四十二話 戦訓
「全員、僕を中心に固まれ! 外側の兵は目の前だけに集中するんだ!」
イルムの指示で三百のゴブリンは円を為す隊形を作る。外周のゴブリンは槍を構え、全方位にその穂先が向けられた。
「輪形隊形、これがあった! このまま隊形を維持して城へ向かう!」
甲羅に籠る亀の様な隊形でナリカラ軍は亀の如き見た目通りの、のっそりとした動きで真っ直ぐ北へ歩み始める。敵騎兵が再び突進して来るが、剣を振り上げても雄叫びをぶつけてくるだけで、実害が無いまま離れていった。
全周の防御が固められている為、敵は迂闊に手が出せず、味方はその安心感から士気と隊形を維持出来ている。
輪形隊形は元々、国土のほとんどが痩せた高地で馬も乗馬技術も乏しい国が、軽装の歩兵だけで騎士という重武装の騎兵に対抗する必要から生まれたものだ。
隊形の都合上機動力がかなり犠牲になっているが、それを補って余りある高い防御力を持つ。騎兵に対して脆弱なゴブリン歩兵にぴったりの隊形である。
「これは使えるね、いずれ全軍に対騎兵隊形として調練させよう」
イルムは鼻から小さく息を吹いて、僅かに顔を喜色に染める。
しかし、ナリカラ軍が輪形隊形のままモシニクス城を目指していると、後方に旗と土埃が現れた。
「後方より敵勢!」
イルムは顔色をがらりと変えて振り返る。
「追い付かれた!? 不味い!」
敵騎兵も旗が見えた途端に、今までにない気炎を上げた。追撃部隊と共に突っ込んで来るつもりなのは明らかだ。
動きの鈍い輪形隊形のままでは追い付かれてしまう。だが、隊形を解けば騎兵が容赦なく襲い来る事になる。
「……腹を決める時か」
犠牲を覚悟して、どちらを選択するかにイルムが思考を向けた。その時――火の玉が空を駆け、敵騎兵の前に落ちる。炎が弾けて辺りに火の粉を派手に撒き散らした。敵騎兵は慌ててその場を離れる。
何が起こったのか分からず、呆然としたナリカラ軍だったが、やがて誰かが興奮気味に叫んだ。
「前方にナリカラ軍旗!」
その報告を聞いた全ての者が北へ視線を向けた。黒地に斜交赤十字のナリカラ軍旗が真っ直ぐこちらに向かって来ていた。モシニクス城の守備兵が救援に駆けつけたのだ。
先頭には薄紫色の髪の女性を乗せた一ツ目馬が走っている。他にもオルベラ氏族軍に加え、クムバトの姿も見えた。
ナリカラ軍は歓喜の大声を張り上げ、ザリャン氏族軍は追撃を諦めて引き上げていく。
こうしてナリカラ軍三千五百とザリャン氏族軍五千がぶつかり合った戦いは終わった。
敗北したナリカラ軍の残存兵力は二千程、対してザリャン氏族軍は約四千。戦死者と行方不明者は両軍合わせて千を優に数え、負傷者はその二倍近い激戦であった。
傷を負った者の中にはまだ兵として戦える者もいるが、ほとんどは現在どころか将来に渡って治療後も戦力として数える事が出来ない者ばかりである。
イルムがモシニクス城に入った時には、至る所で戦傷者が溢れていた。手足を失ったゴブリンや包帯を巻かれていくゴブリンの姿が見られ、人手が足りていない為か斬り裂かれた傷口もそのままに、放置されているゴブリンまでいる。
「痛み分けに終わったとはいえ、やっぱり酷い被害だ。補充無しじゃ籠城はぎりぎりの状態になるかもしれない」
今回の戦闘の結果、戦力差はより広がってしまった。その差は二倍、籠城戦においては致命的な差とは言えないが、ナリカラ軍の内実が複数の氏族が集まった連合軍である上に、他の城の防衛を考えると全軍がそのまま籠る事は出来ず不安が残る。
それでも籠城前に会戦を仕掛けた事をイルムは後悔していない。血塗れ傷だらけのナリカラ軍を見つめていたイルムの元へ、ナリカラ軍副将として損害把握を行なっていたクムバトが歩み寄る。
「総督閣下、今回も肝が冷えました。兵を引き連れて駆け付けた時、御無事を確認してどれほど安堵した事か。殿軍が本隊より先に帰還してきたのを見て、私はもう……」
クムバトはイルムへ、もういい加減その身を危険に晒すのはやめてくれとばかりに、顔を呆れと哀願を混ぜたものへと歪めた。
イルムが苦笑を浮かべてどう言い繕うか悩んでいると、アスピンザやゲガルクニク、更にはギオルギとエレクレといった勇将達を始めとする諸将が集まる。
誰もがイルムに聞きたい事があるのは明白だった。ギオルギが口火を切る。
「此度の戦さ、どう見てもこちらの負けであるが如何する。ずっと籠城し続けるという訳にもいかんのだが」
諸将も、今回の会戦に意味はあるのかという疑問を面相に浮かべていた。だが、イルムは芯のある声で答える。
「この戦さは勝てなくても良いものだった。一番の目的はトロールの排除、次に敵戦力の把握、そしてナリカラ軍の同朋意識の形成だ」
黙りこくる諸将を見渡しながら、イルムは言葉を続けた。
「複数の氏族が集まっただけの連合軍であるナリカラ軍を一つの軍とするには、氏族間のわだかまりを超えないといけない。ザリャン氏族という喫緊の問題を前に、一番手っ取り早いのが共に死線を潜る事だ。要は氏族単位で戦友になる事で一つに纏まらせたかったんだよ」
イルムはクムバトやゲガルクニクといったオルベラ氏族の将に視線を向ける。
ナリカラ軍における最大の懸念は、オルベラ氏族と他氏族の連携だ。裏切り者として嫌われているオルベラ氏族をナリカラの一員として認めさせねば、いずれ内部崩壊の原因になりかねない。
帰還中であるゴブリンの王子が居れば、鶴の一声で対立関係は表面上解消されるが、それでもいつかぶり返す。それを防ぐ為にもイルムは共闘を経験させたかったのだ。
どこか不満を飲み込んでいる様子のエグリシ氏族諸侯を背に、腕を組んだギオルギが吐き出す様に承知の言葉を発する。
「……分かり申した。ただ、兵力の差はどうしようもないと思われるが」
「またまた、所領にたっぷり兵が残っているでしょ? 内輪揉めに備えて」
「……」
エグリシ氏族諸侯は全員決まりが悪そうにイルムから目を逸らす。
イルムがリオニで把握した情報によれば、エグリシ氏族諸侯は本気を出せば八千近い兵を用意出来た筈だ。しかし、最初に投入された対ザリャン氏族の兵力は四千、どう考えても兵を出し惜しみしている。
揉め事は氏族間だけではない。氏族内でも所領を留守にしている間に、誰かが出し抜けに領地を乗っ取るのではないかという不信感が渦巻いていた。故に諸侯は少数精鋭の陣容でここに居る。
「最初に顔合わせした時、装備の良い兵が揃っているなと思ったよ。精鋭揃いならあの兵力差であそこまで戦えたのにも納得だよね」
イルムはうんうんと頷き、一人で納得した。エグリシ氏族諸侯軍は、最初の会戦において四千の兵で五千のザリャン氏族軍に敗北するも損害を千程度に抑えており、今回も被害は少なくないが壊滅は免れている。
これらの戦い振りは精鋭なればこそであった。
「でもザリャン氏族も似た様なもの。兵の質から見て向こうは数優先だと思う。正規の兵は本領にかなり残っている筈だ、敵増援が到着したらリオニまで一気に突き抜けられるかもしれないよ」
真剣味を帯びているイルムの言葉に、エグリシ氏族諸侯は逸らしていた視線をイルムへ向け直した。彼らも足の引っ張り合いは避けたいとは考えている。やがて諸侯の一人が疑問を呈した。
「我らが兵の数を抑えたのは財政的問題も大きいですぞ。大軍を養う財源はどうするので? それに、こちらが兵を揃えたとしても結局防戦一方に成らざるを得ず、手詰まりなのでは?」
居並ぶ面々も首を縦に振って同意を示す。魔王軍の軍政でエグリシ氏族の経済はかなり引っ掻き回されており、その影響は未だ残っていた。
それにここを凌いでも、北東に居座っているレッドキャップの事もある。一致団結などの綺麗事だけで解決出来る状況ではない。
「大丈夫、更なる兵を確保する当てはある。必要になる軍資金に関してはラトンク公やスブムンド公から調達出来るよ」
そう言って、イルムはにやりとした表情を浮かべてみせた。




