旋002 爆発した胡桃
入学して一年間の講義は、順調そのものだった。
なにせ、講義に齧りついているのが僕一人だけなのだ。参加者である僕を基軸に、講義が進んでゆけば、順調でないはずもない。
同時期に入ったマコ導師が熱心なこともあり、学園のレベルに見合わない水準の知識しかない僕に対しても、付きっきりで理学を教えてくれた。
僕自身、通っていた学校の講義を疎かにしていたつもりはないものの、知識は所詮、初等理学止まり。それでも一からじっくりと教えてくれたマコ導師には、感謝してもしきれない。
優しい導師さんが来てくれて良かったと、心から思う。これが特異科だからとやる気になってくれない導師さんであったなら、勉強もかなりの手間となっていたに違いない。
せっかく理学学園に入り、六年間も学ぶのだ。
どうせなら魔道士に値する実力を身につけて、無事に卒業したいものである。
昔から身体強化に関しては全く才能がなかったので、その対となる魔術の習得には、熱が入る。
砂漠竜や砂サソリと真正面から戦いたいとは思わないが、俗にいうD級程度の魔獣くらいは追い払えるようになってみたいものだ。
僕も男だ。そんな夢を見たって、罪はない。
理学というものの基礎を頭に叩き込み。
難解な理学式の書き方や意味を読解できるようになり。
杖市場で好みのデザインのロッドを買い、いくつかの魔術を練習し。
ミネオマルタで暮らし、学園で学び、一年が経つ頃にもなれば、僕はどうにか、実技の面でも初等理学並みの習熟度からは完全に抜け出すことができた。
一日に二回、たった二百分の講義しかないものの、様々な導師さんの親切な教えもあり、僕は人並み以上の速度で理学を学べたのである。
魔道士連続失踪事件が数人の勇者達によって解決し、魔道士が暗殺者の影に怯えることもなくなった。
新たに光魔術というものも発見され、自分自身も、その周囲の雰囲気も、右肩上がりに良くなっている。順風満帆というやつだ。
途中、ソーニャ=エスペタルという星藍系の美人な学徒が、長期の休みから戻り、講義室に顔を出すようになったのだが、彼女もまた他の学徒たちと同じように無気力な方の一派であったことは残念だった。
勉強は個人技だが、学友は欲しい。
最初の一年で惜しむことがあるとすれば、そんなことである。
だが幸いというべきか、不幸というべきか……。
入学から二年目を迎えると、学友を望んだ僕の前には、新たに二人の新入生が現れることとなった。
思えば、そこからになるだろう。
僕が、真に僕らしく、ミネオマルタで過ごし始めることになったのは。
運命のその日。
いつもと変わらず暗雲が立ち込めるミネオマルタの朝。
マコ導師は、こちらにも伝播しそうなほどの笑顔で、僕達特異科生達に、二人の新入生を紹介した。
その二人は新たに特異科へ編入されることとなったクラスメイトである。
……のだが、その二人というのがまた、やたらと皆の目を引いた。
いや、新入生だ。目立たない方がおかしいというのは最もな話である。
けれどその二人というのが、それにしたって目が離せないような、対極的で、非常に個性的な姿だったのだ。
『ライカン=ポールウッド。火の国はアンダマンよりやってきた。理学はあまり詳しくないが、六年間、宜しく頼む』
まず、全機人。
それも身長二メートルを超えるほどの、魔道士なんて言葉の似合わない体躯の持ち主だ。
しかも頭部は狼を模した獰猛そうな形状である。機人とはいえ、顔は顔。人の相を表す、大切な部位だ。そこを威圧的な動物を模して固着させるなど、普通ではない。
そして、悪名高き街アンダマン。とてもではないが、ライカンと名乗る彼がまともな人生を歩んできたようには思えなかった。
「あたしボウマ。十三歳。隣のこいつと同じとこからきた。勉強はキライ。よろしくー」
そして、隣の少女。
小柄で細身な彼女は十三といったが、見た目は十かそこらにしか見えないほど、何というか、ちみっこい。
だが、おそらくは外で遊ぶことが多いのだろう。薄い小麦色に焼けた肌は健康的だ。
しかし、彼女の表情はぼさぼさの赤い前髪に隠れ、伺えない。
服はサイズが合っていないのかだぼついており、見方によってはまるで物乞いをする貧民のようである。
いや、彼女は自分の出身を、隣の機人と同じアンダマンだと言っていた。
アンダマン出身であれば、彼女が貧しい身の上の子だとしても……。
「ジロジロ見てるなよ、金持ち野郎」
「え?」
目線の見えないせいもあってか、僕は彼女のことをじっくりと眺めすぎていたらしい。
彼女の口元は笑っていたが、言葉には嫌悪と、突き放すような態度が含まれていた。
僕は一瞬だけ呆気にとられたが、すぐに謝ろうと思った。嘘ではない。
けれど、彼女は僕に、謝罪の一言を紡ぐ猶予さえ与えてくれなかった。
「“バーン”」
彼女がケラケラと子供らしく笑いながら、こちらに手を伸ばし、一言、何かを言った。
それと同時に、彼女の小さな掌の中に赤く、また白いような輝きが生まれ、凝集し、同時に解放された。
――魔術だ
僕がそう悟った時には、既に赤い炸裂する炎の輝きが、視界を覆い尽くそうとしていた。
『ふんッ!』
驚愕と絶望の狭間に黒い風が吹いて、僕と爆風の間に入り込み、立ちふさがる。
機人、ライカンが僕の前に瞬間移動し、爆風から身を守る壁となってくれたのだ。
それだけではない。彼は腕を一振りすると爆風さえも弾き、自らへの影響さえも限りなく低いものへと変えてしまう。
そして……。
『いい加減にしろッ!』
「ぐへっ」
彼は少女の頭に、強烈な手刀を叩き込んだのであった。
それが、この二人との最初の出会いだ。
ライカン=ポールウッド。
そして、ボウマ。
あの時の鮮烈な自己紹介は、きっと何年たっても忘れることはないだろう。




