掌005 灯る想い
背後からの強烈な一撃により、灼鉱竜の命は尽きた。
煌々と太陽のように輝く巨体は、生物の大元たる魂を失った事により、急速に熱を奪われてゆく。
赤黒い竜は力なく正面へと倒れこみ、その背後では、全力を出し切って意識を失いつつあるロッカの姿が見えた。
「ロッカ!」
彼女の姿を認めたクラインは、竜が倒れきる前に飛び出していた。
手の中に握った闇魔術を解除して、未だ灼熱を湛える竜の首に落ちかけたロッカの体を、しっかりと両腕で抱き止める。すれ違い様に竜の背を蹴り、灰色の岩地に飛び降りて、周囲に延焼の危険がないことを確認してから、そっと床の上に彼女を降ろした。
「おい!」
返事はない。ロッカは苦しげな表情で呻き、額に汗を浮かべている。
声なき呻き声は、魂への侵食が強すぎた証だ。全身を耐え難い苦痛が襲い、呼吸は止まり、魂は摩耗し続ける。
症状は術者の魔力が自然回復するまで続くが、その苦しみは長時間耐えられるものではない。適切な処置を行って魔力を増幅しなければ、命に関わるものなのだ。
「まずい、このままでは……!」
クラインには、ロッカの苦しみがよくわかる。
彼は幾度と無く無茶な魔術の実践を行い、そうして強くなってきたのだ。魔力不足からくる苦痛については、学園の導師よりも詳しいほどであろう。
しかし彼の目をもってしても、ロッカの様子は尋常ではない。
ただでさえ一度、侵食らしきものを起こして倒れていたのだ。そこから数十秒の間は取ったものの、すぐに魔力を使って戦線に復帰したために、結局のところ、無茶に無茶を上塗りしたことになる。
ロッカの身体が強く蝕まれていることは、疑いようもなかった。
「ルナポット……!」
クラインは腰のポーチの中を掘り漁り、幾つかの小瓶を手に掴んだ。
その時にこぼれ落ちたいくつかの紙片や石片などには目もくれず、手の中に収まった小瓶から目当ての物を選び出し、残りをゴミのように放り捨てる。
「さあ、これを飲め!」
手にしたのは、青い小瓶。
瓶の色が強いために中身の様子は見えないが、仰向けに寝たロッカの口元に流れる水滴は、透き通った透明色であった。
ルナポット。通称、魔力増幅薬と呼ばれるものである。
「うっ、げほッ!」
「おい!? 吐き出すな!」
だが、口に注ぎ込まれたそれを、ロッカは咽て、吐き出してしまった。
慌ててクラインがなんとか飲ませようとするも、上手くいかない。
魔力増幅薬は一口分も彼女の喉を通ることなく、岩の地面に吸い込まれていった。
ロッカの表情は変わらない。苦しみが長引いている分、先ほどよりも辛そうにも見える。
「くっ……どうすれば……!」
クラインは焦った。時間がない。早く処置を施さなければ、本当に命に関わる。
――せっかく竜を斃し生き延びたというのに、冗談じゃない。
彼は藁をも掴む思いで先ほど捨てた小瓶の中をまさぐると、そこには奇跡的に、今しがた注ぎ込んだ薬と同じ青い小瓶が混じっていた。
彼は慌てた手つきでそれを拾い上げ、蓋を弾き飛ばし、それを苦しむロッカの口元に近づけて、そして動きを止めた。
もしかしたら、また同じように咽せて、吐き出してしまうかもしれない。
そうなるともう、後がなくなってしまう。
そんな思いにはたと停止したクラインは、ならばどうするかという考えに入り、脳裏に確実な方法が浮かび上がってきた。
「……!」
本で見たことがある。いくつかの物語には、そういったものもある。
きっと上手くいくだろう。実に合理的な方法だ。クラインは心の中でそれを認めながらも、自分の頭に浮かび上がった方法をイメージすると、顔が急に赤く染まった。
「うッ……ぁ……」
だが、羞恥してもいられない。
目の前には、苦しんでいる彼女がいる。ロッカはもはや、一刻の猶予もない状態だ。
わずかに辺りで燃え残った炎は、彼女の湿った唇をほんのりと赤く染めている。
口は半開きで、無理やり飲ませるには都合がいい。
状態が変わらない今こそが、唯一の機会であるように思えた。
「クソッ!」
クラインは意を決した。
彼は目を強く瞑り、青い小瓶を自分の唇にあてがい、顔を傾けて一気に口へ流し込む。
「……」
しかし、彼の口の中が水分で満たされることはなかった。
瓶の中身は、空だったのである。
「大馬鹿!」
瓶は岩場に放られ、木っ端微塵に砕け散った。
「くそっ、やってる場合か! どうする!?」
魔力増幅薬がない。となると、残された手段はもはや残り少なかった。
クラインはもう一度自分のポーチを探り、その中身を次々に出しながら、岩場の上に放り投げてゆく。
ミントの種、携帯食料、メモ、衝紋記録紙、魔石、コンパス。
どれもこれも、現状を打破するには至らないどころか、解決策にさえ結びつかないものばかり。
やがてポーチの中身が空になると、クラインの顔色は赤から青へと変わってゆく。
「ふざけるな、ふざけんなよ」
傍らに倒れているロッカの呻き声が小さくなる。
苦しみに歪んだ表情さえ、力を失ってゆく。
「ふざけんな! そんなこと認めてたまるか!」
クラインは怒声を上げ、床に転がる瓶の一つを拳で殴り、砕き割った。
強化無しに振るった拳は、逆にガラス片によって深く傷つき、真っ赤な鮮血が辺りに飛び散る。
わずかに血を失い、痛みを覚え、クラインの頭に冷静さが戻ると、彼はハッと気付き、目を見開いた。
自分の血で赤く染まった右手の中指に嵌められた、銀色の指環。
そこに唯一の解決法が存在することに、気付かされたのである。
「……できるか?」
クラインは震える声で自問する。
「やれよ」
答えは直後に、自分の口から溢れていた。
声はもう、震えていない。
クラインは急いでロッカの傍らに身体を寄せ、彼女の額と鎖骨の辺りに掌を乗せた。
「――」
深呼吸。
精神集中。
魂への侵食によって魔力不足に陥った魔道士を治療するためにはいくつかの方法があるが、一般的なものは魔力増幅薬を飲むことである。
しかし、世間では広く知られてはいないものの、それ以外にも方法も存在する。
それは、光魔術を使うこと。
光属性術の、式に対して逆祖する性質を使い、魔力不足に陥った魂を強引に蘇生させる。それもまた、確実な手段の一つなのである。
しかし光属性術の習得は非常に困難である。
第一人者リゲル=ゾディアトスが三年前に発表してから、新たな属性術の使用者が現れて来ないのだ。
それはどのような人物でさえ、光属性術の難解さを前にして足踏みせざるを得ないということの証明でもあった。
当然、それは数多の魔術を習得したクラインであっても例外ではない。
彼は何度も光魔術の講義に出席し、リゲル導師が居るのをいいことに無茶な詠唱を続け、体当たり的な特訓を繰り返していたが、それでも未だ、一度の成功も見ていないのである。
今、一分一秒を争うこの瞬間に彼が光魔術による治療を試みたのは、賭けなのだった。
「……頼む」
クラインが集中の最中、ほとんど無意識的につぶやいた。
思考の中では複雑怪奇な理学式が目にも留まらぬ速さで構築され、それらは彼の手にする指輪型の杖の中に一時記憶され、術の発動準備を行っている。
めまぐるしい思考と集中。
記憶の中に刻み込んだ理学式の再現と、魔力の動きの制御。
「“レイン”……!」
クラインは自分のうちに残るありったけの魔力を注ぎ込み、十三環陣もの複雑な式を起動させた。
急速な魔力の喪失。
それと共に、クラインは自分の両手に、生ぬるい湯を掛けられているような錯覚を覚える。
「あ……」
彼の両手は、薄く、淡く、儚げに光を放っていた。
「う……く……」
クラインが自らの輝く手に呆気に取られているうちに、ロッカの表情は和らぎ始める。
こわばっていた目元からは力が抜け、肩は弛緩し、呼吸を止めていた喉は、無事に弱々しい吐息を通わせた。
「……」
それを見て、クラインはロッカ以上に脱力した。
魔力の喪失もさることながら、様々な考えや想いが頭の中を駆け巡り、どうにも整理がつかなくなってしまったのである。
真っ直ぐに伸びていた背筋は平時のような猫背に戻ると、圧迫された肺からは重苦しい溜息が漏れてきた。
「……馬鹿」
クラインは再び、ロッカの額に手を伸ばそうとしたが、遠くから聞こえていくる幾つかの足音と呼び声を聞き取って、すぐにその手を引いた。
「……やれやれだな」
ミネオマルタの紺色の夜空に、数多の星が輝いている。
クラインは木々の枝葉に邪魔されて、限られた夜空を見上げ、もう一度、深い深い溜息をついた。




