三十一話
缶コーヒーを置いた。
両肩を上げ、肺を限界まで膨らませた後。肩をストンと落として息を吐く。
新悟にとって、この一週間はまさに“悪夢”だった。
国家権力を相手取って戦うなんて、一生に一度もない経験だ!これからの自分の糧にしよう!などと嘯いていた同僚は確かに頼もしかったが、一昨日死んだ。歩兵部隊の一員として京都に強襲したところ、手数の差によって惨敗したのだ。
自分はその時、橘の総本部で地図と睨めっこしていただけだった。
自分は果たして、何のために戦っているのだろう。いや、なぜ自分は“同志”を戦場に送り込んでいるのだろう。
“橘”が全国規模で蜂起を開始してから、新悟は多忙になった。橘において、事務仕事などをしっかりとこなせる人材は貴重であり、新悟は願ってもない逸材だったのだ。
殺伐とした事務部屋で、自分と他数人で黙々と計算を続ける。書類を作る。
弾薬や武器の配分。
そして、“兵士の調整”。
自分が人の名前を一度打ち込む度に、一人の命が銃弾に晒される。
例えそれが社会不適合者だったとしても、死は死、命は命。
楽しいと思えば笑い、悲しいと思えば顔を歪ませる紛れもない“人間”なのだ。
自分の目標は、まだ見失っていないつもりだ。
新悟は懐からロケットを取り出す。
―一度も開いたことはない。なぜなら、そこに佇む彼女は今を生きる彼女ではないからだ。
今や片言を呟くだけとなった、醜い彼女。
美醜なんて構わないさ、なんてキザな事さえ新悟には言うことが出来なかった。
彼女は全く悪くない。ただ単に、不幸にも交通事故に巻き込まれただけだ。
彼女の生き写しのような美誠と一緒に。
新悟に残されたのは、抜け殻のようになった彼女と、自身の健康な体。そして、気丈に振舞う美誠。
その自分が政府を憎み、こうして戦っているのは正しいはずだ。。
だが、自分がこうして使い捨ての銃弾で政府と戦っているのは、正しいのだろうか。
「…。」
ふと手元に置かれた写真を見る。
地面を抉り、建物という建物が吹き飛ばされた地獄の写真。だが紛れもなく、これは東京で起きた“現実”だ。
どれほどの人が巻き込まれたのだろうか。だが、それを考えることは脳が拒絶している。
原因は自明だ。
―――――――――
―香坂新悟。
「“そっち”じゃ有名な男なのか」
「“あっち”の話はあんま知らねぇよ。表の世界ではそこそこ地位があるっぽいけどな」
男はタブレットを操作し、向かい西園寺にネット記事を見せる。「これ」
「…記者?」
「端的に言うとそうなる」
西園寺は溜息を吐いて、ソファにより深く腰掛けた。
「“橘も困ったもんだ。こちらも十分に譲歩してやったつもりだが…」
「…」
「で、近衛」
近衛天篤は、この部屋にいない。
職業柄、顔を見せるのは彼の好む所ではないからだ。今部屋にいるのは西園寺と、近衛の従者だ。
「…この者が情報を外に漏らすことは無いだろうな?」
無表情を保ち続ける従者は、西園寺に指をさされてもまるで動じない。
「売れ残った人形みたいな顔してるが、万が一にもそんなことがあれば…」
「特保を舐めるなよ」
「…一応の用心はしておけよ」
西園寺は三本指でピストルを撃った。近衛は露骨に顔を歪め、「爺さん、そういうのやめなよ」
「必要悪だろう、弁えろ」
「えーめんどい」
西園寺は再び大きな溜息を吐いた。
「それより、“真桜”の定見はどうなってんだ?」
「…まあな」
「黙秘は先生方の常套だったな」
西園寺は目だけで近衛を睨んだ。
「聞きたいなら言うぞ」
「言えるなら言えよ」
西園寺はまた小さな溜息を吐いて、
「…各地の潜伏拠点の試運転をしたかったのだと推測している。そして、世間に波紋を生むことで、"内乱”を政治的なものだと認識するための下準備だったのだろう」
「なるほどね」
「…もう特保本隊は到着したか」
「下で待たせてる、善知鳥とかはもう出た」
「中々気合入ってるじゃないか」
「…ま、俺個人としても因縁はある」
「珍しいな、お前がそういう感情を持つとは…ま、頑張ってくれ」
何も言わず、“従者”の男は退出した。
「お疲れ」
聖フェロメナ学院校長代理、楠謙也。
またの名を、“特別保安隊”隊長、近衛天篤。
西園寺達が丸々貸切ったホテルの玄関口に、“真桜大学様”と書かれている。
「…“梅”だろ」
ホテルから出ると、周りはかなりボロボロになっている。住宅街はまるで爛れたような様相を呈していて、比較的綺麗に残っているホテルとは対照的だ。空に向かって呟く。「…所詮は」
「“そっち”じゃ有名な人なんですか?」
「いや…そういうわけじゃないみたいだが」
朽木は優男の写真を不思議そうに見ている。「ぽっと出の新人さんか」
「或いは、元々深層で橘の枢軸を担っていたのかもしれない。油断は禁物だな」
朽木とマユが、寂しい荒野に座り込んでいる。
「てか、ここ大丈夫なんですか?本部からは“安全”だなんて無責任な返答しか来ないんですけど」
「ま、俺たちが本部を信じなければ誰が信じるんだよって話さ。万が一の時は殉職。それだけ」
「マユさんはそういうところ淡白だからなぁ~」
朽木の屈託ない笑顔を見て、マユはそっぽを向いた。口角を無理やり下げ、「ところで」と話題を振った。
「そっちの数字はどうなってる?」
「あ、順調ですよ。どうやら、所長の仮説通りっぽいです」
「そっか…」
お手本のような殺風景に並ぶ観測装置と配線の数々は、実行部が持つ持ち運び可能な簡易型だ。だが、“S”が現場で実用するものなので質はそこそこ良い。
朽木はもごもごと呟き始めた。
「これだけの爆発を引き起こす兵器を一民間団体である“橘”が極秘裏に―それこそSの目をも欺いて所有することは考えにくいでしょう。日本政府がなんらかの目的を持って名の通り“秘密兵器”を使用した可能性も排除できませんが、その様子も確認できず、わざわざ内乱の鎮圧程度で奥の手を使うのは愚策であることから考えると…」
マユも認めざるを得ない。
「この仕事も大変だよな、世界と世界の板挟み」
「やっぱそう思います?」
この未曽有の“大災害”の直接的原因。それは、“救世主”だ。
―聖樹は、言わばほぼ無尽蔵のエネルギーの塊。何かの大きな刺激によって暴発する…と言われれば、決して否定することはできない。
「そもそも謎に包まれてるからな、聖樹というヤツは」
「…でも、それが本当なら」
「いや、この際真偽は関係ない。この憶測が少しでも外部に漏れれば、その時点でスキャンダルさ。…まるで好きだった大御所芸能人の不倫疑惑みたいな感覚だろうな」
「…それならまだ救いようがあるんですが…」
マユの下手なジョークに、朽木は苦笑いするしかない。「その例で言えば、僕らはその芸能人の事務所ですよ」
「…真面目な話、これは大変な事だ。俺たちはさっさとここの現地調査を終わらせよう」
折角乗ってあげたネタを乗り捨てられた朽木は困惑しながらも、「はい」と呟いた。
夏休みとテストが終了し、心に余裕が生まれ。
ちょっと、新しい風を吹かせようと思います。




