562.反撃開始なので、
迫り来る攻撃に、抱き付いてみたところで、それでは『庇う』の体も成していなかった。
そんなショコラは大きな金属音にハッと目を開くと、立場が完全に逆転している事に気付く。いつの間にか、自分の方が庇われた状態になっていたのだ。
襲い掛かるクグロフの剣を、すんでのところで弾いたグラス――。彼が左腕の中にショコラを抱き寄せ、その脅威から守ってくれていた。
そして、言う。
「――…貴女が謝る必要はありません。そうすべきは、私の方ですから。」
さっきまでとは違い、彼は今しっかりと目の前の敵を見据えている。それは彼女に掛けた言葉のようでいて、その実、己に対して言い聞かせているようだった。
一方で剣を弾かれたクグロフは、その勢いで数歩後退させられた。
この一撃で仕留められる、と思っていたにも拘らず……なぜか奴は、忌々しそうにはしていない。それどころかその顔は、どこか悦んでいるようにさえ見えた。
「……ンだよ。そのまま、おねんねしてくれてりゃーいいモンを……」
憎まれ口を叩く様も、実に愉しそうだ。
「いいや、おかげで目が覚めた。礼を言おう。」
グラスはショコラを抱き寄せた手にグッと力を入れ、もう片方の手に持った剣を握り直す。
……そう。今ので、目を覚まさせられた。彼女の言葉で浮ついた自分と、固まってしまった自分――…。戦いの最中であるこの状況において、それはどちらも真剣さに欠けていたと言わざるを得ない。気がたるんでいた。そんなところを、叩き起こされた気分だ。
「……それに。確かに今、貴女を不安にさせるような姿しか、見せていませんでしたね。そう思わせてしまった私が、全て悪い。」
そう言うと、彼は抱き寄せていた腕を緩め、彼女を解放する。
「少し、下がって。」
こくりと頷くとその言葉に従い、ショコラはグラスの後ろへと二、三歩移動した。
「そうだ。貴女には、どうしたいかと希望まで聞いていたのに……。その約束も果たさなければ。」
独り言のように呟くと、彼は顔だけを少しこちらに向ける。そしてにこりと微笑んだ。
「ヴァンルージュの捕獲、でしたよね?」
ついさっきまでは、魂が抜けたようになっていたのに……。それは浮かれたような笑顔でもなく、大船に乗ったような頼もしい微笑みに映った。
ショコラは何だかどきりとする。けれどこれは嫌な感覚ではなく、何となくそわそわと落ち着かないような、そんな感じだ。
「はっ、はい!」
「では、間違いなく遂行しましょう。今度こそ、お任せを。」
再び前を向くと、グラスは落ち着いた様子でそう返した。安心感のある背中だ。――ショコラはそう思いながら、それを見詰めた。
「まぁーたテメーは、そうやってカッコ付けやがる……。この俺を捕獲するって?ここまでやり合って来て、互角だって事ぁ、認めてやるぜ。けどなァ、捕獲するには足りねぇンだよ、……実力がな‼」
当たり前の事だが、戦闘は何の断りもなく突然再開された。むしろ、あのクグロフがよくここまで猶予を与えてくれたものだと感心するべきか。
口元に笑みを浮かべた奴が、目を剥きながら攻撃を繰り出して来る。心なしか、さっきの一撃よりも威力が増しているような……。生き生きとした剣だ。それをグラスは、きっちりと受け止めた。そこに、容赦なく次々と打ち込まれる――。
そんな一方的にも近いやり取りが、少しの間続けられた。
「どーした?防戦一方じゃねーか!そんなんで俺を捕獲しようなんざ、笑っちまう話だぜ。やる気があんなら、そっちからも掛かって来いや!!」
クグロフはグラスを煽る。
「――…そう思うのなら、少しはその隙を与えてくれても良いのでは??」
「バカ言いやがる‼テメーのが強ぇと思ってる奴の台詞じゃねーな、そりゃあ!恥ってモンが無ーのかよ!?」
「おや、案外冗談が通じない……。詰まらない人だ。」
煽る事なら、グラスの方も負けてはいない。そして最後の一言は、図らずもクグロフの怒りの壺を突いたようだ。
奴の眉が、ピクリと動く。
「……ァア?今、何つった⁇」
「もう一度、聞きたいと?お安いご用ですよ。――冗談も通じないとは、詰まらない男だな。貴様は。」
「よし分かった。まずはその舌から、斬り落としてやる。」
剥いていた目を据わらせたクグロフ。その攻撃は、更に鋭さを増して行く――…。
わざわざ相手を怒らせるような事をして……。グラスの言動は、傍目には悪手を打っているようにしか見えなかった。
『でも……今のグラス様が、何も考えずにあんな事をおっしゃっているとは思えないわ。』
その流れを見ていたショコラには、そう感じられる。それは決して、贔屓目があるせいではないはずだ。
今の彼は、変に調子に乗っているわけでもなければ、空気が読めていないわけでもない。ましてや『しまった』という焦りの色も見られない。
あれは恐らく、わざとやっている。
陸上師団一の騎士と謳われたのは、剣の腕だけによるものでは無かったに違いないのだから――…。
「――ホラホラ、どうした⁇反撃して来いや!その詰まらねえ男によォ‼」
目の前で繰り広げられている戦闘は、相変わらずクグロフばかりが攻撃をして、グラスはそれを防ぐ――という構図のままだ。そうなると必然的にグラスの方は押される格好となり、一歩、二歩と、後方へ移動させられてしまう。
すると、すぐ近くで見ていたショコラの側まで来てしまった。
逃げる……というか、道を作って……。いや、彼らのためには、場所を空けなければ。そう考えて、彼女はキョロキョロと辺りを見回した。ここにいては邪魔になるだけである。
しかし分かってはいたものの、周辺ではまた別の戦闘が繰り広げられていた。
それぞれにある程度の空間を持ち、互いに近い距離で他の騎士たちも戦っている。下手をすると、背中同士がくっ付いてしまいそうになるほどの至近距離だ。そして空いた場所が出来れば、すぐにどこかの組の戦闘の場となってしまう……。
戦場であるここに、逃げられる場所などは無かった。
「……ッ!」
そんな中、グラスは後退させられていた足を止め、ショコラの手前から動かなくなった。これ以上後ろへは行かないようその場で踏ん張り、彼はクグロフの攻撃を捌いて行く――。それはどう見ても、彼女を守るための行動だった。
「ずいぶんやり辛そうだなァ、オイ!守らなきゃなんねぇモンがあるってーのはよお!アァ!?」
彼女がすぐそこにいるにも拘らず、クグロフはガンガンと容赦なく攻撃を続けている。殺すつもりはないが、巻き添えにする事は厭わない――そう言っていた、奴らしい行為だ。
今声を掛けるのは、きっとグラスの集中を切らす事になってしまう。そう思ったショコラは、息を殺している事にした。足手まといにはならなよう余計な事はせず、動かずじっとして……。
そんな時、彼がとある攻撃を完全に受け止めた。そして奴の問いに答える。
「……そんな事は、ありませんよ?」
もう何撃目になるか分からないが、これまではずっといいようにやられていたのに……。更には、今回はそう簡単には自由にさせないと、己の持つ剣で相手の剣を押さえ込んだ。
クグロフの方は当然それを逃れようとするが、グラスの剣は絡み付いたように離れてくれなかった。右へ振ろうとしても左へ振ろうとしても、どこまでもグググと付いて来る。鬱陶しくて仕方がない。
奴は顔を歪め、「チッ!」と舌打ちをした。
「――…守るものがあるとね、あと一歩を頑張れるんだ。やっぱり、見せたいじゃないですか。いいところをね……!」
押さえ込んでいたクグロフの剣を、彼はパッと放す。そして息吐く間も無く、剣を振った。――反撃の開始だ。
今まで防戦一方でいたのは、一体何だったのか。そう思うほどの勢いで、奴を攻め立てて行く。するとあっという間に、今度はクグロフの方が防戦に徹するようになった。そしてその位置までも、押し戻したのである。
結果的にショコラの近くからは、一先ず危険が去っていた。その時、ふと思う。
『……グラス様は……時機を見ていたのかしら……?』
こちらからの攻撃をする時機を――。ただ、それが今だったのかは、定かではないが……。
思えばさっきまでは、防戦と言えばそうなのだが、クグロフからの攻撃を受け流しているようにも見えた。何せ、まだ怪我らしい怪我もしていないのだ。服を少し切られたのが精々なところ、といった程度。
……もしかすると、相手にどんどん打ち込ませ、疲れされようとしていたのではないだろうか??
もしくは、“あの薬”。その効果が切れる時を、待っているのかもしれない。その時のために、自分は体力を温存しておいて――…。
持久戦に持ち込もうとしているのなら、同じ考えである。と、ショコラは思った。
さて、こうしていては、いつまた彼の足手まといになるか分からない。そんな事のために、ここまで来たわけでは無いのだ。
危機が払われた今、自分に出来る方法でグラスに加勢しよう。
『――…私は、ヴァンルージュさんの足を引っ張るわ!!』
二人は、少し離れた所で激しく剣で打ち合っている。いくらグラスが本気を出したと言っても、クグロフだって防戦のままでいるわけがなかった。もう押し戻されてばかりではない。再び押し返してもいた。
打って打たれて、一進一退の攻防が、目まぐるしく展開されている。どちらが上、という事は無い。少なくとも、素人目には全く分からない状態だった。
二人の男が、命を懸けて戦っている。それに水を差そうだなんて、野暮以外の何物でもない――
「ヴァンルージュさんっっ!!」
ショコラは大きな声で叫んだ。
「アア⁉今取り込み中だ!後にしろ!!」
クグロフも叫ぶようにして返す。
「いいえ、今、お話ししましょう!」
「うるせえっつってんだろ‼」
早くも奴は、苛ついたような返事をしている。クグロフは今、のんびりとお喋りしている場合ではないのだ。グラスがそんな余裕を与えてくれないのはもちろんの事、自分もそんな事にかまけていたくはなかった。
今は集中して、目の前の敵と戦いたい――。
「ヴァンルージュさんっ!一つ、ご提案があるのです!」
そんな機微などぶち壊し、構う事なくショコラは自分の主張を押し出して行く。これには、さすがのクグロフも我慢ならなかった。
「だから、ウルセーっつの!!終わるまで黙っとけ‼」
「いいえ黙りません!だって終わってしまったら、意味が無いのですもの!!」
いくら怒鳴ろうと、彼女はやめない。諦めない様子。……ああ、邪魔だ。気が散る……!
「――…いっその事、ここで殺っちまうか……」
横目でショコラを見て、クグロフはぼそりと呟く。勿体ないが、こうも煩ければ致し方ない……
照準を彼女に合わせると、かち合わせていた剣をそちらへ向けようとした。しかし――。
「おっと!一体何をする気だ??」
そんな事を、グラスが許すわけがない。ショコラに襲い掛かろうとする前に、防がれた。
「…チッ‼」
忌々しそうに、奴は顔を歪める。彼の方は、微笑んでいた。
「余所見をするとは、ずいぶん余裕があると見える。私との戦闘は、そんなに退屈かな?」
「そーかもな。悔しいか?だったら俺を、もっとのめり込ませてみたらどうだ。」
ふむ。言い返すような余裕は、まだあるらしい。
どうやらショコラは、クグロフを内から攻撃するつもりのようである。
グラスは再び剣を振り始めた。――さあ、ここからだ。




