槌005 加護する禊
壇上で向かい合っているクラインとガルハートは、互いに言葉を交わしているようだ。
これから始まる闘いを前に、果たしてどのようなやり取りをしているのだろう。
健闘を望む男同士の宣誓か、それとも挑発か……。
「いやー、監督席にジェーン将軍が来てくれたら良かったんだけどな。もちろんゾディアトス導師が不満ってわけじゃないんだが、ちと当てが外れた気分だぜ」
ロングソードを持った男、“切り込みのガルハート”は、観客席を見回している。
顔には余裕そうな笑顔。どうやら彼は、この大観衆の中でほとんど緊張していないらしい。
「その革鎧、迅雷騎士団の正規品か」
「お? よくわかるね。留学しに来たんだが、もう六年になるか。早いもんだ」
「ふむ。来年は騎士団に戻ると」
「おうよ。この大会は最後の花になるだろうなぁ。この国で身体強化が解禁された魔術大会なんて、そうそうあるもんじゃねえ」
ガルハートが剣を振り下ろし、切っ先を白壇に突き立てた。
剣は強化がなされていたのだろう。刃が十センチほどは突き刺さったように見える。
「そして、学園でも最も強いとまで噂されているお前……クライン=ユノボイドが相手ときた。知ってるぜ、あん時の騒ぎじゃ、何度か試合も見させてもらったしな」
彼は不敵な笑みを浮かべクラインに話しかけていたが、程なくして拡声魔具による放送が入った。
「“切り込みのガルハート”、試合前の壇上の破壊は禁じられています」
「うえっ? あっ、マジか。すんませーん!」
「二度目は失格となります。注意してください」
大声で叫んで謝ってら。
なんだか格好の付かないミスと放送に、会場が一気に弛緩した空気に包まれた。
本人も恥ずかしいのだろう。剣を抜き、照れを隠すように金髪を掻いている。
……壇上、試合前に壊しちゃ駄目なんだな。
なるほど、盲点だった。いつかやってたかもわからん。……流石にないかな?
「いや、馬鹿したわ。すまんね、クライン。壇上の修復まで、またもう少し待たなきゃならんようだ」
「気にするな。どうせすぐに決着するだろう」
「おお……良いねえ、その自信。聞いてた通りの男だ」
「事実だ」
「気に入った。他のやつはどうか知らんが、俺はそういうの嫌いじゃないぜ」
「ふっ」
やがて二人が所定の距離を開け、位置につく。
剣で穿たれた場所は既に修復されており、今にも試合が始まりそうな雰囲気となった。
「迅雷騎士団魔道吶喊分隊長、ガルハート=レンドベック。いざ尋常に、勝負!」
ガルハートが剣を正眼に構え、青い目を鋭く細める。
「貴重な騎士団員との手合わせだが、あの悪魔の前だ。全力で叩き潰させてもらおう」
クラインが両手を広げ、一対の指輪を光らせる。
両者の臨戦態勢に、自然と会場が息を呑んだ。
示し合わせたかのような静寂が訪れ、そして……。
「試合、開始!」
宣言の声と、太鼓の音が響き渡った。
「突撃ィッ!」
先に動いたのはガルハートだ。
小細工も準備もない。明らかに身体強化を込めているであろう初速をもって、一気に距離を詰めてきた。
魔術を使うような様子もない。どう見ても斬りかかりに来た騎士のそれに、会場が沸き立つ。
「だろうな」
が、クラインもぼうっと突っ立っているだけではない。彼もまたほぼ同時に後方に大きく跳躍しており、その身体は一メートルは浮き上がっていた。
掲げた手には光り輝く銀色の指輪。そこに油断なく最善の魔術が秘められていることを、私は知っている。
「“イアノ・ウルク・ラグネルク”」
「うおっ……! さすがにこれは!」
クラインの手から床へと放たれたのは、小さな火球。
しかしただの火球ではない。それは床に衝突すると同時に莫大な炎となって、フィールドの中央を燃え盛る炎で包み込んでしまった。
炎は身の丈程もある強烈なものだ。身体強化があるとはいえ危険を感じたのだろう。ガルハートは急停止し、炎を迂回するような動きで再び距離を詰めてゆく。
「それは悪手だが」
「ッ!」
地に足が着かぬ間に、クラインは鉄魔術を投擲する。
視認性の悪い薄い刃は人の足よりも速く宙を駆け、炎を貫きガルハートを襲った。
「流石だなッ、対応がはええぜッ」
前の試合だったら相手は死に物狂いで転がってでも避けただろう。
だが、この男はそれを避けなかった。
ロングソードの鋭い二振りによって、見事に鉄魔術を撃ち払ってみせたのである。
二枚の曲刃を危なげなく剣で払いのけるその魔道士らしからぬ技術に、会場からも驚きに似た歓声が上がった。
「“イアノ・ウルク・ラグネルク”」
「……着地までの時間稼ぎってわけか。手堅い」
が、クラインにも隙はない。僅かな攻防の間に、一つだけだった炎の海が二つに増えてしまった。
火炎の壁は繋がり、両者を隔てる一方的な境界線となる。クラインにだけ有利な、魔道士の縄張りだ。
「突っ込まないのは懸命だな。強化を纏って強行してもらえれば、時間は短縮できたが」
「ざけんな……強化が剥がされたらそれこそ詰みだぜ」
炎から慎重に一歩退き、ガルハートが剣を掲げた。
大上段に構えたロングソード。剣士であれば実直な一撃必殺の構えだが、同時に杖でもあるならば、それは縦振りの予備動作でもある。
しかしクラインは、それを冷静な目で観察しているようだった。
「“ガロ・ヴェルダ”。それは地を這う雷撃の独性術だ。床環境はお前にとって……」
「“クォート”」
剣が魔光を発した。
青白い、清浄な輝きだった。しかし剣は振られていない。真上に掲げたまま……。
「……そうか。騎士団なら当然か」
剣先から溢れ出たのは、水だった。瓶をひっくり返したような、大量の水だ。
それが生成されると同時にガルハートへ落ち……彼をびしょびしょに濡らしたのである。
「本来は剣についた血や脂を落とす術らしいんだがな。大抵、洗い物に使われてる。鍋や、鎧とかな」
一瞬、私は彼が何をしたのかわからなかった。が、すぐに理由に思い至る。
水をかぶる時。それは、人が意を決して火の中に飛び込む時であることに。
「便利な術だ。覚えてて良かった」
顎から雫を滴らせながら、ガルハートが腰を落とし、剣を構えた。
口の端は愉しげに釣り上がり、目はギラギラと輝いている。
遠目にもわかる。戦士の目だった。
あるいは、狩人の目か。
「……面白い。潰し甲斐がある」
「騎士団舐めんなよ、クソガキ」
ガルハートが狼のように、勢い良く駆け出した。
今度は炎に向かって、真正面へと。
火の床環境は、撒いたフゲン油に着火したかのような、勢い良く燃える火炎が特徴的だ。
術の種類などにもよるが、大抵の火属性環境は腰辺りの高さを越えて保持される。クラインが放った炎も、両者の胸辺りの高さまで迫っていた。
しかし、ガルハートはそれに怯えた様子もない。火属性を効率よく相殺する魔術の水を被り、身体強化による保護を上乗せした彼にとって、炎の壁など脅威ではなかったのである。
「あっちぃなオイ!」
燃え盛る炎に突っ込んで踏み越えてゆくその姿に、会場がワッと沸き立つ。
炎の海は幅も広いが、駆け出す足に恐れはない。
「“イアノス・ウル・テルズ”」
「うおっ!? あぶねッ」
「“エイグ・ラギレルテル”」
「うッ……!」
が、クラインもクラインで、近づいてくる相手に一切尻込みしない。
大きな火球を二発同時に射出した上に、隙らしい隙も見せること無く、続けて火炎の大蛇を放ってみせた。
炎の蛇……いや、竜は、空中で大きく弧を描きながらガルハートへ接近し、彼の手前に着弾する。
直撃はしなかった。しかし、長大な火竜は地で弾けると同時に進行方向へとなだれ込み、ガルハートに火炎を叩きつけてゆく。
ガルハートはまだ転移していない。だが、その身体は既に勢いの強い炎の中だ。あのままもたついていれば、数秒後には強化も虚しく敗北するに違いない。
どれだけ気術を修めようと、あれはマズすぎる。
「ふうッ……! “クォート”ッ!」
やはり彼も身の危険を察したか、クラインから距離を取る形で火の海を脱した。
それとほぼ同時に剣を掲げ、水魔術を発動する。既に彼の全身からは、身を守る水がカラカラに乾いて消えていたのである。
「“スティ・リオ・カトレット”」
だが、それは下準備でしかない。クラインから攻撃を許す、大きな隙でもあった。
「チッ……! うおらァッ!」
三枚の刃が襲いかかるも、ガルハートはそれらをまとめて剣で叩き折ってみせた。簡単そうにやったが、間違いなく神業だろう。
剣先からは微量の水が滴り、散ったように見える。中途半端に発動していた水魔術が剣から放たれたのだろう。彼は本来浴びるはずだった魔術を捨てて、身体強化による防御を取ったのだ。
「“イアノス・ウル・テルズ”」
「“クォ”、危ねッ!?」
クラインの攻撃は止むことがない。彼は再び水を浴びようと構えたガルハートが剣を掲げる最中に、既に次の魔術を発動していた。
二つの大火球のうち一個はガルハートのいた場所に着弾、もう一つは緩慢なアーチを描きながら時間差を作るように迫っている。
もはやこうなると、ガルハートの防戦一方だ。軽めの鉄魔術はどうにか剣で叩き壊せても、火の塊を迎え撃つことはできないのだから。
クラインが火を飛ばし、ガルハートが転げるようにそれを避ける。
ガルハートはどうにか隙を見て“クォート”による水を浴び、火の環境を突破する備えを作りたいのだろう。
しかしクラインはガルハートに魔術を使わせないよう、執拗なまでに火の魔術を連射している。
このままでは埒が明かない。ガルハートはそう思ったのだろう。
「ならッ……!」
だから、彼はそれまで以上により大きく、撤退と呼べるほどに大きく距離を取った。
一歩や二歩ではない。十メートル二十メートルといった、より戦術的な後退である。
一見すると、勿体無い動きに感じる。接近戦が主力であろう魔道士が、遠距離戦主体の魔道士を相手に自ら退くのだ。それは見た目にも悪手であるように見えた。
「“クォート”……!」
だが、単純な距離さえあれば投擲の回避や防御は可能になる。
相手の魔術がこちらに届くまでに、簡単な術を妨害されること無く使えるのだ。
ガルハートは一時的な不利よりも、後々のために突破力の底上げを選択したのである。
「“イアノス・ウル・テルズ”」
一方のクラインは、二つの大火球を上向きに射出。
大きなアーチを描くような、時間差をつけた遠距離攻撃だ。
「おっと、当てに来たか!? そいつは間違いだぜ!」
上向きに放たれた火球を見て、ガルハートはその火球らが前方には落ちない事を予測したのだろう。
それまでの防戦一方だった自分を振り切るように、一気に前へと飛び出してゆく。
会場がどよめいた。
私も、隣のソーニャも、他の皆も、驚きの声をあげていた。
「!?」
会場全体が驚愕する中、その変化に気付けなかったのは戦場にいたガルハートだけだった。
もしも彼がもう少しでも火球に注意を向けていれば、気付くのも早かったかもしれないが……。
「上、か――!?」
「“イグズ・ガラ・ガンダル”」
上向きに放った火球に隠れるように跳躍していたクラインから、眩い雷撃が放たれる。
接近を試みていたガルハートに、前方へ跳躍したクライン。両者の距離は一瞬のうちに肉薄しており、そしてクラインが用いた魔術は近距離向けの大規模雷魔術であった。
「ぐぁああッ!」
空中から振り下ろされるクラインの拳。
それは大樹のような雷撃の束を地上へと齎し、降り注いだ鉄槌はガルハートを呑み込んで、床さえも大きく破壊する。
当然、ガルハートが耐えられるはずもない。
雷が降り注いだ跡に降り立ったのは、澄まし顔のクラインだけであった。
「勝者、“名誉司書クライン”!」
……派手な決着だった。
派手で、同時に瞬きもできないような闘いだった。
観客席からは今日一番の拍手が巻き起こり、クラインへと注がれる。
当然、私もその中の一人だった。席を立っての惜しみない喝采である。正直、今の試合は本当に凄いと思ったから。
「……ふん」
クラインは私達の方を見て、多分その時、鼻を鳴らしたかもしれなかった。




