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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴

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嚢016 起床する獣王

 忘れてはならない。

 デリヌスが握るスピアは確かに強力な武器ではあるが、その基本、根幹の部分は杖で出来ているのだ。

 全体で見れば何の変哲もないスピアだが、それはロッドの先端に頑丈で鋭い矛先が備わっているための、あくまで仮の姿に過ぎない。


 本質は杖だ。

 だからこのスピアを向けられているということは、同時に、杖が真っ直ぐ、こちらに狙いを付けているということでもある。


 魔術はただ、投擲するだけのものではない。

 中には風魔術のように、ほとんど杖を動かさずとも影響を生むものだってある。

 ライカンの虚を突いたのはまさにそれであり、彼は、スピアが動く瞬間も、杖の先から何かが出現する気配も、確認できなかった。


 当然だ。見えないのだから。

 風を見れる訳がない。見切れるはずがない。

 ライカンは突風に上体を崩され、スピアは無防備な腹めがけて迫る。


『ぬおおッ!』


 足はもつれて逃げられず、腕は届かず防げない。

 万人が諦めるであろうその窮地であっても、ライカンは決して足掻くことをやめなかった。


 そう、足だ。

 上体が後方に反れても、まだ足は出た。

 真っ直ぐ襲い来る槍の軌道を、真下から思い切り蹴り上げることで、ねじ曲げてみせたのである。


「なにっ……!」


 上体という選択肢が消え、唯一足だけが前方にあっていたからこそ、ライカンは本能的に、残ったそれを選んだのかもしれない。

 が、普通なら恐怖のあまり身が竦んだり、咄嗟の事態に頭が錯乱を起こしても不思議ではない刹那ではあった。

 あの場面で冷静な手を打てたのは、やはりライカンなればこそなのだろう。


「“ガストゥール(向かい風)”!」


 大鍋の底を叩いたような音と共に、デリヌスが大きく後退する。

 脚を使った様子はない。むしろ、後ろへ向かう溢れんばかりの勢いを、地につけた両の脚で抑えているくらいだ。

 またも、風魔術である。しかも今度は、自分に対して使用したのだ。ただ、相手との距離を保つために。


『ほお、何かくるとは思っていたが……風か』

「相手の動きを封じ、かつ自らの動きの補助とする。風と武の融合に隙はない」

『弾けず、避けがたく、気術が使えなければ防ぎようもない。なるほどな、確かにここでは、風ほど厄介な魔術もなかなか無い……』

「そう! あなたが最も得意とする身体強化がない今、もはやこの接戦を統べるのは、我が神風のみ!」


 再びデリヌスが前に出て、スピアを突き出す。

 ライカンも同じく反応し、今度は吹き付ける突風を警戒してか、より腰を低く落とした。

 だが、相手がそう簡単に対策を打たせるはずもない。


「“ガストゥール(向かい風)”!」

『!?』


 今度は、デリヌスに風が吹き付ける。

 しかも正面ではなく、真横からだ。必然、デリヌスの身体は横へと流れ、その身をライカンの死角へ、ノーマークだった場所へと運ぶ。

 それは勢いをつけた踏み込みを必要としない浅い跳躍のような低空飛行であり、前動作無しに行われる爆発的な速度の踏み込みは、ライカンの長年の戦闘勘を掻い潜るに充分な意外性があった。


 ライカンの真横。身体は正面へ突進する形のままに、デリヌスはライカンの防御圏内ではない場所へと着地し、


「ぜいやァッ!」

『ぐ』


 その脚をバネに、身体を捻じり、突く。

 ライカンは人間離れした反射速度で見切り、ロッドを盾にするも、体全体を使った攻撃により、巨体が揺らぐ。

 その揺らぎを、デリヌスは見逃さない。魔道士と対局に位置する騎士としての経験が、攻めの好機を見誤るはずもなかったのだ。


「“テルス(放風)”! はッ、せいッ!」

『ぬ、うぬゥッ!』


 またも吹き付ける突風、そして同時に繰り出される突きの連射。

 ライカンはなんとか防いではいるが、一発一発が腰の入ったスピアの突貫。鉄のロッドは、防御に回される度に、その姿をぐしゃぐしゃに歪めていった。

 先石は砕け、導芯は途切れ、真っ直ぐだった鉄の頑丈な柄は、うねうねと蛇行し、穴が穿たれた部分も少なくない。

 ライカンが手にするそれは、もはや棒状の鉄でしかなかった。


「どうされた、その程度ですか! 人狼、ライカンッ! ワルフ闘技場の覇者ッ!」


 強烈な風によってバランスを崩し、すかさず槍で突き、近付かれたならば風で退く。

 行き詰まりを感じたならば自らの位置を風でずらし、奇襲し、再び自らのペースに持ち直す。


 最悪。そして、最強の戦法だ。

 スピアという絶対のリーチ差がたったの一度すらも反撃の機会を許さず、風の魔術が自由と常識を掻っ攫う。

 十戦目にして、ライカンにとって最悪の相性を示す敵が現れてしまった。


「さあ、覚悟! この一撃で!」


 数多の突きに翻弄され、杖を完全に破壊され、ついに素手でスピアを受け流す他なくなった。

 何度か弾いてはいるものの、素手では武器の持つ重さのエネルギーを相手に、大した防御ができるわけでもない。

 デリヌスが、素手では到底軌道を動かせないほどの、渾身を込めた一突きを見舞おうと、足腰に力を込めた瞬間。

 ライカンの眼光ランプが強く輝いた。


『負けるわけには……惨めに負けるわけには、いかぬのだァッ!』


 そして、狼を模した巨大な顎を開き、吠えた。

 電子音の咆哮が響き渡り、会場全体をビリビリと響かせる。


「はっ!?」


 それは断末魔でもない。気力だけの遠吠えでもない。

 ライカンが吠えるのとほとんど同時に、デリヌスの身体に衝撃が走る。


「ぐおおおおッ!?」


 デリヌスが、槍を突き出した体勢のままのデリヌスが、何かに押されるようにして、とんでもない勢いで後方へと押し飛ばされてゆく。

 脚はその場に留まろうと、床の石に食らいつく。が、それでも流される。

 それはまるで、ライカンの今しがたの咆哮が、巨大な圧力でも持っていたかのように。




「え、何今の」


 私には見えなかった。

 ライカンが大声で叫んで、そしてデリヌスが吹き飛ばされたように見えた。

 まさか、武道の達人であればその迫力だけで相手を押しのけられるなんてことはあるまい。


「いや、僕にもわからない」

「サナドルさん、今の見えた?」

「いえ……私にも、何がなんだか」


 だが、私以外もその光景の本質を見抜けた者はいない。

 唖然である。観覧席中が、そんな空気に包まれていた。

 まさか本当に、“気迫”とやらの力なのか?


「揃いも揃って目も見えない馬鹿の集まりか」


 しかしクラインは、それを否定する。言葉少なく、目の前で起きたものは当然の結果であると言う。


「デリヌスを見ろ」


 皆が、床の上をスライドしたデリヌスに視線を向けた。

 彼は額に冷や汗を流し、先ほどの猛攻を忘れたように愕然と立ち尽くし、スピアを前に向けるものの、再び攻めに動こうとはしなかった。




「……なん、だ。これは」


 目を見開いたデリヌスが、スピアの矛先に立つ人狼の機人の姿に、恐れを抱いている。

 肩は僅かに震え、握った堅枝の柄は汗が滲み、息は攻めの最中の時以上に乱れた。


「なんだ、今のは、これは……」


 彼は矛先にこびりついた血糊を払う動作と同じ所作で、スピアを振った。

 ぶん。その一振りと共に、床の上に鼠色の金属片が落ちて、高い音を響かせる。


 観覧席の大半は、その金属の塊が一体何なのか、すぐには理解できなかった。

 しかし、ライカンが握りしめるもう一つ、丁度真ん中辺りで千切れた鉄のロッドの片割れを見た時、床の上のそれがどんなものなのかを理解するだろう。

 デリヌスの杖が振り払ったのは、数多の突きに形を崩した、ロッドの成れの果て。ただの鉄塊である。

 ところが当人であるデリヌスにとっては、それがただの鉄塊ではないことを、一番よく知っている。


「今の力は……俺を押し返すそれは、一体……」

『見せてやる』

「え」

『俺の力を見せてやる』


 片手に残ったロッドのスクラップを放り捨てて、ライカンはカーゴパンツの大きな左右のポケットから、複数の何かを取り出した。


『悪いが小僧、俺はこれ以上、衆目に情けない姿を晒せぬ』


 右手に、三本の鉄のタクト。


『だからここから先は、お前はそこに突っ立っていればいい』


 左手に、三本の鉄のタクト。


 両手の中に三本ずつの杖を握りこんだその姿は、鋭利な爪を剥き出しにした人狼そのもの。

 開きっぱなしになった顎部からは、普段は見ることのできない鋭利な金属の牙が生え、眼光は金色に煌き、デリヌスを睨んでいる。


『ここからは、ただの演舞だ』


 スピアをデリヌスごと大きく後退せしめた力の正体は、磁力。

 ライカンは、鋭い矛先に貫かれた鉄製ロッドの破片に磁力を与え、人間を押し退ける程の反発力を生み出した。

 それが、デリヌスを吹き飛ばした力の正体だ。


「無理だ……」


 デリヌスが歯を食いしばり、一歩、後ずさる。


「俺のスピアでは、杖では、絶対に……!」


 間近でライカンの魔術を受けた彼は、あることを悟った。

 それは目の前のライカンに対して、鉄を用いて攻撃することの無意味さである。


 小さな鉄の破片ですら、ただ反発力を加えるだけならば、人間一人を容易く弾き飛ばすエネルギーを与えることができるのだ。

 仮に、鉄の剣やナイフでライカンを襲おうとしても、強い磁力に弾かれ、接近すら許されないのは、間違いない。

 下手をすれば、鉄の鏃を用いた弓矢ですらも、彼の前では軌道を失うことだって有り得る。


 つまりそれほどの力。

 その力を相手にしては。


「この、鉄飾り付きのロッドでは……!」


 デリヌスのロッドの先端部位。先石を固定し、柄との接合を強固にしている錨型の鉄飾りが、致命傷となった。

 今しがたの反発力は決して、スピアに貫かれた鉄片だけに注がれたものではない。

 彼、デリヌスが握るその自前のロッド自体の構造にも要因があったのである。


 このままでは、風で加速しようが、相手を風で吹き飛ばそうが、意味が無い。

 ライカンの魔術ひとつで、スピアそのものが近づけなくなるのだから。


『何を呆けている』

「!」


 両手に鉄針の爪を握ったライカンが、一歩、デリヌスに歩み寄る。

 短めの鉄針はその握り方から、既にタクト本来としての扱い方が放棄されているのは明らかだった。

 鉄だから使っている。杖として扱われるから、この場に持ち込んでいる。

 会場全体の漠然と予想はその通りで、ライカンは両手に握りこんだ鉄の爪をしっかりと握って、構えた。

 当然のこと、それは魔道士の構えではない。


『此方からゆくぞ! “イグネンプト(稲光れ)ライカン(我が拳)”!』


 ライカンが再び咆哮し、度を越した前傾姿勢によって、デリヌスへと疾走する。

 魔術の詠唱らしき叫びに警戒しながらも、しかしデリヌスは一見して効果を視認できない魔術に対処することはできなかった。


「形勢逆転かっ!」


 が、デリヌスにもおおよその見当は付いているらしい。

 彼はライカンの使う魔術、“雷の魔術が磁力に変わる”という特異性を、軽視はしながらも事前に知ってはいたようだ。

 これ以上の接近戦を諦めた彼は、冷静に戦闘のスタイルを変更する。

 スピアによる接近戦が相手の磁力によって封じられるのであれば、今度は魔術による遠距離攻撃に切り替えれば良い。

 仮に、相手が握りこんだ爪のような武装を振りかざして近づいてきたとしても、まだロッドにかけた武装魔術は解けていない。ロッドを向け続けるだけでも、それを勝ち筋にすることは難しいながらも、相手を接近させない“返し”として扱うことは可能だ。


 が、デリヌスは見過ごしていた。

 ライカンの発動させた魔術が、既に状況を、大きく動かしていることに。


「はっ」


 突撃を敢行するであろうライカンに矛先を向け、鉄の魔術投擲を行おうとしていたのだろう。

 スピアを突くために、僅かに柄を引いた時、彼はライカンの異変に気付いた。

 いや、異変というよりは、ライカンが目の前にいないことに気付いたのである。


『敵から目を離すのか?』

「!」


 その姿を再び視界に収めたのは、一瞬後。

 ギリギリで視界の外から攻撃を仕掛けたライカンを、デリヌスの鋭い勘が察知する。

 しかしその瞬間には、既に互いの距離はゼロ。

 スピアで突くことも難しい、拳さえ干渉できる距離に、ライカンは現れていた。


 何故? デリヌスや観覧席の人々が思う間にも、ライカンは爪の生えた鋭い拳を振りかざす。


「が、“ガストゥール(向かい風)”!」


 身の危険を覚えたデリヌスは、ほとんど反射的に“逃げ”の魔術を唱えたのだろう。

 その身体は加減も余裕も無い烈風に吹き飛ばされ、ライカンから大きく距離を取った。




「馬鹿な!」


 退避のために呼び起こした風は少々強すぎたらしく、着地の際にデリヌスの体がよろめいたものの、なんとか転ばずに持ちこたえたようだ。

 しかし、一難を逃れたとはいえ、遠目から見てもわかるほどに、彼は焦っている。


 上から眺めているだけの私たちだってそうだ。

 ライカンの動きの軌道がまるで見えていなかったので、決定的な瞬間を見逃してしまったのかと思って、ちょっと焦った。

 瞬きもできない戦いとは、先ほどのような一幕を指すに違いない。


 や、そんなこと、今はどうだっていい。

 考えている間にも、眼下では動きがあるのだ。ぼんやりとした一瞬の思考の緩みで、肝心な部分を頭から取りこぼしてしまいかねない。

 私たちはより食いつくように、身を乗り出して闘いを見守った。




『“狩人殺し”』


 風圧で六メートル以上の距離を取ったデリヌスに、ライカンが詰め寄る。

 が、その速度が尋常ではなかった。

 どうあっても気術を使えない、使ったならば即座に転移理式が発動する壇上において、身体強化による移動は許されていない。にも関わらず、ライカンは一歩一歩を、まるで強化込みの人間のような歩幅と速さで踏み込んでゆく。

 当然、接近は一瞬のこと。デリヌスが言いしれぬ悪寒に杖を構えるその時には既に、スピアの矛先をかい潜る間際であった。


 ライカンの手の甲が、スピアの先端をずらす。


「“ガストゥール(向かい風)”ッ!」


 退避の甘さを悟ったデリヌスは、即座にもう一度、風魔術を発動させた。

 彼は一瞬たりとも油断していなかったが、ライカンが想像を上回る速度で動いたために、反応できなかったのだ。

 もちろん私達にとっても、ライカンの怪物的速度は全くの不意打ちであった。


『“狩人殺し”からは逃げられんよ』

「!」


 もう一度追加で発動した向かい風。

 再び距離を取るデリヌスに、ライカンは同じ速度で迫っていた。

 彼の足運びは風圧による移動に追いつき、また同じようにスピアを弾こうと構えている。

 いよいよライカンが魔族じみてきたが、一度“ありえない”を体感したデリヌスは、二度目の備えを怠ることはなかった。

 目の前にどのような不可解が起ころうとも、起こってしまう以上は、理解よりも先に行動するしか無いのだ。

 だからデリヌスは対応できた。


「“スティ・フウル(鉄の輪)”!」


 人の胴を三人分は纏められる鉄の輪が、距離の縮まりつつある二人の間で生成された。

 風で移動する最中のデリヌスと、それに猛接近するライカン。必然的に、動的な二人の間に生まれた鉄の輪は、障害物としてそれなりの威力を持っている。

 輪とはいえど、鉄の塊。落としたコインのように回転し、球状の接触面積を得た鉄の輪は避け難く、そしてまともにぶつかれば、それは試合終了として充分な衝撃を生むことは間違いない。


『良い反応だが』


 が、ライカンは鉄の輪に怯まず、むしろすすんで自ら突っ込んでいった。

 大きな革手袋に覆われた手が、躊躇いなく回転中の鉄輪の中に入れられ、


『武器を渡してどうするのだ』


 容易く鉄の輪を掴んだ。


「はっ!?」


 素っ頓狂な声を上げたデリヌスが、目の前の大男を見上げる。

 ライカンは大きな鉄の輪を空中に掲げ、今にも振り下ろそうとしていた。


 ギリギリで、スピアを突き立てられる距離ではない。

 スピアを扱うには握り位置を変えるか、大きく引く必要がある。だがそれは、とてもデリヌスの眼前に迫る暴力の結果に追いつけるものではなかった。

 だからデリヌスは、最終防衛手段に出る他無かったのだろう。


「――“スティヘイムの盾”!」

『む』


 ライカンが鉄の輪を乱暴に振り下ろすと、輪はほぼ直角に折れ曲がり、衝撃によって芯を自壊させ、早くも消滅した。

 とんでもない速度で殴りつけたライカンの不気味な腕力にも目を引かれたが、それから身を守った、デリヌスの魔術が会場の熱気を呼び起こした。


「まさか、これまで使うことになろうとは……!」


 デリヌスの正面に、巨大な鉄のカイトシールドが突き刺さっていた。

 その盾が、なんとかライカンの攻撃を防ぎ、デリヌスの身を守ったらしい。

 二メートルほどの高さはある巨大な盾の中央部分には、鉄の輪が衝突したらしい凹みがくっきりと浮かび上がっていた。




「出たぞ、スティヘイムの盾! 見ろウィルコークス君、あれは鉄の騎士団が使う専用の魔術だ!」

「そうか」

「あれが本物か、まさかこの国で実際に見られるとは!」


 デリヌスの使った魔術は、クラインの興味を引くものだったらしい。

 私には、よく目にする鉄板生成の防御魔術と大差ないように見えるけど。

 けど、普通の鉄板だけなら今のライカンの殴打を防ぎようがないのかな。だとしたらあれは、かなり高度な防御魔術なのだろうか。




「なんだ、その力……気術は使えないはず」


 デリヌスがスピアで盾の裏面を突き、力を込めている。

 鉄飾りの中に埋め込まれた先石が魔光を放ち、盾は注ぎ込まれる魔力によってその形を変えた。


 巨大な盾の裏面から鉄の針が伸びて、デリヌスの左右を庇うように床に突き刺さってゆく。

 それは見たまま、左右からの侵入者を阻むためのものでもあるし、正面の盾を支えるための支柱でもあるのだろう。

 また、盾の上部にすら鉄の針は伸び、大きな柵となって高さまでカバーした。本来この闘技演習場においては過剰な防御ではあるが、身体強化に近い今のライカンの攻撃を防ぐならば、悪手ではないだろう。


 唯一の死角であるデリヌスの背後は、後退に後退を重ねたために、壇上の外。

 いかにライカンの動きが目に止まらぬものだとしても、鉄の盾から広がる壁の裏側にまで干渉することはできないはずだ。


 デリヌスは自らの術によって半球状の鉄格子に囲まれ、もはやそれ以上の行動が絶望的なものとなってしまった。

 化け物じみた身体能力を発揮するライカンからの追撃だけは免れることができた。

 かに、思われた。


「認めよう、接近戦では全く勝ち目がないと。だが、たとえ卑怯と言われようとも、籠城戦に持ち込めば――」

『鉄とはいえ、隙間だらけの茅葺き屋根とは』


 だが、ライカンは巨大に成長した鉄の盾の正面で、腰を低く落とす。

 まるで、藁を巻いたかかしの前で構える武闘家のように。


『名乗らぬ間に、“人狼”も侮られたものよ』


 魔術は遠距離まで届くし、多少の隙間さえあれば、風魔術は当然として、炎や水魔術だってすり抜け、通すことができる。

 時間さえかければ、限られた壇上だ。いつか相手を追い詰めることも可能だろう。


 だがそれは、自らの保身が万全のものであればこその話である。


『ふん』


 ライカンが風のような速さで踏み込み、三本の鉄針を握った右拳を盾に突き立てた。

 相手が人間であれば、肋骨を潜るようにして内臓へ打ち込まれる強烈な一撃。

 しかし今放たれたものは、鉄のタクトを浅く盾に突き刺す程度に留まった。


 爆音こそ響いたものの、鉄の盾を砕くには至らない。

 だが、生身からの一発は、確かに鉄の盾に牙を食い込ませた。


「磁力で貫通させるか! だが射線にさえ入らなければ!」


 大きな音にライカンの行動を察知したデリヌスが、盾の正面から数歩分退避した。


「ここならば、」

『“イグネンプト(稲光れ)アスモフィウス(我が鋭き牙)”』


 ライカンが残った左手の鉄爪を、埋め込んだ鉄爪の間に入り込ませ、呪文を紡いだ。

 それと同時に、盾が食い込んだ壇上に亀裂が入り込み、大きな破壊音が響く。


「え?」


 デリヌスが呆けた声を漏らした瞬間、彼の視界が開けた。

 二人を隔てていた鉄の盾による半球のドームが持ち上がり、ひっくり返り、場外へと転げ落ちていったのである。


 巨大な鉄の守りは、いとも簡単に無力化された。


「しまっ」

『“狐殺し”』


 デリヌスは何かを口にし、対処のために何らかの動きを取ろうと身構えたが、そうしている間に、彼の姿は壇上から消えてしまった。

 残った者は、瞬時に距離を詰め、左手の爪を振りぬいたライカンの姿のみ。


 ライカンの十戦目は、激闘の末に決着を迎えた。

 しかし会場はしばらくの間、静まり返ったままであった。





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