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六話 小戦

 

 山間に広がる森の中で蠢く者達がいた。その者らは片手に小ぶりな斧や剣、槍などの武器を持ち、もう片方の手は物資を駄載した、やたら毛の長い山羊や犬のように毛深い豚に繋がる縄を握っている。

 人々がゴブリンと呼び恐れ蔑む存在、それが大群を為していた。


 彼らは共通して背丈が低いが、肌の色は様々である。

 日に焼けている者が半分程を占めるが、もう半分は白い肌を持つ者で、その中に真っ白な者から薄っすら赤くなっている者まで、微妙に一人一人色合いが違う。


 そんなゴブリン達の行列が、木々の間を伸びる土道の上を歩いて行く様を、列の側で真っ赤な目のロバに跨る、鎖帷子(メイル)姿のゴブリンが眺めていた。彼は眉間に皺を寄せていたが、怒りより呆れが感じられる表情をしている。


「にわか総督を逃すとはやはり鉱民は当てにならんな、その上クムバトも討ち漏らす始末……カルス様に顔向けできんわ」


 騎乗のゴブリンが白い肌のゴブリン達、地下で採掘を営み地上へ出ることはほとんどない下層民である鉱民へ、侮蔑の目を向けながらそう愚痴ると、傍で控えていた小麦色のゴブリンが声を掛けた。


「街道封鎖には鉱民兵だけでなく、戦士も送り込むべきでした。これは私の失態であります、申し開きもございませんバガラン様」

「アニよ、お(ぬし)の所為ではない。鉱民があまりに腑抜けであっただけのこと。それより早う総督を名乗る(わっぱ)とクムバトが籠るバゼー修道院へ向かわねば、二日前の様にまた逃げられると面倒だ」


 アニと呼ばれたゴブリンは、ザリャン氏族の将軍バガランへ深々と頭を下げる。それを受けたバガランは、自身が率いる軍勢の行軍から視線を外して、赤目ロバを歩ませ始めた。


 斥候の情報から、オルベラ氏族残党が腰を落ち着けていると思われるバゼー修道院へは、既に半日もしない距離まで近づいており、たとえオルベラ氏族が戦力を掻き集めていたとしても、僅か二日の猶予ではたかが知れる。


 そうバガランは考えていた為、愚痴とは裏腹に彼は全く焦ってはいなかった。

 そんな彼に不可解な一報が届く。


「前方に百程の部隊が陣取っている?」


 先行する斥候から齎された情報に、バガランは(いぶか)しむ。チラリとアニに目を向けると、アニも首を傾げた。敵が迎撃に出て来たということだろうが、その意味がわからない。

 バガラン指揮下の軍勢は八百、一方オルベラ氏族残党は近場の支族と合流した場合、多くても四百程度と予想されるが、それでも兵力差は歴然である。


 数に劣るならば籠城で時間を稼ぎ、全てのオルベラの支族を糾合して、援軍を掻き集めるのが常道の筈だが、敵は何故か少数で打って出て来たのだ。

 アニがやや困惑気にバガランへ尋ねる。


「こちらの出鼻を挫くつもりなのでしょうか?」

「……確かにこの道は然程広いとは言えん、少数でもやり様によっては大軍を止められるか……?」


 バガランは顎に手を添えて考え込むが、すぐに首を振った。


「この兵力差では小細工をしても大勢(たいせい)は変わらん、構わず潰すとしよう。ただ百か二百程は森に伏せている可能性が高い、全軍に伏兵への警戒を触れろ。一度小休止した後に掛かる」

「承知しました」


 淀みなく返事をしたアニは、配下のゴブリンにバガランからの下知を、全軍に伝えるよう命じる。しばらくして、軍全体に命令が伝わり行軍を止めた。

 ゴブリン達は、各々の毛長山羊や猪豚に載せた荷物から、革袋の水筒や蓋がされた細長い壺を取り出し、腰を下ろすと中身を喉に流し込んでいく。たちまち辺りにほんのりと酒気が漂った。


 ゴブリンに限らず軍隊では、煮沸消毒の必要がなく保存性も高いために、酒を水の代わりにすることが多い。

 が、何よりもゴブリンは大の酒好きであることもあって、ゴブリンは常に度数のある酒を手放さないのだ。


「皆、呑んだな? では進めぃ! 立ち塞がる者は全て討ち捨てよ!」


 バガランは誰も彼もが、顔に薄く朱を浮かべたのを確認してから、前進を下令する。ゴブリン達は気炎を上げて答えた。

 ゴブリンの間では、戦闘前の飲酒が勧められている。程良い酔いは恐怖を薄れさせ、士気を高める。その効果を期待してのことだ。

 そしてバガランが率いる軍勢には、その効果が十分に発揮された様である。



 進軍を再開して然程経たずに、道を塞ぐ形で陣を敷いた小規模の部隊が見えた。その中に黒髪の青年の姿もある。


「ナリカラ総督のイルム! ザリャン氏族に告ぐ、直ちにオルベラ氏族に対する所領横領及び、私戦行為を止めよ。さもなくば反乱として処分する!」


 イルムと名乗った青年はそう叫ぶと、腰に吊るした剣を鞘から引き抜く。


「度胸があるのか、はたまたただの愚か者か、総督自ら指揮を執るとは」


 バガランは、呆れとも関心ともつかない声を上げながら、アニを手招きした。静かに近寄るアニへ命令を下す。


「鉱民を突っ込ませろ。恐らく伏撃を受けるだろうが、こんな小戦(こいくさ)で戦士や平民を死なせるのも馬鹿らしい。指揮は任せる、儂は後方から見物するとしよう」


 おどろおどろしい太鼓の音と共に、鎖帷子や革鎧を身に纏う日焼けしたゴブリン達が後方へ集まり、逆に前方へは布一枚の薄汚れた姿の、白い鉱民ゴブリンの集団が進み始めた。


 日の届かない地下暮らしが長かったが故の彼らの白い肌は、慣れない日光で焼かれた痛々しい赤や、酒による朱が混ざっている。

 アニはその鉱民兵に向けて声を張り上げた。


(かね)てから伝えてある通り、鉱民であっても勲功には恩賞で報いる。そして此度はナリカラ総督を名乗る魔族と、オルベラ氏族の氏族長クムバトを同時に討てる絶好の好機! 片割れでも討ち取った者は戦士に取り立てられようぞ!」


 アニの言葉に鉱民兵は、棍棒や刃こぼれした刃物など貧相な武装を振り上げて、雄叫びを上げる。

 熱狂に包まれた彼らは、手柄を上げて地上で暮らせる平民、あわよくば特権階級でもある戦士へのし上がろうと目をぎらつかせ、敵目掛けて駆け出した。


「構え!」


 イルムの号令で、彼に率いられた三列に並ぶ八十強のオルベラ氏族ゴブリンが、人の背丈より長い長槍を両手で構える。

 よく見れば木の棒の先に短剣を縛り付けたり、先端を尖らせた棒に手斧の刃を固定させたりしたものなど、にわか作りの代物で、鉱民兵全体の指揮を執るアニは思わず鼻で笑う。


「はっ、あんなもので鉱民兵とはいえ、四百の軍勢を止められるとでも?」


 しかし、すぐにアニは顔を曇らせる事になる。穂先がずらりと並んだ槍の壁に鉱民兵が突っ込んだ瞬間、鉱民兵らはしゃがみ込んだ一列目のオルベラ氏族ゴブリンが低く構える槍に足を止め、中腰の二列目の一突きで先頭の数十人が鮮血を流し、三列目が頭上から振り下ろした一撃で鉱民兵は次々と倒れ伏した。


 がむしゃらに襲い掛かる鉱民兵に対し、淡々と突きや振り下ろしを繰り返すオルベラ氏族ゴブリンは、その間合いの差によって、ほとんど被害を出さずに大軍を食い止めている。


「あんなもの、一度乱戦に持ち込むだけで崩せるというに……ええい、味方を踏み越えてでも敵に切り込まんか!」


 アニの怒鳴り声を受けてか、細い道でつかえる最前列を踏み台にするかのように、鉱民兵が無理矢理前へ前へと押し出し始める。その時、イルムが小さな角笛を取り出してそれを吹き鳴らした。


「むっ? 伏勢が来るぞ! 備えろ、固まれ!」


 伏兵への合図かと前線で部隊長として、鉱民兵を指揮する小麦色の平民ゴブリンが警戒を呼び掛ける。


 だが、角笛に続いて聞こえてくるのは伏兵の怒声ではなく、木に斧が叩き込まれる甲高い響きだった。

 音の方へ目を向けると、既に幹が半分以上は抉られている大木の無傷な反対側へ、数人のゴブリンが斧を振るっている。

 大木は別の木と繋がる五本の縄によって支えられている状態だったが、今はオルベラ氏族のゴブリンがその縄を断ち切り、大木はめきめきと悲鳴を上げて道の方へ倒れ始めた。


 大将首を獲ろうとイルムへ殺到していた、鉱民兵の前衛に向かって倒れて来る大木は一本だけではない。

 都合六本の大木が道の両脇から崩れ、突然のことに恐慌状態に陥る鉱民兵らを押し潰した。


「してやられた……何をしている!? 前衛が崩壊したならば後衛が前進せんか!」


 アニは一度苦々しく呟くと、動揺している鉱民兵を叱咤(しった)する。

 鉱民兵が慌てて邪魔な枝葉を切り払い、倒木を乗り越え始めるが、倒木の枝葉で遮られた向こう側から、放物線を描いて石が(あられ)の如く降り始めた。


「投石とは猪口才な……いや投石にしては……」


 ――大き過ぎる。


 到底遠くまで投げられるとは考えられない、赤子の頭程の石が鉱民兵の頭蓋を割り、骨を砕く様を目の当たりにするアニはそう思った。

 しかし、ここでまごつく訳にはいかない。


 動揺する鉱民兵を睨みながら、アニは部下のゴブリンに、最早戦力にならない前衛だった部隊の収容と再編を命じた。

 部下が前線へ駆け出していくのと同時に、後方で待機しているバガランからの伝令がアニの元へたどり着く。


「将軍より弓兵を送るとの報せ」

「流石はバガラン将軍、丁度良いところで必要なものを用意して下さる」


 アニは表情に余裕を取り戻すと、前進して来た平民ゴブリンで構成された弓兵隊へ援護射撃を命じる。

 布鎧を身に付けた百を超える弓兵が矢を放ち、次々と弧を描いて飛ぶ矢が、倒木の向こうへ消えていった。

 弓兵隊の射撃が始まると、途端に投石が止んだのを見て、鉱民兵が倒木の列を続々と乗り越える。

 最後の倒木の枝葉が払われ道の先が露わになると、その光景に先頭の鉱民兵は目を見開いた。


 運悪く矢を受けて絶命したとみられる三人のオルベラ氏族ゴブリンの遺体と、血塗れの鉱民兵の山を残して、オルベラ氏族は忽然と姿を消していたのだ。ご丁寧に三人が持っていたであろう長槍と共に。



 オルベラ氏族が消えたという報告がアニの元へ伝わると、アニは拳を震わせる。大木を切り倒したゴブリン達も倒木による混乱を最後に、姿が見えなくなっていた。


 つまり――


「いいようにやられっぱなしではないか」


 怒りで顔を真っ赤にしたアニは、鉱民兵へ直ちに追撃を命じようとしたが、耳障りの悪い角笛の音色に動きを止める。


「攻撃中止の角笛……焦るなという事であろうな」


 すっかり怒りを萎えさせ、気落ちした様子でアニはそう(こぼ)した。



「アニもまだまだよのう、焦り過ぎだ。兵力で圧倒しているのだから強襲ではなく、警戒しつつ絞め殺すようにじわじわと行くべきだったわ」


 バガランは苦笑を浮かべながらも、戦士団や民兵を前進させる。鉱民兵は倒木を撤去させた後に後尾へ就かせ、アニを呼び戻した。


「見事にやられたな、イルムとかいう者も案外侮れん。ここは本腰を入れんといかんと考えておる」


 アニは俯いたまま一言も発しない。バガランは再び苦笑したが、すぐに顔を引き締める。


「このままバゼー修道院へ攻めてもまた罠にかけられよう、そこで修道院を無視してオルベラの支族を制圧していく」


 アニは思わず顔を上げた。バガランは余裕たっぷりに口を歪める。


「奴らを無視しても問題はない。連中の兵力では我らの背後を突いても崩しきれんし、寧ろこちらに有利な野戦に持ち込める。かといって我らを素通りさせれば貴重な味方が消えていく、八方塞がりにできるぞ」

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