4
次は綾人のいる方向に走り出す。目を開けたら後ろへGoだ。
「琴音!」
今行くよ、とか思いつつ後ろへ振り返り、一歩踏み出した。予想外の私の動きに反応できなかった綾人とそのまま正面衝突。トラックは止まってくれるわけもなく、二人仲良く跳ねられたとさ。
あと残り三回。ふざけている場合ではない。
前回は明らかに私のミスで、綾人とぶつかったことも当然だ。今まで前に向かって走っていた人間が、突然後ろに向かって走り出すのは普通はありえない。
あの短い時間で伝えられるだろうか。物は試しだ。やってみよう。
「琴音!」
綾人の声に被せるように叫んだ。
「後ろに走って!」
綾人の動きがほんの一瞬止まったが、それでも私に手を伸ばしている。私は綾人の手に押されて後ろ向きに倒れ込み、なんとか助かった。綾人は、困ったような笑顔をしていた。
綾人にはわかっていたのだ。私の足では間に合わないこと、トラックに跳ねられてしまうことを。だから、私を力の限り押し返した。あの困った笑顔は言われなくてもわかる。後ろに走ったら琴音を助けられない、とか、琴音はけっこう足遅いから、とか言い出すに決まっている。
目の前をトラックが駆け抜けていった。綾人が見えなくなる。
ああ、後ろなんて振り返るんじゃなかった。
病室のベッドで眠っている綾人は、もう生きてはいないのではないかと思ってしまうほどに弱々しい。手を握っても、名前を呼びかけても、まるで無機物に話しかけているように無反応だ。
「綾人はさ、なんで私にこだわるの?」
幼稚園で出会った頃あたりから、綾人はずっと私のことが好きだと言い続けていた。私も綾人のことは好きだったが、たまに他の子も好きになったりしていた。綾人はずっと一途に私を想い続けてくれていた。
「私、何やっても中途半端で投げ出すし、できないくせにすぐに誰かに嫉妬するし、綾人みたいに誠実じゃない。私よりも良い人なんかあちこちにいるのに。」
なのに、綾人は私を選んだ。私は、選ばれたくせに綾人に迷惑をかけるばかりだ。そんな奴のどこが良いのか、さっぱりわからない。
「早く戻ってきてよ。私のヒーロー。」
戻ってきたら、隅から隅まで聞いてやる。
綾人の手を握ったまま、少し遠くにある鏡を見つめた。もし、あと二回で助けることができなかったら、綾人は本当に……
信じているわけではないが、嫌な想像をしてしまう。助けられるかどうかもわからないのに賭けに出るよりかは、そんな賭けはやめて、植物状態になったとしても綾人に生きてもらう方が、周りの人にとっては安心できるのではないだろうか。
綾人は、私の選択をどう思うだろうか。
きっと、何を選んでも許してくれる。いや、私が死ぬことだけは怒るだろうな。綾人ならどうするのかな。私はどうしたいのかな。そんなこと、聞かれなくてもわかっている。私も綾人も無事に助かる未来はどこだろう。
目を開けると、あの横断歩道が遠くに見えた。誰かがこちらに向かって走ってくる音がする。
「琴音。」
綾人だ。
話したいことがたくさんある。だが、口から出たのはあの時の言葉だった。
「私と別れて。」
こんなことを言いたいんじゃない。もっと他に言いたいことがあるのに、金縛りにあったように口が動かない。
「なんで。確かに酷いこと言ったけど、謝るから。」
綾人は悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしている。こんな顔をさせておいて、それに気がついたのは今だなんて。私は綾人の何を見ていたというのか。
「お願い、別れて。」
そんなこと言いたくない。なんでこの口はこんなに酷いことばかりを言うのだろう。
「理由くらい聞いてもいいだろ。」
「わかった。じゃあ、ゲームしよう。私とかけっこ。私に追いついたら理由を話してあげる。でも、別れて。ここから一歩も動かずに私を見送ったら理由は言わないけど、別れない。」
「じゃあ、動かない。」
即答だった。それを聞いた私は振り返らずに歩き出す。
待って。そんなことを言いたいんじゃない。綾人に伝えたいことがあるんだ。
体は止まらないから、力の限り後ろに向かって叫んだ。
「綾人!大好きだよ!綾人がいたから私はここまで頑張って来れた。だから、綾人のいない生活なんて考えられない。」
綾人が追いかけてくる。私は逃げるように走り出す。お願いだから、逃げないで、私の思うように動いてほしい。
「助けるから。絶対に。」
横断歩道に飛び出した。トラックがすぐそばまで来ている。動け動け動け動け!
「琴音!」
動いた。そのまま綾人のもとへと走り出す。
「綾人!」
手が届いた。抱き寄せられるように引っ張られ、二人で地面に転がり落ちた。トラックは誰も轢かずに数メートル先で止まった。
私も綾人も、両方とも助かる未来があった。
誰かが頭を撫でている。父の手ではない。母でもない。でも、安心する大きな手だ。
「琴音。」
名前を呼ばれた。私は今、眠っているのか。起きなければ。
目を開けると、ベッドに顔を埋めるように眠っていた。息が苦しい。右手は握られている感触がある。
寝起きながらに頭をフル回転させて考えた。今、手を握っているのは、もしかして。
上半身をガバッと勢いよく起こすと、綾人が驚いたように私を見ていた。しかし、すぐに微笑んで、おはよう、と言った。
生きている。本物だ。
嬉しすぎて言葉が出て来なかった。代わりに、これでもかというほど抱きしめた。綾人は痛いと言いながらも抱きしめ返してくれた。
目の奥が熱い。あの事故が起きてから初めて泣いた。怖かった。辛かった。苦しかった。だから、まだこのままでいさせて。泣いているところなんてブサイクすぎて見せられない。
「ごめん。ごめんね……本当は、綾人のこと大好きなんだよ……生きてて良かった。」
綾人は優しく、また頭を撫でてくれた。
ようやく落ち着いてきた頃、綾人は不思議なことを話し始めた。昔、鏡には大人の自分が映り、ある事をキッカケに子供の自分が映るようになったこと。私を助けられなかったこと。夢の中で私に助けられたこと。
「やっぱり、琴音は俺のヒーローだよ。」
そう言って笑った。
「やっぱりってどういうこと? 私、いつヒーローになったの?」
綾人は恥ずかしそうに目をそらした。
「覚えてるかな。幼稚園の時にさ、俺がヒーローになりたいって言ってていじめられてた時があったろ?」
その時、私はいじめていた奴らに、他人の夢を笑う奴の夢は絶対に叶わない、というようなことを言ったらしい。が、全く記憶にない。そもそも、幼稚園の頃の私は、人と喋ることが苦手だった。子供向けアニメの台詞でも言っていたのだろう。
「それから琴音が好きになったんだ。目標もできた。琴音みたいに、どんな相手にでも立ち向かうヒーローになること。全部、琴音のおかげなんだ。」
ありがとう、とお礼を言われた。嬉しそうな、楽しそうな笑顔だ。そして、気がついた。私は、綾人の笑顔が大好きなのだ。この笑顔をいつまでも見ていたい。綾人が笑うと世界まで明るくなるような気がする。それはきっと、勘違いではない。
綾人の目を見て決意を固めた。
「綾人。私の夢、決まったよ。」
私は大好きな人達が笑顔でいられる世界にしたい。誰も、私達のように傷つかないで済むような世の中に。
「私もヒーローになる。みんなを守る、警察官になるよ。」
綾人は驚いていたが、私に夢ができたことを喜んでくれた。まるで自分のことのように喜べるのは、私には決して真似できない。
「できれば、危ないことはしてほしくないけど。でも、琴音の夢だったら、俺は全力で応援する。」
勢いよく両手でガッツポーズをした綾人は、事故で怪我をしているのを忘れていたせいか、腕を抑えて痛がっている。馬鹿だなぁ、と思いながらも愛おしいなぁと思えるこの時間を、この先もずっと大切にしたい。




