嚢025 相反する二極
「久しぶりに見ましたぞ、杖士隊“白偸霧のマコ”の晴れ着姿」
「わっ!?」
後ろから掛けられた声に、マコ導師は両手に持った紅茶のカップを大きく揺らし、危うく落としかけた。
砂糖をたっぷり入れた、大事な大事な、自称美味しい紅茶である。マコは声の主の老導師に振り向いて、真っ赤な顔で怒っている。
「い、いきなりすぐ後ろから話しかけるのは、やめてください! 危ないですよ!」
「ほほほ、すみません、いや、つい」
日中の研究や講義に集中力を使い果たした導師達の集う部屋が、にわかに和やかな笑いに包まれた。
ここは第一棟の導師準備室。今はそれぞれの導師がのんびりと一日のまとめを、あるいは帰り支度を行っている。
様々な科の導師が混在する場所だが、この空間の総合的な雰囲気は悪くない。
理学を志す研究者同士、多少の畑は違えども、お互いに認め合い、尊敬し合っているのだ。
それは、三年前に頭の固い導師の集団の派閥が一斉に学園を去ったことも、無関係ではないだろう。
同じ年に導師としてやってきたマコ=セドミストという個人の存在もまた、然りである。
「しかしセドミスト導師、さすがは元杖士隊ですね。僕も観覧席で観てましたよ」
「見事な無詠唱でした。現役ですね」
「うう、今更ながら、ちょっと恥ずかしい……」
マコは闘技演習でのことを思い出して、また頬を赤く染めた。
緻密な刺繍の入った白のケープに、濃紺のショートパンツ。
マコ=セドミストは杖士隊時代、一日のほとんどを、今日のような服装で過ごしていた。
他の隊員と比べると、制服の意匠は中性的なものに改変されており、浮きがちだ。
それでも基本的な生地の素材や刺繍のデザインは杖士隊規定の物を使っているし、身に纏えば彼は、誇らしい気持ちにさえなる。それは今でも変わらない。
事実、その独特な空気感が隊を率いるひとつの要因にもなっていたのだから、いまさらにマコの服装に文句をつける者は一人もいないだろう。
それでも、どこか恥ずかしい。
三年のブランクもあってか、マコは、自分の中にそんな気持ちを見つけてしまったのだった。
「失礼します……」
「ん、ああ。セドミスト導師か」
結局、マコの内に秘めた悩みは学園長室まで引きずられた。
薄い資料を学園長室に置くだけの些事であったが、見るからに落ち込んでいるマコの様子を横目に見てしまっては、学園長のバランも無視するわけにはいかない。
「お疲れのようだね、セドミスト導師」
「はい……あ、疲れてるわけじゃないんですけど」
バラン学園長にも、今日の闘技演習に関する話は耳に届いている。
近頃連戦連勝の輝かしい戦績を飾り続けている特異科の全機人、ライカン=ポールウッドと、その導師たるマコ=セドミストの闘技演習だ。当然、経過や結果は既に伝わっていた。
噂を小耳に挟む限りでも、マコ導師に関する話でいえばそのほとんどが純粋な賛辞であり、彼を悩ませるようなことは一切無い。
バランは、彼は何を悩んでいるのだろうかと不思議に思った。
「教え子に勝ってしまったことを気にしているのかな」
「いえ……まぁ、それも、ちょっとはあるんですけど。そういうわけではなくて」
「ふーむ?」
久々に自分にもわからない事が舞い込んできたと、バランは首を傾げながらコーヒーを淹れる。
マコは資料をローテーブルの上に置いて、ソファーに腰を落とした。
「私、やっぱり歳を取ったんだな、って」
「ふふっ」
「な、なんですか! 笑わないでくださいよお!」
「い、いや。笑うさ。笑うだろう、セドミスト導師。君はいくつだと思っているんだ」
マコが歳を取っているならば、その倍にもなる自分はそろそろ引退か。と、バランは笑う。
「……二十五ですよ。でも、だからこそ、もうそろそろ考えなくちゃいけないのかなって」
「はは、何をだい」
「……自分の、男としての生き方について」
「あー」
そうか、それがあったかと、バランは頭を掻く。
ちらりと伺えるマコの沈んだ横顔は、真剣そのものな表情であった。
「まだ大丈夫です。まだ……たぶん、ギリギリ大丈夫。私はまだ、“こういう格好”ができるんです」
「ふむ」
「でも、あと数年後には……わかりません」
「似合わなくなる、か」
「はい」
「確かに、男にも女にも、同じ美しさに永遠は無いだろうなぁ」
老いには、誰も逆らえない。
どんな美女も、若い瑞々しい美しさのままではいられないし、逞しい男だって、そのぎらつきは歳とともに、意味はどうであれ、鈍いものへと変わってゆく。
人は老いる。老いとともに、人は変わる。意味は、どうであれ。
同じ、あの頃の姿のままではいられない。
マコは今日、三年前の制服を身につけて、それを肌で実感したのだろう。
傍目からは彼の美貌の変化などよくわからないが、自分の身体は自分が一番よく分かるとも云う。
バランは、マコの抱える悩みと悲しみを察した。
「セドミスト導師、君は男と女、どちらとして生きていくつもりだい」
「もちろん、男です。私は、男ですから」
バランの問いに、マコは精一杯の男らしさで答える。
「多くの人々の考えや、学者が定義付けた生物理学的には、それが正論だろう。しかし、君の魂は昔から、自らが男であることを拒むそうだね」
「……」
「魔力は、魔術というものは、実に正直な現象だ。自信を持てない、己の精神を偽りながらの魔術の行使は、その結果に顕著な違いをもたらしてしまう」
淹れたてのコーヒーを一口飲み、バランは一息つく。
「セドミスト導師。君の思い切った正しい選択は、おそらくは、君の魔道士としての生命を短くするぞ。それでも……」
「はい、それでも良いんです」
マコは即答した。
「たとえ魔道士として、杖士隊として、生きていくことができなくても……それでも男になるべきだって、思ったんです」
「それは、どうして?」
バランは意外そうな目をマコに向けた。
彼はもう、淋しげな顔をしていない。
どこか割り切れたような、清々しく美しい笑顔に変わっていた。
「……えへへ、やっぱり。女としては、綺麗なままでいたいから……だから、おばさんになる前には、男として割り切ろうかなって」
「はは、なるほど。おばさんにはなりたくない、か」
“たしかにな”とバランは笑う。
「……はは、だが、男として生きる以上、君は女と結婚する必要があるぞ。まさか、そのままずっと独り身で生きるわけにもいくまい」
「う……そ、そうですよね」
「女性と結婚する勇気は、今のところあるのかね。セドミスト導師」
バランは答えにくそうな質問をしてやったと得意げな顔になり、マコは嫌な質問が来たなと頬に手を添えた。
しばらく“うー”だの“あー”だの唸る様子をバランが面白そうに眺めていると、マコはようやく答えを出したように、恥ずかしそうな顔を上げた。
「……結婚、するなら……そうですね。強い力で、どんどん導いてくれるような。そんな人がいたら、きっと私……やっぱり、そんな人を、好きになっちゃうかもしれないですね」
「強い人、か」
「ええ。強い人です」
マコ=セドミストは一人、どこにあるかもしれない高嶺の花に憧れる。
彼の恋路の果てに、彼が望むような幸せが待っているかどうかは、まだ誰にもわからない。
しかしただひとつだけ、確かなことは……。
彼が目指す幸せの恋路の遥か後方の道には、星の数ほどの哀れな男共の行き倒れが、死屍累々と積み重なっているという事であろう。
その中に大柄な機人男の姿が含まれているのは、言うまでもない。




