鑿009 知ったかぶる箱入り
昨日のナタリーとの訓練は数時間にも及び、私がぶっ倒れる寸前まで続いた。
そこで脚やら精神力やらに大きな負荷がかかったのは当然なのだが、新たに発見したことや、掴んだ感覚は多かったように思える。
総じて振り返れば、辛かったけどそれだけの価値がある特訓だったと言えるだろう。
まず、単純に“スティ・ドット”の操作が上達した。
壁にそれなりの厚みを持たせることにも少し慣れたし、急にはまだちょっと難しいかもしれないけど、大雑把になら壁の角度を調整できるようにもなった。
今はまだ、時々角度をつけすぎて頭にぶつかりそうな生え方をすることもあるけど……きっと何度も繰り返していけば、それなりのものに仕上がるだろう。
そして本来の目的、水魔術や火魔術に耐えるだけの厚みをもつ壁を、集中すればひとまずは実践できるようになった。
厚みはアブロームの直径と同じくらいだろう。ナタリーが撃ちだす炎や水の塊を、なんとか倒れないように防いでみせたのである。
……その折に、ナタリーに“鉄以外も使えたんだな”って言ってやったら、結構本気の力を込めて蹴ってきやがった。
咄嗟に身体強化してたからどうにかなったけど、私じゃなかったら酷い怪我してたかもしれない。
どうせやるなら、訓練中なんだし魔術でやってきてほしいものだ。
次に、アンドルギンだけど……やはりというか、このメイスは高級なだけあって、非常に魔術の通りが良いらしい。
術自体の威力が大きく変化することはないんだけど、術の理学式の保持が、鑽鏨のタクトやデムピックでやる時よりも僅かに楽になった……といえば良いのか、猶予が長くなってくれた……のだろうか。
私の感覚的なものなので説明は難しいが、つまり、使い勝手が良かったのである。
アンドルギンの欠点といえば……やっぱり、重いってことかな。
まぁ、こればかりはどうしようもない。なんたってツルハシだから……。
細かな取り回しには難があるけれど、幸い長年使い慣れた形状だ。その分、持ち運びや動作に関してはカバーできているので、私としては使いやすさは半々で丁度良いといったところだろう。魔術の使用感を加味すれば全然優良な杖だと言える。……ちょっと強引かもしれないが。
そんな昨日の特訓もあって、まぁ体はボロボロだ。表立った傷こそないものの、オイルジャケットの表面には取り損ねた砂汚れが目立っている。昨日は疲れて帰ったから、ほとんど手入れができなかったのだ。
今日の夜にでも、擦ってこそぎ落として、再びメルゲコ石鹸を刷り込まなくてはいけないだろう。
石鹸の心配は全く必要ない。なんたって、寮の部屋に戻れば何個もあるのだから。自由にメルゲコ石鹸を使えると、何だか気分が良いものである。
「うぇーい! ライカン、リンゴぱーす!」
『おっと!? こらボウマ、投げるんじゃない!』
朝の講義室。段々と賑やかになりつつあるいつもの場所で、私はジャケットの袖の匂いを確認しながら、今日の予定を頭の中でぼんやりと組み立てるのであった。
が、そんな脳天気も、入室した一人の姿を見て一瞬で吹き飛んでしまう。
「おはよー」
ソーニャだ。
ソーニャが眠そうな顔して講義室に入ってきた。
昨日、ヒューゴと一緒になんか……すげー都会っぽい店に入ってたあのソーニャが来た!
「オハヨ」
「……? ロッカ、なによその顔。あと声。なんか機人っぽいんだけど」
ソーニャは何かが始まる前からボロを出した私の様子を見て、怪訝そうというよりは可笑しそうに笑った。
……いつも通りの笑顔である。そこに、昨日なにか……何かあれだ。アレ。
すごいことがあったような雰囲気は感じられない。
……いや、慣れているから平然としていられるのか?
もしかして、ソーニャとヒューゴって……結構前からああいう感じだったのだろうか?
結構前から平然とあんな感じだったのか? あれ? ソーニャって確かあまりヒューゴと話ししてなかったんじゃ……? ん? なんだこれ。よくわからないぞ。
「ああ、また勉強のしすぎで変になっちゃったのね、ロッカ。あんまり無理しないで、自分にあったペースで進めたほうが良いわよ」
「お、あ、うん」
あれ? なんで私が心配されてるんだろう。
いや待て、そうじゃない。ソーニャとヒューゴだ。二人は実際のところどうなんだ。今みたいな素知らぬ感じで今までひっそりとやってきたのか。
人知れず何度も会って、食事して、一緒に遊んだり……あと何だ。買い物とかするんだろうな。そして……キスか。キスするんだな? してたのか。してたんだろうな。
だとしたら見事だなソーニャ、そしてヒューゴ。
今まで私は全然気づかなかったよ。二人はもうとっくにあれだな。なんていうか……結婚? するつもりだったんだな。
ソーニャとヒューゴか……ヒューゴかぁ……時間にだらしない奴だからな。そんな奴にソーニャ……うーん。
今のところ稼ぎもなく、時間にだらしない男にソーニャをやるのはちょっと……いや、かなり不安があるな……。
いや、それもこれもソーニャが決めることだ。私はどうこう言える立場ではないだろう。父さんも言っていた。恋とか愛っていうのはそういうものなのだ。
「ソーニャ」
「ん?」
「私、ソーニャのこと応援してるから」
私が拳をグッと握って激励を送ると、ソーニャは特に言葉を返すことはなく、ただどこか残念なものを見るような目で私を眺めていた。
「みんなおはよー、いやー間に合った間に合った」
「おせぇぞヒューゴ! あ、リンゴあげる!」
『やめておけヒューゴ、それは今朝ボウマが一YENで買った痛み物だぞ』
なんてことをしている間に、講義開始のギリギリ前にようやくヒューゴもやってきた。
ヒューゴも来たぞ。ソーニャ、ヒューゴもなんか平然とした顔でやってきたぞ。おい。
なんて言おうとする頃には、既にソーニャは机に突っ伏していた。
どうやら眠いらしい。ついでに頭も抑えているようだったので、もしかするとあまり体調が良くないのかもしれない。
……そうか、まあ色々あるのだろう。私の知らない所で、色々とあったんだろう。
私はなんとなく腕を組んでウンウンと頷き、黙って見守ることもまた一つの友情なんだろうな、みたいな事を考えるのだった。
講義の時間になると、少し過ぎたくらいにようやく導師さんが入ってきた。
「皆さん、おはようございます」
しかし、それは私達がいつも慣れ親しんでいるマコ導師ではない。
導師は導師でも、クリーム准導師。クラインのお姉さんが教壇に立っていたのだった。
「干満街に帰れ」
「クライン=ユノボイド君。お姉さまに向かってそのような口の利き方は無いでしょう?」
やはりと言うべきか当然と言うべきか、真っ先に反応……反発したのはクラインである。
他の私達は、ぽかんとしている。当然だ。なんでマコ導師じゃなくてクリームさんがここにいるのだろう。
『すみません、マコ先生は何処に?』
「ああ、彼女……じゃなくて、彼でしたね。セドミスト導師でしたら、今は学園外に出られています。十五日のセイラの祝祭に備えて、出し物の準備をされているのでしょう」
セイラの祝祭か。
今は誰が信仰してるんだかよくわからないが、月とかそこらへんの神様だったはずだ。マコ導師はその日から忙しいらしい。
そして祝祭の五日後は、マルタ杯の開催日になっている。……おお、着実に本番の日が近づきつつあるな。なんだか無意味に緊張してきたぞ。
「それで、何故お前がここにいる」
「“お前”呼ばわりは感心しないわね。レディとの正しい付き合い方は、そろそろ学んでおいた方が良いわよ?」
クラインとクリームさんの間に早くも火花が散っている。
この二人は顔を合わせるといつもこうだ。どうか私達の講義室で闘技演習を行うのだけはやめていただきたい。
「私は臨時の代理です。とは言っても、特異科の皆さんの講義を受け持つわけではありません。今日の講義は、他の学科の皆さんと一緒に受けていただきます。今から全員で移動するので、私についてきてくださいね」
クリームさんは上品な仕草で頭を下げ、薄く微笑んだ。
流石は旧貴族のお嬢様である。笑い方から腰の曲げ方まで、なんというか全てが洗練されているような気がしてならない。
何より背筋が良い。クラインはもうちょっとだけでもいいから、クリームさんのようなピンと真っ直ぐに伸ばした背筋をお手本にするべきだと思う。
「うげぇー、ゴードー講義ってやつかぁ。他の先生だとサボれないこと多くてやなんだよにぇ」
「まぁまぁ、そう言うなよ、ボウマ。マコ先生とは違った専門的な講義が聞けるわけだし、いつか必ず僕らのためにはなるぜ?」
『うむ……ま、確かにそうだな。とはいえ……実を言うと、俺もボウマと同じであまり、専門的な講義は乗り気ではないのだが……』
「ライカン、聞いた話によると博識な男は女性に好かれやすいんだってさ」
『いや、だが俺も学徒の端くれだ。物怖じせず新たな分野に飛び入ってみる事も鍛錬の一環とも言えるだろうな』
講義室の皆の反応は様々だ。
行きたい人もいれば行きたくない人もいる。大雑把に見て、合同講義に行きたくない人の方が多いようである。
まぁ、難しすぎて理解できない講義を聞くのも……言っちゃ悪いけど無意味だしな。普段から真面目に勉強している人でも、あまり乗り気でないのはよくわかる。
私も正直、他の学科の講義を受けて理解できるとは思えないし……。
「……ん?」
属性科になるのか、それとも理式科になるのか。そんなことを考えていると、私は講義室のすぐ外、入り口の窓の所に人影が潜んでいるのを見つけた。
人影は立っているようだが、ドアを背にしたまま動いていないように見える。
「あの、クリームさん。外に誰か……」
「あー、そうだわ、すっかり忘れてました。……レティーさん、中へ」
クリームさんが思い出したように慌てて声をかけると、廊下に居た人影は粛々と講義室へと入ってきた。
紺髪の女だ。
歳は私と同じか……ちょっとだけ若いくらいだろうか。
髪は私のように高い位置で結い上げられているが、長さはそれほどでもない。
目つきは凛々しく、冷めている感じがどことなくクラインっぽいようにも見える。
上半身をすっぽりと覆う外套を羽織っているので、それだけを見ると魔導師さんのようである。
しかし、くすんだ色のブーツのつま先と踵には年季の入った金属板が鋲で打ち付けられており、それは水の国に似合わない、上品さに欠ける代物であることがなんとなくわかった。
その女が、クリームさんの横に立ったまま表情を変えず、一言も発さないままに私達を眺めている。
……何を考えているのかよくわからない目つきだ。
「あー……レティーさん、自己紹介を」
「レティー。絢華団の傭兵として、護衛任務に就くことになる。よろしく」
促されて出てきたのは、ほとんど抑揚のない無機質な声だった。
あまりにも淡々とした喋り方に、言葉の内容が耳から耳へと通り抜けてしまいそうになる。
……絢華団の傭兵? 護衛任務? なんのこっちゃ。
私以外にも、疑問に思った人は多いのだろう。講義室内は、首を傾げたり辺りを見回している人が多かった。
「レティー? レティー=フランクス?」
そんな中で具体的な疑問の声を上げたのは、私の前で突っ伏していたソーニャであった。
ていうかソーニャ、起きてたのか。いつ起きたんだ。
「そう。……私と会ったことある?」
「いえ……無いわ。一方的に知ってるだけ」
ソーニャが知っているけれど、向こうはソーニャの事を知らないらしい。
……どんな関係なんだろうか。
「えー、彼女は理総校の全属性術士、ゾディアトス導師からの依頼を受けてやってきた、絢華団に所属する傭兵です。彼女はこの特異科の護衛を担当することになっています。しばらくの間、たまに彼女の姿を見ることになるかもしれませんが、気にせず講義に集中されると良いでしょう」
ゾディアトス導師。あのリゲル導師が?
特異科の護衛だって?
「ふん……」
クラインはどこかつまらなさそうに鼻を鳴らし、本を広げてしまった。
何かクリームさんの今の言葉に、感じ取ったものがあったのかもしれない。
『護衛とはまた、穏やかでない。一体その、レティー=フランクスさんは、何から我々を守ろうというのですかな』
「ていうか、前の事件もあったし、あたしたちにとって一番怖いのって傭兵だじぇ」
「こらボウマ、思ってても言わない」
皆の言う通りだ。学園でもほとんど守られる意義の薄い私達が、一体何から狙われるというのだろうか。
それに、どうしてわざわざ護衛を傭兵に頼むのだろう。絢華団が信頼できないってことは全然ないんだけど、前のカナルオルムの一件もある。そう易々と傭兵さんを内側へ引き入れるのはどうなのだろう。
「護衛をつける理由は後々わかるでしょうが、念には念をということです。もしこの中に将来、我々人類にとって貴重な魔術を体得できる者がいたとしたら……その者を手厚く保護したいと思うのは当然のことでしょう?」
貴重な魔術……光魔術。ああ、クラインのことか。
つまりこのレティー=フランクスは、ほとんどクライン専属の護衛さんってことなのか。
「そして、彼女の信頼ですが……それは他ならぬリゲルさんが保証しています。他にも理総校の導師一同、絢華団の現団長ケンカさんからの推薦も預かっています。腕前もA級です、ご安心ください」
……なんかよくわからないけど、凄い信頼されてるのはよくわかった。
凄腕の傭兵か……私もこれからの勉強の仕方によっては、傭兵として魔道士をやっていくのも有りなんだよな。凄腕の傭兵魔道士……ちょっと言われてみたいかもしれない。
「短い間だけど、あなた達の後ろは私が守る。だから気にしないで、普段通りやっていればいい」
用心棒のレティーは平坦な声でそう言うと、ツカツカと金属の踵を鳴らしながら、講義室の一番後ろまでやってきた。
何をするんだろう、と思って振り向いてみたが、彼女は別にどうともしないようで、外套の中で腕組をしたまま壁に寄りかかっている。
……後ろを守るっていうのは、つまりああいうことらしい。気にしないでとはついさっき言われたけれど、ずっと見られているみたいでちょっと嫌かもしれない。
「……まぁ、そういうことです。順序がちょっと逆になってしまいましたが、これから講義室を移動します。さ、皆さん立ってください。行きますよ。杖などの忘れ物はありませんね?」
そんなこんなで、私達はゾロゾロとクリームさんの後を追って歩くことになった。
いつもと違う、おそらくは厳し目の講義をするであろう導師さんと、背後からの護衛の視線。
なんとも、落ち着かない講義になりそうである。
大して多くもない特異科学徒が全員集まり、二列になって校内を歩いてゆく。
当然ながら、並びは親しいもの同士が近くなる。私の隣にはソーニャがいた。
「次ってどこでやるのかな」
「うーん、どこかしらねぇ……ま、私は近い講義室だったらどこでもいいわ」
「横着だなー……まぁ、私としても近いほうがいいかな」
第三棟へと続く連絡橋を渡りながら、他愛無い言葉を交わす。
この時点で既に、私達の講義室に戻るのは面倒なのだが……こうなるともう、今日はあそこに戻る必要もないだろう。二限目に戻るなんてことにならなければいいのだが、そこらへんのみみっちい運は私たちに味方してくれるだろうか。
「ところでロッカ……一つ貴女に言っておきたいことがあるんだけど」
「ん? 何? ……あ」
まさか……私にヒューゴのことを打ち明け……。
「そういうんじゃないからってことを言いたいの。やめてちょうだい、その顔」
「……私まだ何も言ってないんだけど」
「言わなくてもなんとなくわかるわよ……ロッカ、それ多分あなたの勘違いだからね?」
「え……じゃあソーニャ、別にヒューゴとお付き合いしてるってわけじゃないの?」
私が声を潜めて確認すると、ソーニャは顔を抑えて天井を仰いだ。
「あーもう……あのね……どこからそういう答えに行き着いたのよ? ……ああ、もしかして昨日、私とヒューゴを見たの?」
「うん。なんか、すごい店に入った所を……」
「あれはね……なんでもないわ。友人として、ちょっと話し合っておきたいことがあっただけよ」
「そうなのか……」
なんだ。ソーニャとヒューゴは別に恋仲ではなかったのか。
それはそれで、ソーニャの為を思えば納得できることだから良いんだけど……なんとなく、がっかりな感じだなぁ。
「なんで残念そうな顔するのよロッカ……」
「いやー、なんだかなー」
「あなたねー」
そんな感じで私達は講義が始まっているにも関わらず、わりと賑やかに歩いてゆくのであった。
「何故こうも立て続けにくるんです? 例年と随分違うじゃありませんか……」
「我々も急なことだったのだ……慣れないことはこちらも同じ。中央も調整に難儀していてな……」
私達の歩みが止まったのは、中央棟四階の廊下であった。
とはいっても、そこに目的地があったからというわけではない。単純に、私達の歩く先に慌ただしい人だかりが邪魔しているのが原因のようである。
「あれ、学園長さんだ」
『む、本当だ。ザイキの執政官もいるようだな』
ちょっと背伸びして見てみると、どうやら廊下で話し込んでいたのは何人かの導師さんと、学園長のバラン=ペルラビッツ。そして、この街の中央執政官である何人かのザイキであった。
「あれは、一体何事だ」
「……さあ。随分と騒がしいわね」
クラインの言葉に、クリームさんも首をひねっている。
どうやらあの騒ぎは、かなり突発的なものであるようだ。
「すみません、皆様」
「ん……おや、これはクリーム准導師。後ろは……特異科の。ああ、講義室の移動でしょうか?」
「ええ。第四棟まで移動中ですわ。……しかし、この騒ぎは一体?」
クリームさんが学園長に訊ねると、学園長は困ったような笑みを浮かべて、咄嗟の答えに困窮する。
「……色々と、困った報告が矢継ぎ早に来ていましてね。対応に苦慮しているのです」
「その困った報告とは?」
「うむ、ここで言っても良いものか……」
「学園長殿、現時点ではそれ以上はやめてもらいましょう」
学園長はどうにか適切な形で説明を試みようとしたのかもしれないが、それは執政官のザイキによって遮られた。
低い背丈、肌色の表皮、大きく出た腹、そして幅広の頭部に、横一文字に避けた口。
ザイキの姿は相変わらず這竜のようである。これで私よりもずっと賢いというのだから、やはり魔族というものはよくわからない。
「そちらは、臨時導師のクリーム殿だな」
「ええ」
「申し訳ないが、我々も処理に追われている。説明は機会があれば後ほどにしていただきたい。とはいえ、勝手にそちらの耳に入るかもしれないが」
「……一時的とはいえ、学徒の命を預かる身としては気になりますが……そういうことでしたら」
「すまんな。ああ、道を邪魔していたか。申し訳ない、通ってくれ」
結局、学園長達が廊下で何を話していたのかは聞けぬまま、素通りすることになった。
役人さんや学園長が集まってするような、急ぎの話か……学園、本当に大丈夫なのだろうか。
「ねえ、クライン」
「なんだ」
「さっきのあれ、なんだかわかる」
「オレが知るはずないだろう。何故オレに聞く」
「そりゃそうか……ごめん、なんかクラインなら知ってそうだったから」
「オレは便利屋ではない」
……まぁそうだけど、お前結構学園で便利屋みたいなことしてたよな。
「なんだったのかしらね。私もわからないわ」
「うーん……物騒な事じゃなければいいんだけどね」
「ホントよね。それだけを祈っているわ」
それにしても……さっきクリームさんは、第四棟って言ってたか。
第五棟のほぼ真逆である。近い所だったら良いなと話していたのに、まさかの一番遠い場所になってしまった。
……こうなったら、せめて講義はわかりやすく、楽しいものでありますように……。
「さ、到着よ。今日の講義はここ、魔具科の工作実験室で行われます」
私達がたどり着いたのは、第四棟一階の大きな部屋の真ん前だった。
学科は魔具科。魔道具を専門に研究したり作ったりしている学科である。ここはその魔具科の、大きな制作室のようなものらしい。
「合同講義になりますので、他の学科の方の迷惑にならないよう、質問の時以外は静かにしているように。くれぐれも、講義の進度が遅いからといって小声で批難することなどはないように。わかりましたか?」
最後の一言は絶対にクライン個人に向けたものだろうなと思いつつも、私達は声を揃えて“はい”と答えた。
あのボウマでさえ茶化したりふざけたりしていない辺り、このクリームさんに対する“ちょっと危ない人”という認識はすっかり定着しているようだ。ちなみに私もそう思っている。
「失礼します」
クリームさんがノックして、工作実験室へと入ってゆく。私達もそれに続き、続々と室内へと踏み入った。
「おお、なんだか雰囲気違うなぁ……」
「あたし、はじめてはいったじぇ」
『ほー』
中は天井が食堂と同じくらいに高めで、広い。
講義室のように机や椅子がズラーッと並んでいるというわけではなく、作業用らしい広めのテーブルがある程度開けて配置されているような、ゆとりのある内装だ。
既に工作実験室には私達特異科の何倍もの人数の学徒達がおり、何やら工具を用いた作業をしているようだった。
テーブルに横たわっているものは、金属プレート製のゴーレム。学徒達はそのゴーレムの調整を行っているらしい。
見れば、その中には私の見知った顔もある。
その人は私と同時に相手の存在に気付いたようで、作業を中断して革手袋をつけたままこちらに歩いてきた。
「ロッカさんじゃありませんか。ああ、そういえば特異科の方々と合同でしたっけ」
「お久しぶりです。……あの、前のゴーレムのこと、すいません」
「あはは、もうその時のことは良いって」
魔具科五年。彼の名前は、そう確か……イツェンさんである。
私が殴り飛ばしてしまったゴーレムの持ち主、イツェン。あんなことがあったのだ。当然、私にとっては忘れられるものではない。
「そして、クライン君。久しぶりに会えて嬉しいよ。ドライアの件は助かったよ、どうも」
「気にしないでくれ。オレもゴーレムには興味があった」
そして今度は、クラインと握手。こういう時のクラインは何故かニヤァとした笑みを浮かべ、いつもより楽しそうに見える。
あいつは自分の趣味というか、口が出せることになると、気分が良くなるタイプなのかもしれない。
「臨時導師のクリームです。合同講義のお話は通っていますよね?」
「ええ、よく来てくれました。今はセドミスト導師も一番忙しい時期ですからね、貴女のような方が手伝ってくださると本当にありがたい」
「いえいえ。双璧とはいえ、同じ魔の道を志す者。後進を導くのもまた、理学のためですわ」
「おお、なんと殊勝な……おーい諸君! 特異科の皆様が来てくださいましたぞ! 一度皆で挨拶を行います! 一旦作業を止め、着席なさい!」
こうして、今日の講義が始まった。
……いきなりでなんだけど、やっぱり今日の講義は、あまり大会には活かせそうにないみたいだな。ちょっと残念である。




