籠021 称える王者
「ふん」
二人の握手を白けた目で見届けたナタリーは、喝采の中で早くも席を立った。
隣の席のロビナとレドリアも、彼女の顔色を伺いつつ後に続く。
しかしロビナは、観戦中のナタリーがずっと気になっていたのだろう。
彼女はこれを良い機会だと決心し、盛り上がる観客の合間を行くナタリーに声をかけた。
「ナタリーさん」
「ぁあ?」
「なんで途中で、劣勢のロッカを応援したんすか」
「応援だ? ンなもんしてねーよ」
「でもあの時……」
石柱一本を盾に、緩やかな敗北を待つだけだったロッカの姿が、ロビナの中では印象的に残っている。
ルウナとロッカ、どちらが勝とうが、三年の鉄属性専攻が学園内での確かな覇権を掌握できるわけではない。
クラインとの敗北に加えて、ロッカとの敗北である。ナタリーの重なる特異科への黒星は、既に覇者と名乗るに相応しくない暗雲を作っている。
これからナタリーは、あと何連勝し続ければ元の強者としての地位に返り咲けるのか。それは彼女たちにも想像できない。
しかしロッカは、ナタリーとルウナの二人の強者を破ったことにより、無視できない勢力の誕生を属性科三年に予感させた。
学年と学科こそ違うものの、ロッカ=ウィルコークスの名は、もはや属性科三年にとって無視できないものになりつつあるのだ。
今回、ルウナが勝利していれば、事態はもうちょっとシンプルだったかもしれない。ナタリーがルウナを完膚なきまでに倒す。それだけで済むのだから。
しかし勝者はロッカだ。
彼女の名を折らずして、ナタリーが元の面子を取り戻すことは有り得ないだろう。
「戦場で諦めた顔をする奴にムカついた。それだけだよ」
それでもナタリーにとっては、ロッカは乗り越えるべき敵なのだ。
敵はどうせなら、強くなくてはならない。自分を倒した相手ならば、それは尚の事である。
粗塩を傷口に擦り込んで喝を入れてやるくらい、ナタリーは何とも思わないのだ。
「流石はナタリーさん! やはり、メインヘイムの城壁は貴女こそが相応しいですわ!」
「ナタリーさん、やっぱかっけえっす! 一生ついてきます!」
「おう、騎士団まではついてこい。隊の割振りは運だから知らねーけどな」
鉄国の中心部、鉄城都市メインヘイム。
メインヘイム魔道騎士団への入団を志す彼女らの夢はまだまだ遥か遠くであるが、どのような逆境に瀕しても追い続ける気概は、依然として尽きることはない。
「あの女、死ねばいいのに」
「!」
混み合いそうな出口へ向かう途中、覚えのある声が呪詛を紡いでいたのを、ナタリーは聞き逃さなかった。
暗めの長い紺髪。
立て掛けられた重そうな埋鉛帽のロッド。
それが誰なのかはわかっていたし、漏れた言葉には興味も引かれたが、彼女は努めて無視を決め込んだ。
まだ自分が関わる時ではないと。
触らぬ神に祟りは無しだと。
属性科の問題児たるナタリーが近くを通り過ぎたというのに、そんな事にも気付かない彼女は、瞬きをしない目で壇上の二人を睨み続けている。
艶やかな親指の爪は強く噛まれ、白く傷んでいた。
「おい、ミスイ。二人の健闘を讃えて拍手でもしたらどうなんだ」
まるで親の仇を前にしたかのような態度のミスイの隣には、いつものようにイズヴェルが座っていた。
彼女の尋常でない様子を見ても平然とした態度で返せるのは、彼の長所であり短所でもある。
「あんな女を称えるなんて、絶対に嫌です」
「強情だな。そんなにロッカという子が嫌いなのか」
「大嫌い。死ねばいいんです、あんな芋臭い女」
普段の感情を押し殺した姿からは想像もできないほど静かに荒れたミスイに、周囲の席も異変を感じ取っているようだった。
イズヴェルも彼女の口から“死ねばいい”とまで出るとは思わなかったのだろう。発達途中の小さな幅の肩を、わざとらしく竦めてみせた。
「すごい言いようだ」
「なんであんな奴が、クラインに……」
「クライン?」
「なんでもないです……」
なんでもない。そう言われたイズヴェルは単純に“そうか”とだけ返して、彼女の様子を受け入れた。
以前に“腹が痛いのか”と返して些細な一悶着があったので、“なんでもない”と言われれば深く追求しないようになっていたのだ。これは彼なりの進歩の表れである。
「しかし、良い闘技演習だったな。どちらも手加減している割に、見応えのある試合だった」
イズヴェルは観覧席から、壇上の健闘を称える。
周りの席のものとは多少の温度差が込められた、小さな拍手でもって。




