三十二話
「こんな事態になるとは…」
あからさまな動揺を見せる通泰は、震える手でモニターの映像を切る。
「でも、安心してください校長」
藤堂はにこやかにコーヒーを出す。
「校長が予め“攻撃許可”を出していたお陰で、最悪の事態には至らなそうですよ」
通泰は苛立たしげに羽ペンを持った。
「神田先生、私達としても先生が柔軟で助かります」
通泰も、かなり長い間“真桜大学校長”を務めている。最初の方は困惑したが、最近になって色々なことを察し、受け入れるようになった。
通泰が書かされた…いや、書いた文書の内容は至極簡単なものだった。
―真桜大学“校長”の全権を、■■■■に一時貸与する。
今更それに大してゴネることはしない。それは、神田通泰という男の生存本能と、合理的な思考から導き出された最適解。
今まで、この事実に触れ得る機会は何度もあった。だが、その度に自分は気付かぬふり、見て見ぬふりをしてきたのだと思う。
どうして“そう”なのかは分からない。今まで、真桜を一教育機関として考えてきた通泰には理解できない。
今となっては認めざるを得ない事実、だが口にすることは決して許されぬ事実。
―“真桜”は日本を揺るがす“権力”を持っている。
「はぁぁ…」
明華が職務中唯一、溜息を吐ける時間。
今日の溜息は、いつもの二倍は長かった。
「マジでなんでこんな仕事してんだろ…」
再び重ったるい溜息を長々と吐いた。書類の束を片手で持ち上げ、傍らの書類の山の糧とする。
時代錯誤の書類の束も、別段の苦ではない。むしろ、それだけやっていれば良いというのならば天職だと思える。
―ちらり、と窓越しに総理の方を見る。
数少ないブレイクタイムだというのに、彼の顔は全く晴れない。
普段は彼に感情移入などしない明華だが、今回ばかりはその心労は理解せざるを得ない。
嵐の中の国を背負う覚悟が、彼に無いのではない。寧ろ、その覚悟が彼の心により重くのしかかっているのだろう。
そんなことを思いながら、心苦しいとは思いながらも、秘書として言わざるを得ない。
「…総理、そろそろ記者会見の時間ですが」
そもそもが、毎日のように各地を飛び回る仕事なのだ。慢性的に身体にかかる負担と、精神にかかる重圧。総理大臣とはいえ、一人の人間にその負担が蓄積していくことが、どれほどの苦行であることか。
明華には察することしかできない。
「…ああ」
耳を澄ませばギシギシ、という音が聞こえてきそうな重い腰を上げ、彼は立ち上がった。
と思えば、今度は膝から崩れ落ちた。
「総理⁉」
明華は飛び上がるように立ち上がり、慌てて総理の椅子に駆け寄る。
「どうしましたか!」
うう…という声にもならない音を出しながら、倒れたそのままの姿勢で苦しんでいる。
「ひゃ…119番!」
真っ白になった頭で、手を慌ただしく動かし、電話を取った。
「…そうですか」
「ええ。まあ、ひとまずは安心していいと思います。が、歳も歳ですし、地位も地位ですので…心労も慢性的なものでしょうし」
結果、倒れた。
記者会見は中止だが、マスコミが何かに気付いてしまうことを防ぐために、非公開の戦線視察ということをでっち上げておいた。奔走して、少し時間が出来たので病院までやってきた流れだ。
「意識は」
「この病状も長引くことはないでしょうね。もうじき目を覚ましても不思議ではありません」
「…そうですか」
不思議と安堵した。あれだけ忌んでいた総理に対しても、こういう情が湧くとは、自分も捨てたものじゃないなと思った。
「それでは、私はまだ仕事が残っているので」
まだまだ、ある。
「こんな場所があったなんて…しかも、毎日通ってる場所にね」
「驚いた?」
果てが見えない薄暗い空間に響いた晴海の声には、ちょっぴり得意げな色が混じっていた。
「驚いたというか…なんというか」
薄暗いが、所々に明かりがあるのでお互いの顔がはっきり見えるくらいには明るい。
「でも、ここだったら安全そうだな」
「でしょ?僕の洞察力に感謝してね。あ、でも怜於は大阪でもっと激しい戦場を見てきたんだっけ」
「あれは廻の出鱈目な」
怜於はふと笑みをこぼした。地上で起きているだろうことを考えるとそう呑気に笑っていれないが、危うく取り乱すところだった心も、なんとか落ち着いた。
「…そうだ晴海、上開けてこようか。他の人たちも入って来れた方が…。他に隠れる場所無いなら尚更さ」
「あー…」
晴海は足を止めずに、わざとらしく怜於から目を背けた。「でも、今外に出るのも危険だし」
「第一、外に逃げてる人も少ないと思うよ?爆音鳴り響く中で敢えて外に出る人も少ないだろうし…」
「…そっか」
さらに奥へ奥へと進んでいく。進めば進むほど、身体に空気が纏わりついてくる感覚が増していく。流石に不安になってきた怜於は、控えめに声を出した。
「…どこまで続いてるんだろ」
晴海は肩を竦める真似をして、
「さあ…」
と申し訳なさそうな表情を作った。
「僕も分からない。でも、さ」
晴海は再び沈黙を作った。それでも黙々と足は進めている。怜於は足を緩めようとしたが、少し後には速足で晴海との差を埋めた。
薄暗く、狭い通路。狭さとかを含めた、主観的な不快指数はとうに限界を突破してしまっている。
四つん這いになった方が楽に通れそうなその道を、しかし足元の床が汚すぎるが故に屈んで歩くのだから彰も寧音も無言で頑張らざるを得なかった。
「…人工ですよね、これ」
足元は、どう見ても土ではない。どうみても、自然の生成物ではない。
「部室の下にこんな隠し通路があるなんて、寧音は知ってた?」
「知るわけ無いでしょう」
誰が何の目的で、こんな学校に隠し通路なんて造るのか。製作者の意図が全く理解できない。
「…あ、広くなる」
「暗い…」
寧音の前を歩く彰の影は立ち上がり、「うーん」と腰を伸ばした。
「ちょっとどいてもらえますか」
「あ、ごめんごめん」
寧音も狭い通路から出て、圧迫感はあるがそこそこ広い空間に足を踏み入れた。立ち上がり、腰を伸ばす。
「あ、レバーだ」
「どこですか?」
直後、ガコンという重々しい音が鳴り響き、どこか遠くから重低音が空間を揺らし始めた。
「うっ」
その直後、寧音の頭の中に強い光が直接差し込んできたような錯覚。
明かりが、点いたのだ。
見ると彰は既にレバーに触れ、下ろしていた。
「あ、彰さん…」
「明かりついたな。中々古い照明っぽいから、あんまり長いこと使えないかもしれない」
「じゃなくて彰さん…」
無警戒でレバーを引くのはあまりに危険すぎませんか、と言おうとした。
が、その前に寧音の視界に入ってきた“本棚”が寧音の口を止めた。
「…ここは、何ですか?」
「俺も知りたいよ。…図書室?」
レバーを中心に、弧を描くように並ぶ本棚。蜘蛛の巣と、さほど色褪せてはいないが天ぷらの衣のように埃を纏った本が、ずらりと並んでいた。
「…広報部室みたいだな。繋がってるし」
寧音は無言で頷き、すぐ近くにあった本に触れた。埃の感触が不快だが、古ぼけて味が出たその本は、寧音にはかけがえのない宝に見えた。
その本を、開く。
いやー忙しい。
タイピングの大会もやらんといけんし、白百合の更新もしたい。
なんで新規連載この時期に始めたかな。




