嘴002 踏みしめる別荘
空を見上げても、視界の端に必ず映り込む、高い建造物。
そして上から私達を押さえつけているかのような、重苦しい曇天。
私は長い馬車旅と長い船旅を経て、ミネオマルタへと戻ってきた。
それまでの道中とは違う気候と独特の匂いに、何故だかちょっとだけ頬が緩む。
……故郷ではさんざん酒を飲んで羽目をはずしたけど、ここでは気持ちを入れ替えていかないと大変だ。
理学の勉強。魔術の練習。慣れない頭を使う日々が、再び始まるのだ。故郷でも復習や計算の反復はやってきたつもりだが、ここでは新しいことをどんどん詰め込んでゆかねばならない。
それに、無駄遣いもできない。デムハムドでは酒を飲んで肉を食ってそりゃあもう楽しい日々を過ごしていたけど、ここの物は何だって高価だ。特に私の好きな酒は理不尽なくらいに値が張るので、勢いに任せて楽しむような真似は難しいだろう。
故郷ではたっぷり癒やされた。
が、そのままの気持ちでいたら、ここで思わぬトラブルや、気苦労をするかもしれない。
早めに意識を切り替え、以前のような心構えでやっていこう。
「……ついに、戻ってきたな」
視線を空から少し下げてやれば、そこには悠然と立ち並ぶ五つの棟が目に映る。
中央棟の隣にある属性科第二棟のドーム型天井は灼鉱竜の襲撃によって半壊してしまったが、今では元通り。美しい半球状の姿を取り戻しているようだ。
朝靄か、霧が出ているためか、全体的に建物は白っぽく霞んでいるが、どこにも破損したような様子は見られない。
一時は傷ついたあの棟も、完全に本来の姿を取り戻したのだろう。
……そう。
私の学園生活が、再びこの場所から始まるのだ。
「よし……」
更に目線を下げ、正門にやる。
そこには鎖によって、一枚の大きな板が固定されていた。
“内装修理中につき、学園仮閉鎖中”
“全講義の再開は一日から”
「……うん、もうちょっとだな」
建物の見た感じは大丈夫そうだけど、どうやら中の部分はまだまだ修理が必要らしい。
そうかそうか、復旧は一日だったか。
うん。まぁ良いさ、どうせ早く到着する予定だったんだしな。うん。
「あれっ!? まだ開いてねーのかよ! せっかく早めに来たのにー!」
正門前から立ち去る私のすぐ後ろで、おそらく雷の国出身であろう筋肉質な金髪男が、私のような心情を声に出して叫んでいた。
気持ちはよく分かるぞ、名も知らぬ先輩。
こういうところで上手く日にちを調整できないのって、留学組の辛い所だよな。
さて。
まぁどの道、一度は学園ではなく、先に寮の方へ足を運ぶつもりだったからな。
背中には荷物を背負っているし、寮監さんにも来たことを伝えておく必要がある。
学園を見に行ったのは、あくまで下見に過ぎないのだ。別にすぐみんなと会いたかったとか、そういうわけではない。
「ロッカ=ウィルコークスさんね。特異科一年……もちろん覚えているわ」
「あ、はい。どうも……」
寮監さんのいる管理室に出向くと、優しげな雰囲気のおばさんは私の顔を見るなり、すぐに鍵を渡してくれた。
一応証明書と、贈られてきた学園からの書類も手元に用意していたのだが、まさか顔を見られただけで名前まで看破されるとは。
「事件のこともあったし、故郷では大変だったでしょ?」
「はい。まぁ結……かなり」
「うふふ、その様子だと色々聞かれたのね。長旅お疲れ様。とにかくその荷物を部屋に置いて、しばらく休むと良いわ」
「は、はい」
そうか、変に覚えられてたのは事件のせいだったか。
あれ? でも新聞では顔写真までは出てなかったし……いや、そういうのは別にどうだっていいか。
寮監さんの言う通り、背負った荷物はかなり重い。
さっさと部屋に置いたり仕舞ったりして、ちょっと一休みするとしよう。
「いってきまーす!」
寮の部屋に荷物を全て放り投げて、私はすぐに部屋を飛び出した。
様々な食品や小物の整理はした。
エクトリアからここまでの馬車旅による疲れも、そこそこ蓄積してはいる。
けど、ここは以前にも私が泊まっていた場所。
懐かしい戸棚に触れたり、何も入っていない水暖炉を覗いてみたり、木棚に赤陳の壊れたタクトを飾ったりしているうちに、どうも以前の思い出が蘇ってきてしまったようで、じっとしていられなくなったのだ。
体はもちろん疲れている。
けど、やっぱミネオマルタを見て回って、みんなと会えるなら会ってみたい!
「よーし、まずはソーニャだな。ソーニャいるかな!」
私はとりあえず、持て余す気力を使ってソーニャの部屋を訪れることにした。
できれば私と一緒で、既に早めに来てくれていると良いんだけど。
もしもソーニャが既に来てるのなら、手紙でやり取りしていた事の続きを話して過ごしたいな。
「駄目だいねーや」
しかし悲しいかな、ソーニャはまだ寮に来ていなかった。
彼女のいた階の部屋を全て回って確認したのだ。間違いない。
「……風呂浴びてこよ」
虚しい思いをして、隠していた疲れがどっと押し寄せてきた気分である。
久々にミネオマルタの共同浴場に浸かって、旅の汚れでも落としてこようかな。
ついでに機人整備の店にでも入って、父さんが言ってたように腕の調子でも整えてもらうとしよう。
ミネオマルタの機人整備店は、さすがに中央付近にはないようで、ちょっと遠くに存在する。この街では外側の方に点々と重要施設や区画があるものだから、趣の異なる移動にはちょっと苦労した。
まあ、様々な整備や調整の仕事は、馬車駅に近い方が都合が良いのだろう。機人に必要なパーツも、物によっては重いのだろうし。
それに、久々にミネオマルタをただぶらぶらと歩くだけっていうのも、あまり悪い気分ではなかった。
「お邪魔します……」
以前、杖の購入に訪れたジューア魔具店のような奥まった店構えであるが、目当ての扉を前にして躊躇する理由はない。
私は、汚れで曇ったガラス窓付きの扉をそっと開けて、中の様子を覗った。
『いらっしゃい』
内装は、私が勝手に想像していたもの以上に普通で、むしろ一般のものよりも整頓され、整っていた。
整備店特有の油臭さも感じられるが、私が普段行くような所のものとは違い、香りはどこか柔らかい。
……いらっしゃいと言われては、顔を引っ込めるわけにもいかない。
私は扉を開け、店の主であろうスマートな全機人の元まで近づいた。
先ほどの声の感じからして、この人は四十代か五十代くらいの女性だろう。機人は声を誤魔化せないから、多分間違いはない。
『ご用件は、そちらの右腕?』
「あ、はい。整備をお願いしたくて……」
『整備ね、はいわかりました』
部屋の壁際に積み重ねられた、天井にまで届く木製の棚。
そこには機人の体の根幹となる腕や脚がサイズ毎に並べられ、だらりと垂れる指をこちら側に向けていた。
……見た感じ、一から腕を着床接合することもできる店のようだ。
店によっては指の一本くらいが限界だったり、私が最初に腕を付けて貰った時のように、不完全な接合しかできない所もあるらしいけど、こうして腕の良い人がいる店だってわかると、やってもらう側としては安心だ。
私は整備の邪魔になるオイルジャケットを掛けさせてもらい、ウエス台に右腕を置いた。
機人技師さんは私の右腕を見るなり、いきなり“おろろ”と声に出して、あからさまに狼狽えてみせる。
もはや見慣れたものであるが、私の腕はどこの技師さんに出してみても、こんな感じの反応が最初に返ってくるのだ。
自分が不安になる前に、毎度ちょっと申し訳ない気持ちになってしまう。
『随分と古い型みたいねぇ。しっかりした作りだけど……分解して調整するのは、少し難しいかもしれないわ』
「あ、駄目だったらバラさないで、届く所までで良いんでお願いします」
『そう? 奥まった部分も調整できないと、すっきりしないんじゃないかしら』
「あー……いつもちょっとだけ掃除して、この上から貼り直しをやってもらってるんですよ」
『あらまぁ、そうなの……』
私の右腕は、流行りも実用における洗練さの欠片もない、旧型の義肢だ。
そもそもが男性作業員用の作りであり、外装は生半可なことではびくともしないような頑丈さをもっているのだが、逆にそれはメンテナンスのし難さを併せ持つという事でもある。
工具を用いても容易には分解できず、そのため私の義腕は今日まで、スマートな一般女性型に取り替えることもできずにそのままであった。
……不便は多い。
服は限られるわ、とにかく重苦しいわ、冷たいわ、動きが悪いわ……。
坑道の作業と荒っぽい喧嘩では持ち前の頑強さ故に無類の性能を発揮してはくれるのだが、日用的な不便が目立つのはいただけないし、何より年頃の女としてもどうなんだと思う。
だから、できればこの義腕は取り外して……と考えることも多いんだけど、それはそれでお金がかかるし、作業自体も難しいだろうし、何より思い出の一つが欠けてしまうみたいで、なんとなく嫌だった。
『だったら、なんとか見れるところまで綺麗にしちゃいましょうか』
「はい、お願いします」
『うん。じゃあ軽く、張り付いた魂を二の腕の方まで戻すから、じっとしていてね』
「わかりました」
そんなわけで、今回もまたその場しのぎの、騙し騙しの整備をやってもらうことにした。
デムハムドでは結構作業もやっていたし、不具合を調べてもらうには絶好の機会でもあるだろう。
指先まで行き渡った自分の右腕の感覚が、ジリジリと後退し、二の腕まで追いやられてゆく。
まるで自らの腕が消滅してゆくかのような恐るべき感覚であるが、どうせ後で戻してくれるのだということを考えれば十分我慢できるし、万が一何らかの失敗で激痛を伴う事故が起こったとしても、その時はその時で、新しい義腕に弁償してもらう良い機会だと思ってやれば良い。
『緊張しないで良いのよー』
「……はい」
でもやっぱ、怖いもんは怖い。
痛み自体はそんなでもないけど、麻酔とかこういう魂を剥がす作業というのは、何度やったって慣れないものだ。
『それじゃあ、内革の部分を一旦外してから、出来る限り中を掃除してくわね』
腕の感覚が消え失せたなら、後は急いで整備するのみ。
この腕の状態であれば、今なら釘で引っ掻き傷を付けられようが熱湯を掛けられようが、痛みも熱さも感じない。この間に、私の無骨な腕をゴシゴシと力強く綺麗にしてゆくわけなのである。
細い道具が指の関節に差し込まれ、中に溜まったゴミなどが瞬く間に除去されてゆく。
一応内革が貼ってあるのに、やはり汚れはどこにだって溜まるものらしく、棒で掻けば掻くほどに、黒っぽい不純物が私の右腕から溢れている。
なんでこんな汚れと一緒に過ごしていたんだろうと思わないでもない光景だけど、半機人なんてものは大抵こんなものだ。気にするだけ気分が悪くなるばかりなので、考えないようにしておこう。
「ノーマさん、遅れてごめんなさい!」
ある程度まで腕の掃除が進むと、店の奥の方にある急な階段から、突然に若い人が飛び降りてきた。
ぽさぽさに跳ねた茶髪と、茶色っぽい瞳。
中性的な顔立ちや声からは男か女かが判別できなかったが、そいつの着ているだぼついた作業着は、流季系であろうその綺麗な茶髪によく似合っている気がした。
『良いんだよ、ベロウズ。どうせまた夜通し勉強してたんでしょう』
「あ、あの。ごめんなさい。すぐに作業に入りますので……!」
『怒ってなんかいないわよ。それよりお客様の前なんだから、お茶でも入れてきなさいな』
「ああ、えと、は、はい……わかりました」
ベロウズと呼ばれたその人は、話の雰囲気からしてあまり怒られているわけでもないのに、随分と落ち込んだような顔をして店の奥へと戻っていった。
『ごめんなさいね、騒々しくて』
「いえ……」
『あの子はベロウズといってね、総合理学学園に通ってる魔道士の卵なのよ』
「えっ、学園の人なんですか」
不意打ちのように出てきた学園という言葉に、私はとても驚いた。
『この店の上に住まわせてから、もう六年になるわね。頭も良いし手伝いもよくしてくれるし、とっても良い子なのよ』
「はぁ、六年……そうなんですか……」
まさか、こんな油臭い場所で学園の関係者と遭遇するとは思ってもいなかった。
出会うとしたらライカンくらいなものだろうと考えていたのに、まさか普通の学徒に、それも上級生と遭遇するなんて……。
「お茶を……」
『ベロウズ、左手側に』
「あ、すみません。あの、お茶です。良かったら」
「どうも」
トレイにお茶を持って運ぶ姿を近くから観察するが、やはりこの人は学徒っぽく見えない。
杖もローブも持っていないというのが大きいのだろうか。
「……あの」
なんて考えながらベロウズさんを眺めていると、彼(たぶん男のはず)は私の顔を見て、眉をひそめているようだった。
ちょっと不躾に長い間見すぎていただろうか。それとも、また人を強く睨んでいたのだろうか。
私は咄嗟の事に慌てたが、ベロウズさんから発せられた一言は、そのどちらを咎めるものでも無かった。
「ああ、いえ。なんでもないです」
「えっ、あはい」
私が反射的に答えると、ベロウズさんは小さくお辞儀をして、再び店の奥へと戻っていった。
……何か言いかけたことを飲み込んだようだったが、私にはその理由がわからない。
『はい、終わり。掃除はこんなところかしらねぇ』
そうしているうちに、腕の整備作業はそのほとんどが終わっていたようだ。
私の腕にあったゴミは一箇所に集めて捨てられ、新鮮な機械油も点されている。
けれど、さっきの思わせぶりな出来事もあってか、嫌ってほどではないんだけど、気持ちは清々しいとまではなってくれなかった。




