五話 バゼー修道院
「なるほど、あのゴブリン達は街道封鎖の部隊だったんだ」
「ええ、我らオルベラとスブムンド公との連絡を断ち、あわよくばイルム様を捕らえるか討つ算段だったのでしょう」
ソハエムス近郊に避難所と成り得る場所があると言うクムバトの案内で、イルムは馬車に負傷者を乗せて、百を数えるオルベラ氏族残党と共にそこに向かっていた。
ソハエムスを奪還するといっても、拠点が無くては態勢を整えるどころか、おちおち休めもしないからだ。
オルベラ氏族が治めていたソハエムスは、ナリカラ地方北西に位置する都市で、スブムンド公支配下の領域とナリカラの境に近い。
だが既に国境地帯はザリャン氏族によって封鎖され、ソハエムスも失落した今、スブムンド公との連絡は不可能であり、援兵も期待出来ない。
「今すぐに孤立状態から脱するには、ソハエムスを奪還するか、スブムンド公領への国境を突破するしか無いけど……どちらにせよ戦力を整えなきゃ話にならない」
「その戦力に当てはあるので?」
イルムの言葉に続いて、アミネがクムバトに尋ねる。ゴブリンの言葉が分からないアミネは、イルムによる通訳を受けて会話を把握していた。
「ソハエムスから北東の地域は、まだザリャン氏族の手が及んでおりません。そこでオルベラの支族と連携、或いはさらに東のカシィブ公領を頼って再起を図るべきかと……ああ、見えました。私の古巣です」
そう言ってクムバトは前方見える丘の上に建つ、荒くごつごつとした石造りの平屋に木造の塔を備えた建物を指差す。その砦にも見える建造物は、クムバトがかつて過ごした修道院だという。
クムバトはソハエムスの領主兼府主教という聖職諸侯――領主でもある高位の聖職者――で、領主を継ぐ前は修道士として修道生活を行っていたらしい。
「バゼー修道院です。見っともないでしょう? ナリカラが属領化する前の統一王国だった頃は、綺麗に加工された石と煉瓦でできていたのですが、かつての戦乱で破壊され、費用不足で雑な再建が行われてこの有様です」
クムバトは自嘲気味に言いながら、修道院の中へと誘う。入ってみると内部は殆ど木造で、木造建築を石で覆っていたことが分かる。
「外壁が石なのは装甲か。費用不足と言っていたけれど、内側の木造部分はしっかりしている。十分拠点として機能出来るじゃないか」
イルムは感心した様子で、修道院内部を眺め回す。クムバトは照れ臭そうに恐縮ですと呟くが、アミネは首を傾げた。
「というか、何で修道院なんです? ゴブリンって何を信仰してるので?」
これにはイルムも、そういえばという顔をする。
「我らは聖女ニヌア様が広められた教え、オルソド教を信奉しております。大元は西方人間諸国と同じ教えですね。まあ仔細や解釈は違っているかもしれませんが」
「え? ゴブリンが人間と同じ宗教を? 私、てっきり魔族の強者崇拝か魔神信仰寄りだとばかり……」
「僕も……でも聖女ニヌアは聞いたことがあるような……」
疑問符を浮かべるイルムらに、クムバトは微笑を浮かべて、二人に修道院奥の祭壇の広間へ進むよう促す。そこには古びてはいるが、未だ鮮やかさを残す壁画があった。
描かれているのは、美しくも強い決意を感じられる眦を、真っ直ぐ正面へ向けた人間の女性だ。
その女性は白布を被り、右手には直線を斜めに交差させた十字を象った首飾りを握りしめ、左手には一冊の本を抱えている。
「彼女が聖女ニヌア……」
「ええ、正式には光照の亜使徒ニヌア。遥か昔のナリカラへ僅かなお供を連れられて、布教なされた聖人であらせられます」
伝承によると、西方で生まれたオルソド教徒であるニヌアは、当時人間とも魔族とも距離を置く独立勢力であったゴブリン達を、オルソド教徒として人間側に迎えるべく、護衛を兼ねる同志と共にナリカラに現れ、正しき教えを広めに来たとゴブリン達に語り掛けた。
当然ゴブリン達はニヌア一行を害しようとするが、ニヌアは伝道者であると同時に、才溢れる魔法の使い手であり、襲って来たゴブリン達を難なく返り討ちにしてしまった。そしてニヌアは、そのゴブリン達を自ら治療したのである。
困惑するゴブリン達を余所に、進む先々で彼女は襲い来るゴブリンを撃退しては、傷病のゴブリン達を次々に癒しては布教を行い、次第にゴブリン達も畏怖と敬意から彼女へ心を開き布教を受け入れていった。
「最終的にはゴブリンの氏族長の一人を癒された事を切っ掛けに、ニヌア様が広められた教えはナリカラ教会へと発展しました。これにより人間諸国とも小規模ながら交流が行われたそうです」
「ああ、思い出した。それからナリカラ統一王国誕生後、魔王軍の軍門に下って魔族の尖兵としての今に至るんだっけ。昔ファウダーで記録を見た覚えがある」
「イルム様のおっしゃる通り、かつて独立勢力であったゴブリンは、ナリカラ統一を果たし魔族と熾烈に戦ったバグラティオニ大王の死を境に、スブムンド公の支配下に入りました。それから人間諸国と争う年月が百を超えた今、ニヌア様の教えはゴブリンの記憶から薄れてしまい、一度は人間達から総主教座が認められたナリカラ教会も殆ど力を持ちません」
クムバトは努めて平坦な声で語った。そこから感情を読み取るのは難しいが、複雑な心境は察せられる。
だが、クムバトはすぐに微笑を取り戻すとこう続けた。
「ご安心を。オルベラ氏族も私自身も、今や魔王軍無くしてナリカラは立ち行かないと理解しております」
「……現状では百三十年前の様に人間との友好を築ける筈が無いし、魔族と対決姿勢が取れる程の力も無いから、か……」
「はい。ザリャン氏族はそれが分からなかった様ですが」
クムバトのやや沈んだ言葉に、イルムもつられて表情を曇らせる。
同胞が長期的な視野も持たずに無謀な行動を起こし、あまつさえ同族で殺し合いをしているのだ。その心中は察するに余りある。
しかし、そこへ無神経な声が飛んだ。
「なーんでザリャン氏族はナリカラを我が物にしようとしたんですかね? そもそも魔王軍いる間は大人しくしていた連中が、魔王軍に楯突いて独立とか本気で出来ると思ってるんですかね」
「アミネ……」
イルムはクムバトの心情を、全く慮ろうとしない己の従者を睨み付ける。だが、アミネはそれを意に介さず、相変わらずの気怠そうな顔付きだ。
「それはですね……」
クムバトが苦笑しながら、アミネの言葉へ答えようとした時、一人のゴブリンが小走りで近づいて来る。
何でもバゼー修道院付近に居を構えるオルベラ氏族が、ソハエムス陥落を知り兵を揃えて駆け付けたという。
「すぐに会おう、ザリャン族がここを攻めて来る前に出来る限り軍を整えておかないと」
イルムはそう言ってクムバトに仲介を頼む。兵が集まっただけでは、ただの寄せ集めに過ぎない。軍とするには、兵と兵を纏める指揮官達を掌握しておく必要がある。
といっても、いきなり見知らぬ者の下知に従うというのは抵抗が大きい。そこでイルムは、オルベラ氏族を従えるなら、クムバトを間に挟めば不信感を払拭できると考えたのだ。
「分かりました」
クムバトも察し良くそれを理解して、イルムらを先導する。修道院の外へ出ると、武器を手にした五十のゴブリンが辺りに屯っていた。
その中から、黒っぽい汚れの目立つ鎖帷子を身に付けたゴブリンが、クムバトへ歩み寄る。
「おお! 無事であったか!」
「叔父上、よく来てくださいました」
「本当ならば、ザリャンの軍勢がソハエムスを攻める前に援兵として向かいたかったが……」
「村々が略奪されぬよう、空には出来ませんから致し方ありませんよ。寧ろ返って良かったかもしれません」
クムバトはイルムの方へ向き直ると、鎖帷子姿のゴブリンを紹介した。
「イルム様、彼は私の叔父で、バゼー修道院から北方の領主でもあるノリスです」
「どうも、ナリカラ総督のイルムです。こっちの女屍食鬼は従者のアミネ」
イルムは敬語で自己紹介をする。イルムの方が地位は圧倒的に上だが、ゴブリンとはいえ明らかに年上であろう者に、亡き母の教育もあってぞんざいな口調は憚られた。
総督としての権力確立の前提として、まずは信頼関係構築を優先させたいという下心もあるが。
ノリスは目を見開き、クムバトを見る。
「五公会議でナリカラ総督に任命されたイルム様は、総督府への途上でソハエムス陥落を目撃されているところで、私と出会いました。今はザリャン氏族鎮圧のため、我らと行動を共にしているところです」
クムバトの掻い摘んだ説明が終わるのを待って、イルムは口を開いた。
「ザリャン氏族のことを考えると、あまりのんびりはしていられない。いきなりで悪いですが戦力は如何程で?」
しばらく総督が目の前にいる事に面食らっていたノリスは、何とか事情を飲み込んだのか、戸惑いながらも答える。
「え、はあ、儂は五十の兵を率いて来ましたが、もうすぐ掻き集めた民兵を含む後続隊も到着するかと」
「総勢はどれぐらいに?」
ノリスは宙を見上げ、首を傾げてうぅんと唸ってから答えた。
「所領の守備もありますから、根こそぎというわけにもいかず……二百にはなるかと」
「二百!?」
イルムは驚愕する。二百という兵数は、魔族においても人間諸国においても、村々を治める小領主ではあり得ない。
それどころか小領主の連合軍、或いは小都市や小城を持つ貴族が率いる軍勢に匹敵する。
「いや、まあ所詮ゴブリンですから、人間の兵士にしたら百人分程度の戦力です。あまり期待し過ぎないで下さい」
イルムの驚き様に、ノリスは慌てて卑下し始めた。しかし、イルムにとって人間の兵士百人分でも十分驚くに値する。人間諸国の砦に置かれる常駐戦力がそれぐらいはあるからだ。
しかも軍というものは、一度壊滅しても再編出来る様に、また兵を集め過ぎて領地が貧しくならない様に、最低限の兵しか動員しない。
つまりノリスはいざとなれば、更に二倍程度の兵力動員が可能という事だ。
「一人の領主でこれだけの戦力ってことは……」
嫌な予感がするイルムは、クムバトへ顔を向ける。クムバトは青い顔をしたイルムへ、しばらく言いづらそうにしていたが、そこへアミネの声が割り込む。
「ザリャン氏族の数はとんでもない事になりますねー」
アミネの言葉に蹴立てられたかの様に、クムバトも言葉を吐き出す。
「……御察しの通り、ゴブリンは多産かつ傷病に強い身体なので人口は勿論、兵力も大きいのです。ソハエムスを陥したザリャン氏族の軍勢は、千五百を数えました」
「……」
「更に言えば、ソハエムスは片手間で攻められたのであって、本隊は別方面にいるでしょう」
最早イルムは絶句するしかなかった。言葉を失ったイルムを見て、ノリスが慌てて埋め合わせに入る。
「ザリャン氏族は我ら以外にも敵を作っております故、我らに掛り切りになる事は無いかと。それにソハエムスを陥した千五百の軍勢も、そのまま留まり続けずに占領の兵を置いて散っていくでしょう」
「……残党狩りに、ですね。その内千近い追撃の軍が来る……と」
そうイルムは苦り切った表情で言う。今度はノリスが絶句した。
だがクムバトは落ち着いた様子で、イルムに声を掛ける。
「追撃の軍勢が全てここに来るわけではないでしょう。我らを探して散らばっている筈、例えここが見つかっても向こうは集結に時を費やし、我らはゆっくりと準備が出来ます」
「ゴブリンは身体が小さいですから、一歩一歩も小さくて移動に手間取るでしょうし」
クムバトとアミネの冷静な態度に、イルムもノリスも落ち着きを取り戻し、修道院の中に戻って今後の対応を協議し始めた。四人は修道院の一室で車座に座る。
最初に口を開いたのは、意外にもアミネだった。
「敵の追撃はどうしますか? どうあがいても数では劣りますけど」
「迎撃に関しては考えがある。クムバト、修道院の者やオルベラ氏族残党に木材や石を集めさせて。即席の武器を作らせる」
「分かりました」
「ノリス殿は後続隊が到着したら、査閲をするので全兵を集合させて下さい。僕はゴブリンの軍をよく知らないので、特徴を把握しておきたいんです」
「承知しました」
「イルム様、オルベラ氏族以外のゴブリンやカシィブ公へ助力を請いますか?」
「今はまだいい、カシィブ公には伝があるけれど、やるにしても追撃を跳ね返して総督としての存在感を示してからかな」
「状況説明ぐらいはしておきますかねー。私、カシィブ公様に命じられてイルム様の従者やってますし、連絡用に伝書烏も持たされてるんで」
協議が一通り終わると、一同の元にノリスの後続隊が見えたとの報告が入る。
修道院の外へ出ると、物資を背負った猪の様に毛深い豚を連れたゴブリンが、ぞろぞろと列を成して修道院の敷地へ入って来ていた。
斧や槍、弓を持つゴブリンもいるが、棍棒、木槌、鉈など粗末な武器も目立つ。よく見れば鎌や鍬に、片刃のツルハシまである有様である。
民兵とは聞いていたものの、予想以上に貧弱な武装に、イルムはあからさまに肩を落とした。
「人間諸国の民兵は領主から武装を貸与されるから、農具を引っ張り出すことは滅多にないのに……」
「所詮はゴブリン、数だけってことですかねー」
クムバトやノリスには聞こえないように呟いたイルムに、アミネの呆れ声が重なる。ノリスは苦笑いを浮かべながら、イルムへ軍の内訳を説明し始めた。
「儂が連れてきた五十と、後続隊百七十で総勢二百二十。その内、正規兵である戦士は八十で、民兵は百四十ですわ」
「輜重の人夫などの非戦闘員はいないんですね」
イルムの疑問にクムバトが答える。
「ゴブリンの軍では自己調達が基本ですから、物資は各自で運ぶんですよ」
「そこはあんまり魔族と変わらないんだ」
魔族も自分の食料や武具は自身で運ぶことが多い。上位の魔族ですら、自らが使役する魔物やゴーレムなどの魔道具に運搬させている。
なお配下に任せないのは、そのまま盗まれる恐れがあるからだ。
しばらく頼りないゴブリンの軍を眺めていたイルムは、首を捻って唸る。
「うーん、即席武器が思ったより必要かな。クムバト、木材はどんな感じ?」
「武器にすると仰っていたので、槍に使えそうな太い枝や細木を中心に集めさせています。ここは森が近いので、今夜までに百は優に集まるかと」
「それでも不安だな、ノリス殿の兵にも石と木材を集めさせるか」
「儂は構いませんが、木は槍にするとして石は一体何に……」
「ちょっとね」
イルムは悪戯っぽい笑みを浮かべた。




