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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
最終章 打ち砕く石

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掌004 打ち砕く石

 咄嗟に発動したのは、私が最初に覚えた魔術。

 ナタリーを打倒するため、クラインに教えを乞うて手に入れた、私にとっての基礎となった魔術だ。


 “スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”。


 地面から現れた石柱は、立ち上がれない私の代わりにグンと真上に伸び、竜の前に立ちはだかった。

 伸びる石柱は幸運にも竜の顎を打ち、一歩分程度ではあるが、敵を後退させたらしい。


 口から炎をチリチリと漏らしながら、竜が怒りの形相を向けている。

 一発分の怯みの代償は、竜の更なる怒りを買ってしまったということだろう。

 でも、それで数秒間の命を長らえ、目が回るような不快感を回復できたのは僥倖である。


「はあ、はあ……」


 立ち上がり、竜と向き合う。

 そうだ。私の武器は、もう腕力だけではないのだ。


 私には拙いながらも、この学園で培ってきた魔術がある。

 まだ魔術投擲はできないけれど、岩を出すだけならば大得意だ。

 文字通り、死にかけるほどの練習を重ねてきた。身体が動かないなら、代わりに魔術で闘ってやろうじゃねえか……。


 と私がピックを握り占めたその時、ラスターヘッグが遠間から、大きな口を開いてみせた。

 細かい歯が並んだ大口の奥に蟠る暗いオレンジ色の熱が、段々と白さと輝きを増し……。


「やばっ!」


 そこで、私の予感が最大限の警鐘を鳴らす。

 骨が折れていることも構わずに、私はその場から咄嗟に、頭から飛び込む形で退いた。


 それとほとんど同時に、竜が真っ赤な火焔を吹き出したのだ。


「あっづ……!」


 私の回避は不完全だった。

 押し寄せる炎の中心からはどうにか逃れたが、一部は私の右腕に触れ、瞬く間に金属を発熱させてゆく。


「ぐぁああッ……」


 金属の腕が、悲鳴を上げている。

 ミスイとの闘いで受けた氷結魔術などお遊びであるかのような、言葉にできないほどの激痛だ。


「あ、ああ……!」


 腕は、熔けてはいない。でもあまりの熱さに、全く動かすことができない。

 右腕の意識を失い、痛みだけを残されたかのようだ。


 もしもメルゲコの石鹸を塗りこんだジャケットを着込んで、いなければ、炎の灼熱は更に広範囲に及び、義腕と肉体の接合部にまで達していたかもしれない。

 また、腕を切り詰めるのは……御免だ。


 竜が吼える。

 一度目の炎はただの挨拶であったかのように、それを皮切りとして、炎を辺りに吐き散らす。


 炎は木々に燃え移り、土の上にさえ燃え残り、夜闇に沈みかけた世界を赤く、眩く染め上げる。

 逃げ場が消え、隠れる闇が暴かれ、次々に奴の得意とする灼熱の領域に塗替えられてゆく。


「……!」


 環境戦。激痛に支配されかけた私の脳裏に、クラインの言葉が蘇る。


「あぁあッ……“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”ッ!」


 私は右腕の痛みを堪え、とにかく魔術を発動させた。

 使った技は、石柱を生成するだけのアブローム。

 この術を選んだことに、深い意味は無い。とにかく魔術を使わなければと思って、反射的に使っただけなのだから。


「ふうッ……!」


 でもその余計かもしれない一発のお陰で、魔術を使う頭の感覚が戻ってきた。

 理学式を頭の中で、杖の中に組み上げるその勘が、焼き鏝と化した右腕も思い出した。


 ……これは環境戦だ。


 竜は今、炎をまき散らし、私の逃げ場を封じようとしている。

 いや、実際それは、ただ怒りを持て余しているだけの行動なのかもしれない。単なる余波が、撒き散らされる炎として広がっているだけなのかもしれない。


 だが、私はそれを防がなくてはならない。

 逃げるにせよ戦うにせよ、ここが相手の炎で埋め尽くされてはお陀仏だ。


 奴は、魔族。奴の炎は、魔力の炎。

 つまりそれは、魔術のようなものだ。

 魔術が相手なら、答えは簡単。私がいつもやっていたように、魔道士を相手にするように闘えばいい。


 奴の炎を、私の岩で揉み消してやれ!


「“スティ(鉄よ)ラギロール(地を覆え)”!」


 ピックを土に差し込み、鉄の呪文を声高に叫ぶ。

 難易度はそれほどでもない、床一面を薄い岩で塗りつぶすだけの魔術。


 魔道士が相手だと呪文一発分の隙にしかならないようなこの術も、炎に囲まれかけた今ならば有用だ。


 灰色の岩石は私を中心としてあっという間に柔らかな土を覆い、岩はいくつかの木々に阻まれながらも、竜によって飛び火した熱源の多くをかき消していった。


 竜はこの魔術に、すぐに反応した。自分の足元が突然岩になったのだ。驚きもするだろう。


「ちっ……」


 火を吹くのをやめた竜が、この岩細工の主犯であろう私を見つけ、両腕を構えながらゆっくりと近づいてきた。

 先ほどまで炎を吐き続けていたためか、竜の赤黒い身体は更に赤く染まり、暗闇の中でも煌々と輝いている。

 特に両腕の先に伸びる大きな爪は赤熱を超えて真っ白に光り、少し引っ掻かれただけで即死は免れないであろうほどの灼熱を湛えていた。


 灼鉱竜ラスターヘッグの身体が帯びる炎は、もはや私の身体強化でも、どうしようもない次元にまで達してしまったのだ。


「“スティ(鉄よ)ガミル(蜂起し)ステイ・ボウ(牙を剥け)”!」


 今のアレに近づかれたら、確実に死ぬ。

 どんなに間抜けで愚鈍な動物でも理解できる状況に、私の次の行動はさすがに素早かった。

 間近にあった石柱にデムピックを突き立てた私は、最も習得に苦労した魔術を発動させる。


 石柱の上部から大きな岩のトゲが隆起して、接近を試みる灼熱の竜の首もとを小突いた。


「マジかよ……」


 人間ならば容易く胴を貫いていたであろう一撃だが、流石は竜と言うべきか、岩の刺突によって砕かれたのは、隆起する岩の方であった。


「うわっ!」


 竜は一瞬怯んだものの、動きは止まらない。横薙ぎの爪が私の隠れる石柱を襲い、石柱は草刈りでもされたかのように、根本から綺麗に砕き折られる。


「ぐあっ!?」


 そのついでとばかりに炎が吐かれ、赤い灼熱が私の足元を覆った。

 魔力の炎は床の岩を大きく削り、分厚いブーツと咄嗟に施した強化越しに、鋭い痛みを与えてくる。


「“スティ(鉄よ)ガミル(蜂起し)ステイ・ボウ(牙を剥け)”っ!」


 それでも、私は止まるわけにはいかない。

 魔術を止めたら、そのままズタズタに引き裂かれ、骨も残らず焼かれちまう。


「“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”……!」


 遮蔽物でもいい。一発限りの盾でもいい。

 とにかく、魔術を使うんだ。魔術を使って、岩を生み出すんだ。


 魔術と魔術が起こす対消滅。それによって、竜の炎を打ち消してゆくんだ。


「“スティ(鉄よ)ラギロール(地を覆え)”」


 勢いの止まらない灼熱を防ぐには、もうそれしか方法がない。

 吹き付ける熱風を防ぐには、岩と砂利石で押しつぶすしかない。


「“スティ(岩よ)”……」


 炎に立ち向かえ。


 いつかのあの日と同じように。


「“ラギロ(隆起し)アブローム(コヅミとなれ)”ッ!」


 故郷の景色と灼熱の現実が重なったその一瞬、私の魔術は一際大きな輝きと共に発動し、それまでのものを遥かに凌駕する高さの石柱を生み出した。


 石柱の高さは、見上げる限り約十メートルちょっと。

 太さもなかなか。盾とするには、頼もしすぎるほどだ。


 案の定、追い打ちを続けてきた竜の腕による一撃は、この巨大石柱を一撃の下に打ち砕くことはできなかった。

 作っては壊され、作っては壊されのイタチごっこの中で、今この時、ようやく私の防御が奴の動きを止めたのである。


「……! いくぞコラァッ!」


 今ならいける。

 一発防いだだけで、根拠はない。クラクラする頭の中に、ただ確信めいたものだけがある。


 それで十分だ。


 私は威勢よく叫び、炎で岩の剥げた土にピックを突いた。


「“スティ(灰麗石よ)デムハムド(世界を覆え)”ッ!」


 私の魂の詠唱と共に足元から大きな岩が溢れ出し、立体的な岩場が波紋のように、瞬く間に広がっていった。


 それは、私の思い描く原風景。

 むき出しの岩に囲まれた、険しい故郷の再現。


 樹木も、炎も、岩に隠れて消えてゆく。

 土も、木の葉も、隆起する岩石に突き上げられ、頓に宙を舞う。


「ここは私の大切な場所だ……お前なんかに手出しさせるかよッ!」


 起伏の激しい岩地は、勝手知ったる私の遊び場。


 竜よ。お前がどこぞの出かは知らねえが、ここの闘いで私に喧嘩を売ろうってんなら、それは良い度胸ってもんだ。


 何せ私は、地元(デムハムド)じゃ負け知らずだったんだからな。


「オラァッ!」


 ピックを突き立て、岩を砕く。

 その一撃により、歪に隆起した岩石の根本は程よい亀裂が横断し、自重に任せて傾いた。

 倒れる先に佇むのはもちろん、灼鉱竜だ。


 石柱が竜の肩に直撃し、ねずみ色の石片が飛散する。

 重量はそこそこだ。いくら竜が強いからといっても、石材が直撃すりゃあそれなりに痛いだろうよ。


「“スティ(岩よ)ガミル(蜂起し)ステイ・ボウ(透し貫け)”!」


 相手がよろめいた隙に、魔術で追撃だ。

 地面の岩地が音を立てて形を歪め、巨大な岩の円錐となって竜を襲う。


「くっ……!」


 直撃はした。それなりに効いたのだろう、竜の巨躯を押し戻す程の威力を発揮してみせる。

 けど、それだけ。勢い良く伸びた岩の円錐は竜の重心を突いたにも関わらず、先端から押し潰れ、砕け散ってしまった。


 ……化け物め。

 今の一撃をマトモに受けりゃ、何だって風穴が空くだろうがよ。

 岩だからって、真正面から受け止めて耐えるのかよ、普通……。


「う……」


 でかい魔術を乱発したためか、強い目眩が襲ってきた。

 思わず中腰から手をつき、その場に屈み伏せてしまう。


 竜との距離は先ほどの一撃で突き放したが、私に生まれた致命的な隙がその差をすぐに埋め直してしまった。

 灼鉱竜は開いた距離をそのままに、再び顎を広げ、口内を真っ赤に輝かせてゆく。


 ――炎が来る。


 二重にブレつつある景色の中、私はまさに坑道を進むような低い姿勢で、その場から一気に離脱した。


「うあっ……!」


 幸運にも、近くに転がっていた大きな石柱の欠片が、火焔のブレスを防ぐ盾となった。

 しかし炎の直撃を防げたからといって、その近くを通過する熱を遮断できるわけではない。

 赤い輝きの奔流にこそ呑まれはしなかったが、私の全身を強化無しには耐え難い灼熱が襲う。


「畜生が……!」


 魔術を使っても時間稼ぎにしかならず、身体強化での防御も不完全。

 最善を尽くし、自分の中にある可能性とやらも最後の一滴まで絞り尽くして闘っちゃいるつもりだが、一向に勝ち筋が見えてこない。


 魔力は消耗品だ。時間が経てば戻ってはくるが、短時間で使えば精神を痛め、反動がやってくる。

 “魂の侵食”。魔力使用の過多が一線を越えれば、目眩どころではない不快感と痛みに呑まれ、しばらく動けなくなるだろう。

 その隙はどう足掻いても敵に見逃してもらえるものではなく、蝕まれた瞬間に死亡が確定すると言っても良い程だ。


 身体強化を使っても、魔術を使っても、その懸念はある。

 ただでさえ、ミスイとの闘いから魔力を酷使しているのだ。いつ魔力切れで倒れたっておかしくはない。


 ……だけど、全力を出さずに負けるなんて、そんなの御免だ。

 あの竜を相手に、魔力をケチって倒せるもんか。

 魔力無しに、あの表皮を突き破れるもんか。


「……まだだ!」


 一発当てて効かなかったからって、それがなんだってんだ。

 一発で駄目なら二発当てりゃいいだけだ。

 二発でも駄目なら、五発でも十発でも当ててやる。


 死ぬまで諦めるな。


 闘え!


「“スティ(岩よ)ガミル(蜂起し)ステイ・ボウ(透し貫け)”!」


 精神の糸を切ってしまわないよう、十分に集中してから魔術を打ち出す。

 正面からの接近や、ある程度の炎を吹き飛ばしながら攻撃できるガミルならば、多少集中に隙を作っても問題ない。

 むしろ向こうから突進してくるおかげで、相対的にこちらの魔術による威力が上がるので、希望は強まるくらいだ。


 ……が、また押し負けた。

 岩の矛は竜の腹に衝突したが、やはり鈍い音と共に、先に岩が砕けてしまう。


「まだ、まだッ」


 場所を変更だ。

 ガミルを生成する場所を変えて、効果的に相手にブチ当てられるようにしなくては。


「“スティ(岩よ)ガミル(蜂起し)ステイ・ボウ(透し貫け)”!」


 転がり、這いずり、放つ。

 飛び退き、縮こまり、やり過ごす。


 醜いもんだ。人に見せられたもんじゃない。

 こんなにも分の悪すぎる闘いは、私の一生で初めてだ。


 まぁ、こんな闘いがそうそう数あっても困るが……。


「あ……」


 取り留めもないことを考えていることに気付いた時には、遅かった。

 灰色に染まった視界が突然、輪郭を失って、滲み、ぼやけてゆく。


「やば……」


 頭痛。目眩。吐き気。そして、動かない四肢。

 恐れていたことが起こってしまった。絶対になってはいけない状態に陥ってしまった。


 魂への侵食。魔力の急激な使用が反動を招き、私の身体と魂が発作を起こしたのである。


「う……」


 うつ伏せに倒れこむ身体は指の一本でさえ満足に動かず、魔術は理学式を組み上げる気さえも起こらない。

 頬に、懐かしい故郷の岩と感触がある。

 私が感覚としてしっかりと知覚できるのは、痛みの他にはその程度のもので、これが私の最後に感じるものなんだなと、漠然と思ってしまった。


「あ……ぁあ」


 赤い輝きを伴った巨体が、地鳴りのような足音を立てながら近づいてくる。

 私のぼやける視界の中で、熱と光を伴って、処刑人が迫ってくる。


 私は、ここで死ぬんだな。


 背には、父さんから貰ったジャケット。

 右手には、母さんのデムピック。

 そして地面は、作り物ではあるけど、故郷の土。


 ……なんだ。ここまで揃ってるなら、そこまで悪くないのかもね。


 私は強がるように口元だけ笑い、強まる熱気と白い輝きを、ただ心の中で受け入れた。




「“タブゥ(闇よ来たれ)ナブゥ(黒く染めろ)デイオルン(奴を殺せ)”!」


 けど、終わりは来ない。

 いつもの冷淡さの無い激しい口調で呪文は叫ばれ、それと共に黒い煙が、意志を持って竜を襲ったのだ。


「……え」


 目を開ける。

 微かに視力の戻ったそこには、幽霊のような黒い煙に身体を取り囲まれた竜が、身を捩らせ狂ったように暴れていた。


 それはもはやこちらを気にしている余裕などないようで、水に溺れもがく人の姿のようであった。


「ロッカ!」

「……!」


 そこで私は、遅まきながら理解した。

 これは、助かったのだと。助けられたのだと。


 岩場を走る足音が近付き、そいつは私のすぐ近くで立ち止まった。


「よお……私、生きてるの……?」

「……驚きだがな」


 暴れ、振りまかれる火の粉の向かい風を受けて、クラインが立っていた。

 彼の両手には銀色の指環型の杖が嵌められ、それは禍々しい黒い煙を湧き立たせながら、風の中に揺れている。


「クライン、それ……」

「早く立てよ、ロッカ」


 私の言葉を遮り、クラインが両腕を構える。


「いくら法に触れる魔術を使っても、オレ一人では倒せそうにないからな」

「……」


 法に触れる魔術って……おいおい、それってクライン、まさか……闇魔術かよ。

 あんた、前に属性術は六種類しか使えないって言ってたろうよ……七種類も使えるじゃんか……変な嘘つきやがって。


 ……でも、そんな人に見せられないような魔術を使ってまで、彼がここに居て……身を挺して、私と一緒に闘ってくれている。

 それは、すごく嬉しくて。


「……ちょっとだけ、時間くれない?」

「何秒欲しい。秒で言え。考えてやらんこともない」

「……二十秒くれ」


 私は瞑目し、精神を研ぎ澄まさせた。


 未だ、全身には気だるさと嫌悪感が残っている。

 でも、それに屈していられない理由ができてしまった。


 友達がすぐそこで、闘ってくれているんだ。

 呑気に死ぬまで寝てられるかよ。


「ロッカ。二十秒経ったら……一緒にそいつを、……ぶっ倒そうぜ」

「……ああ。ぶっ倒そう」


 私は彼の似合わない口調に、力なく静かに笑った。


「さて……まさか、実家で覗いた禁書が、ここで役立つことになろうとはな」


 クラインの二十秒をかけた闘いが始まった。




 彼と、巨大な竜が向かい合っている。


 闇魔術による攻撃を受けたらしいラスターヘッグは、しばらくの間苦しげな鳴き声をあげていたものの、すぐに持ち直したようだ。

 灼熱で真っ赤に染まっていた胸と腕は、黒ずんで熱が下がっているように見える。おそらくは、そこが闇魔術による攻撃を受けた痕なのだろう。闇魔術の魔力を分解し侵食する作用が、ラスターヘッグの魔力的熱を破壊したのだ。


 クラインの両手には黒い煙が宿り、妖しく揺らめきながら、宙に溶けている。


 魔道士の間でも禁忌とされる属性術、闇魔術。

 考えてみれば、クラインが“禁じられているから”程度の理由で、非常に強力な闇魔術を覚えないはずがなかったのだ。

 彼があの黒い靄を操れることは、ある意味当然のことである。


 攻撃を受けたことは、ラスターヘッグにもしっかりと理解できているようだ。

 今、私へ向けられていた殺意は全て、攻撃者であるクラインへと注がれていた。


「こいよ。あと十六秒だけ遊んでやる」


 クラインが黒い霧を発する手で挑発すると、それを読み取ったのか、ラスターヘッグの細い目から怒りの炎が漏れた。

 地響きを起こす咆哮と共に、再び竜の全身が、熱と輝きに包まれる。


「小さい獲物だと侮るなら、勝ってからにするんだな」


 竜の巨体を中心に、全方向への爆炎が膨れ上がった。


「“タブゥ(闇よ来たれ)ナブゥ(黒く染めろ)デイオルン(奴を殺せ)”!」


 回避のしようがない竜の爆炎に対抗して、クラインの放つ闇の魔術が放たれる。

 少しの風で消し飛びそうなほどに儚げな黒い煙は、しかし私の予想とは裏腹に真っ直ぐ爆炎に向かって進み、そして炎と衝突した。


「闇魔術の前に魔力生成物は無力だ」


 クラインが手をかざしている。ただそれだけのように見える。

 それだけのように見えるのに、まるで爆炎が彼を避けるようにして大穴を作り、そのままかき消えてしまった。

 闇魔術が、ラスターヘッグの作り出した炎を打ち消したのである。


 ラスターヘッグの表情は私にはわからないが、その一瞬、竜は驚いていたように見えた。

 一撃で燃え尽き、仕留められるはずの相手が健在しているのだ。それは驚きもするだろう。

 だが予想外の展開に動きを止め続けるほど、野生に生きる魔族は愚かではない。

 竜はすぐさま口を開き、全身から発する以上に密度の濃い、指向性を持った炎を撃ち出してきた。


「無駄だ!」


 だが、ほとんど光線に近い爆炎の帯を、またしてもクラインは止めてみせる。

 闇の煙は竜の放つ煙を真正面から受け止め、見事に相殺したのである。


「くっ……」


 これならいけるか、と思いきや、クラインの様子は芳しくない。

 尋常ならざる火焔に正面から対抗してはいるものの、それは無理のある防御だったのだろう。


 闇魔術について詳しいことは知らないが、光魔術に次ぐ高等属性魔術であることは違いない。

 禁術故に使い慣れるわけにもいかず、得意魔術というわけでもないそれを完全に制御するのは難しいはずだ。


「やはり、練習不足か……!」


 ラスターヘッグの口から吐き出される火焔は、容赦なくクラインへと注がれる。

 クラインは苦々しい声を漏らしながら、ただその熱線を受け止め続けた。


「く……はぁっ!」


 長くは保たない。私が嫌な予感を抱くのとほとんど同時に、ラスターヘッグの吐き出すブレスは収まった。

 押し寄せる熱気から解放されて、クラインは脱力したように膝を曲げ、猫背になって俯いている。


 それだけを見れば炎を魔術で受け止めることの難しさがありありと伺えるが、竜にとってみれば炎が効かなかった相手という結果しか見えていない。

 爆炎やブレスでの攻撃を諦めたラスターヘッグは、クラインを警戒しながらも前へ前進し始めた。


 白熱する両腕の長い爪が、周囲の岩柱を魔力的に蒸発させ、爪痕を残してゆく。

 さすがのクラインでも、あの爪の熱を魔術によって奪うことはできても、素の腕力までは止められないだろう。

 いくら魔族が魔力によって身体強化を常用しているからといっても、筋肉が存在しないわけではない。


 魔術の使いすぎで疲弊したクラインは、接近戦を試みる竜にとって、格好の獲物だった。


「……“スティ・ディレリル(いでよ破城鉄槌)”!」


 竜が速やかに爪を振るおうとした一瞬、クラインの放つ大質量の鉄魔術が竜の胸に衝突した。


 金属質の鱗にぶつかる巨大な鉄杭。

 銅鑼のような轟音が鼓膜を打ち、閃光の火花が目に焼きつく。


 クラインの投げ放った鉄杭はコンパクトだったが、それは鉄の塊だ。

 サイズは小さくとも、私の打ち出す岩の円錐に近いほどの衝撃はあったらしい。

 ラスターヘッグは不意打ちの鉄魔術を正面に受けて体勢を崩し、よろめいた。クラインはその隙を見逃さない。


「“スティ・ボウ(いでよ鉄銛)”! “スティ・アンク(いでよ鉄錨)”!」


 銛。ブーメラン。礫に刀剣。

 クラインは続けざまに、何種類もの鉄魔術を竜へ投げてゆく。

 彼の両手は指揮者のように複雑に振るわれ、一度動くごとにそれらは異なる魔術と魔光を放ち、竜を襲った。


 しかし、効かない。

 竜の体表にぶつかった鉄魔術は、いかに鋭いものであろうと、その体表から内側への侵入は許されない。

 ラスターヘッグの体を覆う硬質な鱗と、尋常ならざる強力な魔力の熱が、鋭い鉄魔術の先端を丸め、威力を著しく減衰させているのだ。


 煩わしい鉄魔術の連続攻撃に、ラスターヘッグが一際大きく鳴き叫ぶ。

 クラインは手数で勝負しているかに見えるが、ラスターヘッグの強靭な肉体は、早々に飽きたようだ。

 目も眩むような魔術の嵐も所詮は無害だと悟ったのか、悠然とした動きで躊躇なく再接近を試みている。


 一歩、二歩。

 竜の歩みと一緒に、クラインは後退する。

 だが人と竜の歩幅は同じではない。

 自然とクラインは追い詰められ、ラスターヘッグの白熱した爪の射程圏内に収まった。


 そして……。


「二十秒ッ!」


 私の休憩は終わりだ。


 上手い具合に竜の気を引いてくれたクラインの反対側から、ピックを握りこんだ私が走り寄る。


 岩地を走り、窪みを蹴り、突起を踏み台に跳び上がる。


 強化した脚によって大きくジャンプした私は、完全に竜の背後を取っている。

 竜の長い首の横から見えるクラインの表情は、追い詰められながらも、“予定通りだ”と言わんばかりに微笑んでいた。




 ありがとよ、クライン。

 アンタのおかげで私は命拾いして、デカいチャンスを掴めたよ。


 思えば、クラインには魔術から戦い方まで、なんでも教えられたり、助けられてばかりだったよな。

 最初はアンタのこと、いけすかねえ眼鏡野郎だと思っていたけど……こうして竜を挟んで共闘することになるとは、これっぽっちも予想してなかったよ。


 不思議なもんだ。


 なあクライン。

 アンタは私の大事な大事な友達だ。


 アンタを殺すわけにはいかない。

 ここでヘマを踏むわけには、いかねえよな。


 だから本気を出してやる。


 本気の本気、アンタが作ってくれたこの二十秒で取り戻した魔力を全て注ぎ込んで……この一撃を!




「おおおおッ」


 空中、竜の背後。

 左手に握り替えたデムピックで、しっかりと狙いを定める。


 灰色の針先が指し示す先は、竜のうなじ。長い脊椎のど真ん中。


 私はそこにピックを添えて、同時に右手を振り上げた。


 母さんが残してくれたデムピック。

 父さんが着けてくれた鋼の義腕。


 私は右手を強く握り込み、渾身の力でそれを振り下ろした。


 そう、それはまるで、ノミをぶっ叩くハンマーのように。


「らぁあああああッ!」


 鋼の右腕の一撃で、左手で添えたデムピックが、強く竜の首に突き刺さる。

 相手の灼鉱竜がどれだけ硬かろうと、どれだけ魔力が強かろうと、あらゆる鉱物を噛み砕くデムピックの前には無力なものだ。


 ラスターヘッグはそれまでとは異なる甲高いうめき声を上げ、ピックは容易く竜の首に打ち込まれた。

 金属板を引きちぎったような炸裂音と、石が砕けるような破砕音が同時に響く。




 それは、ひとつの竜の命が潰える音だった。


 たった一撃。

 首を狙ったその一発で、凶暴な灼熱の悪魔は動きを止め、ゆっくりと前向きに倒れ込む。

 竜の体表を覆っていた眩い熱気も一瞬のうちに減衰し、早くもラスターへッグの鱗は黒ずみ始めた。


 倒した。


 この私が、私とクラインが、ラスターヘッグを倒したのだ。


「あ……」


 竜を倒したと理解すると同時に、私は自分の中から、あらゆる力が失われてゆくのを感じた。


 一度失った精神力。たった二十秒の休息の後の、更なる全力攻撃。

 そんな無茶に、体がついてくるはずもなかったのだ。


 目眩と頭痛、吐き気から嫌悪感まで、一度は去った苦しみが再びぶり返し、私は振り下ろした右拳を握りこんだまま、ラスターヘッグと共に倒れこんでゆく。


「ロッカ!」


 私がラスターへッグの、未だ強く熱せられた鱗の上に顔を落としそうになったその間際、クラインが私の体を抱き締めて、助けてくれた……ような気がした。

 詳しいことは、何もわからない。


 私の意識は、すぐに暗闇の中へと吸い込まれてしまったから。



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