釜011 隠された書店
「何故、あの竜が死ななければならないのだろう」
イズヴェル=カーンは、唯一親交のあるミスイに悩みを打ち明けた。
「研究材料だからではないでしょうか」
ミスイは古びた本棚から薄い魔導書を取り出しながら、淡白に答える。
相手が年下の友人であっても遠慮はしない。ミスイはあくまで論理的に、現実的な答えを突きつける。
イズヴェルも、そんな答えが返ってくることはわかっていたのだろう。しかし彼女の返答に耐えるほどの余力は無かったのか、苦しそうな表情で、自分を丸め込むように小さく頷いている。
「わかっている、僕だってわかっているんだ、ミスイ。でも、どうしても悩んでしまうんだよ……」
「……どうしても、ですか」
二人がいるのは、古びた魔導書店の、古書の棚の前。
老いた主人はカウンターで眠りこけており、店内には他の客はいない。
奥まった佇まいの、人気の無い店だ。
夕時ともなれば、これから人が来るということもないだろう。
「ですがイズヴェル、貴方は以前にも、似たような事で悩んでいましたね」
「……ああ、そうだね」
「前は確か、ウサギでしたか。更にその前には、コビン……私の記憶が正しければ、イズヴェル。どれも最終的には、似たような結論に至っていたように思うのですが」
「ああ、そうだよ。僕はいつも、それは仕方ない事なのだと思ってきたし……納得してきた」
「嫌々、なんですね」
「そりゃあそうだよ」
イズヴェルの拗ねたような口調に、ミスイは“ふっ”と嘲るように笑った。
印象の悪い笑い方ではあるが、彼女の笑みに、これといった悪意はない。ある種、癖のようなものだ。
「だって、やっぱり可哀想じゃないか」
「イズヴェルは、魔族や魔獣を狩る地方の出ではなかったですか」
「それはそうだけど、僕の故郷で狩る相手は……」
「相手が悪い魔族だから狩っても良い、ですか?」
う、とイズヴェルが言葉を詰まらせる。
「檻の中で身動きが取れないから可哀想。追いかけられていて、捕まりそうだから可哀想……しかしどちらも必要だから、人に殺されるのではないですか」
「そ……それは」
ミスイが分厚い古書を閉じ、曇った音を立てて弱腰になったイズヴェルをじとりと睨んだ。
冷ややかな眼差しは、まさに“冷徹”の名に相応しい。
「研究だって、遊びでやるわけではありません。魔族の生態を把握するためには、それも必要な事でしょう。実際、今現在のネムシシ帳にある魔族の詳細のほとんどは、そういった数々の実験の積み重ねによって生み出されたものでしょうし」
そこまでミスイが言い切ると、イズヴェルは何も言えなくなってしまい、俯いた。
良い魔族と、悪い魔族。生かされる魔族と、殺される魔族。何度も言われ、諭されてきた事だ。彼も心の中では、自己の矛盾に気付いていたのだろう。
しかし彼もまだ十五歳。成人一歩手前とはいえ、子供であることには変わりない。
理屈ではわかっていても、その上で不満を零したくなるものなのだ。
「……まあ、イズヴェルの気持ちもわからなくはないですけどね」
見るからに落ち込んだイズヴェルに、ミスイ自らが助け舟を出すと、沈んだ顔はぱっと明るくなり、すぐに元気が戻ってきた。
そんなあどけない表情が微笑ましかったのだろう。普段は仏頂面なミスイも、彼の微笑みに釣られ、口元を緩める。
「檻の中に閉じ込められ、厳重に保管される幼い竜……可哀想と思う気持ちは、まあ」
「……わかってくれるかい? ミスイ」
「わからなくも、ないですかね」
「む……」
イズヴェルがむくれっ面になり、逆にミスイは愉快そうに目を細めた。
そんな彼女の笑顔もどこか意地が悪そうであるが、やはり邪にすぎる悪意があるわけではない。
ミスイにとってイズヴェルとは弟のようなものであり、そんな彼の挙動一つ一つが、どこか眺めていて面白いものなのだ。
彼を虐めているというよりは、保護者として微笑ましく見守っている、という感が強いだろう。
「研究対象にされ、殺される……なんとも切ない話ではありますが」
「……そう思ってくれるかい」
「……そうですね、イズヴェルの思いに同調する程度ならば」
「うん……なら、十分だよ。ありがとう、ミスイ」
「別に、構いません」
そっけない返事を返すミスイに苦笑し、イズヴェルは本棚に目を向けた。
古代魔術、古代詠唱法、杖の手入れとその道具、などなど。ひとつの棚だけでも、店は様々な本で満ちている。
とはいえ、ミスイもイズヴェルも共に勉強熱心な二人だ。
この程度の書店にある魔導書ならば、必要な分野はほとんど読み終えていると言っても過言ではない。二人がここに来たのも、古本として入荷した新しい物がないかという下見であり、多くを期待するものではなかった。
あれば良し。なければ静かで、話ができる。
この書店はイズヴェルとミスイにとっての、ちょっとしたカフェのような存在なのだ。
「あ」
イズヴェルは、本を見て思い出した。
「……ミスイ、最近クライン=ユノボイドについて……」
「クラインが何ですか?」
「あ、うん……ちょっと、彼について、気になったことがあってね」
「どうしたのです。クラインに、何か悪いことでも?」
ミスイは体ごとイズヴェルに向き直り、表情を真剣なものに変えて訊ねる。
彼女の対応の変わりように一瞬イズヴェルも気圧されたが、話の内容はそれに劣らず重要だ。
「……彼が、新しい杖を欲している……という噂は知っているかい」
「ええ、もちろん。より強い杖を求めているというのは、一部では有名な話ですから」
「じゃあ、今彼がつけている指輪の素材についても?」
「……イズヴェルはそれをご存知で?」
ミスイが目を細めて尋ねると、それと真っ直ぐに向き合って、イズヴェルが頷く。
「柄は銀、導芯は細く加工したバァーの爪、導芯の被覆はラテマイト、先石は暗がりの結晶……だろう? どれも夜魔や、汚れた悪しき魔族の素材ばかり……確かに強力だけど、曰くつきと言わざるを得ない指輪だよね」
「……ええ、そうですね。しかし彼もそれに満足はせず、次の指輪に変えたいと考えているようですが。なかなかそのための資金や金銭が集まらないようで……」
「うん、そのことなんだけどさ」
「……それが何か?」
少しずつミスイの口調が固く、雰囲気も冷たいものになりつつあるが、この程度であればまだイズヴェルの感知範囲外。
彼はミスイが発する気迫に臆すること無く、言葉を紡ぐ。
「もしかしたら、彼は……」
静かな書店に、潜めた声が擦れるように響く。
二人の会話は、すぐ近くの老いた主人にさえも聞こえていなかった。




