鈎001 隠蔽する意識
日刊クレイモアのミネオマルタ支店では、過去に発行された記事の閲覧及び購入が可能である。
もちろん遡れる期間は限られているし、その場で購入できる数も多くはない。
中でも古く人気の記事などは、在庫がある各支店から割高で取り寄せなければならない。
多くの人々にとって、過去の新聞を通常の十倍以上の値で購入する者の気など知れないだろう。
それでも、買い手は存在する。
需要の内訳は不明だが、過去の新聞を求める変わり者は、一定数いるものなのだ。
「ふむ」
今まさにバックナンバーを漁っている猫背の彼、クライン=ユノボイドもその一人である。
「……フォートギアの新聞とはいえ、特に火国出身者を贔屓する記事はない、か」
彼は過去の新聞記事から、ある人物の情報を探ろうとしている最中だった。
その人物の名は、ベロウズ=ビスマロイド。
名前だけは最近聞きかじっていたが、昨晩でその存在感を際立たせた謎の学徒である。
在学はミネオマルタ。属性科六年の火専攻であるらしい。
本来ならそれなりに目立つはずの立場だ。しかし、闘技演習を通じて様々な魔道士の戦績を把握しているクラインであっても、このベロウズの情報だけは手持ちとして皆無であった。
強い魔道士であればナタリーやミスイのように嫌でも耳に入るものだし、弱ければ弱いでそこそこ記憶に残ってもいい。少なくともクラインは、今まで彼自身が戦ってきた魔道士の戦法や二つ名はほとんど完璧に覚えていた。
「無名ほど厄介なものはないな……」
そんな彼の記憶力をもってしても参照できないということは、ベロウズはほとんど闘技演習に立たなかった魔道士なのだろう。
無名の使い手。それは、決して珍しいものというわけではない。同じく二回戦を勝ち進んだ魔道士の中にはモヘニア=ムータニアスといった、これまで知られていなかった使い手の存在も散見される。クラインも未だ一年と少ししか在学していないのだ。さすがに学園内の全ての魔道士を把握するまでには至っていない。
だが、そうであってもである。
「……“激昂のイズヴェル”を倒すのは、異常だ」
“激昂のイズヴェル”。
属性科三年の中でも双璧と名高い、非常に優秀な火属性魔法の使い手である。
度々“冷徹のミスイ”と引き合いに出されるその実力は闘技演習場で何度も確認されているし、クラインも認めるほどのものだった。
クラインも一度、非公式でイズヴェルと戦い勝利したことはあるが、それも不意打ちに近い手で白星を掴んだようなもの。
正面から立ち向かってやり合っていたならば、また違った結果が待っていたかもしれない。少なくともクラインがそう考える程度には、強い火魔道士であった。
それが、負けた。
しかも同じ火属性使いであるという、ベロウズ=ビスマロイドに。
「そもそも、男なのか女なのか。ここまで載っていないのも珍しいな」
新聞にもない。噂も広まっていない。
交友関係が狭いためか、人柄を知る者も全くいない。
あらゆる噂に精通しているヒューゴでさえ首を横に振るのだから、ベロウズの無名っぷりは推して知るべしであろう。
「……ふん。まあ、構わない。直に観戦する機会だって、無いことも無いだろうからな」
クラインはバックナンバーの束を棚に戻しながら、やや不機嫌そうに鼻を慣らした。
火属性魔道士。それはクラインにとって相性の悪い相手であり、最も警戒すべきタイプである。
なので彼は万全を期すため、こうして新聞社にまで足を運んだのだが……残念なことに、それは徒労に終わったようである。
入り口付近では護衛のレティー=フランクスが薄目を開けたまま、壁を背にして船を漕いでいる。
資料を探し始めてから既に四十分は経っただろうか。無駄な作業による程々の疲労感も相まって、そろそろ朝食が欲しくなる頃合いだった。
「……」
が、クラインは最後にひとつだけ、ちょっとした所用を済ませることにした。
入り口で眠りかけている護衛を横目に、更に過去の記事を求め、別の棚へ。
「二ヶ月……三ヶ月……この辺りか」
日刊クレイモアが支店で保管する、ギリギリの範囲内であった。
これ以上古い記事は倉庫に移され、更に古くなれば裁断されるか再利用のために処分される。
クラインがその存在にこのタイミングで気付けたのは、ある意味で幸運だったのだろう。
「…………」
あった。ほとんど音もなく口の中で小さく呟き、クラインはその記事を手に取った。
やや古くなった新聞記事に映っているのは、山々を背景に右腕を掲げた、どこか雄々しい後ろ姿のロッカである。
顔は見えない。だが高めに結い上げた特徴的な茶髪と、男用の大きなオイルジャケットと、そして何より重々しい右腕を見れば、それがロッカ=ウィルコークスであることに疑いようはなかった。
「目当てのものは、見つかった……?」
「!」
声をかけたのは、入り口で小さく欠伸しているレティーであった。
訊いているわりに、視線はクラインに向けていない。作業自体には無関心なのだろう。質問も、ただなんとなく声に出しただけのものであったらしい。
深い意味はなかったようだ。クラインは人知れず安堵した。
「ああ、見つかった。代金を払ったら、店を出る。先に外へ行って待っていても良い」
「了解。外にいる」
埃っぽく、どこか眠気を誘う室内の空気が好きではなかったのか、レティーは素直に退出した。
その後姿を十分に見守ってから、クラインは再び記事に目をやる。
山間の風に揺れるジャケットの裾。
ポケットに突っ込んだ左手の、僅かに見える手首。
粗い焼き付け写真の中で意図せず強調された白っぽいうなじ。
「……ふん」
クラインは無意味に眼鏡を抑えた後、その古い記事を他の適当なバックナンバー二つの間に挟み、合わせて三つの古新聞を購入したのであった。




