掌006 雲晴れる朝
懐かしい夢を見ていた。
それは、父さんからジャケットを譲り受けた日の回想。
肌寒い冬の季節、薄手の大人用の服では寒すぎて、金属の腕が冷たいと半べそをかいていた日の事だ。
風が寒すぎて嫌だ。水が冷たくて嫌だ。
そう喚いて泣きじゃくっていた私に父さんは困り果て、一着のオイルジャケットを譲ってくれたのである。
大柄な男性用サイズのそれは、まだ背の低かった私が着るには大きくて、裾も長く、袖もかなり余った。
どうにか袖を折り返すことでようやくマトモに着れたそれは、何度も何度も石鹸を擦りつけた油っぽい香りと、坑道の埃っぽい香りが染み付いていて、不思議と安心できたのを覚えている。
きっとそれのほとんどは石鹸や埃の匂いなんだろうけれど、私にとってそのオイルジャケットの香りは、紛れも無く父さんの香りだ。
ミネオマルタでどうにかやってこれたのも、きっとあのジャケットがあればこそ。
これがあるから、私は寂しい思いをせずに……。
「ん……」
自らを抱きしめる仕草に違和感を覚え、私は目を覚ました。
身体に右腕の冷たさが直に伝わり、ひんやりする。それは、服を何も着ずに眠っている証拠であった。
思わず私は飛び起きた。
目が覚めたらジャケットがない。そう思ったわけではないが、夢の中の直前の出来事が混同して、無意味な恐怖心に襲われたのである。
見回せば、白い部屋の壁際に、ちゃんと私のジャケットが掛けられていた。
しかしその表面はかなり汚れており、お世辞にも綺麗とは言えない。
私は非現実的なジャケットの様相を見て、すぐに頭を覚醒。思考を再起動させた。
闘技演習場での死闘。
黒幕である傭兵団長、エルドレッドの登場。
灼鉱竜ラスターヘッグの出現。
そして、私は竜に連れ去られ……学園の林で……。
確か私は、あの時最後に一発、竜の背後からピックを叩き込んでやって……それで……。そこから先の記憶が無い。
「ここは……」
見回せば、清潔そうな部屋。壁の石造りが見慣れたものだったので、ここは学園の中だろう。
すぐ傍にあった窓の外を見やれば、ここが学園内の一階であることがわかった。
どうやら私は、あの後どうにか死なずに済んだらしい。
ここへ運び込まれて、治療を受けたようだった。よくよく自分を見れば、身体の所々に包帯が巻かれ、痛々しい姿をしているのが分かる。
「あ……」
そして私の足元では、ソーニャがベッドの上に顔を預け、静かな寝息を立てていた。
ソーニャが無事。それは、浮足立った私の心をとりあえず落ち着けるに十分な情報だった。
彼女は床の上に布を敷いて膝をつき、肩に毛布を掛けて、眠りこけている。その姿から、ソーニャが付きっきりで私の看病をしてくれたのだろうという事は、容易に想像できる。
状況が飲み込めないとはいえ、こんな姿のソーニャを無理に起こすのは気が引けた。
それに私自身もこれ以上動くのは億劫で、ちょっと辛い。
「……」
色々なことがありすぎて、頭の中はゴチャゴチャしている。
けれど、そんなせいか、朗らかな陽気の外をただぼーっと眺めるのは、それはそれで、気分が良かった。
「よぉ、怪我を見に来たぜ」
そんな穏やかな気持ちでいたのだが、水をかけるような声が開いた入り口からやってきた。
片腕は身体を支える松葉杖を握り、もう片方の手には、紙袋を握っている。
にやついた顔に、軽薄な声。
それは何日か見ていなかった、ナタリーの姿であった。
「なんだよ、見に来たって。見舞いじゃないのかよ」
「誰に聞いてんだよ。忙しいこのアタシがンなことすると思ってんのか?」
「思わないけど」
「キヒヒヒッ、朝の炒りたてのナッツを美味しくいただく。そのためなら、怪我した足を引きずる価値があるってもんだ」
目覚めてから最初に出会うのがナタリーか。せめて最悪な寝起きくらい、心やすまる見舞客に来て欲しかったもんだ。
……けど、あの夜の事情を聞くには丁度良い。
彼女だって私の見舞い……というか、冷やかしに来るくらいだ。事情は知ってのことだろう。
「ねえ、ナタリー」
「あ?」
そこらにあった適当な椅子を私のベッドの脇に寄せるナタリーに、私は訊ねた。
「私、何日寝てた?」
「アホか。人がそう何日も寝るわけないだろ。まぁ、半日くらいはそうしてるらしいけどな」
「あ、そう……」
「キヒヒ、竜に、しかもラスターヘッグにコテンパンにやられたんだってな? アタシに逆らったくらいだ、向こう見ずな野郎だとは思ってたが……まさか竜にまで喧嘩を売るたあな」
本当に愉快そうにナタリーは言う。こいつ、本当に見舞いに来たわけじゃないようだ。
紙袋からナッツを出して、ボリボリ美味そうに食ってやがるし。アタシのこの怪我は酒じゃねーぞ。
「私だって、巻き込まれたくて巻き込まれたわけじゃないし……ていうか、その後どうなったの」
「その後って?」
「色々だよ。私、ずっと寝てたし……当事者だったけど、凄いことになってたでしょ?」
「そりゃ当然だろ。学園始まって以来の大事件だ。今頃は他所の国にだって話は伝わってるさ」
竜が学園の天蓋をぶち破ってきたり、学園内に入り込んでいた傭兵が実は暗殺者の配下の人間で、壮大な殺人計画を画策していたり。
大事にならないほうがおかしい話の数々だ。ナタリーの言葉に、今更驚きはしなかった。
けれど、まさか本当に、あの地下水道から始まった出来事がこんな大事件にまで発展するとは……。
「空は薄暗いし、丁度明かりもあるかないかの程度。巨体とはいえ、高空を飛んでいた竜に気付け無かったのは不幸だったな。警備どころか、ミネオマルタの奴は誰も、竜が来たことを知らなかったらしい」
「うわ……ほんと?」
「ああ、全ては事が終わってからさ。第二棟の下にはメチャメチャに折れ曲がった傭兵の死体と、同じく幼竜の死体が見つかった」
傭兵の死体。それはきっと、傭兵団長のエルドレッドだ。
ソーニャと取っ組み合って、あの高さから落ちたのだろう。それとも、助けに入ったクラインによって突き落とされたのか……。
「……展示されてたあの竜は、死んじゃったのか」
「ああ。十階から落ちたんだろ? そりゃ死んで当然だろう」
そりゃあ、普通は死ぬけどさ。
「落下死した幼竜と、学園の林の中で見つかった成体の灼鉱竜……あれら二匹は親子で、幼竜の特殊な鳴き声が、成体の灼鉱竜をこのミネオマルタまで呼び寄せたんだろうって話だ」
「……そして、竜の子供は鳴き声を利用されて、死んだわけか」
「胸糞悪い話だよな。まぁ、連中はどいつも死んじまったから、今更誰を怨めるわけでもねえけどよ」
「……どいつも、死んだって?」
「ああ」
ナタリーが奥歯にナッツを放り込み、それを力強く噛み砕いた。
「傭兵団“カナルオルム”に属する傭兵達の初期のメンバーは、三年前に名を馳せた暗殺者、アンケーロって奴の弟子みたいなもんだったらしい。ギルドは、そいつらが結託し、師匠の遺志を果たすべく生まれた組織の隠れ蓑だったってわけだ」
「……ああ」
「そのメンバーは、昨夜の騒ぎの中で、色々な場所で時間稼ぎをしていたらしい。火を放ったり、警備の連中の目を引いたり……最終的にはどいつも作戦の失敗を悟って、闇雲に大暴れした末に殺されたけどな」
なんて話だ。
奴ら、そこまでして……そんなことをしてまで学園を、魔道士を殺したかったのかよ。
「竜が学園の天井をぶち破ったって話が伝わり始めると、街はすげえ騒ぎだったぜ。自分の部屋で寝てたアタシでさえ、その騒ぎで目を覚ましたくらいだからな。思わず飛び出して、学園まで足を引きずっちまったよ」
「まぁ、そりゃ騒ぎになるだろうね……それじゃあ警官とかも、いっぱいいる?」
「おうおう、今も警官と杖士隊でいっぱいだよ。さすがに今回の騒ぎもあって、傭兵はお役御免だったみたいだけどな」
「そりゃいないでしょ」
「キシシ、絢華団はさぞ悔しいだろうな。傭兵ってだけの理由で今回はどこからも声がかからねえんだからよ」
ナタリーは何かしらの不幸や不遇だったら何でも面白いのか、度々意地悪そうな笑顔を浮かべる。
こういうところを見ると、本当にこいつの性根は捻れ曲がってるんだなとつくづく思う。
「……っと、いっけね。これから用事があるんだった」
「え?」
ひとしきりナタリーが笑うと、その後すぐに彼女は真顔になって、立ち上がった。
その様子はどうにも慌ただしそうで、落ち着きが無い。
「おいおい、なんだよ、もうちょっと話くらい聞かせてくれても……」
「アホ。アタシは忙しいんだ。こうしてちょっと立ち寄ってやったくらいでも十分有難いことだろうが。猫みてえに甘えてるんじゃねーよ、気持ち悪ィ」
ひでえ言い草だ。
ほとんど悪態で返事をしながら、ナタリーは杖を突きつつ、出口へと歩いてゆく。
しかし私は、傍のテーブルに置かれた紙袋を見つけ、思わず彼女を呼び止めた。
「お、おいナタリー。お前これ、ナッツ忘れてる」
「ああ!? うっせぇなンな時間ねえよ! 捨てとけ!」
「捨てとけって……」
「嫌ならテメェが食ってろ!」
バタン、と大きな音と共に、扉が閉まる。
「……なんなんだよ、ったく……」
私の右手には、ナッツ入りの紙袋。中身はまだ暖かそうで、量も沢山入っている。
結局ほとんど中身を食べ残した状態で、私に丸投げしてきたらしい。
本当に自由奔放というか、自分勝手な女だ。
「……ぷっ、くく……くくくっ……」
「え? ソーニャ?」
私が目線を下にずらすと、私の足元ではソーニャが肩を震わせて笑っていた。
「だ、大丈夫? どうしたの?」
「な、なんでもない……さっき起きたばかり……なんでもないから、大丈夫よ……ふふふっ……」
いや、ちっとも大丈夫そうに見えないんだけど。
そんな変な様子のソーニャが落ち着くまで、私は濃い味付けのナッツをぽりぽりと食べることにした。
目が覚めていきなりこういう脂っこいものを食べるのはどうかとも思ったけれど、ナッツは香ばしく、空きっ腹には嬉しい食べ物だった。
ソーニャが噛み殺したような笑いを続け、しばらくすると、それに泣き笑いが混じってきた。
そんなにおかしなことでもあったのか、と不思議に思ったが、ところがソーニャの様子をよく伺うと、笑っているだけではなかった。
「あー……可笑しい」
ソーニャは涙をぽろぽろと流していた。
泣き笑いではない。哀しいような、感極まったような、そんな涙である。
「……心配したのよ、ロッカ」
「うん、ごめん」
「いや、謝ることじゃないんだけどね」
私も私で、多分昨日の事件で一番怖い目にあっているけど、ソーニャだってあの男に捕らえられて、恐ろしい思いをしたはずだ。
言葉の通じる人間に、それも自分より力の強い男に脅されるのは、竜と対峙する恐怖とはまた別のものがあるだろう。
「はい、飲んでおきなさい。喉、乾いてるでしょ」
「おお、ありがとう」
部屋の奥から二つのティーカップを持ってきて、私に手渡した。
中身は、透明。真水である。
昨日はあんな熱い闘いを繰り広げたためか、喉はカラカラだ。迷わず一気に飲み干す。
かしこまったカップ一杯分程度では、ちょっと物足りないな。
「はい、こっちも」
ああ、そっちのカップも私のなんだ。
まぁ、貰ったなら遠慮はしない。そちらも一口で飲み下す。
いっそのこと、コップではなく窓際にある花瓶でいただきたいくらいだ。
「……ロッカの身体、脚は折れてるわ、軽い火傷を負ってるわで大変だったのよ」
「ああ、やっぱり……あれ、でも」
大変なのは私でもわかる。むしろ、もしかしたら死ぬんじゃないかって思っていたくらいだ。
けど、思っていたより身体に不調はない。脚も、折れた割には痛みが無いし……。
「色々な人が、治療費や道具を用意してくれたわ。それも、最高級の物をね」
「えっ、本当」
道理でどこにも傷が見当たらないわけだ。
昨日覚えがある場所の肌も綺麗にまっさらになっていたから、悪い夢でも見ていたのかと錯覚するところだったよ。
「本当よ。ロッカは学園を襲う竜を返り討ちにした、ミネオマルタの英雄なんだもの」
「英雄って……」
「茶化すわけでもなく、実際にそうじゃない?」
誰も警戒していなかった時に飛び込んできた竜を追い払い、倒し……うん、確かに英雄だ。
……そうか、私、竜を倒しちゃったのか。
……あれ、でも最後、クラインと一緒に闘ってから……私だけで倒したっていうのとはちょっと違うか。
そういえば、クラインはどうなったんだろう。
「おや、もう目覚めたのか」
「うおー! ロッカぁー!」
私がソーニャから新たな水を受け取っていると、廊下から騒がしい一団が飛び込んできた。
「うわあー! ロッカ生きてるー!」
「いや、だから生きてるって昨日も言ったじゃないか」
まぁ、うるさいのはほとんどボウマなんだけど。
ていうか、痛い痛い。怪我とか関係なしにそんな勢いで抱きついてくるな。
「調子はどうだい? 良さそうには見えるけど」
「うん、身体は大丈夫。脚も全然痛くないし」
ボウマの首根っこを掴んでひっぺがし、悠々とやってきたヒューゴに答える。
ヒューゴは“災難だったな”と、普通に私の心配なりねぎらいなりをしてくれた。
「治療を担当した先生と街のお医者さんの話では、脚の怪我もすぐに治るみたいよ」
「え、これ昨日折ったばっかりなんだけど……」
「それだけ高価な治療薬を使ってもらったということさ」
街のお医者さんなんてものまで動いていたことにも驚きだけど、既に治りかけているという事実にも驚かざるをえない。
一体どんな薬を使ったら、骨が一日でくっ付くというのだろう。
私はクラインの怪しい万能薬を思い浮かべたが、気分が悪くなりそうだったのでやめることにした。
「そういえば、クラインは?」
「クラインなら、昨日の事で警官とか杖士隊から説明を求められて、そこで別れてから見てないじぇ」
「……そうか」
あいつは、私が気絶する間際、見間違いでなければ……闇魔術を使っていた。
クラインはそれを“禁術”と漏らしていたが、まさか、それがバレて問題に……なんてことになってやいないだろうか。
ヒューゴやボウマの表情を見る限りでは、まだそんな事になっている様子ではないけど……。
『おう! ロッカよ、もう起きていたか!』
「あ、ライカン」
『見舞いにきたぞ! これを食って、早く元気になるといい!』
続けて部屋に入ってきたのは、ライカンだった。
腕には大きめのバスケットを抱えており、そこには色とりどりの果物が山と積まれている。
……それを食えと?
というか、今そこに落ちたリンゴ、ちゃんと拾っとけよ。
「おっと、ウィルコークス君はお目覚めか。これは丁度良い。顔を出すだけのつもりだったが」
「あ」
ライカンの後ろから、渋い声の男が部屋に入ってきた。
その男はライカンがバスケットから落としたリンゴを拾い上げ、自分の高級そうな服の袖でゴシゴシと擦り、私の側の机に置いてくれた。
「学園長」
「こうして面と向かって話すのは、久し振りだね」
「あ……はい」
見舞いに来たのは、いつものメンバーだけではなかった。
バラン=ペルラビッツ。まさか、学園長までやってくるとは。
「がくえんちょ! ロッカは何も悪いことしてないじぇ!」
「はは、大丈夫。彼女は退学になったりはしないよ」
「ほんと?」
突然騒ぎ出すボウマの頭を抑え、学園長は微笑んだ。
ボウマはボウマで、次に私が何かをやらかすと退学……という事を気にしていたらしい。
竜にぶっ飛ばされた上に退学処分とか、さすがの私でもそんな決定は承服しかねるわ。
「……むしろ、これは学園側の落ち度だ。学園内に危険な傭兵を招き入れ、竜の侵入を許し、学徒たちを危険な目に遭わせたのだからね」
「え、いや、責任なんてそんな」
「すまなかった、ウィルコークス君」
「ちょ、ちょちょちょっと、困ります」
深々と頭を下げる学園長に、私は慌てた。
確かに学園は、色々なミスを犯したかもしれない。
けどそれら一連の不祥事は、相手方が入念に準備し、綿密な計画を練った上でのもの。逆に未然に防ぐには、あまりにも難しすぎた。
独自に調べていた私達だって、最終的には気付くのが遅すぎて、結局は竜がやってきてしまったわけだし。
……けど、ひとつだけ思うところが、ないわけでもない。
「……あの、学園長。傭兵ギルドの“カナルオルム”って……」
「ああ、あれは団員の一部に暗殺者の手の者が紛れ込んでいた、危険な組織だった」
「それは、どうにもならなかったんですか」
「……そうだね、厳しい質問だ。こちらもただの傭兵ギルドの人間を学園内に入れるのはどうかと思っていたのだが……彼らの実績、推薦者の多さによる信頼度、それに騙されてしまった……そうとしか、言い訳はできない」
『いや、だがロッカよ。それに関して言えば、仕方のないことだ。なにせ“カナルオルム”は水国から認められるほどにまで実績を積んでいたのだ。学園も彼らの扱いは厳重に制限していたし、責められるものではないさ』
「あ、いや、まあ、責めたいわけじゃないんだ。なんかその……ごめん」
つまり、敵ながらあっぱれってことかな。
“カナルオルム”の作戦勝ち、と。
……誰かが死んでたら、こんな言葉は使えなかっただろうけどさ。
「ウィルコークス君、本当に申し訳ない」
学園長はもう一度、深々と頭を下げた。
「そして……ユノボイド君ともども、学園を守ってくれて、本当にありがとう」
「……学園長」
学園長から貰った、感謝の言葉。
まぁ、色々と苦境に立たされたり、痛い目にも遭ってきたけど……。
なんか、その一言で色々な苦しみがチャラになり、色々な事が報われた気がした。
その後、学園長は私に一枚の紙を見せてくれた。
それは今回の事件によって私が負った怪我に対する治療費の内訳で、これに記載されている額は私が払う必要はないんだけど、こういう薬を使いましたよっていう証明になるらしい。
副作用の心配はないだろうが、念のために持っておいてくれということだそうだ。
……うん、すごい額面だ。
討伐ギルドに竜を一匹ぶっ倒す任務があったとして、果たしてそれを達成したとしてこの額の報酬を受付にてもらえるかは、実に怪しいところである。
治療費の出資者も連名で記されており、そこには一番上に学園の代表として学園長の名前も載っていたけれど、そのすぐ真下には、ミスイやイズヴェルの名前もあった。
……ミスイはどうかは知らないけど、イズヴェルに関しては、私達に襲いかかってきた事をものすごく後悔していそうだ。
あ、というか、あの二人はどうなるんだ。
闘技演習場を無断で使ったり、保護無しの決闘をおっ始めたり……。
それに乗って暴れた私にも非がないとは言い切れないけど、手を出したのは向こうが先だ。二人にはお咎めがあるのだろうか。
「あの、学園長。この二人は……」
「ススガレ君とカーン君か。そうだね、ユノボイド君から聞いた話では、随分と酷い早とちりをしてしまったようだ……彼女らには二週間分の追加学徒指令が言い渡されている、と聞いたら、君は納得できるかね」
「え」
二週間? たった二週間の学徒指令で済むのか。
……まぁ、そんなもんか? 私も入学して早々にやらかしたことはあるし……その時は一週間分だったし……。
私も、別にミスイ達に好んで罰を与えたいってわけではない……。
……嘘。ミスイにはちょっと、罰とか受けてもらいたい。
もっと正直になると、退学になっちまえって思ってる。
「カーン君は、君やユノボイド君を犯人だと勘違いしていたらしいね。ススガレ君もそれに追従して動いていたようだ。彼らの破った規則は重大だが、闘技演習場で起きた諍いの結果、ウィルコークス君らが勝利した。結果としてこの二人は思い違いの上に置き去りという形になってしまったが、闘技演習場での闘いの結果が違っていれば、竜と戦っていたのは二人だったかもしれない」
う……いや、まぁ、確かにそうかもしれないけど。
……そうだな。もしも私とクラインが負けて、ミスイとイズヴェルが勝っていたなら……その時はあの二人が灼鉱竜と闘っていたのかも。
そう考えると……なんだかなぁ、って感じだ。
勝っても負けても、なーんかハズレくじを引いたような気分には変わりねえや。
「それと、ススガレ君に限って言えば、彼女はユノボイド君がきみのもとに駆けつける手助けをしたらしいね」
「……そうなんですか」
「ああ。ウィルコークス君も内心複雑だろうけど、今回は事が事だった。責めるのは、私達だけにしては、もらえないかな」
「う」
なんか学園長、そういう言い方はちょっと、ズルいな。
『ロッカよ、人は誰だって過ちを犯すものだ』
「ライカン……」
『短気な俺が言っても説得力はないかもしれないが、時には許す気持ちを持っていた方が、楽なもんだぞ。もちろん、今までの事もあるだろうから、なかなか難しいことだろうとは思うがな』
「……わかってるよ」
『ミスイ達もおそらく、今回のことは心から申し訳ないと思っているはずだ。でなければ、そうしてロッカの治療費をすすんで負担するということもないだろう』
……確かに。この治療費は、二人の気持ちか。
それに、“イズヴェルは別にいいけどミスイはダメ”という私のこの感情は、積もりに積もった別件の恨みからくるものだ。今回のことでミスイを責めるのは、ダメな気がする。
……良いよ、わかった。私の個人的なミスイの恨みは、ひとまずあの時ぶちかましてやった腹への一発で、大体精算し終わった事にしておいてやるよ。
あいつも二週間分の罰を受けて、次から変な事をしでかすのは難しくなっただろうしね。
「おーいロッカぁー、リンゴ剥いてやったじぇ」
ちょっと気分を鬱屈とさせていると、いつの間にか視界から消えていたボウマが私の脇の机に、ざく切りのリンゴを置いてくれた。
「おいボウマ、剥いたのは僕だぞ」
「ん、ありがとうボウマ」
「おいおい」
「ごめんごめん、わかってるって。ありがとう、ヒューゴ」
けど剥いたのはヒューゴか。ボウマのやつめ、自分の手柄にするつもりだったな。
リンゴを一切れ指でつまみ、そのまま一口で食べる。
甘酸っぱい香りが口の中に広がり、その時初めて、私は喉の渇きだけでなく、腹が減っていることにも気付いた。
そういえば、ナッツは食べたけど、まだ全然食事も摂っていないんだった。
「……ところで」
私がこの後何を、どうやって食べようかを考えていると、バスケットの中の瑞々しいブドウを摘み上げた学園長が、話を切り出した。
「今回起きた、灼鉱竜襲撃事件だが……実は昨晩辺り、既に真犯人というべきか……黒幕の存在が、突き止められていてね」
「え!?」
私は驚きのあまりに、口からリンゴの破片を吹き飛ばした。
それをサッと拾ってくれたソーニャに礼を言うのも忘れ、私は学園長に食ってかかった。
「どど、どういうこと!? ですか!? 真犯人って、“カナルオルム”なんじゃ……!」
昨日の闘技演習場の観覧席で、ソーニャを人質に取る“カナルオルム”の団長がいた。
あいつは自分のやったことを自供していたし、団長であるあいつが、全ての指揮官であるはずだ。
「彼らだけでは、今回の騒動を全て引き起こすことは難しいよ。“カナルオルム”がここミネオマルタに運び入れた灼鉱竜の幼体……その檻に付属する魔導枷は事前に検問の調べを受けているはずだったし、そこではちゃんと、一度の解錠で全ての錠が外れるということはないという結論が出ていた」
「え……?」
「鉄檻は、元々は確かに、何の変哲もない鉄檻だったのだ。ところが彼らは、一斉解錠の仕掛けが施された朱金製の鉄檻にすり替えた……おそらくは、檻の中に封じられた、生きた親を持つ幼竜と一緒にね」
……なんか、言ってる意味がよくわからないぞ。
檻が、えっと、街のどこかですり替えられてる……?
あ、それってもしかして、地下水道を通って……。
「今、杖士隊を中心とした特別な極秘討伐隊が、その黒幕の根城に向けて作戦を開始して……そろそろ、終わっている頃だろうな」
「特別な、極秘討伐隊……?」
「ああ、そうとも」
学園長はその時、にんまりと妖しい笑みを浮かべた。
「邪悪な黒幕は最後に滅びる。それが、正義を掲げる世界の鉄則だからね」




