彼女の行方
ややホラーっぽい雰囲気のエマ視点の補足です。
あくまで雰囲気です。多分そこまで怖くはありません。
エマは所謂異世界転生を果たした。
しかも、乙女ゲームのヒロインとしてである。嬉しくはあったが、同時に悩んだ。
ゲームの内容を、ほとんど覚えていなかったからだ。
登場人物は勿論わかるし、大まかな設定もそこそこ。しかし、肝心なイベントを起こすフラグに関してはさっぱりだった。
所詮二、三周しただけのゲームを完璧に思い出すなんて無理な話である。
悩んだ末に、エマは割り切った。
ストーリー通りに進める必要はない。彼女が主人公なのだ。イベントなんかなくてもなんとかなる。
イベントを一切無視することを決意したエマは別方向からアプローチをすることにした。そう、自分磨きに精を出すことにしたのだ。
自分磨きと言っても、ダイエットに励むだとか、スキンケアを頑張るとかではない。ステータスアップというやつである。
彼女の生まれ変わったのは、魔法も魔物もいるファンタジー世界だ。当然、彼女も魔法が使える。
主人公のエマは、希少な神聖属性の魔法が使える上、さらに珍しい魅了魔法の適性を持っている。
この魅了魔法、ゲームの中では動物に使って仲良くなり、協力してもらう程度のことしかできなかった。しかし、それは魅了魔法の練度を上げられなかったからだ。
魔法は使えば使うほど練度が高まり、使える魔法が増えたり、魔法の効果が強化されたりする。
つまり、ゲームの軛から外れた今、魅了魔法を使い続けて練度を上げれば、人間を意のままに操れるほどの使い手になれるかもしれない。
本当は攻略のために回復魔法の練度を上げる必要があるのだが、エマが記憶を取り戻したのは子供の頃だ。
まだ魔力が少なく、回復魔法は満足に扱えない。それなら未知の魅了魔法の修練に励んでみよう。そう思ったのだ。
最初は、軽い気持ちだった。
まずはゲームと同じ、動物たちに。次は魔力のない人間相手に。すんなりと効いて、手ごたえを感じた。
次は魔力持ちだ。彼女が育った市井にはあまり優れた魔道士がいない。だからか、特に失敗もせずに彼女は町の人気者になった。
気分がよかった。
魅了魔法の効果はそこまで激烈なものではなく、好感度を上げる程度だ。だが、それくらいがちょうどいい。下手に盲目的に愛されても面倒だし、正気の人間から不審に思われるかもしれない。
それに、魔力が少ない状態で成功したというのはエマの自信に繋がった。ゲーム本編の頃には学園で一、二を争う魔力量になるのだ。今の段階でこの効果なら、魔力の量が増えた彼女の魅了魔法に逆らえるものはいなくなる。
大いなる自信とともにゲームの舞台に乗り込んだエマは、慎重に行動した。短絡的に攻略対象を狙って、周囲に反感を買うと面倒なことになる。
特に女子生徒たちに嫌われるのは避けたかった。魅了魔法は同性相手だと効果が薄いのだ。それでも、相手に好印象を与える態度が取れれば、それなりにかかってくれる。
エマは魔力の高い女子生徒相手に、どこまで魅了魔法が通用するのか試しつつ、地盤を固めた。
それなりに女子生徒の信頼を獲得できたら、次は男子生徒だ。まずはモブを練習台に、と適当な男に魅了魔法をかけたところ、思わぬことが起こった。
効果が強く出過ぎて襲われかけたのだ。
恐怖を覚えて逃げ出し、ことなきを得たが、危ないところだった。それと同時に、これは使えるとも思った。
男たちに自分を狙わせ、攻略対象に守ってもらう。
悪を捕らえることと、か弱い少女を守るというふたつの条項は、悪役令嬢の断罪と通ずるものがある。エマは王太子に助けを求め、その陰ではモブ男子生徒を魅了で操ることを繰り返した。
勿論、その間に女子生徒に自分が男子生徒に襲われていることを打ち明けるのも忘れない。
この作戦は結構彼女の身を危険に晒す。女子を味方につけて、少しでもリスクを減らした。
多少思い通りにいかないところはあったが、概ね順調にことは進んだ。
王太子たちには慎重に、少しずつ魅了魔法をかけたおかげか、かつてのモブ生徒のように暴走することはなく、穏やかに愛情を育めている。
エマは最後まで手を抜かず、攻略を王太子に絞ることにした。
ゲームの時間はたったの一年だが、現実の今に期限はない。焦って全員を並行して攻略するより、全員の好感度をある程度維持して、ひとりに集中するのが確実だと思ったのだ。
そのひとり以外との恋愛は、今後の楽しみにとっておけばいい。今の段階で必要なのは、ある程度の好感度と、今後も彼らと一緒にいるための地位である。
それに最適なのが、攻略対象の中心である王太子だったのだ。
それだけではなく、一番決め手になったのは彼の婚約者だった。
エマがもっとも警戒していたのは、彼女の整えてきた場を乱す可能性が高い転生者だ。魅了魔法は便利だが、準備期間がどうしても必要になる。咄嗟の対応が求められる転生者の相手はしたくなかった。
その点、王太子の婚約者はゲーム通りの悪役令嬢で安心できた。
他の攻略対象の婚約者たちはいまいち元の性格がわからなかったし、リュシエンヌというエルネストの婚約者に至っては、明らかに転生者とわかる挙動をしていたために全力で避けた。
その努力は、学園の卒業式で実る。操ってもいないのに、見事に役目を果たしてくれた悪役令嬢のおかげで、彼女は周囲の祝福を受けて王太子の婚約者になったのだ。
ただ、うまくいったのはここまでだった。まず、王太子たちが叱責され、罰として魔物討伐に駆り出された。
エマには厳しい講師がつけられ、王妃教育が始まった。大人たちは彼女たちを警戒し、生活のひとつひとつを監視するようになってしまい、自由が失われた。
エマにつけられたのは王妃と同じ年代の婦人ばかりだ。
元々魅了魔法がかかりにくい同性な上、初めからこちらをよく思ってない相手は分が悪い。
好感度が低い相手に魅了魔法は失敗しやすいし、一度失敗すると取り返しがつかないほど嫌われてしまう。マイナスからプラスに転じるまで魅了魔法は使えなくなった。
王太子に会えないし、ストレスが多い生活だったが、同年代の女子たちは彼女の味方だ。茶会で愚痴を零した。
そんな中、唯一痛快だった出来事は、エルネストたちの婚約者が一斉に婚約破棄を申立ててきたことだ。
多分、転生者のリュシエンヌが入れ知恵したのだろう。ただ、用意した証拠がお粗末過ぎて、令嬢たちの方が「寛容さが足りない」と叱責されていた。
リュシエンヌに至っては本当に婚約破棄をされてしまって、愉快で堪らなかった。立場逆転からの溺愛でも夢見ていたのだろうか。
残念ながら、エルネストはリュシエンヌを完全にストーカー扱いして気味悪がっている。復縁の芽はこれっぽっちもないのだ。
王太子たちは半年ほどで戻ってきたが、状況はそこまで好転しない。中々思うようにならないことに苛々しながらも、エマは地道に頑張っていた。
その一環が、慈善活動の教会への訪問である。彼女は回復魔法がそこまで得意ではないが、多少使える。これで奉仕に励むのだ。勿論、目的は他にある。攻略対象のアルバンに会いに来たのだ。
彼は魅了のかかりが甘かったのか王太子たちと意見が対立し、本来なら側近として王宮にいるはずが、出家してしまっていた。
元貴族のアルバンなら比較的容易く還俗できる。なんとしてでも元の場所に戻さねばならない。
その日も、アルバンに会うために教会へ来ていた。奉仕活動は許可が下りやすいので息抜きにもってこいだ。エマの機嫌はよかった。
ちょうどいいことに、アルバンとはすぐに会えた。馬車乗り場で、今にも出かけるところだったのだ。エマは慌てて声をかけた。
「アルバン、久しぶりね」
「……これは、お久しぶりですエマ様」
「そんな他人行儀な態度はやめて。友達でしょう?」
「私はもう貴族ではございませんから」
「私はまだ平民のままよ。気楽に話して」
アルバンは柔和な笑顔を浮かべたが、態度は頑なだった。心の壁が厚く、隙がない。魅了魔法を使えない状態だ。出会った当初から変わらない態度に焦りが募る。
「申し訳ありませんが、これから用事がございまして。連れを待たせておりますし、失礼します」
「えっ、待って! もう少しだけ……」
取り付く島もなく、身を翻したアルバンに手を伸ばす。彼の先には馬車が待機しており、開いた扉から黒いローブを着た人物が見えた。
今日の訪問の目的に逃げられてはたまらない。なんとしてでも引き止めようとした、その時だった。
ぽろり、とアルバンの懐から何かが落ちた。
ふわりと広がる上質なハンカチから零れたキラキラと輝く緑の軌跡に目を奪われる。地に落ちたそれはコロコロと転がり、エマの爪先で止まった。
それは四角くカットされたエメラルドだった。でも、ただの宝石ではない。王太子の婚約者になって、最上級品に触れるようになった彼女でも見たことのないくらい、至上の一品だ。
その緑は川の淵よりも深く、新緑の山より鮮やかで、よく熟れた白葡萄より瑞々しい。
「おやおや、これは……。へぇ、魅了魔法の使い手でも魅了耐性は持ってないのか」
ひとつひとつの側面が生み出す煌めきは目を焼くほどに眩く、まるで星を内包しているようだ。
「エルネストの奥さんとおじいさまは耐性持ちみたいだから血筋が関係あるのかな? どちらにしろ、興味深い」
湧水よりも澄み渡る透明度に呑み込まれそうだ。むしろ、この中に入りたい。そう思って、エメラルドを拾おうと手を伸ばした。
しかし、すんでのところで別の手に攫われてしまう。
「あっ!」
「申し訳ありません。落としてしまいました」
「アルバン、ねぇ、そのエメラルド……」
「これですか。ある方からお預かりした、特別な品です。これから相応しい場所に納めに行くところなのですよ。では、失礼」
「待って!」
エマは先程よりも必死になって縋りつこうとした。しかしアルバンはするりと彼女の手を逃れてしまう。
彼が乗り込むと同時に馬車は動き出し、止める間もなかった。
「あ、ああ……! うああぁぁ……」
行ってしまう。あのエメラルドが彼女の手の届かないところへ。
エマは絶望の呻きを上げ、その場に崩折れた。
◇◇◇
気づけば、エマは与えられた王宮の一室に戻っていた。
「あの……エメラルド」
どう帰ったか、日が暮れているが、何をして過ごしたか。そんなことは欠片も頭に浮かばなかった。
ただ、あの美の極地と言っても過言ではないエメラルドのことで、頭も心もいっぱいだ。
「ほしい……。ほしい……。わたしのものよ……」
エメラルドと引き離されてしまった彼女の結論はそこへ辿り着く。アルバンがあれをどこへ持って行ってしまったのかわからない。だが、彼女は地の果てまで追う覚悟があった。
王宮を出ようとエマは動き出す。まず、クローゼットの奥に仕舞い込んだままの平民時代の服や鞄を引っ張りだした。
着替えた彼女は、金品を鞄に詰め、即座に王宮から脱出を開始した。不思議なほど誰にも見咎められずに門を潜り、すんなりと辻馬車も拾う。王都を出る算段もその夜のうちにつき、とんとん拍子だ。
自分に都合良く事が進み、気分が上がる。目をつぶれば眼裏にあのエメラルドの輝きが蘇った。
「あのエメラルドが、わたしをよんでいる……」
ふわふわした幸福に包まれ、エマは恍惚の表情で呟く。そう、あのエメラルドも彼女を選んでくれたのだ。
街道に立つと、「こちらだよ」と手招く気配がする。彼女はそれに従い、馬車を乗り継ぎ、時には歩いた。
「ここは、どこ?」
ふと気づくと、エマは知らない場所を歩いていた。
先程まで森の中の街道を進んでいたはずが、いつの間にか、真っ暗な洞窟の中にいる。しかも、どこからかカン、カン、という金属が打ち合う音がした。
エマは音を頼りに手探り状態で歩く。そうすると、先がかすかに灯りが見えた。
「なんなの、ここは……」
木箱の上に無造作に置かれたランタンがあたりをぼんやりと照らしている。その中に浮かび上がった光景を見て、エマは驚いた。
半裸に近い男たちが何やら工具を持って、壁を叩いていた。細く窶れ、煤けた土気色の肌をした彼らは、落ち窪んだ眼窩の奥でまなこを光らせている。
随分と多くの人がいるのに、辺りに響くのは工具が打ち合う音だけだ。
蟻の巣のように細く複雑に入り組む通路には、工具や猫車、石が散乱している。
「あっ……!」
恐る恐る進んでいたエマは何かに躓き、こけそうになった。何に躓いたのか確認すると、石だった。
ただの石ではない。こぶし大の緑の石だ。エマは思わずそれを拾っていた。
「なんてきれいなの……」
まだ研磨されていないから表面はボコボコとしているが、間違いなくエメラルドとわかる輝きがあった。しかも、とても大きい。
「でも、これは違うのよね……」
そう、これは普通のエメラルドだった。美しいが、あのエメラルドには遠く及ばない。
エマはとりあえずそれを自分の肩掛け鞄に入れた。
革製で丈夫なそれは、かつて彼女に恋していた鞄職人が作ってくれたものである。機能的で使いやすいが、デザインはいまいちで、今までほとんど使用していない。
でも、こうして重たいものを運ぶにはうってつけだった。
どうやらここはどこかの鉱山だとわかったエマは坑道を奥へ奥へと進んでいく。時々女性も混じる壁を掘る人々は彼女を気にする様子はなく、部外者のはずの彼女を引き止める者はいなかった。
「どこ……? どこにあるの……」
目的のものは見つからない。坑道に散乱するのは普通の石ころばかりだ。
ぽつりぽつりとあるランタンしか光源がなく、薄暗い坑道をエマは彷徨った。そして、掘る者が誰もいない場所を見つけて、近づいてみた。
「なにこれ! すごいわ!」
どん詰まりの壁に、いくつもいくつも緑の石が埋まっている。すべてエメラルドだ。
「これだけあれば……!」
この中になら、あのエメラルドと同じものがあるかもしれない。あれは、アルバンが持って行ってしまったから諦めて、ここで彼女だけのエメラルドを見つけよう。
そう思ったエマは近くに打ち捨てられていた工具を拾い、見よう見まねで壁を叩いた。
カン、カン
「違う」
カン、カン
「これも違う」
カン、カン
「ぜんぜん違う。あれの足元にも及ばないわ」
カン、カン
「ちがう」
カン、カン
「ちがうちがうちがう」
カン、カン
「ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう」
いくら掘っても望み通りのエメラルドは見つからない。気づけばエマの鞄は目的のものとは違う石でいっぱいになっていた。
「重い……」
美しいからと鞄に入れたが、こうなると邪魔でしかない。捨ててしまいたいが、壁を掘り続けた彼女の周りは石ころの山ができていた。
これ以上石を捨てたら掘る時に邪魔になりそうだ。壁にはまだまだエメラルドらしい緑の輝きが見えていた。
仕方なく、エマは一旦その場を離れ、坑道から出ることにした。周囲には一心不乱で壁を掘る人々がいて、場所を取られそうで不安だが、外に捨てなければ石に埋もれてしまう。
知らないはずの道を迷いなく進み、エマは坑道から外へ出た。
外は夜明け前で薄らと明るい。森に囲まれているが、出入口の周辺は開けているようだ。
しかし、もはやエマにとってそんなことはどうでもよかった。ずっしり重い鞄の肩紐を外すと地面へ落とす。
どすん、どさ
身軽になった彼女は踵を返し、足取りも軽やかに坑道の中へ戻っていった。その背中を追うように朝日が地面を照らしていく。
新しい朝の光がタルッカ鉱山を封鎖する黒々とした鉄の扉を照らした。風の通る隙間すらなくぴったり閉まったその扉のすぐ前に、ぽつんと影が落ちている。
清々しい朝日に洗われて露わになったのは、前のめりに倒れた見窄らしい女と、革の鞄から溢れ出す緑の石だった。
〈タルッカ鉱山のイカれたメンバー〉
・エマ
やや雑だが、機転がきくタイプ。このまま地道に頑張れば王太子とは結婚できた。
この度タルッカ鉱山に永遠就職。一番新参者だが、エメラルドへの執着は並々ならぬものがあり、とても勤勉。
・サルヴェール伯爵
管理人たちを懐柔しようと現地に行ったらいつの間にかタルッカ鉱山に就職することになっていた。訳がわからない。
彼がタルッカ鉱山を欲しがっていたのは、崩落事故がなかったことを知ったから。ジャンヌを避けていたのはがめつい父親と関わりたくなかったせい。
・ジャンヌの伯父
魔性のエメラルドを見てしまったがために人生が狂った。家族を惨殺したのは爵位とともに手に入るはずだったエメラルドがなくなっていたため。彼の遺体はひっそりと一族の墓に埋葬されている。
しかし、本人はそんなことに感謝を感じる余地もないほどエメラルドに狂っている。
・タルッカ鉱山
幽霊がいっぱいいる。そのせいで磁場とかが狂っていて、物理の壁を突破してしまう事案が多発している。就職しているみなさんは割と自我がなくなっているので、説得とかは通用しない。浄化は厳しい。
ランタンや工具は片付ける暇がなかったため、鉱山に放置されている。だが、火種はないし、幽霊たちは工具が持てないため、実際エメラルドが掘れているのは侵入者だけ。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
ちなみにエマに魅了された人々は彼女の死亡をもって解放されています。エマの魅了魔法はエルネストとアルバンから報告されていたため、その事実が周知され、牢屋に入っていた人も釈放されます。




