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目を合わせられない日本人

 昔々のその昔。


 いや、いうほど昔ではないが、私が赤ん坊のころである。


 私は人と目を合わせないときがある赤ちゃんだったという。


 親からよく聞くエピソードは、私の顔をのぞきこんだ親が「ぷいっ」とそっぽをむかれたというものだ。


 かわいらしいエピソードである。


 人が大好きでおしゃべりが大好きで庭から外を歩く大人をつかまえてはにこにこ話しかけていたという幼少期。


 大変人懐っこいかわいらしい子どもである。


 が、自我が芽生え、引っ越しの回数がちと増えたあたりから様子が変わり始めた。


 人が好きなのは変わらぬ。


 おしゃべりが好きなのも変わらぬ。


 けれど、なぜか、「人の顔を見て話す」ことができなくなったのだ。


 特に目を見るのが怖い。それはもう怖い。


 なぜ怖いのかわからないが、相手の目を見ているとどっと冷や汗が出てくるような感じ。


 怖い怖い、もうそれだけ。


 正しく「目を合わせられない日本人」であろう。たぶん。


 恥ずかしい――のでは、ない。


 なぜか、怖いのだ。


 が、今の湯兎は話すときに相手の目をじっと見る。


 たぶん、相手のほうが目をそらしてしまうくらい、じっと見る。


 なぜ見れるようになったのかは覚えておらぬ。


 ではなぜこのエッセイを書いた! と言われそうではあるが、当然、書きたかったから書いたのである。


 発達障害の人は人と目を合わせられない人が存外に多い。


 原因はいろいろ言われている。


 会話をするとき、アイコンタクトは重要なファクターであるが、発達障害の人にとっては「背景(そう重要でないもの)」と「アイコンタクト(重要なもの)」が同位置にあるため視線が安定しないのだとか。


 言葉と同時にアイコンタクトで「会話」することは私たちにとってひどく疲れることなのだ、とか。


 私の「怖い」に当てはまるのは、目を見たときに脳のある特定の部分が過剰に活動するそうでうんぬんかんぬん、という説だった。


 詳しく説明すると私が疲れる。なんとなくそうなんだ、で終わらせておくれ。


 つまりまあ、総括して、目を見るのが怖い、というのはやっぱりコミュニケーションスキルの低さによるものなのだろう、ということだ。


 なんだか話がだいぶずれた気がする。


 こういう学術的なことを書くつもりではなかったのだが。


 ええと、そう。人の目を見ることができるようになった湯兎にはおもしろい特性が加わった。


 強いストレスや疲れを感じているとき。


 湯兎は、「人と目を合わせられない湯兎」に戻るのだ。


 人の目を「努力」して見ているため、その余力がないときは元に戻ってしまうのだろう。


 目を合わせるのが怖いという感情も、この目を合わせられないときに感じているものだ。


 相手の口元当たり、首元あたりを見るといい――などと言われてもとても見れぬ。


 よって、相手の目、あるいは顔を見るのが怖いと思ったときは、湯兎の疲れが頂点近くに近づいているときだ。


 大変わかりやすいバロメーターで、ありがたくもある。


 疲れるとそっぽを向く。定型発達の人にもありそうな特徴だ。


 おもしろいものである。


今回のテーマは上手にまとめられなくて大層不満である。by 湯兎

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