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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第十章 焼き尽くす業火

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釜012 微笑む偶像

 まったくもって許し難い、父さんからの一人手紙騒動から一夜が明けた。


 朝を迎えて私は冷静になり、まあ遠い海の向こうの人間を対岸でそう邪険にすることもないだろうと、ひとまず怒りの矛を納めたわけである。

 金が貯まり次第二倍にして仕送りを突き返す算段は変わらないが、金なき今はどうしようもない事だ。

 それに、そっちの方にばかり気をやって、学園生活を疎かにしては何の意味もない。私の本業は勉強だ。そのために水の国に来たのであって、決して父さんに仕送りするためではない。

 そりゃ、もちろん常に父さんに仕送りできるような甲斐性を身につけられたら良いなとは思うけど、だからといって傭兵と学徒を兼業するのはやりすぎだ。


 ……一時の意地に呑まれて暴走しないように、気をつけないとな。

 どうも故郷(デムハムド)が絡むと、風土を思い出して直情的になってしまう。

 同封されていたおチビ(タタミ)の遠回しで不器用な気遣いのメッセージがなければ、昨日はもうちょっと荒れていたかもしれない。




 茶髪を結い上げ、オイルジャケットを着こみ、ブーツを履いて、最小限の荷物を肩に提げ、いざ外へ。

 寮の階段を素早く駆け降り、今日も今日とて学園発表会だ。


 とはいえ、これがようやく最終日である。

 最後の一日というだけあって、見どころの多い様々な出し物が企画されているらしい。新参者の私も、無学なりに楽しみだ。当事者ながら浮ついた物見遊山っぷりだけど、気にするだけ損というものだ。

 それに、今日はリゲル導師の大講義も行われる。

 前に開かれた光属性術の講義では全くついていけなかったけど、今日のそれは一般の人向けの講義でもあるし、私でもひょっとしたらひょっとする、可能性が、無くもないかもしれない……かもしれない。


「うわ」


 そんな、重大な発表会のせいなのだろう。

 市場の通りに出てみれば、そこは既にいつものミネオマルタではなかった。

 道行く旅人、慌ただしい商人、そんな日常の間に混じって、当然のように機人警官の姿があちらこちらで散見できるのだ。


 割合で言って、ひょっとすれば旅人以上に多いかもしれないという程の数である。

 市場の中に大罪者でも紛れ込んだかのような物々しい光景は、今日のリゲル導師の大講義と、おそらく無関係ではあるまい。


 無数の観衆に包まれる、リゲル導師の大講義。

 それを守り、支える、同じくらい莫大な数の警官の警備。

 他の持ち場が手薄になっていないかどうかが心配になる非日常の中、ひとまず私は、今日の発表会の成功を確信した。




「あらウィルコークスさん、おはよう」

「あ、ルウナ、おはよう」


 学園に向かって歩いていると、偶然にもルウナと合流できた。

 こうして隣り合うまで互いの存在に気付けなかったのだから、どれほどの人の流れの中に私が包まれているかがわかってもらえるだろう。


 ルウナはいつも通り、化粧気の感じられない無垢な顔だったが、それでも今日は特別な日なのだろう、普段は着ないような鮮やかな水色のローブを着込んでいた。

 彼女のローブには、少々古臭いものの美麗な刺繍が刻まれており、特に袖口などは、内側にさえも細かな紋様が躍っている。

 貧乏臭い私でさえ、ぱっと見ただけで分かるような高級感だ。おそらく、私が昨日悩んでいたような小銭の葛藤など、鼻で笑い飛ばす程の金額で作られた逸品に違いない。


「ああ、これ? うん、ちょっと派手で似合わないよね。わかってるの」

「あ、いや、そういうわけじゃ」


 ただ凄いなと思って見てただけだよ。


「ありがとう。……これ、サナドルのローブなのよ。式典とか、こういう日にしか着ないから、どうも慣れなくてね」


 サナドルのローブ。

 そのサナドルっていうのが、“サナドルで買ったローブ”なのか、“サナドル家に伝わるローブ”なのかによって、大分意味が変わるんだけど。


 しかし小市民に過ぎないウィルコークスな私はそんな事を深く追求できず、ただ“似合ってるよ”としか言えなかった。




 そんなルウナも、途中で遭遇した他の水専攻の面々と合流すると、少々惜しみながらも私から離れていった。

 彼女たちも彼女たちで最終日の出し物だか何かがあるようで、その調整があるとのことだ。本当に、こうして見ると特異科の暇さというものが身に沁みてよく分かる。


 せかせかと去ってゆく彼女らの背中を見て、発表会をただ受け手として傍観し続けてきた自分が、ちょっとだけ情けなくなった。

 ……自分で難しい研究ができるとは思えない。でも、私も雑用係だけではなく、自分の力で掲示物でもなんでも良いから、やり遂げてみたいな。

 最終日にして今更だけど、確かに私はそう思ったのだった。




「あら、ロッカ、おはよう」

「おはよ、ソーニャ」


 正門を潜って庭園に向かって歩いてゆくと、見栄えの良い細木の傍らに、微笑むソーニャの姿があった。

 恵まれた顔に木陰を作り、優美に微笑みながら右手を掲げる美女の姿に、私の周りにいた野郎どもが私以上に反応したのが、まぁわからなくもないんだけど、何だか無性に鬱陶しい。

 私が何かやるといつも誰かが“ひっ”とか“すみません”とか訳のわからない反応をするから、ソーニャの醸しだす雰囲気は正直嫉妬を込みで羨ましいものだった。


「どうしたのロッカ、今日も機嫌悪いの?」

「ううん、そういうのじゃなくて、ソーニャが良いなって思った」

「なによそれ」




 発表会の最終日を迎えた学園は、門をくぐった時点で既に雰囲気がいつもと違う。

 数日前から目にしている招待客の姿も、この日はどこか入念にめかし込んでいるような雰囲気が感じられた。


「昨日よりも、雰囲気が……」

「ほんとね。これまで来てなかった著名人も沢山来てそうだわ。あ、今日も館長さん来てるんだ……」

「著名人ねぇ……最終日にだけ満を持してって奴?」

「そんな見栄っ張りも多いかもね」


 この学園に招待された紳士淑女の中には大勢の“旧貴族”とやらがいるのだろう。

 近寄りがたい壮年の一団からは“水国の未来は明るいですな”とかなんとか器の大きい言葉が聞こえてくるし、きっと間違いない。

 向こうの方で談笑してる淑女達からは“ここのビスケットケーキはとても美味しいんですよ”とか何とか、随分詳しそうな話が……。


「あ、ウィルコークスさん!」


 なんて事を考えていると、淑女達の輪の一人が声をかけてきた。

 咄嗟の出来事に私が“えっ、貴族がなんで”と頭の中を混乱させる間に、紺髪の淑女は微笑みながら、上品な歩みでゆっくりと近づいてくる。


「……って、マコ先生」

「ええ、おはようございます。エスペタルさんも、早起きですね」

「あ、はあ、おはようございます……」


 どこぞのやんごとなき淑女かと思ったらマコ導師だった。

 全く見苦しくない彼の体型が透けて見えるほど軽い、ふりっふりのシフォンローブ。菫柄の花柄が散りばめられた小さなバッグ。マコ導師、完全装備である。


 あなた二十五歳ですよね。未婚ですよね。とか言ってやりたいけど、言った瞬間に私が戦わずして敗者になってしまう気がする。

 ふと隣を見れば、ソーニャもそんな顔をしていた。


「今日は最終日ですから、これまでに無かった出し物が沢山見られると思います。ウィルコークスさんは、今回が発表会は初めてでしたよね?」

「あ、はい」


 そんな晴れ着で来る男の人も初めて見ます。


「だったら、夕時の藍色花火も見応えがありますよ。時間は決まっていませんが、空が茜色に染まった時になると打ち上がる花火なんですけど、藍色がとっても綺麗なんです」

「へー……藍色の花火」

「藍色だけでよくそこまでやるわーってほど綺麗なのよ」


 故郷では、爆音と共にカッと輝くような無骨な花火をよく見るけど、それとは違うのかな。

 雷の国とか水の国の花火は綺麗だって、話には聞くんだけども。


 しかし導師であるマコさんから、勉強とは関係のないおすすめが聞けるとは思わなかった。

 てっきり、今回の発表会の見所展示物を熱心に奨められると思ってしまった。


「最初は展示の内容も難しくてついていけないでしょうから、楽しむことを考えたらいいですよ」


 マコ導師は、ライカン五十人くらいを卒倒できそうな笑みでそう言った。

 どこか遠くで、野太い声が“はいッ!”と元気よく叫んでいる幻聴を聞いた。


 最後に“エスペタルさん、できればウィルコークスさんの案内をしてあげてくださいね”と言い残し、マコ導師は裾をふりふりと揺らしながら、淑女の立ち並ぶ異次元へと還ってゆく。

 無駄に爽やかな仄かな石鹸の残り香が薄れると、私とソーニャは互いに肩を竦め、意味もなく首を傾げ合うのだった。




 マコ導師の言った通り、今日は本当に色々なイベントやら発表が行われるらしい。

 最後なだけあって、野蛮なお祭りという雰囲気は一切排されている。今日だけは闘技演習場も使われず、休戦日なのだそうだ。

 第三棟の演習場はリゲル導師の大講義に使われるものの、第二棟の演習場はがらんどうに変わり、人っ子一人いなくなるとのこと。

 かわりに、おしとやかというか、上品というか、そんな“貴族っぽい”催しが成り代わるように配分を増している。

 今私がいる庭園の一角で行われている屋外演奏会でも、その性格の片鱗が垣間見えるだろう。


「おー、すごい。こんな荘厳な演奏、私初めて聴くよ」


 緩やかなローブではない、きっちりした正装を着込んだ学徒たちが、艶やかな飴色の弦楽器や金色の管楽器を手に持ち、狂いのない美しい旋律を奏でている。

 勘場に群がるような聴衆の群れは即席で置かれた椅子に腰掛け、真面目な表情で静かに聞き入っていた。


 なんとなく一番外側の椅子に座った私達も聴衆の一部であるが、後ろは後ろなりに、それなりの小声で話していても疎まれることはない。


「ミネオマルタ学徒音楽隊よ。全員学徒だけなんだけどね、毎年毎年すごく上手なの。これだけのために毎年足を運ぶ価値があるくらい」

「これが全員学徒って、すごいな」

「……ま、育ちがいいのよね。あそこで演奏してるのは選りすぐりで、実際はもっといるんだけど」

「ああ、そういうこと」


 ミネオマルタ学徒音楽隊は毎月のちょっとした会費を払えば誰でも入れるけれど、何度かある機会に演奏できるかどうかは結局、本人の腕前次第なのだそうな。

 競争は激しく練習も厳しいが、代表奏者に抜擢されれば、大きな集まりなどで闘技演習場の音楽隊席で演奏できたり、時々ミネオマルタの劇場に足を運んで、大々的に披露することもあるのだという。


 片手金笛(ブラスリード)でヤマの唄しか演奏できないけど、私も頑張れば楽隊に入れるかな。

 ……いや、もちろん冗談だけどさ。


「ソーニャはこの後どうする?」

「この後って?」


 演奏に区切りがつき、楽隊の一部が交代する休憩時間の合間、私達は丁度いいからと席を立ち、学園棟に足を向けていた。


「今日は色々あるじゃん。リゲル導師の講義とか……あ」

「あー……」


 いけない、馬鹿した。

 ソーニャがリゲル導師に対して複雑な感情を抱いているのを忘れてた。


「まー、うん。光属性術ね……私も特異性のこともあるし、興味がないわけじゃないけどさ」

「ご、ごめん」

「そんなに気にしないで。けどごめんね、私、そうでなくても今日は学徒指令が入ってて無理なのよ」


 ソーニャは青い目線を悩ましそうに斜めに上げて、頬を掻いた。


「学徒指令って、こんな日にも?」

「ええ……夕方にね。丁度あの女の……リゲル導師の講義時間に入ってるから」

「そうなんだ……」

「けど、逆にありがたく思ってるわ。もしかしたら、導師さん達の配慮なのかもしれないわね」

「あー……そっか、なるほど」


 リゲル導師とソーニャの不仲を察した導師さん達の配慮か。

 でもなんかそれ、いらん世話焼きな気がしないでもないなぁ。




 リゲル導師を話題に挙げたのが不味かったか、それとも荷物を抱えたクラインがこちらを見つけてズンズンと早歩きでやってきたのがいけなかったのか……ソーニャは急に用事が出来た風な物言いで私と別れ、棟の中へと入ってしまった。

 ……まぁ、間違いなくクラインのせいなんだろうけどさ。

 ソーニャのやつ、クラインのこと大分嫌ってるみたいだし……。


「なんだ、もう一人のエスペタルは用事でもあったのか。二人いれば手早く用を済ませられたものを」


 こんな性格じゃ、嫌われて当然だもんな。

 それでも付き合っていられるのは、理解した上で一歩も二歩も引いてやれる人間だけだろう。


「ソーニャをアンタの雑用に巻き込むなよ。用って何さ」

「大したことではない。君の身体強化さえあれば成人男性四人分の働きは期待できるだろう」

「デリカシーって言葉知ってるか」

「君も知らないだろ、今度先生に聞きたまえ」

「おう」


 そんな私も、クラインに一歩も二歩も譲る、心の広い友人の一人だ。

 個人の心情としては、出会い頭の度に肩を思い切り殴りつけてやりたい程小憎たらしい奴なのだが、私は彼に対して、並々ならぬ借りをこさえている。

 闘技演習や、それ以外の時でも、彼から差し出される知恵の数々は私の学園生活の支柱となって、何度も窮地から救ってくれたのだ。

 クライン自体はあまり見返りを求めてこないけど、そのままだと収まりが悪くてたまらないのが、私の家が貧乏たる所以であろう。

 嫌な奴だ嫌な奴だと言いながらも、なんだかんだで私は、クラインからの頼み事を断りはしない。


 ……まあ、大抵の場合はクラインがその都度魅力的な報酬を用意してくれるおかげで、私の画策する静かな恩返しも、なかなか達成されないわけなんだけど。




 手伝いは本当にただの力仕事なので、驚くほど速やかに完了した。

 ただしそれは私基準であって、同じ場所にソーニャがいたとして、彼女が役に立てていたかどうかは甚だ疑問の残る内容ではある。

 男でも腰の辺りまでしか持てないような荷物を、頭より高い場所にいくつも置くという重労働、これがソーニャにできるかといえば、不可能だ。

 クラインは二人で一つの箱を、とか何とか言うつもりだったんだろうけど、それでも私としては、あまりソーニャにキツい運動をしてほしくないと思っている。

 私は肉体労働派の雑草だから別にいいけど、彼女は華なのだ。華が石の重さに負けて潰されるなんて光景は見たくない。


 ……ちょっと父さんみたいかな。


「二人とも、助かりました。ユノボイド君に字選室の在庫状況を話していなければ、私達は明日、とんでもない筋肉痛で動けなくなっていたかもしれません」


 作業が終わり、手伝いを求めていたらしい細身の女性たちが頭を下げた。

 私にとっては大したことのない作業でも、彼女らにとってみれば重労働だったのだろう。汗をかいた額に、癖のある前髪が張り付いていた。


「気にするな。前に都合してもらった鍵のこともある」

「ちょっと、それは内密にと」

「ああ、そうだったか」

「気をつけてくださいよ、もう」


 いや待て、鍵って何だよ。


「ウィルコークスさん、今のは他の方々には内緒にしてください。お願いします。この通りです」


 何の事だかはわからないけど、後ろめたさと鍵っていうキーワードだけで、大まかな予想はついてしまう。

 一般の学徒が立ち入りを許可されていない部屋か、それとも何らかの倉庫か……。


「え、いや、まぁ別に、何のことかわからないから、別にいいけど……」


 だからといって、私はそれを追求するような人間でもないし、理由もない。あと、そもそも興味だってない。

 ただ、その鍵とやらの件に火がついた際、火の粉が私に降りかかってこないことを消極的に祈るばかりだ。


「くれぐれも……特に導師さん達には、内密に……」


 だからあまり、そんな思いつめたような顔で何度も釘刺さないでくれないかね。

 いくら私でも退学は怖いんだぞ。




「ご苦労、ウィルコークス君。これでオレの見回り時間が十二分は伸びたことになるだろう」


 僅かな時間ではあるが、いい運動をした。人の役にも立った。それは良い。

 棟連絡橋の大窓を開けば涼やかな風が入り込み、僅かに火照った身体を冷ましてくれる。それも良いだろう。

 しかし、さほど清々しくはない。完全に最後の後ろ暗いやり取りが原因である。


「……クライン、追求はしないけどさ……」

「良いだろう、報酬に口止め料を追加してやる」

「アンタ私を金の亡者か何かだと……その訝しむような顔やめろ、オイ」


 別に私は金が欲しいわけじゃない。……本当は欲しい事情もあるけど。


「なんでアンタはそうやって、学園のあちこちに入っていったり、関わったりしてるのさ」


 自分から追求はしないと言ったのだ。鍵のことはもはや何も聞くまい。

 だから私は、もっと大まかな質問をクラインにぶつけた。


「どういう意味だ」

「そのまま。なんで、学園のヌシみたいになってるのかってこと。クラインはもう、学園の施設をほとんど使えるんでしょ?」

「まあ、それは事実だが」

「じゃあどうして、今でもあちこちを手伝うように、右往左往してんのさ」

「しれたこと」


 クラインは悩む素振りも、答えを戸惑う素振りもせずに、眼鏡のツルを整えた。


「儲かるからだ」

「……儲かる?」

「ああ。学園とはいえ一枚岩ではない。それぞれの場所で管轄する導師もいれば、学科もある。研究や準備のために時間を取られる大勢の学徒達は、常に学園内の複雑な機構や施設の管轄に翻弄され、苦しんでいる」


 クラインがニヤリと、悪そうに……実際に悪っぽく、微笑んだ。


「そんな学徒達の間に入って、諸問題を解決して回るのがオレだ。仲介料、報酬、それらは現金として換算すると、オレ自身がギルドではないためにあまり多めには取れないが……物品などの物々交換を条件とすれば、儲けは際限なく出てくる」

「物々交換……」

「そうとも。オレが困っている学徒に何らかの労力や知識や情報、または物品を提供することで、その見返りに、彼らがもつ特有のものを受け取る。例えば、魔具科であれば魔石とかな」

「おお……おお、なるほど……そういう仕組み……」


 今更初めてまともに聞いたけど、クラインが学園内を忙しく歩きまわっているのにはそんな理由があったのか。

 魔具科のイツェンさんとも共同開発みたいな事をやってたし、おそらく他の学科にも似たような手は伸ばしているのだろう。

 そして、イツェンさんの様子を思い起こす限りでは……クラインによる手伝いは、暴利というわけでもなさそうだ。


「講義は退屈だが、学園施設の利用という観点で言えばオレは満足している。何せ、市場ではなかなか手に入らない品物をすぐに取り寄せることができるし、過剰な分は他者に譲って、別の物に変えることもできるのだからな」


 確かに……何でも屋として、クラインはとても役に立っていると思う。

 先ほど別れた女子学徒達も、彼には純粋に感謝していたように見えるし。

 以前に聞いた噂でも、クラインが嫌なやつだという話はいくらでも聞くが、学園内で阿漕な商売をやっているというのは耳にしない。


 だけど……。


「……なあクライン、犯罪に手を出してないだろうな。さっきも鍵とかなんとか聞いたけど」

「いきなりなんだ、失礼だな」

「いいや、これは友達に対する最低限の思いやりってやつだよ、思いやり。友達が道を踏み外してたら嫌だろうが」

「……ふん、何が友達だ」

「あ、おい」


 クラインは大きく鼻を鳴らすと、猫背に似合わぬ早歩きで連絡橋を歩き去ってしまった。


「なんだよアイツ……」


 なんだよも何も、いつだってクラインはあんな調子なんだけどさ。

 しかしここ最近、あいつはどこか、よくわからない逆鱗に触れられたように、弾かれるようにどこかへ行ってしまう事が多い。

 元々、私の理解の及ばない性格をしている奴ではあるが、近頃は特に訳のわからない行動が増えたように思う。


 ……私も友達と自称してはいるが、まだまだアイツのことを、ちっとも理解してないんだろうな。




『どうしたロッカよ。拳のことで悩みがあるなら俺に言え』

「……デカくて着られる服が少ないんだけど」

『そういう話はソーニャにするんだな!』


 いきなり現れてなんなんだよお前は。


「おはようライカン……ていうか、いきなり何事?」

『いやなに、ロッカが浮かぬ顔で黄昏れていたのでな』

「そんな顔してたかぁ」


 冷たい右腕で頬をぐにぐにと揉み、意識をしゃんと覚醒させる。

 存在感のある野太い機械音声のする方へ顔を向けると、そこにはやっぱり、待ち合わせ場所の目印にしても恥ずかしくない大男、ライカンが立っていた。


 ライカンは大柄で、力持ちで、そして……まぁ、概ね人格者だ。

 武者修行や、不毛かつ修羅の道を行くが如し恋に身を投じてさえいなければ、嫁の来手などいくらでもありそうな男である。


 前に、ライカンがこの学園にやってきた理由を話してくれたことがある。たしかその時は、ボウマの付き添いのようなものだと聞いた記憶があるが、それは今にして考えると、もったいない事だなと思ってしまう。

 ライカンほどの男だ。男手として価値は、そこいらの奴の何倍もある。彼の故郷、八卦街アンダマンについては詳しく知らないけど、どこだろうと嫁探しには困らないくらい、男としての価値があるはずだ。


 それはこのミネオマルタでも同じ。闘技演習場では格上の魔道士相手に、何連勝ともなる雄々しい大活躍をしてみせたのだ。

 強い男に惚れない女はいない。少なくともデリヌスと戦った時の迫力や凄まじさなどは、帰り際に女学徒らに囲まれてもおかしくなかったくらいである。


 それでもライカンの周囲から浮ついた話や雰囲気が漂って来ないのは、彼が全機人だからなのだろうか。

 それとも、頭部が狼という、あまり類を見ない造形であるからだろうか。


 もしくは……。


『それにしてもロッカよ、今朝マコ先生を見たのだがな』

「うん」

『あれはすごいな……』

「そうだね」

『頑張って貯金してカメラを買おうか悩んでしまったのだが……ロッカ、お前はどう思う?』

「うん」


 もしくは……まぁ……そうだな。

 ……ライカンなら、自分から相手を探していれば、すぐに嫁さんが見つかると思うよ。うん。




 ライカンの胃もたれする話に付き合ってしばらくしていると、窓の外から聞き覚えのあるはしゃぎ声が響いてきた。

 私はライカンからの相談という名のよくわからない精神攻撃から逃れるべく窓を開け、下にいる人影に顔を向ける。


 幸い、その声の主は親しい友人で、ボウマによるものだった。

 更に幸運なことに、隣にはヒューゴもついている。お守りご苦労様だ。


「おーい、二人ともー、こっちこいよー」

『む? おお、ヒューゴ達も来たか』


 そしてヒューゴ、すまんが私の方のお守りも手伝ってくれ。




 二人は私達を認めるとすぐに階段を登ってきて、ボウマなどは身体強化を込めて私に飛びついてきた。


「わっはー」

「そうはいくかっ」


 私はボウマのタックルをそれ以上の身体強化で相殺し、首根っこをつまみ上げて、いつも通りライカンの肩に放り投げる。


「おふ」

『おっと』


 ボウマは器用にライカンの大きな肩の上にお尻から着地し、ライカンもライカンでうまくバランスを取るので、ある種の曲芸のようなものが完成してしまう。

 意図して誰かがこの流れを作ったわけではないものの、ボウマは一連のこれが好きらしく、事あるごとに私にタックルをかましてくるようになった。

 たまに油断してぶつかられることもあるので、私としては迷惑極まりない遊びである。もちろんやられた時はやり返すけど。


「ボウマ、学園内では強化して走るなっていつも言ってるだろう」

「やーだねぃん。だって強化したほうが速いもん」

『そういう問題じゃないだろう』


 ボウマは十五歳。いい加減、物の加減というものを覚えてもいい頃だろうに、彼女にはどうも、それが無いらしい。

 歳相応に“わかっている”部分もあるのだが、本来もっと小さな子供でも知っているべき部分が“わかってない”事もある。たまに賢そうな事を言ったりやったりで感心させてくれるのだが、気を許すと何をしでかすかわからない、爆弾のような奴だ。


「だって学園なんて頑丈にできてるじぇ? ちょっとくらい無茶しても大丈夫っしょ」

『まぁ、ちょっとくらいなら』

「何甘やかそうとしているんだいライカン。ボウマ、駄目なものは駄目なんだ。確かに学園は丈夫だけど、それは鉄骨に魔金を使っているからであって、石造りの部分まで壊れないわけじゃないんだぞ」

「ぶーぶー」

「こら、ぶーぶー言うんじゃない」


 ただ、ボウマはこれでも、最初の頃よりは丸くなっているらしい。

 彼女は三年前に、ライカンと一緒にこの学園にやってきて、特異科に入学することとなった。当時は本当にお転婆で大変だった……というのは、ヒューゴとライカンから聞いているものの……今よりもお転婆というのは、ちょっと怖くて想像したくないものである。

 まあ、明るく元気で、悪い奴じゃないんだけどね。ちょっと、タガが外れやすいだけっていうか。


『そんなことよりもヒューゴ、お前今朝、マコ先生のお姿を見たか?』

「先生かい。うーん、今日はまだ見てないな」

『一見の価値ありだぞ。あれは良いものだ。いや、あれを見ずして今日の発表会に足を運ぶ価値など、どこにあろうものか』

「ライカン、君はこの学園で何の発表会が行われているのかわかっているのかい」


 そして私の思惑通り、律儀にライカンの話に耳を傾けている彼がヒューゴである。

 よく気が利いて、頭の回転も早く、私達はみんな身体強化が使えるから埋もれがちだけど、学園の中ではかなり体力がある方だ。

 個性を出さないというか、人の補助や手助けに回るお人好しな性格のために、クラスの中でもあまり目立つことはしないけど……彼がいなければ、私達は何事にも歯止めがきかず、大暴走を繰り返す未来が容易に想像できる。

 一般的で常識的で当然な言葉を、適切な場面でくれる。それはなんて事無いように思えてしまうが、実際その存在を身近にしてみると、非常にありがたい。

 誰かが暴走しそうな時、誰かの感情が大きく触れた時、そんなときに常に声をかけ、時に手をかざしてまで抑えてくれる友人が彼、ヒューゴなのだ。


「ところであの時買ったスクラップ品のギアボタンの詰め合わせ、何か使えそうなやつはあったかい」

『そうだなぁ……買ったはいいが、やはりヒューゴの言う通り、どれも端の方が刺々しくてな……』

「ほら言わんこっちゃない。僕はあの時言ったじゃないか」

『ううむ、店で見た時には良かったんだが』

「ねーねー何の話してるん?」

「ああ、この前ライカンと一緒にスクラップ品の店に立ち寄ってね……」


 三人とも、私がこの異郷の地、ミネオマルタで出会った、かけがえのない友達だ。

 魔道士の友人としては一癖も二癖もある彼らだけど、私はそのくらいの方が丁度良い。

 時々文句を垂れたり、やれやれと溜息つくこともあるが、それは心の中で“良し”としているからこそのもの。


 彼らと一緒に過ごす学園生活には当然、限りがあるけれど、別れのその時まで、今日のように馬鹿なことしたり、笑い合えたらいいなと思う。

 もちろん、ソーニャの手を引いて、彼女も一緒に。

 当然、しかめっ面のクラインもぶち込んでな。





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