだって好戦的にギラついているけど、今はより一層鋭く研がれているようだった。
「そりゃ、当てはしないつもりだけどさ……」
それはいい。ただ、そんなナタリーに向き合っているのが私ってのが、ちと似合わないような気がするのだ。
なにせ相手は槍で、こっちはツルハシ。それでやり合おうっていうのだから、私としては違和感しか無い。
いや、もちろん私はこのアンドルギンを武器だと思っているし、試合中もガンガン振り回していくつもりではあるけど、これを使って白兵戦をやるってのがまた……。
「細けぇこたぁ良いんだよノロマ。対人戦闘を意識するなら、こういう実践型の特訓が一番なんだ。一人で阿呆みてぇにバタバタ動き回ったところで、靴底の確認にしかならねぇぞ?」
「うっ……なんかそれっぽいこと言いやがって……」
「ぽいじゃねえ、事実そうなんだよ。ほら、さっさと構えろ。刺し殺すぞ」
「へえへえ……」
殺害宣告までされちゃあ、やらないわけにはいかないか。
それに私としても、相手がいてくれた方が実践に近いし、ありがたい。
影魔術を使ってくる魔道士ではないけど、動いて攻撃してくるというだけでも十二分に実戦的だ。
突然現れたナタリーとジキル。
どうやら二人も明日の試合のために、この修練場へやってきたらしい。
ナタリーの対戦相手は他の学園の水魔道士で、ジキルの相手は同じ学園の“闇討ちのサリデ”なのだという。
これは一度私も試合を見たことのある魔道士で、独性術で変わった闘い方をしてた姿が記憶に残っている。
「帰りたい……」
向かい合う私とナタリーの脇で何かボソリと聞こえた気がしたが、多分気のせいだな。
「おいジキル、開始の宣言しとけよ」
「アッハイ」
そういうわけで、私とナタリーの突発的な実践練習が始まったのだった。
「んじゃ、なるべく大会っぽい感じで……いざ尋常に、試合開始!」
宣言と同時に、私は先程の訓練と同じような魔力配分で動き出した。対するナタリーも同じだ。
槍を構え、魔力込みでこちらに近づいてくる。
「うおっ」
が、その速度が尋常ではない。
鋭い踏み込みと、槍のコンパクトな一突き。それが芸術的なまでに一体となり、私の顔を狙っていたのだ。
「あぶね」
「ほお」
そのまま踏み込んだ足で正直に着地していたら、ひとたまりもなかったかもしれない。
私は身体を捻りツルハシをカチ上げることで、どうにかその穂先を回避できた。
が、向こうも向こうで寸止めするつもりだったのだろう。私がツルハシで弾くよりも先に槍は引かれており、両者の武器が衝突することはなかった。
あと失礼かもしれないけど、ナタリーがちゃんと寸止めするつもりがあったことに驚いた。
「この初撃に反応できんのか。前々から思ってたが、素人のくせに結構動けんな」
「なにそれ、褒め……うわっ」
そして続けざまに刺突が降る。
兵士らしい綺麗な型の、下半身を狙った四段突きだ。
私はその最初の二発にどうにかツルハシを当てて防御し、ブーツに穴が開く前に素早く後退できた。
「……これもか。重ェ得物のくせに、自然すぎンだろ」
「あっぶねえ……」
短い攻防だ。相手はたった四回しか攻撃していない。私も数回動いただけ。
だというのに、既に身体はじんわりと熱を持ち、汗ばみ始めているかのようだった。
「どうよロッカちゃん。実際に狙ってくる相手がいると違うでしょうよ? 使ってくる術なんかはそりゃ違ってくるだろうが、接近戦は速度や回避、読み合いはより激しくなる。的外れな特訓ってわけでもー、ないと思うんだけどォ?」
「……確かにな。こりゃ良い練習になりそうだ」
緊張感がある。一人では生み出せない不意がある。そして何より、リアルな疲労感もある。
このナタリーとの組手では、きっとより実感の強い動き方に触れられるだろう。
「んじゃ、次はもっと続けていくわよん。術でも強化でもなんでもアリだ。かかってきな」
「……おうよ。やってやろうじゃんか」
ナタリーが半身で槍をゆらりと構え、私もそれに応じるように、アンドルギンを斜向きに握り込む。
「頼むから、試合前に流血沙汰だけは勘弁してくれよ……」
ジキルのそんな弱々しい声が聞こえたような気もしたが、これは腰が引けたような戦いにはならないだろう。
私とナタリーは、再び研ぎ澄ました魔力でもって、衝突したのだった。
槍とツルハシ。異色の武器同士による実戦的な組手は、三十分ほど続けられたと思う。
私はナタリーの槍を避けながら距離を維持しつつ、魔術で岩を生成したり、アンドルギンで破砕して石礫を飛ばしたりと、様々な動きを確認できた。
中には自信満々に繰り出してみた攻撃が、実際にやってみると牽制にもならない小細工程度の効果しか発揮しなかったり。また別のところでは、私の意外な足さばきが相手の不意を突くことが出来たりと、かなり充実した訓練になったのだ。
しかし、ナタリーは強かった。途中で何度も寸止めされたし、多分その度に、実戦だった場合の私はやられていたのだと思う。
以前は魔術を多用するメイス持ちのナタリーと戦ったりはしたけど、今回戦った彼女はその時以上に厄介だった印象さえあるかもしれない。
それほど、槍を握ったナタリーは驚異的だったのだ。
「はあ、はあ……ふぅーッ。いい汗かいた。おいジキル、タオル。あと飴。水筒」
「はいはい、おつかれさん」
おかげで、日が沈むまでは持つだろうと思われた体力も底をついてしまった。
ナタリーのほうもかなりヘトヘトだけど、私の方もうんざりするほど汗をかいている。ジャケットいらねえ。脱ごう。
ああ、急激な魔力配分の移動で脚が震えそうだ……それと、アンドルギンを絶え間なく動かしていた腕の方もちょっと痛い……。
帰りにソルポット買って飲んどかないと、明日は痛みで動けないかもしれないな、これは……。
「おい、ロッカ。あんたもこれ、いるか」
「ん? 飴? おお、くれるなら欲しいかな」
運動後に汗を拭っていると、ジキルが気前よく黄色い飴を投げ渡してくれた。
舐めてみると、ほんのりしょっぱくて、そしてすっぱい。レモン風味の、なんというかすごく美味い飴だった。特にしょっぱいのが、今は嬉しい。
「……ロッカちゃんよぉ。あんたどっかでさぁ、何かの訓練とか受けてたりすんの?」
「え? なに突然。この学園に入るまでは別に、仕事してただけで何もしてないけど」
ナタリーの突然の問いかけに、水を飲みながら答える。
……もっと水もってくればよかったな。ここまで汗をかくとは思わなかった……。
「そうか。恵まれてんだろうな」
「え?」
「なんでもねェよ。寝言だ寝言」
「起きてるじゃん」
「うるせぇ」
顔面に飴が飛んできた。
すかさず少し跳んで口でキャッチしたら脚を蹴られた。
なんだよアンタ。
「アタシらはみんな通ったけど、あんたらはなんだっけか。一人脱落したんだっけ。あのうっさいチビ」
「ボウマね。まぁ、たしかに元気だけどさ……うん。残念ながらね」
「結構な癇癪持ちっしょ、アイツ。どうなのロッカちゃん。あのボウマって子、暴れたりしなかったの」
「いや、そんなことないと思う。まぁ、それなりに落ち込んでたみたいだけど……そこまで子供じゃないよ、ボウマはさ」
「ふうん。そんなもんかね」
修練場の端には警官などが待機、休憩することのできる大きめの建物があり、そのすぐ横の広場には簡素な木製ベンチが並んでいた。
この場所は、きっと上官のような偉い人が前に立って、大勢に話を聞かせる場所でもあるのだろう。
並ぶベンチの向こう側には、学園の教壇のように一段高くなったステージが用意されている。
今、私たちは疲れきった身体を労る傍ら、そのベンチで話している最中だった。
話は、専らマルタ杯のこと。
そのためにこの修練場までやってきたのだから、まぁそんな話題になるのも当然なんだけども。
ちなみにジキルは向こうの広いところで、一人で術の練習をしているようだ。
遠くの人影に混じり、色々な属性を器用に使い分けている。遠目には熟練した万能魔道士に見えなくもない。
「あのジキルはな。なんでもできるんだよ」
「へえ、すごいじゃん。たしか、色々術使えるんだよね」
「ああ。六属性術士だよ、一応な。ただ器用貧乏で、一つとして突出したもんはねえんだけどよ」
「そうなんだ」
なるほど、たしかにぼんやり眺めているだけでも、ジキルの繰り出す属性術はなんというか……大技じみたものは見られない。
どの術も中等……ともいかず、初等術くらいの規模のようだ。ただそれを色々と切り替えながら連発しているので、見ている分には面白い。
「見ての通り、半端な奴ってわけ。何やらせても悪くねェんだけど。剣術も、槍も、弓も、魔術も、料理や裁縫だって、まぁまぁのところまで出来る奴なんだけどな。びっくりしちゃうくらい伸び代がねーのよ、アイツ」
「へえ……」
確かに、ジキルが作った料理は美味しかった。
腕相撲で力比べしたときも確か……まぁほどほどなくらいだった気がする。
つまり、恐ろしいくらいに平凡な男というわけなんだろう。
「それでも、実戦経験がアイツにはある。ロビナやレドリアもそうだ。アタシらと一緒に訓練を続けてきた慣れと勘は、学園のお坊ちゃまやお嬢様なんぞよかずっと多く蓄積されてるわけよ」
ナタリーは長いブーツの紐を結び直しながら、キシシと特徴的な笑い声を上げた。
「だから鉄専攻は勝ってきた。アタシを含め、他の仲間も、それ相応にね。水とか火の間抜け共と比べりゃ、この大会での勝率はかなり高いわけよ」
「そうなんだ。……じゃあ、これからは鉄の魔道士とよく当たるってこと?」
「いや、あのねぇ。そりゃ、あくまでこの大会での、アタシらの派閥の勝率が高いって意味でな……あー、全体の比率で見りゃあんま変わんないんじゃないの? 三属性は」
火、水、鉄。
学園の属性科でも特に専攻魔道士が多いのは、この三つだ。
それぞれが己の属性の強さを誇示するため、自然と専攻によって派閥が生まれるのだという。属性魔術自体、ある程度戦いを前提とした学問なので、そんな流れになるのも仕方ないのかもしれないが……。
他にも風や雷も存在するものの、そちらは人が少ないためにどちらかといえば補助的な使われ方をされるケースが多い。
それに、そもそも環境魔術として火や水が抜きん出ており、鉄にも遠距離の高威力攻撃が可能という利点が備わっている。
風や雷も強力ではあるらしいんだけど、それを主軸に戦うのは困難なのだそうだ。
「実戦……か。じゃあナタリーたちの鉄専攻は、こういう所でよく訓練してるから強いってことなんだ?」
「へっ、まァねぇ。火や水は壁作ったり放り投げたり、為にならねえ練習ばっかしてるけどな。その点、鉄はしっかり接近戦を考えてるわけよ。身体強化だって、鉄魔道士の方が使える数が多いしな」
「へー」
それは初耳だった。鉄魔道士は身体強化できる人が多い……覚えておこう。
「……しかしな。逆に言や、これからはそんな、実戦の経験を積んだ魔道士が現れてくるはずだ。日頃からギルドで討伐を請け負ってるような奴だとか、理不尽なくれぇ魔術に秀でた奴とかな」
「ああ、強いやつが残ってきたってことね」
「とびきりな。これまでにそこそこ成績が良かったり、上等な術を扱える優等生でもバンバン敗退してるっしょ。そン中の多くは、座学と術の習得ばっかしで実用的じゃないお勉強をしてきた連中ってわけだ」
勉強だけ。術の習得だけ。
それは、私にとってはとても高い壁のように感じる。
しかしそれは実戦とはまた別で、いざ戦いとなると違ってくる……というのが、ナタリーの言い分らしい。
彼女の言うことは、私にもなんとなく共感できた。
「ロッカちゃんが戦ったあの、胸のでっけーやつ。“砦のクレア”もそういうタイプっしょ。要塞を構築する術は見てくれも良いし、限られたルールの中だけなら効果を発揮するんだろうけど……実際のところ、宴会芸みたいな魔術さ。戦場や討伐なんかじゃ、扱いにくいったらねー」
クレア=カーター。“砦のクレア”。同じ鉄専攻の先輩だし、ナタリーが知っているのも当然だろうとは思っていた。
けど、ナタリーがクレアのことをどこか小馬鹿にするかのように言うのが、ムカつくってわけじゃないけど、なんか意外だった。
「クレアって、同じ鉄専攻でしょ。ナタリーはあの人のこと、嫌いなの」
「どっちかと言えばな。あー、誤解すんなよロッカちゃん。あの女はそもそもエクトリアの旧貴族で、鉄の気風ってわけじゃねェんだよ。それと学年も離れすぎてるしな。複雑な話になってくるんだが……アタシらにとっちゃ、ああいう人は無縁の存在なんだよ」
無縁なのか……まぁ、確かにそう言われてみるとナタリーとクレアだと波長は合わなそう……か?
「旧貴族ってのは、そういう所が多いわけ。変に格式張った術を使ったり、見た目だけ派手な術で演出したりな。連中の腕の示し方は、実用性よか元々そういう所にあるらしいしねぇ。こういうマルタ杯みてーな実戦形式の大会になると、途端に弱くなっちまうのよ」
ナタリーは指先に小さな炎を灯して、それを馬鹿にするように、息を吹きかけて消し飛ばしてみせた。
「……なにロッカちゃん。そのすげぇ顔」
「いや……そういやナタリーって火、使えたんだっけ」
何気ない無詠唱の魔術だったので驚いたのもそうだけど、彼女が鉄以外の魔術を使ったことが珍しくて、改めて衝撃を隠せなかった。
「オイ、馬鹿にしてんじゃねーぞ岩女。Aクラスだぞ、A。大会や試合じゃ使わねえってだけで、アタシはもっとな……」
「そっか、そういえばアンタ、頭良かったんだな……」
「ん? なんだ二回戦か? 寸止め無しのデスマッチでもやるか? お?」
「いや、ごめん。気を悪くしたなら謝るから。だってナタリーって鉄魔術使えるだけで、私より少し頭良いくらいかと思ってて……」
「よし立てロッカ。いい度胸だ。おーいジキルゥ! 審判だ審判! デスマッチな!」
こうして、私とナタリーは更にハードな訓練をこなしたのだった。
激戦だった。
最初の組手なんて遊びでしかなかった。そう思えてしまうくらいには、激しくお互いに手加減なくやりあったと思う。
私はいくつも“スティ・ドット”を打ち立てたし、それをナタリーは“スティ・レット”で容赦なく打ち砕いていった。
その上に、武器を握っての肉弾戦までついてくる。針と瓦礫の山で跳ね回りつつ、石を蹴飛ばし合いながら金物でどつき合う争いは、脚にも腰にもクる過酷なものであった。
「あのよ、二人共よぉ……一応俺審判だからさぁ……やめろって言ったらやめてくれないと……」
「はぁ、はぁ……黙れジキル……あんな場面で止められるわけねえだろが、殺すぞ……」
「ものすごい不合理だ……」
途中何度かジキルの制止があったらしいが、私の方は気付かなかった。というより、気付けるはずもない。
術に強化にと、どれだけ集中して魔力の運用を切り替えてると思ってるんだ。ナタリーの方は聞く余裕があったみたいだけど、こっちは全然だ。
互角……とは言えないんだろうな。
ナタリーも色々と魔術を使ったけど、こっちは直感かつ全力を振り絞ってやっているのに対して、ナタリーはまだ考える余裕が残っているのだ。だからきっとこの勝負も、たとえ肉弾戦がトータルで互角であったとしても、内容を精査すればナタリーの方に軍配が上がっていたに違いない。
ああ、ていうか、そんなことを考えるのももう、億劫だ……。
もう一度あっちのベンチに腰掛けて、水分と栄養を補給したい……あわよくば、一眠りも……。
「いや、なかなか良い模擬戦だ。遠近入り乱れる勇猛果敢な攻防、まさに鉄の魔道士らしい内容だった」
疲れ果ててもう何をする気力も残っていない私達は、ベンチの並ぶ集会所へ戻った。
するとどうだ。
そこにはなんか、やたらと見覚えのある見た目と声の男性が、私達に向けて悠々と拍手を送り、立っていたのである。
見た目を簡潔に表すなら、全身鎧だ。
鈍色の鎧。年季は入っているが、しかし安物ではない。しっかりと手入れがなされた、使い込まれた鋼のそれである。いやどうだろう。もしかしたら安いかもしれない。ミネオマルタの古市を回れば似たような物の一つや二つはあるだろう。
被ったヘルムはフルフェイスで、表情は見えない。頭頂部では、よく目立つ稀少そうな飾り羽が静かに揺れている。いや、でもあの飾り羽もひょっとしたら安物かもしれない。私は鳥の羽の良し悪しなんざわからないからな。適当に目利きじみたことはするものじゃないだろう。
しかし、胸に刻まれた紋章は塔付き城塞。
こちらは……見覚えがあるというか、鉄国の民であれば誰もが知っていなければいけないような紋章がデカデカとあるっていうか……いや、これもまた過酷な訓練による目の霞ってこともあるかもしれない。
ていうか今日はもう疲れたな。
さっさと帰って寝よう。風呂入ってご飯食べて寝よう。明日の大会がんばるぞ。
「れっ、はっ、レドッ、レドラル=ハワード様っ!?」
おいナタリー、まだ幻覚見てるのかよ。
魔力欠乏症か? 駄目だろアンタちゃんとあれだ、アレ。一日の仕事が終わったらしっかり工具とヘルメットの泥を拭って、水気を拭き取るんだぞ。ツルハシだってちゃんと手入れしとかないと駄目になるからな……。
「馬鹿野郎テメ、ロッカぼーっとすんなッ! 頭! 頭下げろッ!」
「いッて!」
思いっきり後頭部を殴られ、強引に頭を下げさせられた。
それと同時に目が醒める。
……いや、でも目が醒めてもなんだこれ。どういうこと?
なんか私達の目の前に、お付の人も何もいない……鉄国の将軍さんが一人で立ってるんだけど。
レドラル=ハワード。
私の故国、鉄の国の鉄城騎士団をまとめ上げる大将軍だ。
あまり興味のない私でも知っている、すごい人物である。どのくらいすごいかっていうと、五大国の偉い人を上から十人数えた時に名前が入る人ってことだ。名前だって知ってて当然である。
……いや、このマルタ杯の監督席に座る一人としてやってきたのは知っている。この街にいるってことも。
けど、といっても、なんで今? ここに? こんな、私達以外誰もいないような修練場に……。
「ああ、そう畏まることはない。私は監督者として招かれたが、当の大会が行われるまではやることも少なく、暇でね。一介の騎士として、君たちの模擬戦を見学させてもらっていただけのこと」
「へ、はぁ、そ、そうです、か……恐縮です……」
「だから頭を上げ、楽にしてくれ。なに、私のことは少し歳の離れた友人とでも思ってもらえればいい」
「う、うっす……」
すげえ無茶言いやがんなこの人……。
ていうか、ナタリーがすごい縮こまってる。私も結構緊張してるけど、彼女は明らかにそれ以上だ。隣でその様子を見てて、逆にこっちが冷静になれるほどに。
多分、騎士団への思い入れもあって、より大きな重圧を感じているのだろう。ナタリーにとって目の前の将軍さんは、未来の大上司なのだから。
「君たちは……ええと、ナタリー=ベラドネスと。そしてロッカ=ウィルコークスだったかな」
名前覚えられてる。なんでだ。
「“なんでだ”って顔をしているな?」
読まれた。なんでだ。
「はは、わかるとも。君たちはマルタ杯を勝ち上がってきたのだろう? 我が鉄国が誇る、若き有望な魔道士なのだ。私が注目するのは当然だ」
「ほこ……あ、ありがとうございます!」
私が何か言う前に、だいたいナタリーが代弁してくれそうな気がした。
それに、多分私が変にいい子ぶるよりも、この場は彼女のために全てを譲ったほうが良いような気もする。
「公正のために贔屓目で試合を色付けすることはできない。だが、同郷の者として応援しているぞ」
「ああ、大将軍が……が、頑張ります! 必ずやっ、アタシ、ちが、私達はメインヘイムの誇りにかけて! 最後まで奮戦することを誓います!」
ハキハキと早口で宣言すると、ナタリーは胸元のペンダントを握りしめ、あまり見慣れない形の敬礼をしてみせた。
……ところで私達って、私も入ってるのかな。メインヘイムの誇りにかけてって言われても、私そんなそっちの方に思い入れはないんだけど。
……あ、出身か?
ナタリーってメインヘイム出身って言ってたっけ。じゃあ私はそっちじゃないな。
「えっと。私は、あー。デムハムドの誇りにかけて……?」
「バカヤロッ」
「いッて!」
同じように敬礼したらナタリーにふくらはぎを思いっきり蹴られた。
「首都に! 城に! 誓え! ボケ!」
「知らねえよ!」
「ふふっ……ははは、いや、すまない。二人は仲が良いのだな」
私とナタリーが第三戦目をやらかしそうな雰囲気になりかけると、レドラル将軍はおかしそうに笑ってみせた。
きっと、作り笑いではないんだと思う。けどそれだけに失態を見られたのが恥ずかしいのか何なのか、ナタリーはまた居心地悪そうに縮こまってしまい、再び将軍に頭を下げたのだった。
……しかしこんなにナタリーが取り乱してるっていうのに、さっきからジキルは一切混乱してないっていうか、静かだな。
私のすぐ斜め後ろにいるはずだけど、アイツは一体どんな風にして平静を……。
「……って、おい」
「……」
気になってジキルの方へ振り向いてみると、なんてことはない。
彼は棒立ちのまま白目剥いて気絶していたのだった。
「先程見させてもらった所感だが、両者とも素晴らしい動きであったことは間違いない。明日の試合でも当然相性の問題こそあるだろうが、その力を発揮できれば言うことはないだろう。とはいえ、今日この前日に力を振り絞るのも良くはない。荒行は陽が落ちきる前に済ませ、ゆっくりと身体を休めると良い」
「は、はい! 全力で、休めさせていただきます!」
「うむ。まぁほどほどに力を抜いてな」
「はい!」
ナタリーがどうやって休むのかちょっと興味が湧いてくるような、全力の受け答えだった。
「悔いの残らぬ試合にせよ、とは言わん。見てくれの良い試合にせよともな? 最善とは、常に揺れ動く難しいものだ。君たち二人が“これならば闘えるだろう”と思ったもので、全力でぶつかってくるが良い。不格好でも構わん。若者のための試合なのだ。ただただ懸命に、闘ってくるが良い。それがきっと、将来君たちの糧になるだろう」
レドラル将軍の言葉は、大きく、厳かなものだった。
抽象的なものだ。こうしてこうしろ、といった指図は一切無い。勝てとも言わない。
偉い人のこういう言葉って大抵は背筋が変に固くなるものなのに、なんだか、肩が楽になるような。そんなありがたい激励だった。
「……っと、すまない。自分から友人のようにと言っておきながら、説教臭くなってしまったな? 歳のせいだ、許してくれ」
笑いどころの分からない、おそらく誘い笑いされてはいけない冗談をかまし、将軍さんは緩慢な動きで背を向けた。
「では、また会おう。暇な時であれば、私は貴賓館にいる。何か用があれば訪ねてきなさい。時間が取れるかどうかはその時によるが、一度大会について君たちの話を聞いてみたいからな。明日の試合、楽しみにしているよ」
そんなことを言い残し、レドラルさんは手を振り、歩き去って行ったのだった。
嵐というにはあまりに静かで、大きすぎる嵐である。
鉄国将軍レドラル=ハワード。育ちが良くて、そして人間が出来てそうな……そんな人だったな。
「……将軍様と話せた。……褒めてくれた……!」
で、隣のナタリーはそんな将軍さんとの出会いがよほど嬉しかったのか、なんかいつもは見れないような変な顔をしていた。
うっすらと涙まで浮かんでいるように見える。レドラル将軍が目の前に現れてからというもの、らしくないの連続だな。アンタ。
「オイ馬鹿、オイ! アタシたち褒められたぞ! オイッ!」
「いって! だからなんで蹴るんだよ!?」
「クソ野郎おまっ、こんなのッ! やべーじゃん! おい今日すげーよマジでッ!」
「笑うか蹴るかどっちかにしろよ! あ、笑うだけにして! 蹴るな!」




