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ep.39


 ユーグの置き土産である本を読み、それに書かれていた体操をして過ごしていたけれど、それも三日で飽きてしまった。


 エリクは相変わらず、ずっと本を読み続けている。

 背筋をピンと伸ばし、変わらない体勢のまま読み続けているエリクを、今はすごいと尊敬している。


 わたしは本を読んで数時間で姿勢が悪くなり、エリクに指摘された。それに腹が立って、エリクの姿勢が悪くなったらわたしも言ってやろうと思ってずっとエリクを見ていたけれど、エリクの背筋は伸びたままだった。

 それも、三日間ずっと、だ。


 さすがのわたしも、これには尊敬をせざるを得ない。本当にすごいと思う。


「リディ、まさかとは思うけど……もう飽きちゃったとか言わないよね?」


 本を読みながらぼんやりしていたのがバレたのか、エリクが疑わしそうな目をしながらそう言ってきた。

 ギクリとしたけれど、表情に出さないように顔の筋肉を総動員させて、元の表情を保った。


「なに言っているの。そんなわけないじゃない」

「そう? ならいいんだけど」


 誤魔化されたらしいとホッと胸を撫でおろす。

 エリクが素直に誤魔化されてくれてよかっ──。


「そろそろリディが飽きる頃かなと思って、散策する許可をもらったんだけど、要らなかったみたいだね」


 無駄なことしたな、と呟いたエリクにわたしは内心大慌てした。

 部屋から出られる!? こんな機会、逃すわけにはいかない! これを逃したら、次にいつ部屋から出られるかわかったものじゃないし!


「せ、折角許可をいただいたのなら、散策に行かないのはもったいないわ。別にわたしはこのまま部屋にいてもいいのだけど、折角もらったんだもの。無駄にする必要はないと思うの」


 わたしは部屋にいても平気だけど、と飽きていませんよアピールも忘れず、にこりと笑いながら言う。

 絶対にこの機会は逃さない!


「別に許可もらうのにそんなに苦労しなかったし、リディが飽きたらでいいよ、外に出るのは」

「で、でも、ほら。たまにはお日さまの光を浴びて運動しないと、健康によくないってこの本に書いてあったわ」


 嘘だけど。書いてあったのは別の本だけど。


「ふうん……? なんか必死だね、リディ」

「そっ、そんなことないわ。きっとエリクも外に出たいからそんなふうに感じるのよ」

「へえ、『エリク()』ねえ?」


 まずい!

 なんとか言い訳しないと、と必死で考える。

 チラリと盗み見たエリクは、笑っているように見えた。


 きっとわたしが外に出たいのをわかって意地悪なことを言っているのだわ!

 本当にどうしてエリクは素直じゃないのだろう。「リディ、外に出てみない?」と誘うだけでいいのに、わざとわたしに言わせようとする。


「……意地悪だわ」

「そうかもね。こんなぼくでも、ずっと部屋に閉じ込められるのはさすがに堪えるみたいだ」


 エリクはそう言って本を閉じ、わたしに手を差し伸べる。


「そんなぼくのために、お付き合いいただけますか」


 芝居かかったエリクの口調にぽかんとしてしまう。

 よく見ればエリクの耳が赤い。きっと照れ隠しにこんな口調になったのだろう。エリクったら本当にしょうがないんだから。


「ええ、もちろん」


 エリクのお芝居に乗ってあげよう。

 ニコリと笑ってエリクの手を取る。


 久しぶりの部屋の外だ。

 エリクはどこに連れていってくれるのかしらと、わくわくする。

 きっと城外に出ることは難しいだろうから、無難に中庭かな。それとも、本が大好きなエリクだから、図書室?


 エリクにエスコートをされて部屋の外に出ると、控えていた衛視が一礼する。


「話は伺っております。どうぞ」

「うん、ご苦労」


 そう言うとエリクは歩き出す。

 わたしたちの部屋の前には二人控えていて、そのうちの片方の人がついてくる。きっとわたしたちの監視役なのだろう。


 彼は一定の距離を保って歩いている。わたしたちに配慮してくれているのかもしれない。これも王太子さまのご厚意、なのだろうか。


「そんな厚意なんていらないよね」

「えっ!? な、ななんで……?」


 まさかわたし、口に出していた!?

 あわあわとするわたしに、エリクは怪訝そうな顔をする。


「わざわざ距離開けてついてくるくらいなら監視なんてつけなくていいのに、そんな厚意いらないよねって言ったんだけど……そんなに驚くようなことあった?」


 よかった……! わたしの心の声が口に出ていたわけでも、エリクが心の声を読めるわけでもなかったみたい。


「……なにをリディは思っていたわけ?」

「えっ」

「『心の声が口に出たわけでも、エリクが心の声を読めるわけでもなかったみたい』って思いっきり口に出ていたけど。なにを考えていたの?」


 今度は心の声が漏れていたみたい……。

 気をつけないといけないと思いつつ、先ほど思っていたことをエリクに言うと、納得したように頷いた。


「考えることは同じってことか」

「そうみたい」


 わたしとエリクは顔を見合せて小さく笑う。

 いいな。こういう時間、すごく好きだなあと、心から思う。

 こんな時間がずっと続けばいいのに。


 そんなことを考えていて、ふと我に返る。

 ……わたしたち、どこに向かっているのだろう?

 エリクにエスコートされるまま歩いているけれど、この道順はなんとなく覚えがあるような……。


「ねえエリク……」

「なに?」

「どこに向かっているの?」

「もちろん現場だよ」

「ゲンバ?」


 ゲンバってなんだっけ? 食べ物? 布地の名前?

 今流行りの服だったかな? それとも化粧品……は違うな。エリクはそういうの興味ないだろうし……。


 エリクは呆れた様子を隠さず、わたしを見つめた。


「事件現場だよ。ミステリーだと、まずは事件現場の調査が基本中の基本。知らない?」

「わたし、ミステリーはあまり読まないから……」


 ミステリーよりと冒険物、そして恋愛物がわたしの好みだ。

 というか、物語のことを鵜呑みにするなんてエリクらしくない。現実と空想、それをちゃんと(わたしと違って)区分けしていそうなのに。


「ミステリーものは意外と理にかなった展開が多くてぼく好みだ。騎士たちもそういう事件のときは徹底的に現場を調査するし、必要あれば何回も現場に足を運ぶ。そうすることで見えてくるものがある」

「ふうん……そうなの」


 興味ないけれど。

 とりあえず、エリクが現場をもう一度見たいってことはよくわかった。


「あ、でも、ここの騎士さんたちがもう調べちゃっているんじゃない? 今さら調べたところでなにも出てこないと思うけど」

「彼らに調べ残しがあるとはぼくも思ってないよ。なにせ王太子殿下に関わることだ。徹底的に調べているだろう」

「じゃあ、どうして?」

「どうしてももう一度あの会場を見て回りたくてね。報告書を読んだだけではわからないこともあるから」

「ふうん……」


 よくわからないけれど、頭のいいエリクのことだ。なにか考えがあるのだろう。

 どうせ時間はたっぷりあるのだし、やることもないからエリクの気が済むまで付き合ってあげよう。

 きっとそれが、わたしたちの自由への第一歩になるのだろうから。



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