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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴
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嚢002 伺う機嫌

「おはよう、ソーニャ」

「あら。おはよ、ロッカ」


 始業前の挨拶。ソーニャは運良く起きていたらしい。

 講義中は大抵熟睡しているけど、始業前から眠りについている事もしばしばある。彼女に約束を取り付ける場合、そんな点にも注意が必要だ。

 しかし、困った時のソーニャ頼みは、なかなかに効果的。彼女が眠っていたとしても、その目覚めをじっくり待つだけの価値はある。

 今日もソーニャにあやかろうと思う。


「実はさ、ソーニャに相談したいことがあるんだけど」

「なになに、どうしたの」

「うん、それがね……」

「何が“もっと温かみのある、包み込むようなものだよ”だ……理学性の欠片もない事を……」


 すぐ隣の、平積みされた本の垣根のむこう側から声が漏れてきた。

 ソーニャと一緒にそちらに目を向ける。本の柱に囲まれた男は、こちらに気付く様子もない。

 ぶちぶちと唇を小さく動かしながら、広げた本を垂直に読むばかりである。


「そもそも楯衝紋の作りからして……オレが第九環陣を突破するのにどれだけ遠回りすると思ってあの女は……」


 席二つ分程まで届くクラインの独り言。しかしこれでも、今ではかなり落ち着いた方である。

 二日くらい前までは、いらだちに髪を掻く音が三分おきに。

 手の爪で机を叩く音が十秒間二分おきに。

 そして意味もない舌打ちが一分おきに響いていたのだ。今も大概かもしれないけど、それと比べたら些細なものだろう。

 だがしかし、すぐ隣で声を拾えてしまう私にとっては、現状すら未だ解決とは言い切れない状態である。


「……あー、早急になんとかしたいことがあるの。そんな相談なんだけど」

「……なるべく力になってあげたいけど、力になれないかもよ?」


 ソーニャは私の言いたい事を汲み取ってくれたようだ。


「駄目で元々でもいいから、お願い、ソーニャ」

「うん、私も他人ごとじゃないしね。やってみるわ」


 席が近いだけに、ソーニャにとってもクラインの事についてはなるべく早めに解決したいのだろう。

 具体的に何をどうするかは決めないまでも、とりあえず手を取り合うことは決定した。

 ソーニャの助けは毎回私を助けてくれるからな。今日もきっと、何かしらの祝福を私に与えてくれることだろう。




 講義中も相変わらずぶつぶつと聞こえてくる声によって目的意識はより強く固められ、講義後の時間はやってきた。

 気圧の低いクラインが死にかけの獣のように立ち上がり、猫背でゆらゆらと講義室を出てゆく様を見送る。


「講義に集中できない」

「眠れない」


 私とソーニャは静かに鬱憤を漏らした。


「どうにかならないものかな」

「ならないものかしらね」


 お互い志は違えども、討ち滅ぼすべき敵は同じらしい。

 しばらくの間は不満交換会に興じつつも、話はすぐに前向きな方向へと移行する。

 それはずばり、クラインをどうすればいいのかということである。


「私見てないから知らないんだけど、喧嘩? したんでしょ」

「うん、姉ちゃんと喧嘩して、それで負けてからずっとあれ」


 本を漁って今まで以上に術の獲得に貪欲になったり、光魔術の講義に出席しては死ぬ気で勉強したり。

 やっていること自体は今までと大して変わりないが、クラインはこれまで以上の執念で、勉強に勉強を重ねている。

 ただでさえ不健康そうな白い肌は、不摂生もあってか更に青白く染まり、目の下の隈などは、まるで呪いでも受けているかのようだ。

 講義中のはた迷惑な状態も考えものだが、このままの生活を続けていては、クライン自身にも良くないだろう。


「喧嘩であそこまでねぇ……でも、クラインが負けたなんて話も聞いたことないし、本人はよほどショックだったのかしら」

「そうみたい。今までの本の虫な性格も、多分姉ちゃん絡みだし」


 姉ちゃんを倒せるくらい強くなるために努力を続ける、って、言葉だけ見るとスケールが小さそうだけど、兄弟の居ない私が事の大きさを測っても仕方ない。

 クラインにはクラインなりの理由があっての、姉弟喧嘩なのだろう。


「お姉さんと仲直りさせたら……」

「あー、それ多分、無理」

「そうなの?」

「うん、見たけど、あれは水と油というか」


 少なくとも私からは、クラインの在学中になんとかなりそうな人間関係ではないように見えた。

 単純な喧嘩とも、どうやら少し違うようだし……。


「根本的な解決は無理そうね」

「うん、だから表面的にでも、とりあえず今まで通りに戻せるような方法を探したいんだ」

「うーん」


 ソーニャは難しそうな顔で俯いた。

 私はクラインと出会ってまだ日も浅めだし、彼がどうすれば機嫌を戻すのかもわからない。

 こういう話なら、特異科も長いソーニャに聞けばわかるだろうと思ったんだけど……。


「クラインだからなぁ……さすがの私もちょっと、あいつだけは……」

「あー」


 そうだった。ソーニャはクラインの事、かなり嫌っていたんだっけ。


「読めない性格してるけど、なんだっけ。あいつって、お金と本が好きなんでしょ? その辺りで機嫌を釣れないかしら」

「うん、多分。私もその辺りは有効かなって……あ」


 お金を集め、本を読んで……って、それって全部、クリームさんを倒すためのものなんじゃ?

 魔術を覚えるための本、杖を買うためのお金。そのどちらもが、クラインの目的意識が生み出したものだ。


「……でも、どっちも費用がかかりそうだし、本はよくわからないし、難しそうかな」

「ああ、言われてみればそうね。単純に図書室で選んだ本を“はい”って見せても、軽く鼻で笑われそうだわ」


 なんだろう。

 ソーニャの言うクラインの姿を想像して、かなりイラッときた。


 その後もなんとかクラインの心を正常に戻す計画の案が出たものの、どれも“動物をこれで釣ろう”というようなものばかりで、うまい具合に話は進まなかった。

 ハーブが好きだからハーブを与えてみよう。

 野菜が好きだから野菜を与えてみよう。

 なんとも低次元な作戦会議である。具合の悪そうな家畜を相手にしてるんじゃないんだから。

 これを本人が聞いていたら、更に機嫌を悪くしそうだ。


 割れにくい眼鏡だの引っかかりにくい櫛だの、話題が明後日の方向に縺れそうになっていた所で、このクラス二番目の救世主、ヒューゴがやってきた。


「クラインのご機嫌取りか。今日やった講義よりも、ずっと難しい話をしているみたいだな」

「その通りだよ」


 しかし、クラインと親しいヒューゴでさえ難しいと言うか。

 ヒューゴに難しかったら、一体誰が出来るというのだ。


「クラインはとにかく、負けず嫌いだからな。あと、根に持つし」

「すごくわかる」

「とてもよくわかる」


 私とソーニャは同時に深く頷いた。


「正攻法で解決しようと思ったら、不機嫌の原因であるクリームさんに何とか勝ってもらうしかないんだけど……」

「無理だろうね」

「ああ、無理だろうね。未だに信じ難いけど、僕が見た限りでもクラインの勝ち目は薄そうだ」


 あらゆるものを目に見えない力で押し潰し、圧倒する。

 影魔術を操る魔道士、クリーム=ユノボイド。

 いくつもの属性術で攻撃するクラインを軽くあしらうようなあの闘い方は、今でも鮮明に思い出される。

 あの人なら、そこらへんの魔獣の巣窟だって簡単に潰せてしまえそうである。一人で竜殺しを成し遂げたと言われても、何ら不思議はない。


「風の噂では、クリームさんは杖士隊の誘いを蹴ったそうだ。志願制の組織である杖士隊が誘うほどの人ってことだよ」

「うげえ」


 杖士隊は水国の魔道士組織の頂点だ。

 鉄国で例えるならば、メインヘイム鉄城騎士団に。

 雷国で例えるならば、ガンダーロ迅雷騎士団に相当するのだろう。

 その誘いを蹴るようなとんでもない人だ。

 いくらクラインが天才とはいえ、勝ち目は薄い。


「けどクラインはそのことを根に持ってるみたいだからね、別の事で気を引こうとしたって、難しいと思うよ」

「それじゃあもう、駄目じゃん」

「いやいや、諦めるのはまだ早いよロッカ」


 ちっちっち、と指が振られる。

 私とソーニャは頭の上に疑問符を浮かべた。


「逆に考えるんだ。どうしても諦めないくらい前向きな性格なんだから、その気持ちに追い風を与えてやればいいのさ」

「おー……お? うーん、感心しかけたけど、つまりクラインの好きそうな本とか、お金とかが必要ってことなんじゃ……」


 つまり、クラインの機嫌を直すためには、彼が強くならなければいけない。

 少しでも強くなった自分を自覚してもらうことで、“よし、順調だ”と思わせれば良いと。

 けどそれに必要なのって、やっぱり本とかお金なわけで。


「金がないなら、自分で稼げばいいのさ」

「は?」


 ヒューゴはケープの内側から、どこに仕舞っていたのか一枚の紙を取り出して、私達の前に広げてみせた。

 小さな地図と細かな文字がびっしり描かれた、低品質な紙だ。


「クラインのことは僕も気がかりだったからね、色々と探してみたんだよ」

「おおー」


 さすがはヒューゴだ、既に動いていたとは。


「クリームさんのいる学園を離れて安心、場合によっては大暴れして気分は爽快、お金が入って懐も満足。一石三鳥の方法だと思うんだけど」


 彼の広げた紙の最も大きな文字は、こう書いてあった。


 “洞窟深部調査、今月の依頼”。

 “魔獣生息の可能性有り、留意されたし”。




 水の国は、とにかく洞窟が多い。

 それは波の影響を受けやすいこととは無関係で、単純に水の国を形作る土地のせいなのだ。

 具体的には、水の国の地中深くには巨大な魔金、魔石の鉱脈のようなものがあって、それらが長年の影響でゆっくりと膨張したり、収縮したりすることによって、地形の変化が起こる。

 ひとつひとつの変化は微細なものだが、分厚く固まった層の変化は大きい。

 根本から変化した地盤は特殊な断層を作り、それが崩れたり積もったりして、うまい具合にぽっかりと穴を開けたものが洞窟になるのだ。


 空洞内部では鮮やかな断層が時折、希少な鉱物の頭を露出させていることがある。

 生物の遺骸や、様々な化石が姿を見せる事も少なくはない。

 通り道も行き止まりも、宝の山。

 どのような分野の人間であれ、採集をするには絶好の場所だ。


 しかし自然の只中の洞窟であることに変わりはなく、人間が発見する頃には、そこには何かしらの生物が棲み着いていることが多い。 

 風雨を凌げる上、生成されればしばらくの間は崩落もない安全な空間だ。知恵のある魔族や魔獣の群れなどが好んで縄張りとするのは当然の事だろう。


 珍しいものはあるかもしれないが、危険を犯したくはない。だが、どの程度危険かを調べるにも、少なくないリスクは付き纏う。

 かといって掘り出す権利を手放すのは、ちょっと惜しい。

 国のそんな我儘から生まれたのが、権利をある程度握りつつも掘削を他人に委託する、こういったシステムなのだ。


 つまり、やること自体は傭兵ギルドからの任務委託と大して変わりない。

 単に上が国の直轄に変わっただけの、使い走りなわけなのだ。




「よくわからんけど宝探しするんだなー?」


 ボウマは私の噛み砕いた説明を更にざっくりと噛み砕いた。

 まあ、そういうことだ。それだけわかってくれればいい。


 今はボウマとライカンも交えての、洞窟探索へのお誘いをかけている最中である。

 物騒とわかっている場所へ飛び込むのだ。クラインがいるとはいえ、手勢が多いに越したことはない。


『しかし、国から直接の依頼か。傭兵ギルドならば何度も利用したことがあるんだけどな。処理がわからん』

「ライカン、あるんだ」

『ああ、武者修行の時にはよく小金稼ぎをしたものだ』

「武者修行で小金稼ぎって……」


 きっと討伐なんだろうなぁ。

 人か魔族か、何を討伐するのかはわからないけど。


「それじゃあ二人とも行くってことでいいのかな?」


 ヒューゴが確認を取ると、二人とも快く頷いてくれた。

 分け前も少ないであろうに、付き合ってくれるのはありがたいことだ。

 彼らもまた、クラインのためならと思っているのかもしれない。


「実は僕も、この募集を見つけたはいいけど、処理がわからなくてね」

「処理ってどういうこと?」

「どこで受け付けているのかっていうことさ」

「役場の窓口にて、って書いてあるね」

「役場と一口に言っても、ミネオマルタには色々な役場が無数にあるんだよ」

「へえ」


 この広いミネオマルタに無数にか。そりゃあ大変だ。

 違う窓口に持ち込んで苦笑いで突き返されたら、ちょっと面倒くさいかも。っていうか心が痛みそう。


「ふーん、今月の依頼か。それだと多分、中央役場の調査報告窓口って所で受け付けていると思うわよ」


 私の肩から書類を覗きこんだソーニャが、思わぬ場面でアドバイスを出してくれた。

 おお、という声が辺りから漏れる。


「へえ、調査報告窓口か。そんなのがあったんだな」


 言葉として現われた感心は私のものと同じだが、顎に指を添えるヒューゴはもっと難しい事を考えて頷いているのだろう。


「ええ、ミネオマルタが行う街道や建築物修繕の処理をする場所がそこなのよ。使う機会が少ないから小さめの窓口だけど、資料棚を配置する関係上、独立してるみたい」

「けどソーニャ、それは中央の総合施政が預かる分野じゃないのか?」

「国総合のはね。でも、ミネオマルタ周辺の細々とした場所の管理はそこなのよ」

「なるほど、周辺だけ独立させて小回りを効かせているわけか」


 ヒューゴの疑問は解決したのか、そこでしきりに頷いて半歩退いた。 結局その話が終わるまで、私からしてみたらよくわからない会話であった。


「でもそんなことまで知ってるなんて、ソーニャって本当に物知りだね」

「ふふん、まあね。私が知らないことなんてほとんどないわよ」


 私が素直に褒めると、大きな胸を張って大げさに返してくる。

 彼女の秀才っぷりを、ぜひとも講義中にも見てみたいものだ。

 椅子の上で背筋を伸ばしているソーニャの姿が、そもそもなかなか想像できない。


「あとは、クラインを誘うだけか」


 質の悪い紙から目を離し、静かに鼻息を吹く。

 窓の外から見える広場の日時計は、丁度昼を指そうというところであった。

 クラインはどこかへふらふらと歩いて行ったが、近日中の様子を見る限りでは、寮に戻り安眠を貪るなんて健康的なことはしていないだろう。

 きっとまた、図書室辺りで三、四人分の席を占有し、本の城壁を築いているに違いない。

 今回の宝探しは、クラインの心を持ち直させるためのもの。彼は誘いに応じてくれなければ話にならないが、さて。


「じゃあ、申し訳ないんだけどさ。ロッカからクラインを誘ってみてくれないか?」

「私が?」


 ヒューゴに言われ、首を傾げる。

 別にそのくらいのことは頼まれてもいいけど、なんで私なんだろう。


「ちょっと、導師さんから車輪の修理を頼まれていてね。今日の明るいうちにそっちを終わらせたいんだ」

「ああ、なるほどね、わかったよ」

「ありがとう、ロッカ」

「でもクライン、これ応じてくれるのかな」


 うつろな目で書物を漁るクラインの姿は、強さを求めて狂った魔道士そのままの姿だ。

 禁書があってもためらわずに開いてしまいそうな彼が、果たしてこんなピクニックのようなもののお誘いに応えてくれるのかどうか、不安だ。


「まあ、大丈夫だと思うけどね」

「そう?」

『俺もすぐに食らいつくと思うがな』

「あたしもー」

「ええ?」


 どうやらみんな、そんな予想を立てているらしい。


 動いているものを見つけた突猪(ポル)じゃあるまいし、そううまく行くのかな。

 実行に移す私としては、半信半疑なところである。




 図書室に入ると、本の長城を建立したクラインの丸い背中が見えた。

 遠くからは声をかけられないので、彼の正面に回って椅子に座る。


「クライン」

「……なんだ」


 呼ばれてようやく、本から目を離してくれた。

 きっと私が声をかけなければ、正面の人にさえ気付かぬまま本の世界に閉じこもっていたのだろう。

 しかし些細なことで興味を失くされ本の中に戻られると、話を反復するのが面倒だ。

 私は懐からヒューゴから借りた紙を取り出して、彼の前に差し出した。

 そして言う。


「ヒューゴ達と行くんだけど、一緒にどう」

「行く」


 承諾をもらった。

 クラインの目がちょっとだけ輝いて見えた。

 話がはえーや。




 クラインが二つ返事で快諾してくれた。

 予期していたのか、特異科の講義室ではライカン達が待っており、合流も速やかに成立する。

 ボウマの“ほらなー”って顔と、ライカンの“だろ?”という顔が、何となく得意げに見えた。

 最後に、車輪の修理をしている最中であろうヒューゴが来るのを待ってから、私達はその日のうちにミネオマルタ中央役場を目指したのである。


 その間中、クラインは苛立ちとは違った落ち着きの無さを見せていたのが、私にとっては意外だった。 

 いつも冷静で澄ましているばかりの奴だと思っていたのだが、よくよく見てみれば案外、感情を隠さず自然体でいる。

 クライン、結構子供っぽいところがあるんだよな。

 いまいちバランスの掴めない奴だ。




 ソーニャは講義室に残っていなかったので、メンバーは私、クライン、ヒューゴ、ライカン、ボウマの五人だ。

 いつも通りといえば、いつも通りのメンバーである。

 時間を共有する毎に性格や扱い方も掴めてきたので、一緒に居るとお互いに安心できる仲にまではなった……と、私は思っている。

 知らない大通りも五人でなら気兼ねなくすいすい歩けるし、偉そうな服を来た男たちが行き交う役場の広い建物内も、そんなに緊張することはない。

 知らない場所へ行くときは、皆と一緒に。というのが、近頃の私の心の甘えであり、進歩でもあった。


 さて、役場内は学園とは違い、つるつるに磨き上げられた石造りの内装である。

 光を弾く白っぽい石はロビーを照らすのに一役買っており、高い位置に据えられた縦長の窓から射し込む光も相まって、陽の当たる屋外以上の明るさを感じさせた。


「へええ、すごいな……」


 見上げれば、高い天井には銀色に煌めくシャンデリアが吊るされていた。

 光源は魔石だろう。火ではないその明かりは揺れることなく、ただただ恒久的な灯りを湛えて、そこに固定されている。


「煌灯だね。闘技演習場でも沢山使われてるけど、とても高価な照明器具なんだよ」

「聞いたことはある」

「少なくとも、街灯には使えないだろうな。煌灯にすげ替えても二日と経たずに盗まれるだろう」

「そんなに……」


 衝撃や揺れがなければ光を失う石灯。

 明るいものの、燃料を補充しなければならない灼灯。

 詳しい原理は知らないが、煌灯はその二つよりもずっと便利な代物なのだろう。

 なるほど、確かにこんな私だって欲しくなる物だ。盗まれるに違いない。


 高級感溢れる内装を、主に天井の方を眺めながら歩いているうちに、先導するヒューゴの足がはたと止まった。

 目的の窓口についたのだろう。危うく目的を見失いかけていた私は、慌てて視線を前に向け直す。


 カウンターを隔てた私達五人の向かい側には、背の低い魔族がいた。

 ピシッと固い服に身を包んだ役人がいるものと思っていただけに、その分私がびっくりしたのは言うまでもない。


 そんな私の驚きなどは置き去りに、ヒューゴは目の前の魔族に紙を差し出した。


「これを受けたくて来たのですが、窓口はこちらであっていますか?」

「……」


 僧衣に身を包んだ全身肌色の魔族は、四本の指で器用に書類を受け取った。

 這竜(グランボア)のようにのっぺりと平たく大きな頭部が僅かに紙面へと傾けられ、文字を注視する。

 ぱっと見て目がどこについているのかわからない顔をしているだけに、きっと目が悪い種族なのだろう。 

 ほとんど無距離まで書類に近づいた顔は、文字を追うようにして何度か揺れた。


「今月分の洞窟深部調査か。受付ならば、ここで合っている」

「おお、良かったです」


 窓口が間違っていなかった安心感よりも、魔族が流暢な言葉で喋った事の方が、私にとってはやや上回る衝撃があった。




 余談だが、受付に立つこの肌色の魔族はザイキと呼ばれる種族らしい。

 二本の腕と二本の足を持ち、二足歩行をするものの、ヒレまでついた大きな尻尾もあり、格好はほとんどトカゲかカエルのようなそれだ。

 ボウマ程度の体長だが頭部は大きく、ツヤも凹凸もない平坦な肌地には、顔の真横まで届きそうな長い口の切れ込みが走っており、申し訳程度の小さな目はその両端に備わっている。

 捌いて焼いたら美味そうな見た目をしているくせに、知能はとても高く、こういった公共の役場などでは彼らザイキの姿は珍しくないのだとか。

 けど、少なくとも私にとっては初めての遭遇であり、体が跳ね上がるほどの衝撃的な光景であった。




「応募に規定はないが、大なれ小なれ、必ず魔獣と遭遇するであろう危険な調査だ。見たところ若い者が多いようだが……」

「問題ない、必要ならさっさとサインさせろ」


 役人の言葉を遮り、クラインが急かす。

 ザイキの口の端がぴくりと動いたのを見て、クラインが一口に食われるんじゃないかと肝が竦んだ。

 しかし流石は人間社会に生きる魔族である。この程度の客の対応には慣れているらしく、特に言い返すことも萎縮することもない。


 毅然とした態度で、役人はいくつかの紙を小さな戸棚から取り出す。

 それらの厚紙には、不思議と見覚えがあった。


「同意書はこれだ。規約を読むように。同意したならば、書面に自分の名前をサインすること。その後、紙の中央に貼り付けられている小さな砂粒に指を当てた状態でしばらく待つか、魔力を流し込むことで自分の楯衝紋を転写するように。内容を噛み砕いて説明すると、洞窟内における任務の一切について、こちらは責任を負わないことになっている。当然だが、同意がなければ任務に従事することはできん」


 ザイキの役人は淡々と説明したきり、私達の処理が時間のかかるものと分かっているのか、先ほどまでやっていたであろう帳簿の作業に戻ってしまった。

 無愛想なのは、さっきのクラインの態度のせいだろうか。


「これにサインすると、死んでも文句いえないのかぁ?」

『そうだな。国としてもなるべくリスクを少なく、手間なく済ませたい仕事なのだろう』


 恐ろしい話だ。デムハムドの労働者だって、怪我をすれば治療してもらえるし、死んだら死んだで残された家族にはそれなりの金が入ってくるぞ。

 けど、自ら魔獣と闘う事を選ぶ傭兵は、そういうものが無くて当然なのだろうか。

 危険を承知で挑むのだから、尻拭いは自分でやって当然。そんな考え方が、手元の厚紙からは見えてくる。

 活躍の割にぞんざいな扱いを受けるものなんだな。ちょっと、やるせない気持ちになる。

まぁ、サインはするけど。


 カウンターに五人が並び、規約に同意する旨を記してゆく。あたりまえだけど、今更誰も退く者はいないようだった。

 下部に記した私の名前と規約の本文ごと、楯衝紋の複雑な文様が紙を覆い尽くす。

 同意を示し完成したそれは、本文を読んだ上で書いた私の名前の上に、私本人を示す楯衝紋を上書きした、立派な個人証明となるものであった。


「ふむ、確かに五人分」


 役人は紙を受け取ると、一枚一枚を丁寧に眺めた。

 特別に注視しているわけではないのだろう。目が悪いので、時間がかかるだけなのだ。


「む」


 しかし役人の手が一枚の厚紙の所で止まり、それをこちらに突き返してきた。

 何かあったようだ。


「この、“ボウマ”とあるが」

「んぁ? あたし?」


 差し出されたのは、ボウマの同意書である。


「姓が記されていないようだが、これは記入漏れか」

「いんや、あたし名前だけだし。“しょくせー”ってやつはダスタっていわれてたけど、それって書くの?」

「それは書かなくても問題ない。了解した」

「うい」


 ボウマには姓がなかったのか。なるほど通りで今まで覚えがなかったわけだ。

 アンダマン出身というのもそうだし、気安く触れて良い部分でもなさそうだ。彼女にも色々あるのだろう。

 友達としては、このことは聞かなかったことにすればいいのかな。どうなんだ。


 私が一人勝手に思い悩む間にザイキの役人は同意書をまとめ、カウンター奥の棚から一枚の書類を取り出し、ヒューゴへ渡した。


「出発は明日以降の朝五時となるが、どうする」

「明日は安息日か……みんな、どう? 学園は休みだし、これを逃すと結構予定が合わなそうだけど」


 訊ねるヒューゴには、全員が合間を置かずに頷いた。

 行ける時に行くしかないだろう。どうせ暇だし。


「ふむ。では、明日の五時に出発とする。担当の御者が現地まで鳥馬車にて送迎するので、予定の時間までに遅れず、東部馬車駅に集合するように」


 結局最後まで無愛想な、淡々としたやり取りで、私達の臨時の仕事は決定した。


 それにしても、五時に集合か。暗いうちに起きないと、東部馬車駅までは間に合わないな。

 今日は早く寝なきゃ。

 ヒューゴが遅刻しませんように。




挿絵(By みてみん)

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