ep.40
事件現場に入ると、あのときの光景が頭に浮かんだ。
助けてと言って倒れた彼女の意識は回復したのだろうか。早く目が覚めますようにと心の中で祈る。
会場内は三日も経っているからか、すっかり片付けられて、あのときの賑わいが嘘のように静かだった。
あんな事件が起こったのが夢のよう。だけど、僅かに残っている絨毯のしみが、あの事件が夢ではないことを告げている。
エリクはわたしの傍を離れて辺りをウロウロとしている。まるでわたしの存在を忘れてしまったかのようだ。
あんな事件が起こった場所に可憐な乙女を一人残すなんて、本当にどうかしている。エリクは紳士失格だわ、と心の中で文句を言いながら、心細いのでエリクのあとをついて歩く。
「ねえ、エリク。なにかわかった?」
「……」
「ねえ、エリク。……エリク、聞いている?」
「……うるさいから少し黙っていてくれる?」
すごく冷めた目で見られて、鬱陶しくしている自覚のあったわたしは大人しく黙った。
エリクのあとを大人しく歩きながらゆっくりと広い会場を歩き、一周したところでエリクの足が止まった。
「なるほど」
そう呟いたエリクの顔はなにかを確信しているようだった。
きっと犯人に繋がるなにかがわかったのだろう。
期待に胸を膨らませて、わたしはもう一度エリクに尋ねた。
「なにかわかったの?」
ああ、犯人が誰かわかったよリディ──そう答えが返ってくることを確信していたのに、エリクはこう言った。
「──いや? なにも」
「…………は?」
なにも? なにもってことは……わからなかったってこと!?
「う、うそでしょ……あんなに確信に満ちて『そうか、あの人が犯人だったんだ……!』って閃いた顔をしていたのに……?」
「どんな顔なの、それ」
呆れた顔をして言うエリクだけれど、わたしの方が呆れたい。
あんなしたり顔で『なるほど』と呟いておいてなにもわからなかったなんて思えないもの。
「なにもわからなかったけど、わかったこともある」
「わかったこと?」
「そう。たとえば……この会場の出入口は一つだけだとか、侵入できそうな場所がどこかとか、そういうこと」
「えっと……? そんなの、王太子様たちから教えてもらえるでしょ?」
「さっきも言ったでしょ。ただ聞くのと、実際に見るのでは違うって」
確かに、そんなことを言っていた気がする……。
「とりあえず、満足したから戻ろう。あんまりぼくたちが城の中をうろうろしているのもよくないだろうし」
エリクはそう言って、わたしたちから少し離れたところにいる騎士を見た。
そういえば、見張りがいたのだった。きっと気配を消すのが上手なのだろう。決して、わたしがおバカなわけではない。
彼はわたしたちの視線に気づくと会釈をする。
エリクはそれを冷めた目で見たあと、なにごともなかったかのように歩き出す。
「ま、待って、エリク!」
そう言って慌ててエリクの横に並ぶと、ほんの僅かにエリクの歩調が緩む。
わたしの歩く速度に合わせてくれているのだろう。
本当はエスコートしてくれるのがいいのだけれど、エリクなりの優しさだとわかるから、なにも言わないでいてあげる。
「……どこか行きたいところはある?」
聞き逃しそうなくらいの声音で問いかけたエリクに、わたしはびっくりしてまじまじとエリクの顔を見る。
少し気まずそうな顔をしたエリクに、わたしはにんまりと笑みを浮かべる。
「なぁに? いつもよりも優しいじゃない? 優しくしたってなにも出ないわよ?」
「そんなの期待してないから安心していいよ」
即座に答えられてムッとする。
だけど、きっと部屋から出られないわたしの気晴らしに付き合ってあげる気はあるのだろう。「それで、行きたいところは?」と再び問いかけてくる。
行きたいところ、と急に言われても浮かばない。
ここはわたしのよく知る場所でもないし、ましてや外国だ。初めて来た国の王城内のことなんて、よくわからない。
でも、このまま部屋に戻るのは勿体ない気もして、なんとか行きたいところを絞り出す。
「ええっと……そうねぇ……うーん……」
「……特に行きたいところがないなら、無理に言わなくてもいいんだけど」
「むっ、無理じゃないもん!」
「なら、早く言いなよ」
冷めた目で見られて、余計に焦る。
なにか……なにかなかったかな……見て歩いて楽しめそうなところ……。
……あ。そうだ。そういえば……。
「……確か温室があるのよね?」
「ああ、そうみたいだね。ぼくも入ったことはないけれど」
「そこってわたしでも入れる?」
「大丈夫なんじゃないかな」
エリクはちらりとわたしたちの後ろに控えている騎士を見た。
それに騎士は頷く。
「はい、特に許可等は必要ありません」
「……だってさ。そこに行く?」
「うん!」
「では、ご案内いたします」
騎士のあとに続いて温室へ向かう。
温室の中ってなにがあるのかな? 見たことのないお花とかがあるのかしら。楽しみだな〜!
温室の前に着くと、騎士はどうぞと中へ促す。
それに従って中に入ると、なぜか騎士は着いてこない。
「……ぼくたちのことを見ていなくていいの?」
「ここは入り口しか出入りできませんので」
「……なるほどね」
そう言ってエリクが歩き出したので、わたしもそれに続く。
「ねえ、エリク。今のどういう意味?」
「つまり、入り口さえ見張っていればぼくたちが逃げ出す心配はないから、この中は別に見張る必要はないってことだよ」
「ふぅん、そうなの」
別にどうでもいいけれど。
だってわたしたち、疾しいことはなにもしていないもの。どこまでだって見張ってくれても全然構わない。
温室の中は緑でいっぱいだった。
見たことのない木もあったけれど、残念ながら花は少ない。あったとしても、わたしの思い描いていた派手な花ではなく、小さな可憐な花ばかりだ。
「今はお花の時期ではないのかしら」
「そうみたいだね」
「なんだ、つまらない……」
「そう? この辺りには生息していないものばかりでぼくは興味深いけど」
「ふぅん……」
エリクってば、植物に興味があったのね。なんだか意外だ。
『あれぇ? 王子サマたちじゃん』
そんな声がしたと思った瞬間、音もなくユーグが現れた。
いつか見た黒い衣装に身を包み、わたしたちを見るとニコリと笑う。
「王子サマたちもココに目をつけたんだね。ボクでも調べるのに時間かかったのに」
「……なんの話?」
首を傾げるわたしに、ユーグも首を傾げる。
「え? 王子サマたちもここで毒の受け渡しがあったんじゃないかって目星をつけてきたんじゃないの?」
「毒? そんなの知……ふぐっ」
エリクに突然口を塞がれ、抗議の目を向ける。
しかしそれをエリクは知らん顔し、ユーグとなにかアイコンタクトを取る。
するとユーグがまた音もなく消え、エリクはなぜかわたしを連れて木陰に隠れた。
「エリク、どうしたの……?」
「しっ! 静かに。物音たてないで」
いつになく真剣なエリクの声に、わたしはコクコクと頷く。
身を潜めるために、エリクがぎゅっとわたしを抱きしめて、わたしはすっぽりとエリクの腕の中に収まっている。
なにかあって、こんなことしているのだとわかっている。
けれど、なぜか異様にドキドキと心臓が音を立てて、それが耳について余計にドキドキしてきた。
これはこの状況に緊張してドキドキしているのだろうか?
それとも……。
「……いようだな……」
突然、知らない男の人の声がしてびくりと体が震えた。
それに気づいたエリクが大丈夫だと言うように、腕の力を込める。
「……はい、今のところは」
「ふん、ならばよい。これで娘が公爵夫人だ。ところで、あれはまだあるのか?」
「あちらに」
「木を隠すには森の中と言うが……確かにここなら気づかれないな」
なんの話をしているのだろう?
なんとなく、悪巧みをしているような感じではあるけれど。
会話をしていた人物たちは少しして立ち去り、わたしたちも木陰から出ると同時にユーグが現れる。
「……思いがけない情報をてにいれちゃったねぇ」
楽しそうに言うユーグにエリクも笑う。
すごく、悪そうな顔で。
「ああ、そうだね。これは想定よりも早く帰れそうだ」




