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八十五話 未熟

 

 ナリカラの旧王都リオニ。今、この大都市の活気には、戦の匂いがはっきりと混じっている。

 工房街では武器防具がひっきりなしに製造され、各地から食料品を満載した駄獣や荷車がやって来ては、ゴブリンの兵士を連れた文官に丸ごと買い上げられていた。

 完全武装の兵士達が将に率いられて、南や西の城門を出入りする姿も数日に一度は見掛けられる。


 そんなきな臭い町を見下ろすリオニ城も、ぴりっと張り詰めた空気で満ちていた。その城内の一室では、ナリカラ中部及び南部の地図が広げられ、当然の様に軍議が行なわれている。

 その場に居るのはエグリシ氏族の諸侯がほとんどで、軍議の中心もエグリシ氏族最大の有力者、ギオルギだった。どこをどう見ても歴戦の武人といった貫禄のあるゴブリンは、地図を棒で指し示しながら現状を説明する。


「依然、逆賊たるザリャン氏族はリオニより南部の諸城を圧迫しつつあるが、諸兄らの勇戦奮闘により膠着状態に持ち込んでいる」


 地図上には色分けされた木片が散らばり、ザリャン氏族の黒をエグリシ氏族の赤が受け止めていた。黒の方が数で優っているも、赤の木片はどれも城や砦といった拠点を中心に布陣しており、中々手古摺っている様子である。

 事前に示されたイルムの方針では、拠点に拘らずリオニに戦力を集中させて守る手筈だったが、エグリシ氏族諸侯は現状ではまだ拠点放棄の必要は無いと考えていた。


 その理由はエグリシ氏族ではなく、敵のザリャン氏族の側にある。


「ザリャンは昨年に比べて随分と大人しい。余程冬が(こた)えたのか、それとも後方が反乱で騒がしいからか、或いは両方か」


 ギオルギの横から若々しい声が上がった。刺繍が縫い込まれた円柱型の帽子に木綿の長衣を纏う、整った顔のゴブリンがギオルギの隣で地図を覗き込む。

 ゴブリンの王族にしてナリカラ軍総司令官たるティラズムは、やがて前へ伸ばした首を戻して顎に手をやった。それを見た諸侯は微妙な表情を浮かべる。


 彼らはティラズムを王族として大いに尊敬崇拝し、忠義を貫くつもりではあるが、いかんせんティラズムは戦がからっきしな為、軍議の場では毎度変な事を言い出さないかと諸侯は不安に思っていた。

 ギオルギもそうだったのか、ティラズムが再び口を開く前にとばかりに、状況説明を続ける。


「全体の戦況は安定しているものの、懸念は存在している。南西のロムジア氏族が孤立し掛けている事だ」


 ナリカラ南部の西側が棒でぱしんと叩かれた。ロムジア氏族を表す青の木片は、山岳や砦に陣を構えて敵である黒を食い止めているが、赤のエグリシ氏族と繋がる道の幾つかが黒の木片に塞がれている。


「ロムジア氏族はリオニに退避せず、南西部の本拠地よりザリャンの後方を脅かしていたが、いよいよ反撃を受けて本拠地へ押し込まれた。勝手知ったる本拠地故に戦闘は基本ロムジアが優位に立っているが、包囲される形で我らと分断されつつある」


 ロムジア氏族は山岳に守られている事もあって、敵の侵入を許していないものの、リオニに繋がる連絡線が次々と絶たれ、ほぼ孤立状態にあった。

 しかし、そのお陰でザリャン氏族軍は分散し、結果的にエグリシ氏族への圧力が減っている。この為、エグリシ氏族はリオニまで退かずとも防衛線を維持出来ていた。


「総督閣下が軍と共に戻られるまで、現状維持でも大きな問題は無いだろうが、ロムジア氏族の孤立は彼らの内部不和を招くやもしれん」


 ロムジア氏族も、いくら敵を自領に踏み込ませていないとはいえ、長期間孤立無援となれば、自分達は捨て石にされたのではと不信感が募りかねない。

 そうなれば、やがてロムジア氏族の中から、ザリャンに降ろうとする不届き者が現れて、内部から崩壊してしまう可能性があった。

 ギオルギはティラズムの反対側に立つ、ゴブリンの武将へ目を向ける。


「エレクレ殿はどう考える?」

「……」


 エグリシ氏族の戦巧者”沈黙“のエレクレは、ギオルギの問いに異名通りの沈黙を返した。だが、彼の瞳は地図の上を静かに走っている。

 やがて、エレクレが地図の一点を指差す。そこにはリオニと南西部を繋ぐ主要道の一つに陣取る、黒の木片が鎮座していた。

 ギオルギはその意図を瞬時に悟る。


「なるほど、目標を一点のみに絞る事で戦力を集中させて敵を叩き、連絡を回復させるか。それに他の道は細いか遠回り、放置しても問題は少ない」

「確かに」

「それならば、守備を削る程の兵力を捻り出す必要もないな」


 諸侯も一点集中に賛同の声を上げた。あくまでロムジアの完全な孤立を防ぎつつ、兵を温存して時間を稼ぐというのが、エグリシ氏族諸侯軍の目的である。そういう意味でエレクレの策は最上だった。


 しかしティラズムは不満顔である。ロムジア救出でも考えていたのだろうが、素人が戦巧者の意見を無碍にする訳にもいかず、不満を飲み込むしかなかった。

 それを察したのか、ギオルギが改めて軍の厳しい実情を口にする。


「現在、我らの戦力は総数が三千強、ロムジアの兵力は七百程。しかし、守備を考えれば自由に動かせるのは我ら諸侯で最大千五百程、ロムジアに至っては四百に満たぬ。未だ五千を優に超えるザリャン氏族軍を追い返すなど不可能だ」


 彼は更に険しい表情で続けた。


「よって、消耗を抑えつつロムジアの孤立を防ぎ続ける他に手立ては無い。そういう意味ではエレクレ殿の見立てはこれ以上ないものだ」


 諸侯は「然り」と頷く。現実を前にティラズムの面相は、不満を含んだものからしょげたものへと変わった。

 これを見てか、エレクレが言葉を発さずに、視線だけをギオルギへ送る。ギオルギも彼へちらりと一度見返し、ティラズムに向き直った。


「しかしながら、ロムジア氏族の胸中はさぞ重いものがありましょう。そこで総司令官閣下に、ロムジア氏族に対して奮戦への感状を(したた)めて頂くというのは如何(いかが)でしょうや」


 ギオルギの意見にティラズムは顔色を変える。先程までと打って変わり、見て分かるまで血色を良くさせた。


「それは良い、ロムジアの奮励努力に少しでも報いてやらねば」


 軍才が乏しくとも、詩才には自信があるゴブリンの王子は、胸を張ってそう言う。そして口端を上げると目線をやや上方へ向け、思案に(ふけ)り始めた。


 感状の内容を練るティラズムを横目に、溜息を飲み込んだギオルギが諸侯へ身体を回す。


「では解散、各自いつでも出陣出来るよう軍を整えておくように」





「――だそうだよ」


 イルムは読み上げていたリオニからの書状を机に置いた。エルガはふんっと小さく鼻から息を吐く。


「ティラズムが余計な事をしていなくて何よりだ」

「はは……」

「笑ってる暇があったらオルソド教を学べ、出来るだけ早く改宗に漕ぎ着けろ」


 苦笑するイルムだったが、彼女の矛先が自分に変わって息を詰まらせた。続け様に吹雪を思わせる声が、イルムの体温を下げる。


「改宗が成ればナリカラ教会を後ろ盾にする事も出来るんだ、とっとと教典ぐらい読了しておけ」

「はい……」

「敬語はいらん! 下の者に敬語使っていたら総督の権威に傷が付きかねんぞ」

「はぃ……いや、分かった!」


 エルガ相手に敬語を使っても、誰も権威云々は気にしないのではないかと思ったが、流石にそれ以上彼女の不興を買う事は避けた。


 ここのところ、イルムに対してエルガの厳しさが増している。特にオルソド教への改宗に向けた学習について、手厳しい言葉が度々飛んでいた。

 改宗はエルガとの結婚を目指す上で必須という事もあり、イルムも意欲的ではあったが、流石に一朝一夕ではどうにもならない。更にクロムでの後始末やら、軍の帰還準備やらで忙しい事もあり、順調とは言い難い状況だ。

 エルガも十分それを承知しているが、それでも今後を考えれば苦言を吐き出さざるを得なかった。


「全く。改宗すれば人間諸国との折衝の障壁が低くなり、ナリカラ教会を完全に総督府の土台に組み込める。しかも旧スボルツ公アルトナルの娘である私との結婚で、お前は“魔王の子息”、“ナリカラ総督”という肩書に“アルトナルの娘婿”を加えて箔付が図れるんだ。励め、イルム」


 感状の起伏が少ない淡々とした言葉が紡がれるが、イルムはその中に結婚という単語と、励めという言葉を聞き付けて、鼻と頬に薄紅を浮かべる。

 赤くなりながらも「頑張る」と威勢良く答え、教典を取り出してはしおりを挟んだ箇所を開いた。


 聖職領主として一応は府主教である、クムバトから借りた教典は、勿論ゴブリンの言語で(つづ)られている。

 しかし、イルムによって読み上げられる内容は、側で監視の如く耳をそばだてるエルガに分かる様、敢えてグラゴル語に翻訳されながら紡がれた。朗々と、かつ厳粛な響きが耳朶を打つ。


 ――知恵を求めて得る人、悟りを得る人は(さいわい)である。知恵によって得るものは、銀によって得るものに(まさ)り、その利益は精金よりも良いからである。




 黒地に赤の斜め十字が入った旗がクロムの城壁より降ろされ、門の外へ出たのはこれより二日後の事であった。

 クロムを進発したナリカラ軍は、くたびれた衣服を纏う人間の群れを連れて、ナリカラへの帰路に着く。まず目指すは北西部の要、ディアウヒである。


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