嘴010 立ち上がる振動子
私は遅刻した。
遅刻に深い意味は無い。本当にただ単純に、寝坊しただけなのだ。
もちろん、寝不足の原因は私の魔術と無関係ではない。
私は魔術投擲ができない。それも努力でどうこうできるものではなく、才能というか、体質の段階で無理なのだということまで言われてしまったのだ。
当然、ショックだったし悲しくもあった。今だってそれは変わらない。
私が今日寝不足なのは、そこから逃避するために飲んだいくつもの酒が原因だ。嫌な事があれば酒を飲むのはいつものことだが、昨日ばかりは量が違った。
朝早くからすべきことがあるっていうのに、酔い潰れて遅刻なんて……魔道士失格ばかりか、大人としても失格だ。むしろ私の落ち込みようでいえば、今はこっちの方がデカいかもわからん。
……正直、魔術投擲が出来ないと言われたのは……あまり辛くはなかったりする。
もちろん残念には思う。悔しいなって思わないでもない。けど、私は“魔術投擲ができない”と言われた時、ほんの少し……と言い切れないくらいの大きさの、安心を感じたりもしていたのだ。
それまでずっと頑張り続けていたことが、確かに“無意味”ではあったんだけど……“非効率”ではなかったから、なのかな。
これ以上頑張らなくても良い。見えない場所に向かって走らなくても良い。“お前には才能がなかったんだ”。そう直接言われたようなものだとはわかってるけど、この諦めは、どん詰まりの最中にあった私に、確かな癒やしを与えてもくれたのだ。
これって、後ろ向きだろうか。不真面目な考え方だろうか。
……他人から色々言われるかもしれないけど、でも私自身は、ちょっと気持ちが楽になった。
その点で言えば、前に進めて良かったな、とも思うのだ。
「いやぁ、やっちまったよ」
「珍しいなぁー、ロッカが遅刻なんて」
「油断した。いや、それだけ気が緩むようなこともあったんだけどね……不覚だよ」
「お酒飲んだのはわかるけど……一体そんなになるまで、どこで飲んできたのよ?」
一限目終了後の休み時間、私は跳ねた自分の髪の毛を撫でつけながら、皆の質問に答えていた。
ぼさぼさ髪とはだけた格好で講義室に飛び込んできたのだ。その理由を問いただしたくなるのは当然の心理というものだろう。
「おいロッカぁ、髪の毛結んじゃるじぇ」
「やめとけ。ちゃんとできてるから」
『いや、いつもより少し横にずれてる気もするが』
「うそっ」
おかしいな、ちゃんと髪だけは急拵えで直したはずなのに……!
「ああもう、ロッカ。私がやってあげるから、慌てないで」
「あ、うん。ありがとうソーニャ」
私が慌てて直そうとしたところ、その役目をソーニャが買って出てくれた。
ソーニャがやると自分でやるよりも痛くないし綺麗にできるので、結構ありがたい。
「……あー、えっとね。飲んだのは……まぁ、むしゃくしゃして、っていうか」
「ロッカのムシャクシャなんて色々ありそうだけど」
ヒューゴ、私はそんなに短気っぽく見えるか。
「……あれだ。昨日、ちょっとマコ先生に頼んで、魔術投擲ができないから助けて欲しいな……って言ったんだけどさ」
「うん、それで?」
「そしたら……なんか、沢山の導師さんが私の楯衝紋とか、魔術を使ってる所を見て検証してくれてさ……」
「あー、まぁマコ先生だものね。人も集まるわよねぇ」
『ほう?』
どうやら、マコ先生の呼びかけによって大勢の導師さんが協力してくれるというのは、あまり不自然なことでも、おかしいことでもないらしい。
……いや、それ本当に大丈夫なのか。この学園の男性導師さん達。
「あー……で、それで結構詳しく調べてくれたんだけどさ」
『うむうむ』
「なんか……ていうか、……うん、結果的に……魔術投擲ができないって言われてさ」
そう言った途端、先程までマコ導師の話題で盛り上がっていた空気が静まり返る。
ヒューゴがどこか難しそうな顔になり、ボウマは口元が一文字に結ばれ、ライカンは……顔を見てもよくわからない。
「……それで、自棄酒しちゃったのね」
私の後ろからは、ソーニャの沈んだ声が聞こえてくる。
これは主に私が落ち込む話題なんだけど……皆の様子からして、結構共感してくれたのかもしれない。
「まぁ、そんなとこかな……」
「……ロッカ、ごめんね。こんなこと聞いちゃって」
『すまん』
「ごめん」
「いや、良いんだよ、気にしないで。いつか言わないといけないことではあるし……」
同情されるのは慣れてない。
あまり良い気分にはならないけど……でも、今だけは悪い気分にはならなかった。
これを、赤の他人から同情されるのでは少し違ったのかもしれない。
けど、私の周りにいるのは誰もが自分の魔術に悩みを抱えている特異科のクラスメイト達だ。
自分の魔術に関わる悩み事に関しては、一定の理解がある。だからこそ私は、素直に自分の弱さを曝け出せたのかもしれない。
「ウィルコークス君、今魔術投擲ができないと言ったか」
……で、そこで話がしんみりと終わろうっていう時に、隣の席からクラインの声がする。
他の人の言葉であれば気にならないんだろうけど、今のクラインの声からは、私の傷を浅めに掘り起こしてくるような無遠慮さを感じられた。
「そうだよ、できないって言われたんだ。理式科の導師さんから」
「それは本当か」
「本当だって……」
馬鹿にはされてないと知っていながらも、言い返す私の語気は荒くなる。
そういう風にクラインの方を見やると……彼の表情は、私の想像していたような“平静”だとか“嘲笑”みたいな顔を作ってはおらず……。
「君は、魔術投擲ができないのか」
全然そんな柄でもないくせに、心の底から驚いたような顔をしてみせたのだ。
「……そうだよ。できない」
「……そうか」
私がちょっと呆気にとられたように再度肯定すると、クラインは静かに立ち上がった。
私の席の周りにいる皆も、クラインの不審な挙動を見守っている。
「失礼する」
で、彼はそのまま早足で講義室を立ち去っていった。
……って、それだけ?
「なんだあいつ」
『わからん』
「やっぱクライン、ヘンなやろーだなぁー」
私達が呆然とする中で、ヒューゴとソーニャだけが、互いに顔を見合わせて難しい顔を作っていた。
クラインの挙動が可笑しい。なんなんだ一体。
そんな考えても仕方ないような疑問を抱えたまま、二限目の講義が始まってしまい……。
「あれ? ユノボイド君がいませんね……?」
なんと、講義室を去ったまま、クラインが帰って来なかった。
今までは例え本を読んでいようと、机に材料を広げて実験していようと、決してマコ導師の講義を欠席することのなかったあいつが、忽然と姿を消したのである。
これにはさすがのヒューゴ達も驚いたようで、講義時間中も誰もがどこかそわそわした様子が続いた。
けど、一番そわそわしてたのはマコ導師である。彼も教え子の唐突なボイコットに、焦りや不安を感じているのかもしれない。
が、私達の不安や疑問などは、その講義後、わりとすぐに解消される事となる。
「読め」
クラインが埃っぽい臭いを全身に纏いながら帰ってきた。
それはマコ導師の講義終了後、すぐのことである。
「え……」
「これを読めば問題ない」
私の机の上にドンと置かれたのは、三冊の本。
しかもただの本ではない。一冊一冊が私の右の握り拳ほどはあろうかという、とてつもなく分厚く、重く、デカい本であった。
「うえッほ! げほげほっ」
勢い良く机の上に置かれた風圧で、本そのものについていたであろう灰色の埃が私の顔を包み込む。
当然、私は咳込んだ。
目にも入ってやがる。
「まず一冊目。これは見てくれが少々古いが、投擲を用いない魔道士への戦闘指南書だな。著者はシコーズ……無名だが、ここに記されている鉄魔術への理解は非常に高い。オレも全て熟読してはいないが、信頼は置けるだろう」
「げほっげほっ!」
咳き込む私など視界に入っていないかのように、クラインは一冊の本をバラバラと大胆にめくってゆく。
その度に煽られて舞い散る埃が、更に私の気管やら目やらを苛んだ。
ていうか涙目でよく見てみたらクラインの野郎、一人だけ三角巾でマスクしてやがる。
「で、こっちが魔道士の接近戦指南書。移動時の正しい杖の抱え方、重心移動の補佐……杖術について多く記されている。そして多くの設置系防御魔術。無駄な属性も多いが、これもいくつかは役に立つだろう」
「く、くらッ、げほっ!」
「そして最後にこれが、ほとんど現状の補佐に過ぎないだろうが、床環境系鉄魔術の考察本だ。著者はクラームト。古いし今では廃れた理論も多いが、これを読めば多少は――」
「やめなさい。いい加減にしなさい」
「何? やめろ、何をする。離せ」
「いいからやめなさい」
結局、咳き込む私を助けてくれたのはソーニャであった。
クラインの後ろから羽交い締めにするように拘束し、私を埃の魔の手から救ってくれたのである。
……まぁ咳き込んでいる途中も、辛うじてクラインが私のために本を持ってきてくれたというのは理解できていたので、拘束されているそのクラインの腹に一発お返しを叩きこむというのは……無しにしといてやろう。
手助けしてくれたのは、素直に嬉しいしね。
「どこかに居なくなったと思ったら、本を探していたのか。それにしても随分古めかしい本じゃないか、クライン」
机の上に並ぶ三冊の本を、いつもの皆が興味深そうに眺めている。
今日は意外にも、講義後はすぐに去ってゆくマコ導師も一緒だ。
三冊の本は埃を丁寧に払ってみれば、どれも黒革の高そうな装丁が施されている。
何度も写本されているらしく、後ろの方のページには最後に刷られた年号が書かれていた。それでも数暦2400年代の、とてつもなく古い品ではあるのだが。
「ユノボイド君、これは古書ですよね? 許可は取れたんですか?」
「ええ。問題ありません」
「そう、なら良いんですけど」
しっかりした手続きの上で持ちだした本であることを確認し、マコ導師はほっこりと笑った。
……けど未だに講義に出なかったことへのお叱りが無い。マコ導師、忘れてはいないだろうか。
「これ、ロッカのための本なのかー?」
「ああ。体質的に魔術投擲ができないのであれば、もはや技術の習得は絶望的だ。ならばいっそのこと、それを切り捨てた尖った戦術を身につけるべきだろう」
『うむ……確かにそうだな。クラインの言うことは最もだ。自らの得意な土俵で闘うのもまた、大事な一手だ』
三冊とも、魔術投擲を使わない魔道士のために書かれたかのような指南書だ。
さすがに私のような体質的に使えない人向けにわざわざ書かれたものではないのだろうが、それでもこちらの需要には合致している。
……こんなにピンポイントで私が欲しがるような本を、よく数十分なんて短期間で見つけられるものだ。さすがは“名誉司書”と呼ばれているだけのことはある。
「……ありがとう、クライン。すごく嬉しいよ」
乾いた本の革を撫で、私は彼にお礼を言った。
あまり良くないとは思ったけど、顔を見ながらは言えない。なんかちょっと恥ずかしい。
「……その本は、君にやる気があるならば大きな力になることは間違いないだろう」
「うん。難しそうだけど、私頑張ってちゃんと……」
「だが、それでも君が魔術投擲を使えないという事実は変わらない。それは魔道士として、非常に不利な事だ」
クラインの言葉は非常に真っ直ぐで、それだけに辛辣だ。
強く言われたわけではない。ただ事実を言われただけ。
しかしその言葉は何よりも、私の心を抉るような鋭さを持っていた。
「……わかってるさ。私の魔術が、他人より変なことくらい」
けど、それでも。
魔術投擲ができなくても。魔道士として最低限の、“魔術を投げる”ということが出来なくても。
私は、私の魔術がヘンテコでポンコツなことを承知の上で、この世界に踏み込むことを決心したのだ。
「そういう逆境をなんとかするのが、この特異科の集まりなんでしょ?」
私がそう言って鋼鉄の握りこぶしを見せつけると、クラインは不敵に微笑んだ。
それに釣られるように、ヒューゴやボウマ達も笑顔を見せる。
「そうそう、物はなんだって使いようさ。特異魔術にだって、未知の可能性があるはずだよ」
「にしし、何もしないでいると、学園生活も暇だしぬぁー」
『ああ、自分の可能性をとことん突き詰めていくのも悪くはないものだ』
湧き上がる明るい雰囲気の中で、見守るような位置にいたマコ導師も口元を押さえて“ふふふ”と笑う。
導師である彼もまた、私が一風変わった魔道士を目指すことを喜んでいるらしい。
「で、結局クラインはどう思うんだい? こういう本をロッカに持ってきてやったくらいだ。君も特異魔術に関して、ちょっとは考え方も変わったんじゃないのか?」
ヒューゴはにやにやと口元を歪めながら、腕を組んで隣のクラインの顔を覗き込む。
クラインはそんなヒューゴを横目に見て数秒ほど難しい顔を浮かべた後、どこか観念したようなため息を吐いた。
「……まぁ。物によるがな」
「ははは」
「だがオレの魔術は使えないぞ」
「うん、まぁ、気長に探していくのもきっと悪くないよ。クラインの魔術もね」
「オレは良い。しつこいぞ」
「悪い悪い」
からかうようなヒューゴと、それを少しだけ煙たそうにあしらうクライン。
二人の性格はあまり似ていないが、やはり歳の近い男っていうのは、仲の良いものだ。
……投擲できない私の特異魔術。
うん、なに、考え方を変えれば良い。投擲ができないというのもまた、私の魔術が持つ特異性のひとつなのだ。
そう納得してやればどうということはない。最初からそうだったのだから。
別に何も、私が今まで培ってきたものが嘘だったって事になるわけじゃないのである。
……よし、クラインによって道は示された。
これからは、出来もしない魔術投擲に頭を悩まされなくても良いんだ。
もっとこう、他の人とは違うような……そんな魔術を練習できる。今日から私はまた、魔道士として確かな一歩を踏み出してゆけるのだ!
「ああ、そうだ。魔術投擲ができないのであれば、ひとつウィルコークス君に提案しなくてはならないことがある」
「ん? 提案?」
よーしこのまま指南書を読破してやるぞーと私が意気込んだところで、クラインは新たな話題を切り出した。
提案とは一体なんだろうか。
皆の注目が一点に集まる中、クラインは右手の中指に嵌めた銀の指輪を抜き取って、それを手の中で弄びながら、言う。
「ウィルコークス君。君はこれからも魔道士を目指すつもりであるならば……ロッドを扱えるようになるべきだ」




