箪016 開け放つ宝箱
皆と一緒に廊下を歩く途中、私の耳は、警官が発した“ソーニャ=エスペタル”という名前に鋭く反応した。
ソーニャは行動を同じくしていたナタリーと一緒に、私達とは違う別室で聴取を受けている最中だ。
私達は国から仕事を依頼された一括りの集団であるのに対し、助けにやってきた彼女らは、それとは無関係の人間だからである。
問題は、今聞こえてしまった、ソーニャが何かをやらかしたらしいという、警官の言葉だ。
「ロッカさん? どうしたんですか?」
「うんこか? ロッカぁ」
「ただ聞きたいことがあるだけ。あとボウマ、そういう言い方ほんとやめときな」
「へぁい」
「……わかりました」
私は外に出る皆と別れを告げて、警官さんが歩いていった反対側の廊下へと歩を進めた。
「……チッ」
足下に俯けば、履き慣れないシンプルなサンダルが嫌でも目に入る。
ブーツの片方がレトケンオルムの酸にやられ、地下水道に置き去りとなってしまったので、今はこうして代用品を履いている。
しかしどうにも、普段のブーツと比べると軽すぎるせいか、落ち着かない。
せっかくソーニャと買った、お気に入りのブーツだったのに。
履き心地も、段々と馴染んできたというのに。
私のわがままな頼みにも、優しく面倒見良く応えてくれたソーニャ。
ソーニャは、見つからないものがあれば一緒に探してくれて、難しいことがあれば一緒に考えてくれた。
そして今日も、彼女は土壇場で、私を助けるために地下水道まで姿を現したのだ。
助けにきてくれたのは、正直すごく嬉しかった。
でもよく考えてみれば、何故ソーニャが都合よくやってきたのか、何故格子戸の鍵を開けてこれたのか、浮かぶ疑問に尽きはない。
いつも通りのようなソーニャの優しさの中に、言い表せない不安が混じっている事が、どうしようもなくむず痒く感じられる。
私は、この疑問やむず痒さを処理しなければ、寮に帰る気持ちにはなれなかったのだ。
「だから、アタシはこの徘徊女が放っておけなくて着いていっただけなんだってば。何度も言わせんじゃねーよ」
ソーニャのいる部屋を探して歩いていると、近くでナタリーのドスの利いた声が聞こえてきた。
語調は荒っぽいが、低いというわけでもない彼女の声は、どこで話していても浮いてしまうだろう。
本当に、どこで何をしていても悪目立ちする奴である。
だが、この時ばかりはナタリーの性格にも感謝しよう。
私はそのまま壁に背を預け、近くの掲示物を眺めるフリを始めた。
“この顔に ピンときたら それとなく駐在所へ”。
掲示されている白黒の詳細な似顔絵は、どう見ても顔ではなく仮面なのだが、良いのか、これで。
まぁ、こんなものは今はどうだっていい。大事なのはソーニャに関わる話である。
耳をそばだてると、部屋が近いこともあって、聞こえてくる声は明瞭だった。
『ナタリー=べラドネスは、今回の件については巻き込まれただけ……それは事実かな、ソーニャ=エスペタルさん』
「えっと……はい、多分。ん……記憶が途切れ途切れですけど、そうだと……思います」
『ふむ……曖昧な様子、か』
「てっめ、ざけんなコラ、おい! アタシゃ無関係だろぶっ殺すぞ!」
「ごめんなさい……でも本当なのよ」
『落ち着きなさい。そしてベラドネスさん、そういう言葉は、場所を選びなさい。……エスペタルさんの様子がおかしいのは、こちらでもわかる』
「ならさっさとこっから出してくれよオッサン。こいつは頭がイカレてるんだ。で、優しいアタシはそれを案じてついてった。単純なこったろーが、いい加減にしてよ……」
ナタリーはかなり苛立っているようだ。
望まれない拘束に痺れを切らせているのが、声だけなのに表情まで伝わってくるかのようである。
けど、一方で聞こえてきたソーニャのぼそぼそ声は、戸惑いというか、不安というか、とにかく弱々しい印象を受けるものだった。
おかしい。
普段ソーニャはもっとはきはきと喋るし、きっと彼女はやろうと思えば、こういった目上の人に対する言葉遣いや受け答え程度は、できるはずなのに。
それに、ナタリーがソーニャをイカレた奴扱いしていることも、気になる……。
『こちらもできれば、君たちを解放してやりたいのだが……先ほどの報告で、魔導錠からはソーニャ=エスペタルの魔力の痕跡が発見されているのだ』
……魔力の痕跡?
ソーニャの? 錠前から?
「……それってーのは、つまり……」
『そのまま、魔術で無理矢理に鍵をこじ開けたということだ。肝心のエスペタルさんには、そのような記憶がないらしいが』
「ハッ、魔術で錠前を、しかも魔具の錠を開けるぅ? 真剣に毎日オベンキョーしてる立場からしたら、そいつは笑っちまうような仮説だよ、オッサン。一体どんなレベルの独性術だっての」
ドン、と机を叩く音が聞こえた。
多分、これはナタリーだ。
『ベラドネスさん、あなたはエスペタルさんが格子戸を開く瞬間を見ているはず。近くに居たのであれば、その時彼女が何をしていたのか、わかったはずだね』
「なにをしたか、ねぇ……アタシにはただこいつが、錠を手に取っちゃ投げ捨ててたくらいにしか見えなかったけどな? 詠唱も何もしてねーしよ。」
今度はカツカツと、焦れったく机を爪で叩くような音が響き始めた。
これも、きっとナタリー。
「こいつがイカレて出歩いたのは、“魔力的予感”による高度な危機察知の延長によるもんだろーよ。突然徘徊し始めたのも、唐突に地下を目指したのも、全てはそいつのせいじゃねえのか」
『ほう、友人の危険を“予感”して?』
「魔力を扱う奴になら、一生に何度かはある異常な勘の鋭さって奴さ。本来なら誰も知り得ない場所に導かれたり、情報を悟ったりな?」
『……都合の良い解釈だが……それで、エスペタルさんはどういうわけか格子戸を捜し当て、立ち入り禁止の地下水道に入れたと』
「そういうこったな。それで大体は説明つくだろ。この浮ついた女が地下水道の魔道士とやらに深く関わってる可能性よりかは、“予感”のせいにした方がいくらか収まりが良い」
“魔力的予感”。
気術や魔術など、魔力を扱う人間や魔族に時々起こる、謎の多い現象だ。
ある時突然、家族の危篤を悟ったり。
古代の決闘中、次に相手が放つ剣筋をはっきりと幻視したり。
果ては、いずれ訪れる水害の規模を予見したり。
魔力を扱えない普通の人にはほとんど体験の無いそういった不思議な現象が、私のような魔道士や気術使いには、起こり得るのだという。
誇張されて迷信じみた逸話も多いこの現象は、つまるところ“奇跡”と言い換えても良いものである。
“体験したことがある”と自慢する風に主張する人は世の中に多く、またあったとしても自分では何の確証もないことから、信憑性のある現象ではないし、そもそも存在するかどうかも怪しい能力だ。
『では、錠前の開錠は。そして、錠についた魔力の痕跡はどう説明するのかな』
「錠は元々解除されてたんじゃねえの。痕跡は、触って魔力を流し込んだだけでも付着するんだろ? 錠に対して魔術を使ったとは限らねーはずさ」
『ふむ……まぁ、あり得なくもないが』
ベテランであろう経験のどこかが反応したのか、警官さんはナタリーの話を一笑に付すことはしなかった。
ナタリーは、多分自分がさっさと帰りたいためなんだろうけど、ソーニャのためにも潔白の証明をしてくれているみたいだ。
別に好きじゃないけど、ありがとう、ナタリー。
つまり、話をまとめると、こうか。
ソーニャは正午近く、嫌な“予感”がして、街をさまよい歩き始めた。
しかし途中でその姿をナタリーが発見し、ナタリーは保護するためについていくことになった。
で、そこまでは良いけど、今度はソーニャは地下に潜り始める。
鍵のかかっていない格子戸を見つけては、そこを通って地下水道の深部へ潜り続け……。
地下四階で、レトケンオルムに襲われている私を発見。
ナタリーをけしかけ、私を助け出したと。
……すげえ。
つまるところ、ソーニャが起こした奇跡じゃねえか、これ。
ソーニャの優しさと私との友情が“予感”を生んで、深く暗い地下水道の迷宮にまで届いて、私の命を救ったのだ。
お前、ソーニャ、そこまで私を……畜生、泣かせるなぁおい。
……なるほど。
だとすると、既に鍵の開いていた格子戸は、謎の魔道士が出入りするためのものだった、ということかな。
地下と地上との行き来ができなければ、さすがにあの地下水道だけで生活していくことは不可能だろうし……。
「……鍵を開けたのは、私かもしれないわ」
私が勝手に都合の良い考えをまとめていると、ソーニャが意を決したように呟いた。
「……あんだって?」
聞き返したのはナタリーだったけど、私もほとんど同時に、心の中で彼女に訊ねた。
『どういうことかな』
「鍵は多分……私が魔術で開けたんだと思うわ。覚えてないけど、きっとそう」
「ハッ、特異科さんが万能な鍵開け魔術を使えるンすかぁ、そいつはすごいっすねぇ……」
ソーニャと魔術。その二つがなかなか結びつかなくて、混乱する。
あれ、そういえば、ソーニャも特異科だよな。
ソーニャの特異性って、なんだっけ。
彼女がとくいとする魔術は……。
「……おい、待てソーニャ。テメェ、特異科だよな」
「ええ……そうよ」
「まさか、とは思うがよ。アンタの特異性ってのは……」
問い詰めるナタリーの、真剣な声。
平坦に受け答えするソーニャの声。
意識を数メートル離れた部屋に向けていたその時、壁に背を預ける私の前を、一人の女性が横切っていった。
「やぁ……」
私は迂闊にも気付けなかったけど、すれ違う間際、その人は私に対して、小さく手を振っていた。
本来であれば警備の厳重な学園でじっとしているべき、リゲル=ゾディアトス導師が。
「ひか、り……」
突然現れたリゲル導師の姿に意表を突かれたソーニャの声は、途切れがちに絞り出されていた。
「……おい、アンタは」
『! これは、導師。何故ここに』
「彼女は……ソーニャ=エスペタルに疑惑がないことは、この私が保証するよ」
『そ、それはつまり』
「もう今日は良いだろう。隣の彼女も、早く食事にしたいはずだ。皆疲れているのだからね。頼みますよ」
リゲル導師は聴取室にやってきて早々、ソーニャを擁護した。
何故理総校のリゲル導師が、ソーニャを。意味が解らない。
意味が解らないけど、リゲル導師の声は明らかに、本気のものだ。
『……わかりました。導師、あなたがそう仰るのであれば、今日はひとまず、ということで』
「ああ、他にも聞きたいことはあるだろうけど、それはとりあえず、後日に回してほしい」
『わかりました。そういうことでしたら……』
世界を救った光魔道士の言葉の重みは、絶大だった。
ソーニャに疑いの目を向ける警官さんが、すぐに考え方を翻してしまうとは。
『二人とも、長い時間申し訳ない。訊きたいことはたくさんあるが、また後日ということで』
聴取が終わる。
みんなが部屋から出てくる。
その時の私は、一体何を思ったのだろうか。
私は逃げるように、出口に向かって走っていた。
サンダルの裏をバタバタと鳴らし、その最中にも“どうして逃げるんだ”と自問しつつ、しかし体は、ついには建物の外へと出てしまった。
「はぁ、はぁ……」
夕焼け空の大半は、藍色に染まっている。
路肩の灼灯は、ぼんやりとしたオレンジの光で煉瓦の道を照らし、往来の人々を導いていた。
もう、夜だ。
「……なんで逃げたよ、畜生」
なんで逃げたんだ、私は。
廊下で出くわすのが怖かったのか。話を聞くのが怖かったのか。
でも普通は、ソーニャが出てくるのを待っているべきだろうよ。
普通ならば、私を助けてくれた恩人で親友である彼女を残したりせずに、ここで戻ってくるのを、何時間だって待つべきだろうが。
「あの、ロッカさん。ちょっと、いいでしょうか」
「あ……?」
私がサンダルでは小石を蹴っ飛ばせないことに苛立っていると、横からスズメが声をかけてきた。
「スズメ? どうして、帰ったんじゃ……」
「ううん、帰るわけないです。ロッカさんが来るのを、ここで待ってたんです」
「私を?」
私が自分の顔を指さすと、スズメは小さく頷いた。
「少し、場所を変えてお話しませんか」
「……」
私も、スズメの言葉に対して、小さく頷いた。
ここを離れるための、真っ当な理由を見つけたように。




