籠020 直立するコイン
冷静に状況を把握できるようになると、辺りの景色が色付いて見えるようになった。それだけの血が、頭に登っていたのだろう。
「痛い……」
「あ、ごめん」
跨ったままだった身体を離し、彼女を解放してやる。
ルウナは床に打ち付けたであろう体の心配をするより先に、床に転がったワンドの方へと、のろのろと歩いていった。
「……良かった、無事ね」
彼女のワンドは、岩のポールの下敷きにはなっていたものの、柄や先石に損傷はなかったようである。
壊れるか壊れないかの怪しい勢いで弾いてしまったけど、仮に壊れていたとしても、多分私が弁償する必要はないんだろう。
ないよな。あったら困る。
「……はあ。負けちゃったか」
ルウナは床に息を吐いた。
観覧席からの明るい歓声に囲まれて、彼女の落ち込んだ暗さは目立っている。
だけど、それも無理もないことだろう。
今回の私の勝利によって、水専攻とやらの天下は幻だったと見なされるだから。
彼女達はもっと長い夢を見たかったのかもしれないが、属性科三年のAクラスともあろうものが、特異科の素人に負けたのだ。これからは“最も強い”などと胸を張った喧伝はできないだろう。
ざまあみやがれ。因果応報だ。
乾きつつあるブラウスの胸元を肌から剥がして、私は悔しさに顔を歪めているであろうルウナに目をやった。
「やっぱり、ウィルコークスさんは強いわね」
「え?」
だけど、彼女は微笑んでいた。
清々しく、どこにも悔やむようなものが何一つとしてないような顔で。
「誘ってくれてありがとう。まさか、床環境の魔術だけじゃなくて、他の術まで使ってくるなんて思わなかったわ。あんな手を最後まで温存しておくなんてね」
「え、あ」
ルウナは後ろに纏めた髪の濡れ具合を気にしながらも、こちらに手を伸べ、握手を求めている。
躊躇なく差し出されたルウナの手に驚いて、私は一歩だけ距離を置いてしまった。
「あ、ごめんなさい。左手、の方が良いのかな」
私の顔色を伺うように差し出す手を変えられた。
そんなルウナの態度にも、また私は戸惑ってしまう。
ルウナの顔は、純粋に私の具合を心配しているようなものだった。
今回の闘いを最初から楽しんでいたような、清々しい態度。
負けてもなお相手を称える、実直な姿勢。
あくまで礼儀を失さない、真面目さ。
そこに、私が邪険にしかねたルウナの陰湿さはない。
いや、そもそも思い返してみれば、私が今までに想像していたルウナの陰湿さとやらは何だったのだろう。
「ウィルコークスさん?」
「あ……」
ルウナは良い人。それが、私の中での第一印象だった。
真面目でお硬い所は、軟派な私にとって苦手な性格ではある。
けど、その誠実さは逆を言えば裏切りようのないもので、人当たりの良さに信頼できるものがあったのは確かなことだ。
思えば、私がルウナを疑ってかかったのは、彼女に敗北した直後の観覧席の会話を聞いた時だった。
私は観覧席で盗み聞きした話を鵜呑みにし、彼女のそれまでの行動が、全て裏を含んだものであると邪推したのだ。
しかし、目の前のルウナを見て、どうだ。
彼女は私を騙していたように見えるか。
食堂に誘ったのも、構内で迷っていた私に道を指し示したのも、本当に裏があっての事のように見えるのか。
もしかして私は、いや、もしかしなくても私は。
とんでもない勘違いをしていたんじゃないだろうか。
「……」
私は黙って右手を差し出した。
勝ったのはこっちだけど、俯いて。申し訳無さそうに小さく、ルウナに手を伸べた。
「右ね。ありがとう、ウィルコークスさん」
それでもルウナは、私の冷たい右手を取って、強く握りしめてくれた。
何の混じり気もない、綺麗過ぎる無垢な笑顔で。
「ごめんね、ルウナ。痛くなかった」
「ううん、大丈夫。ウィルコークスさんも、大丈夫だった? 私も結構、容赦なく連発してたけど」
「平気だよ。まあ、寒かったけどさ」
「ふふ」
彼女の屈託のない笑みを見て、思う。
私はこの街の人間を、どいつもこいつも、裏と表のあるやつばかりだと考えていた。
けど、ルウナはどうだろう。私は他人の裏側を邪推し、裏表を探しては毒づいているが、彼女は違う。
最初から裏も表もなく、常に自分のそのままだ。
裏表を粗探しする私の陰気さにも気付かないほどに、彼女は純粋だ。
「ルウナ」
「うん?」
「ごめん」
「え? 何?」
「悪かったよ」
「ふふ、突然なに、ウィルコークスさん。まあ、気にしないけど」
私がもう一度握手を求めると、ルウナはその手も握り返してくれた。
同じ屈託のない笑顔で。腹の中に何も溜めない表情で。
私達二人の姿に、会場から再び大きな喝采が贈られた。
その中には、どうしても私の健勝に結びつける意味合いが含まれているんだろうけど。
どうかその二度目の賞賛は、目の前のルウナにだけ向いていてほしい。
苦笑いで握手する私は、そう思わずにはいられなかった。




