箪009 炎上する水面
赤褐色の巨大なゴーレムが、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
幅八メートルの地下水道を端から端までいっぱいに占領する、恰幅のいい球状の巨体。
唯一すり抜けられそうな歩道の隅の空間には、不格好な短い脚ががっちりと食い込み、先には行かせまいと三本の爪を張り付かせている。
アーチ状の天井に伸びる短い二つの手は、転がりそうな丸い巨体を力強く支えているようだ。
胴体に大きく描かれたバツ印は、それが示すそのままの意味の通りに、私たちを阻み、立ちふさがっている。
「サードニクス……人造ゴーレムの中でも特に、狭い空間の防衛に主眼を置いて作られた、違法ゴーレムだ」
クラインが苦しげにも欠かさず解説を入れてくれたその時、同時に足の遅いスズメとヒューゴもやってきた。
案の定、角を曲がってこちらを向いてすぐ、大きすぎる異変に目を剥いている。
「サ、サードニクス!? どうしてここに!?」
「無論、私が製作したのだ。こういう時のためにな。“イアノ・ウルク・ラグネルク”」
巨大なゴーレム、サードニクスの股下の水路から、炎の濁流がこちらへ押し寄せる。
「うっ」
水路の上を駆ける炎は歩道上にまで浸食することはなかったが、その熱波は容赦なく身体全体に吹き付けてくる。
ゴーレムの向こう側から、相手が魔術を放り投げてきやがったのだ。しかも、とてつもなく強力なものを。
炎は瞬く間に暗い水面を炎の海に上塗りし、地下水道を明るく照らす。
『ぬぅ、やられたな。早めに水路に飛び込んでおけば、ゴーレムを掻い潜って奴本体を叩けたのだが』
そうか、この炎、私たちを灯りで照らしているわけではないのか。
これは水路を火の海にすることで、容易に魔道士の下にたどり着けなくするためのもの。
確かにここまで強力な炎を敷かれては、身体強化があったとしても、そう簡単には向こう側へ移動できない。たどり着くまでには強化もほとんど削られているし、そんな脚力では、分厚い水を突き破って水面に躍り出るなんて真似も難しそうだ。更に向こう側で待ち構える魔道士本体を叩く余裕があるかといえば、絶望的と言ってもいい。
ゴーレムが一歩、転がるようにして前に踏み込んだ。
ゴーレムの体型は、胴体が通路を占領する完全な球体である。奴がどのように動こうとも、掻い潜るための僅かな隙は生まれない。
……巨大で、見るからに頑強そうなゴーレムだ。クラインのいう、防御に長けたゴーレムだというのも理解できる。
けど、こいつだって所詮はゴーレムだ。私が半壊させたドライアのように、一発強いものをお見舞いすれば、破壊できる相手のはず。
しかも今回は、愚鈍そうな巨体ときている。道を塞ぎきってしまうほどの巨体ということは、裏を返せば避けることのできない大きな的ということだ。
ここならば、私の魔術も十分に活かせるはず!
私はジャケットの裏のポケットから鑽鏨のタクトを抜き放って、力強く地面に押し当てた。
「“スティ・ラギロール”!」
幅二メートルの狭い通路を、岩の床が覆い包む。石の上を岩で包むというなんとも無意味な行為であるが、これが私の魔術ってやつだ。
「ウィルコークスさん!」
「だめだ、退くんだ、ロッカ!」
「いや、いける!」
サードニクスは鈍重な足を一歩一歩と踏みしめているが、私が踏みつぶされる前に次の魔術を唱える時間は十分だった。
「“スティ・ガミル・ステイ・ボウ”!」
それは、既にある私の岩環境から見えざる芯を隆起させ、岩の牙を生み出す魔術。
ルウナとの闘技演習で決定打となってくれた、魔術投擲が使えない私によっての主力魔術である。
杖の先石から魔力の光が瞬いて、地面に張り付いたラギロールを大きく歪める。
尖った岩の矛先はゴーレムの腹のど真ん中、バツ印の中心に向かって牙を剥き、岩は矛先を先頭に据えたまま、全体を一気に膨張、爆発的に成長させた。
もしもこの世に、絶対に壊れない盾と絶対に貫ける矛があるとしたならば、勝つのはきっと矛の方だと思う。
なぜなら盾は、例え矛先の侵入を防げたとしても、向かい来る勢いそのものを消せるわけではないからだ。
つまりどんな時だって、攻めるほうのが強いのだ。
「むっ!?」
「え!?」
私の岩の牙がゴーレムの腹を、わずかでも砕いてみせると思っていた。ゴーレムの向こう側の相手から漏れた驚きの声からも、私はそう確信していた。
だが結果は、全く違った。
岩の牙が腹を貫くとか、少しでも傷つくとか、それどころではない。
私が差し向けたガミルの魔術は、サードニクスの腹に触れた瞬間に、岩の矛先がまるでこれ以上は通らないとばかりに、止まって……いいや、先端が消滅してしまったのだ。
「え、なんでっ、どういう……!」
「馬鹿が、退がれ!」
うろたえる前線は不要であると、クラインは私のジャケットの襟を掴んで、後方へと放り投げた。
「うわっ」
『おっと! みんなの言うとおりだ、一旦後退するぞ!』
すかさずライカンによって受け止められ、そのままゴーレムから距離を取る。
クラインも同じようにして、私たちと並ぶように後方へと下がった。
追い詰めていたはずの謎の魔道士との距離が、どんどん開いてしまう。
「お、おい! あのゴーレムどうするんだ! 私の魔術じゃ、全然効いてなかったぞ!」
「ウィルコークス君!」
「いてえ!」
私の額を、クラインの中指の指輪がゴツンと叩いた。
沸騰しかけた怒りに睨みつけた彼の顔は、しかし私と同じかそれ以上の激怒で染まっている。
ここでようやく、私は自らの行いに不手際があったであろうことを悟った。
「ウィルコークス君、魔道士の陰の歴史たるサードニクスについて語るべきことは実に多い! 初等理学未履修の君にもわかるようにオレが懇切丁寧に説明してやることは可能だが、生憎と今はそんな時間がないことは奴の進みを見てもわかるだろう!」
ゴーレムの一歩は重く、音をよく反響させる地下水道に大きく響いた。
真下から照りつける赤い炎の光も相まって、ゆっくりと進撃するその姿は、小さいころに絵本で読んだ悪しき魔族の肖像のように恐ろしい。
「だから手短に奴について教えてやる、良いか速やかに覚えろ、そしてそれを踏まえた上で最善かつ適切に行動しろ!」
「お、おう!」
「奴の表面を覆う魔金の層と内部の反駁石によって、ほとんどの魔術が効果を成さない! また奴の馬力は強力で、小さな手や足であろうと、その力は身体強化を持った人間以上に強力だ! 統計的に唯一弱点らしい弱点は頭、以上!」
クラインは滑舌よく言い切って、またさらに一歩後退した。
普段なら多種多様な魔術を使って果敢に攻める彼が、一歩退いている。
「……え、オイ、魔術が効かないって……」
「そのままの意味だ!」
クラインは、サードニクスにはほとんどの魔術が通用しないと言った。
それはつまり、先ほどの私の魔術のように、当たったと思ったら突然消滅してしまうという事なのだろう。
一体どこまでの魔術があのゴーレムに通用しないのかは気になるが、大きな魔術を無駄打ちするリスクは避けたいというクラインの慎重な姿勢は、私にも理解できた。
「あ、あたしの魔術も効く気がしないじぇ……」
「僕も、ちょっとな……!」
ボウマの魔術は威力の規模こそ段階は多いが、その種類はどれも少ない。
ヒューゴの魔術もクラインと比べれば、扱える数には限りがあるだろう。
「う、ううー……サードニクス、やりづらい相手なんですよね……!」
魔術には精通し、常に落ち着いて行動できるスズメも、この状況には杖の振り方に悩んでいる様子だった。
しかしこのような状況でも、容易に動ける男を私は知っている。
『魔術が効かないならば、気術を使えば良いのだろう?』
一堂に会した私たちが後退する中で、ライカンが一歩前に踏み出た。
巨大なゴーレムを見上げ立ち向かう彼の背中は、炎に照らされ、濃い影を作っている。
そう、魔術が効かないなら、単純な力で。気術で立ち向かえばいいのだ。
それに一番適しているメンバーと言ったら、満場一致で文句なく、ライカン一択であろう。
「今の岩のような魔術……詠唱は鉄だったが、岩……ぁあっ、特異性か! 貴様ら、さては魔道士だなっ!」
向こう側で叫ぶ男の表情は、立ちはだかるゴーレムの横っ腹と、その大きな足と、深く被ったフードのせいでうかがえない。
だが声色だけは、焦りのようなものが浮かんでいた。
『ふ、そちらが顔を晒し名乗るのであれば、こちらもそれに応じることも吝かではないぞ』
ライカンは足を広げ、ゴーレムに対して武術の構えを取った。
「……このサードニクスが外法であることなど承知の上。私は貴様らに負けるつもりなどないが、万が一にも我が血筋を失墜させるわけにはいかん」
『ほう?』
「故に、私は名もなき外法の魔道士! 中には子供もいるようだが、ここまで誘い込んだからには、全員諸共死んでいただく!」
周到に用意されていた違法のゴーレムに、明確な殺意の宣言。
よし、状況はどうやら私たち魔術使いにとっては悪いようだが、戦うための明確な理由はできたわけだ。
そっちが私らを逃がさないってんなら、上等だ。
良いだろう、一度は括った腹だ。相手をしてやるよ。
『いくぞゴーレム! 鍛えに鍛えた俺の体技、受けきれるものなら受けきってみるが良い!』
ライカンがゴーレムの頭部に向かって飛びかかり、闘いが仕切り直された。
『セイッ!』
ライカンが空中で身をひねり、強化を込めた後ろ回し蹴りを繰り出す。
ここは地下水道。身体強化を禁じられた闘技演習場ではないし、そして相手はラビノッチのように逃げ足の速い魔獣でもない。
蹴りはゴーレムの大きな腹のほぼ中心、バツ印の中央に見事命中した。
ハンマーで壁面を叩いたような重厚な音が鼓膜を刺し、その一瞬、私の肌は砂嵐に突かれたような痛みを覚える。音の衝撃波が、肌にまで響きを与えたのだ。
『むっ、硬い!?』
「ほう、これはなんとも素晴らしい気術……だが、その程度ではな」
それこそ攻城器のような蹴りを放ったライカンであったが、サードニクスの胴体に欠損はない。
ヒビも欠けも入らない、全くの無傷であった。
『ぐおっ!?』
蹴りの影響を観察している間に、ゴーレムの胴が勢いよく半回転し、短い腕はライカンを殴り飛ばした。
小さい手とはいえ、硬質な塊であることに変わりはない。それが人並みの速さで振るわれるのだから、直撃したライカンにとっては大打撃である。
「大丈夫!?」
『ああ、この程度』
殴り飛ばされ、歩道に叩きつけられ、それでも身動きが取れなくなるほどの傷を負っていないというのは、さすがライカンといったところだ。
もしあの蹴りを放ったのが私であったなら、今のゴーレムのパンチで即死していたかもしれない。痛い思いをしたライカンには申し訳ないが、彼だったからこそ助かったのだ。
だが、まずいな。
『今の蹴りが効かないか……!』
ライカンは今の一発で、相手の頑強さを思い知ったらしい。
相手の隙はいくらでもあるが、早速距離を置き始めている。
「ヒューゴさん、ボウマさん、私たちは逃げましょう! 身体強化が不得意な以上、サードニクスに押し潰されるわけにはいきません!」
さらに近づくゴーレムに、ついにスズメは大きな声で退避を呼びかけた。
ボウマはちょっとくらいは身体強化は使えるのだが、それは微々たるものである。サードニクスの重量級の一撃を受けて、無事でいられるほどの防御力は得られないだろう。
スズメの呼びかけの通り、退避が正解だ。
「うわっ、地図が!」
「おわぁ!? ヒューゴ!」
ところが慌てたヒューゴが手から小さな紙を取りこぼし、水路の中に落としてしまった。
水面でごうごうと滾る炎は紙を瞬時に消し炭にし、回収の望みを速やかに断ち切った。
「ここはオレらで保たせる! 時間を稼ぐ間に、君たちはさっさと逃げろ!」
「でも地図が……」
「出口は私が覚えています! 早く!」
絶望的な顔をしたヒューゴは、スズメに手を引かれるようにしてその場を離れて行った。
「ロッカぁ! ライカァン! 戻ってこいよぉ!」
ボウマもそう叫んで、二人を追いかけて行った。
クラインの名前は呼ばなかったけど、クラインは死んでも良いのか。
なんて、そんなことを考えてる場合じゃない。
目の前には、スズメでさえ逃げ出さなければならないほどの強敵が立ちはだかっているのだ。
一瞬たりとも、よそ見はできない。
私はここでゴーレムと対峙し、立ち向かわなければならない役目を持っている。人の事を心配している暇は、微塵もない。
「……今、ライカンの蹴りによって生じた音から推測すると……あのサードニクスの表面は、いくつかの魔金の合金によって塗り固められている」
ずれた眼鏡の位置を整えながら、クラインが汗を流した。
「魔金の、合金?」
「主成分は、おそらく朱金。廉価で脆いが、さまざまな金属と合成しやすい。巨大なゴーレムの主成分とするには十分な金属だ」
朱金。デムハムドでも産出されるそれは、もちろん私も知っている。
主に火の国から掘り出される魔金だが、それ以外の場所でも大量に採れるため、どの国でも変わらず、適当な建材などはこの魔金で作られることが多い。
単体では魔金の癖に軟弱で、錆びやすく、熔けやすい。金属として扱いにくい三重苦を背負っている、典型的なダメ金属だ。
しかし他の金属と合成することによって、デメリットはいくらか軽減されるらしい。
「ライカンの一撃を吸収するほどの強度だ……灼銅、鉄、他にもさまざまな金属が混ぜられていると考えても良いだろう」
『むむむ……!』
相手は球状だ。球状ということは、局所がないことを意味する。
どこを打っても同じ効果しか与えられない。それはつまり、一か所を攻撃して通じなかったなら、他の場所を攻撃しても無駄ということだ。
「ほおれ! ボヤボヤしている暇があるか!」
「くっ」
両方の歩道に足をついたゴーレムが両脇の壁を擦りながら、前のめりの姿勢でこちらに接近する。
同時に振られる小さな腕が、ギリギリ目の前で空を切った。
「あっぶね……!」
このサードニクスとかいうゴーレム、見た目以上に動きが素早い。
逃げに徹すれば問題ないのだろうが、しかし背を向けるには、向こう側で悠然と機を伺っている謎の魔道士が脅威である。
「“イアノス”!」
「うわっ!?」
向こう側の魔道士が、ゴーレムの隙間から上手いこと魔術を放ち、こちらへ攻撃を仕掛けてきた。
火炎の弾はゴーレムの肩を掠めて大きな火花を散らしていたが、私たちの魔術とは違い、それが消滅することはない。炎は床に落ちて燃え、私達の移動範囲をさらに狭める。
都合の良い事に、相手の魔術はゴーレムに当たっても無力化されなかった。
「ちっくしょ……!」
「はははっ」
相手は時々、ゴーレムが体勢を変えるのとほぼ同時に、絶妙な隙間を通すようにして魔術を投げ込んでくる。
足場は一本道の歩道に限られており、その上中央の水路に火柱が立っている。容易に反対側の歩道へ回避することもままならない私たちにとっては、火球の一つでも対処が難しい。
それが、ゴーレムの接近攻撃と一緒にやって来るともなれば、なおさらだ。
「お前たちには悪いが、逃げたあの三人も始末しなければならないのだ。あまりここだけに時間を割く余裕はない」
『ぬうっ……! ぐっ、せめて、一撃を!』
「チッ……」
ライカンは弱点であろう頭部へ果敢に攻め込むが、サードニクスの短い両腕は攻撃のことごとくを阻む。
隙間を縫って魔道士への直接攻撃を狙うクラインの魔術も、あと一歩という所でサードニクスに触れてしまい、理学式を打ち消され、消滅してしまう。
私も身体強化でサードニクスの頭部に一撃を与えてやろうと機を伺うが、ライカンほど万能ではない私にとって、それは至難の業である。
やがて、近くで滾る炎のせいもあってか、二人の体力と魔力が削られてきたらしい。
私たちの中で最も戦闘に優れているであろうクラインとライカンの動きは、目に見えて鈍ってきた。




