盥003 目指す騎士
ついてこい、と言われたので、デリヌスについていくことにした。
あまり見知ってもいない男に、しかも身体強化込みの私よりも腕力が強いであろう男についていくのは、ちょっと不用心かなとは、自分でも思う。
けどデリヌスのような男が私なんかに手を出すとは思えないし、ここにはそんな軽い判断をガミガミと咎める父さんもいない。
そういうわけで、私は渋々としたデリヌスに案内されるがまま、ミネオマルタの人気の薄い路地をゆくのだった。
人が多いはずの、ミネオマルタ。
しかしデリヌスは、あくまで路地裏のような場所を、縫うように突き進んでいる。知らない道順はなるべく覚えようとしているけど、つい覚えていられるか、不安になる複雑さだ。
この先に何があるというのだろう。彼が言うには、ナタリーがいるらしいんだけど。
内心ちょっと訝しみながらも、私は素直に案内された。
「どりゃァ!」
で、ついた先がここである。
風雨によって古びた貝煉瓦造りの地下階段を降りて、塗装が剥げた金属扉の向こう側で、女が威勢良く、甲高い声を張り上げていた。
「せいッ、はぁッ!」
槍を振るう動きは、流麗。
薄暗い部屋の奥で、布達磨を相手に槍をぶん回す彼女の姿は、無知な私にも美しいものに映った。
それは、少なくとも素人が鬱憤晴らしにやりそうな、物への八つ当たりなどではない。
洗練された戦士の動きであると、一目で理解できる。
「おい、酒を買ってきたぞ」
「何っ、本当かデリヌスさん!」
隣のデリヌスが瓶を掲げると、壁の影から勢い良くロビナが飛び出てきた。
突然現れたロビナは、尻尾を振る犬みたいに嬉しそうな顔をしてたのだが、私を見た瞬間に一気に冷めたようで、怪訝そうなものへと変わる。
「……あのう、デリヌスさん。そこの女、なんスか」
「見ればわかるだろう。いつも噂しているロッカ=ウィルコークスだ」
ゲェ。
ロビナは、そんな声が聞こえてきそうな顔をしてみせた。
「んなぁっ!?」
布達磨に槍を振り回していたナタリーは、もうちょっと予想と違った反応をしてみせたけど。
薄暗い部屋は、どこかのバーみたいな内装である。
そこの、ちょっと広い場所に丁度良いサイズの、しかしバーとして見れば場違いな大きい丸テーブルが置かれ、カウンターのチェアと別の椅子を合わせたような急ごしらえの席に、私達は揃って座っていた。
「デリヌスさんよー、なんでそいつ連れてきたんだよぉ」
私の脛をコツコツと軽く蹴りながら、テーブルの向かい側に座るナタリーが悪態付いてくる。
ロビナといい、こいつといい、どうも私は歓迎されていないようだ。
まぁ押しかけたようなものだから、申し訳なくは思ってるんだけど。
席につくのは、お馴染み悪名高き、ナタリー=ベラドネス。
ライカンと死闘を繰り広げた、デリヌス=……えっと……マイングルード。
ナタリーの腰巾着、ロビナ=ジェクタリス。
同じく、けどもうちょっと理性的な雰囲気のレドリア=デンドロン。
で、あと、えっと……。
「……俺、ジキル=ヘルエンテだから。覚えておいてくれよ」
「ああ、ジキル、そうだ、ジキルね」
白髪の整った顔の男は、汗を浮かべた顔でそう言った。
ジキル=ヘルエンテだ。
何度か顔を合わせた男なんだけどな……あまり印象にないというか。
あれ、ヘルエンテって姓、どこかで聞いたことあったっけな。
何か、頭にひっかかるけど……まぁ、私の事だ。多分気のせいだろう。
地下の、薄暗いバー。
ここにマスターは居ない。
棚に並んでいる瓶やグラスの少なさを見るに、ここは既に廃業した後の、店の抜け殻なのだろう。全体的な雰囲気は、水の国のバーにしてはどこか大衆の酒場のような無骨な雰囲気があり、居心地は良い。
逆に、その粗暴な感じが水国の肌に合わず、廃業のきっかけに繋がったのかもしれないけど。
ともかく、そこにナタリー達一同は会しており、私もその輪の中に加わっていた。
寂れきったバーの、鉄国出身の若者達。
テーブルの上には、先ほど購入したグログの他にも、いくつかの酒瓶や、干し肉や豆類が置かれている。
「ああ、まぁ、俺が口を滑らせてしまったわけだ。すまなかったな、ナタリー」
「すまなかったなって……あー、クソが……」
ナタリーが困ったように頭をボリボリと掻いている。
彼女はデリヌスに対しては強く出られないのだろうか。ナタリーが悩んでいるのも、なんだか珍しい光景だ。
「見世物じゃねーぞコラ!」
「いってぇ!」
痛い! そんなもん投げるな!
なんだこれ、コルクか!
「だいたいなぁ、ここは鉄国の人間しか入れないなぁ……!」
「ナタリーよ、ロッカも同郷だろう?」
「……そうだけどなデリヌスさんよ」
「そっスよデリヌスさん。わざわざ、ここに案内することはないでしょーって」
「いや、私も突然押しかけたのはすまないと思ってるよ」
元々、鉄専攻の人から歓迎されるなんて微塵も思ってない。
今日私がデリヌスに頼んでついてきたのは、今日だけはどうしても、隙あらばナタリーと話したかったためである。
今後もここに寄ろうなんて思っちゃいない。だから、今日だけは我慢してくれると嬉しい。
そのくらいの要求を突きつけても文句を言われる筋合いは無いはずである。こうしてグログを一本、気前よく譲ってやったのだから。
「ていうか、このバーって何なの?」
「あー?」
頭を掻くナタリーをよそに、部屋の中をつぶさに観察する。
バー……で、ある。バーに似せた部屋というわけではない。これほどの店をミネオマルタに、しかも地下に構えるのは、相当な金がかかりそうな気がする。
「ここは、見ればわかると思うが、元々古いバーだったんだけどな。マスターが歳でやめるからってんで、その時常連だったデリヌスに、バーの部屋だけくれたらしいんだよ」
私の疑問に答えたのは、ジキルだった。
「このバーをまるまる譲るって、気前良いな……」
「うむ。といっても、経営ができるわけではないからな。寮費も馬鹿にならんだろうから、代わりに使ってくれと言われて、半ば押し付けられるようにして鍵をもらったのだ」
「それを、私達みんなの集い場として使い始めたってわけ」
グログに口をつけながら、レドリアがフフフと奥ゆかしそうに笑う。
いつでも使える広い屋内って、それだけで便利そうだ。
酒瓶はここに置いておけばかさばらないし、店と違っていくら騒いでも問題ない。途中で酒に潰れようが、眠ろうが大丈夫。
さっきのナタリーのように、槍を持って訓練しようが平気だ。
ライカン達と一緒に飲み食いするなら、こういう場所でやりたいな。
素直に、ちょっと羨ましく思う。
「で、ロッカちゃんはなんでここに来たわけよ」
私の脛に依然として爪先を当てながら、ナタリーが訊く。
皆もそれには興味があるようで、一斉に顔が私へと向けられた。
「ナタリーに会いたくて来たんだよ」
端的に告げると、ナタリー以外が互いの顔を見合わせ始めた。
あ、これ駄目だ。違うわ。語弊があるわ。
「いや、そうじゃなくて。あれだ。ミスイとの事で、話がしたいから来たんだよ」
慌てて誤解を解けば、それはそれで、皆の表情が強張った。
中央に座るナタリーもまた、いつになく真剣な目つきに変わっている。
「ミスイ、な」
「闘技演習、するんでしょ」
「まぁねぇ」
キシシと笑いながら、ナタリーは皿の上の干し肉を細く裂いて、その一本を煙管のように咥えた。
「随分、早く決めたよね。講義の後、ちょうど私と入れ違いで先に来てたし」
「あー? まぁ、そうなるな」
ナタリーがミスイに宣戦布告したであろうタイミングは、私が水属性専攻の講義室に踏み込もうという直前だった。
つまり彼女は、自分の講義の後すぐに移動して、ミスイに喧嘩を売ったということになる。
庭園で実行犯の女を締めあげてから、わずか百分後の行動だ。強大な相手に喧嘩を売る素早さとして見るなら、これは即決と言っても良い素早さだろう。
「なんでそんなに早かったんだよ」
「そんなこと、ロッカちゃんが気にすることじゃあ……」
「あのなぁ、馬鹿でもそんくらい分かれよなぁ!」
ナタリーの声に被せて声を貼り上げたのは、ロビナだった。
真鍮のコップを片手に半分席から立ち上がった彼女の顔は、すっかり赤く染まっている。
「ナタリーさんはなぁ!」
「おい、ちょっと」
「あんたが勢い余ってミスイに喧嘩売っ……」
「コラてめーロビナァ!」
「ぎゃぁ!」
彼女が勢い余って口走った内容は、口止めされていたものだったのだろう。
それ以上喚こうとしたロビナは、同じように顔を赤くしたナタリーによって店の奥に引きずられ、足蹴にされ始めた。
「てめー言うなっつったろうが死ね! マジで死ね! 騎士団で殉職する前にここで死ね!」
「や、ちょっ、痛いっす! ナタリーさん痛いっす!」
「死ねェ!」
二人が愉快に蹴ったり蹴られたりしている光景を見ながらも、私は半開きになった口が塞がらなかった。
なんというか、仲が良いのか、悪いのか。
「……ナタリーさんはね、ロッカ」
「え」
ロビナとは違い、酒に強いのだろう。顔色を少しも変えていないレドリアが、静かな声で語り始めた。
「私やロビナやジキルと同じ、鉄の国のメインヘイムで生まれ育ったの」
「首都……」
「そう。私達は昔からの知り合いでね、小さな頃から一緒に、剣の腕を磨き合っていたの」
剣。魔術ではなくて剣とは。
てっきり属性科にいるような人は、昔から座学ばかりの人間だと思ってただけに、少し意外である。
「私達の夢は、騎士団に入ること。もちろん剣兵のね。国の平和を守り、悪を征伐する騎士となる。貴女も鉄国の人間なら、一度は抱いたことのある夢ではなくて?」
「いや、別に」
「……」
そもそも私はデムハムドを出て鉱夫以外の仕事をしようと思ったことが無い。
「でも、でかい夢だなって、思う」
それでも、騎士団が立派な人たちであることは知っている。
デムハムドでも鉱龍などの厄介すぎる魔族が出現すれば、彼らはやってきて討伐に乗り出してくれるし、大規模な落盤などの災害があった時には、施設の修繕などを手伝うためだけに足を運んでくれたりもした。
弱きを助ける、強き人たち。
自分がなりたい、なんて思ったことはないけれど、私が騎士団に対して抱く好感は嘘ではない。
……しかし、部屋の隅で丸まってるロビナをしつこく足蹴にしているナタリーを見ては、正義なんて言葉はちっとも浮かんで来ないのだが。
「騎士は、弱きを助けるもの。水国のお硬い彩佳系や、雷国の忌々しい星藍系が私達の事をどう思っているのかは知らないけど、私達は正義の為に、国に仕えるために騎士を目指しているのよ」
「……意外。ごめん、全然そんな風に見えないわ」
「もちろん、今は学徒として、他のAクラスの奴らを蹴落としたり、引きずり下ろしたり、なんでもやってるけどね」
「ああ……」
「故郷に戻って騎士団に認めてもらうには、杖士隊からの誘いを蹴れるくらいでなきゃいけないのよ」
「それで、みんな必死なのか……」
六年間もの間、属性科の優等生である証、Aクラスを維持する。
それは杖士隊に入隊する者にとっての試練であるが、他の組織だって例外ではない。それなりに厳しい基準や審査があることは、うなずけた。
上位で生き残るために、属性科内で争いが勃発することも……。
「私達は、弱い奴は容赦なくひっぱたいてやるし、歯向かう奴がいるなら手痛い傷だって負わせるわ。獲物を引っ張り出すために、多少強引な手だって使う。悪に立ち向かう騎士に、弱者はいらない。だから、私達は魔道士を自称する連中には誰であれ、容赦なんてしていない」
「うむ」
レドリアの言葉に感心したように、デリヌスは深く頷いた。
ジキルは未だに蹴られ続けているロビナを心配そうに眺めている。
「ナタリーさんは……自分よりも遥かに強い相手に挑むことは慎重で、ほとんどなかった。そういう意味では、クラインは地雷だったんだけど、それは例外として……」
ナタリーの蛮行に目を泳がせていた私は、レドリアがコップを置く音で注目を引き戻された。
「自発的に、故意に強い相手に戦いを挑むのは、今回が初めてなのよ」