湯兎の会話テクニックができるまで
湯兎はASD、つまり自閉症スペクトラム障害である。
それはつまり、人とのコミュニケーションが苦手ということである。
相手の「空気読んで!」もわからなければ、自分の「空気読んで!」も伝わらない。
結果かんしゃくを起こすこともしばしば。
そもそも「空気読め!」ははなはだしく非効率的だと思っている湯兎なのであるが、そういう言葉ができた以上そうやって生きている人はいるのだろう。たぶん。
それは私にとっては未知の領域であるゆえに。
「宇宙人っているかな?」「いるかもしれないね~」レベルの未知であるゆえに。
特に大学時代はひどかった。
大学に入って初めて一人暮らしをすることになった湯兎は、数日に一回、携帯電話を壁にぶん投げたい衝動と闘っていた。
親と話した後のことである。
成績がふるわぬ湯兎に、アドバイスの電話が入るのであるが――これが、もう。
「なんで○○ができないの?」「先生のところに聞きに行けばいいじゃないか」
私は返す。「できないの!!!」
ぶちっ。
親は悪くない。
私も悪くない。
ただ、大学生活と一人暮らしというものが、湯兎と相性が悪すぎただけである。
さてこのやり取り、親も私も悪くないといったが、実は大学を卒業した後も続いた。
親は自分含めみんなができることがなぜ私にできないのかわからない。
私はみんなが普通にやっていることがなぜ自分にできないのかわからない。
とあるきっかけで湯兎がASDである、という診断を受けた後も、このやり取りは続いた。
「できないもんはできない」を、ASDの勉強をして、こういう理屈なんだと自分の状態を落とし込んで、親に知らせる。
とてつもなく、大変であった。だって私うつ病中。
幸いなのは私も親も発達障害についての基礎知識があり、うつ病についての基礎知識があり、また追加で勉強することを厭わなかったことであるが……。
およそ一年以上、親と私は「なぜできない?」「できないものはできないの!」を繰り返していた。
ところで、親は悪くないといったが、母には一つ悪癖がある。
弱音やちょっとした愚痴に、ど正論をうちかましてくる人なのである。
「外に出たい……(慰めてほしい)」「出れば? いい天気よ?」「出れないの!!」とか。
「これこれこうでこれやりたくない……(励まして)」「でもやらなきゃ湯兎が困るでしょ?」「困るけど!」とか。
そうではない。
そうではないのだ、母よ。
言っているこっちは、やらなきゃいけないことも、がんばったらできることも全部承知で愚痴を言っているのである。正論が欲しいわけではないのだ。
つまり、ここで湯兎は「察して(空気読んで)」とシグナルを送っていたのであるが……まあ、自分ができないことを人に押し付けた湯兎が悪いのである。
しばらくプラスにならないコミュニケーションをしていた湯兎は考えた。
こっちが欲しい言葉じゃなくて正論をうってくる相手に、どうやってそれを知らせるか。
簡単である。
単純である。
会話の一番最初に、何を言ってほしいのか要求するだけ。
たとえば、
「ほめて!」「はい、どうしたの?」「小説新しく投稿できたよー」「えらい! すごーい!やったじゃん!」
とか、
「励まして!」「どうしたの?」「病院、今日行かなきゃいけないの……」「がんばれ! 君ならできる! 立ち上がるんだー!」
とか。
ちなみに、最初の要求がないとこうなる。
「小説を一話更新したよ!」「大丈夫? 躁になってない? ちゃんと時間決めて、飲み物用意してやったよね?」「やるにきまってるじゃん!(お怒り)」
「今日、病院行かなきゃいけないの……体が動かないの……」「でも二週間に一回先生に診てもらうのは大事だからね。調子が良くてちゃんと病院いけるときだけじゃなくて、こうして調子が悪い時も見てもらわないと」「…………(あきらめとむなしさ)」
この違いは一目瞭然であろう。
この「会話の最初にしてほしいことを要求する」テクニックは大変良くはまった。
それはもう、会話のストレスを六割方ふっとばすくらいはまった。
たぶん母のストレスも大変減ったと思う。
残る四割はまた今度の話である。
発達障害の人でも、定型発達の人でも変わらない会話テクニック。
それが、「会話の最初にやってほしいことを言う」つまり「会話の最初に結論を言う」であろう。
今回出てきた症状……ASD コミュニケーションが苦手。
対処法……要求は最初に明確に。
※話を書くにあたり、母の許可はもらいました。




