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第一章 クソッタレと大丈夫(下)

※勝手ながら前後編に分けさせていただきました。

 内容に変更はありません

 意見がまとまると八人は行動に移りだす。

 指示を出すのはジョシュ。この手の経験が豊富なのか、その動きは慣れたものだった。

 それぞれの役割を決め、半数が壁の下や横から夜目をこらして周囲の状況を探り、他の人間は役立つものがないか馬小屋の中を捜索した。体を縛るロープのおかげで行動に制限はされていたが、ロープは数珠のように彼らを繋いでいたのでこれは比較的容易だった。

 ローランはジーナの手を借りて、懐から布にまかれた六インチ(約十五センチ)程度の棒状の物を取り出す。自分の衣服を破って巻き付け、服の下に忍ばせていたらしい。

 布を広げるとそれは刃物だった。木製の柄の先を暗闇で鈍く光らせる金属の刃。余計な装飾もなく使い古された使用感があるが、欠けてはいない。

「へっ、ロープを切るには十分だ…………」

 だがそういう彼の動きは鈍い。

 一度切ってしまえば後には引けない。その考えがローランを躊躇させた。例えここから逃げなかったとしても、切断されたロープを見ればあの御者は直ぐに雇い主に報告し、藁の上に真っ赤な脳漿をぶちまけることになる。

 それはぞっとする想像だった。それでも、

 ──逃げ切ってしまえばっ……!!

 最後の理性を破り捨て、冷たい刃を当てた。

 両足でロープを踏んづけて鋸の要領で切断にかかる。だがロープは想像していたよりも頑丈だった。両手首を固定されているおかげか、ナイフが安物だからか。刃が中々繊維を切り裂けず、作業は遅々として進んだ。

 だが宣言通り、時間はかかったが切断には成功した。

 額に汗を滲ませて一息。

「おい、休んでる暇はないぞ」

「分かってる……クソッ」

 仲間に急かされ苛立つローラン。そんな彼にジョシュは助言する。

「ローラン、俺の手首のを頼む。代わりに切ろう」

「っ……ああ、分かった」

 慌ててローランはジョシュに駆け寄り、差し出された手首のロープに刃を当て上下に動かした。体を繋ぐものよりも細いが、手を切らないようにと慎重になるあまり時間が余計にかかる。だがジョシュの両手が自由になると、今度は彼がロープを易々と切断していった。

「悪い、助かった……」

 悔しそうにローランがいうと、ジョシュはその肩を気安く叩いて励ました。

「いや。ローラン、お前は良くやった。ジーナ、そっちは何かあったか?」

「何も。隅から隅まで、藁の下も漁ったけど。……ここは普段使ってないのかもね」

 少女も彼女の真似をしてごそごそと探しているようだが、その手は空だった。

「今なら誰もいない。家の明かりも落ちてる。……行くか?」

 出入り口から顔を覗かせて様子を伺うローランに、ジョシュは頷いた。

「使えるものがナイフ一本なのは心許ないが……時間がない。できるだけ物音を立てないように俺に続いて走れ。あそこの建物の間を抜けてそのまま森を突っ切る。川まで行ったら休憩しよう」

「待って。水を飲みに行った時の、あの獣道は使わないの?」

「確かに、茂みは迂回できるが──」

「でも魔獣が──」

「ああ、わかってる。わかってる……だが……」

 口を挟むジーナにジョシュは厳しい表情で言葉を濁した。

 彼女のいう事もわかる。魔獣は特に夜になると活発に動き、時には人里にまで出てくる。その魔獣が巣を作ると言われている深い茂みを突き進むのは確かにリスクが高い。

 一方でジョシュの言いたいことも皆ひしひしと感じていた。

「……すまん。俺のせいで時間が……」

 そういって申し訳なさそうに項垂れるローラン。

「いや、気にするな。ジーナ、悪いが…………分かってくれ」

「……遭遇したら、お願いね」

 分かった、とは言えなかった。

 任せろ、の言葉もなかった。

 重苦しい空気が漂い、ジョシュは気まずそうに外を見ながら隊列を口にする。

 先頭はジョシュだ。それから他の男達の名前を上げて、ローランと続いた。

「最後尾はジーナ。森に入ったら常に後ろの様子を気にしてくれ。置いてかれるなよ」

「ええ。けど、この子はどうするの?」

『?』

 少女の赤黒い髪を優しい手つきで撫でながら聞くと、

「ローラン。お前に任せる」

「なっ……」

「お前に一番懐いているし、体力もお前が一番あるだろう。ジーナの前がお前ら二人だ。……最悪担いで行け」

 ──このっ……。

 『懐いている』という言葉には盛大に異議を唱えたかったが、悔しいが八人全員が生き残るためにはそれが最善だろう。握った拳を広げて舌打ち一つ。渋々了承した。

「…………………………言いたいことは山ほどあるが、分かった」

「フハッ、急に丸くなりやがって。まさかとは思うがローラン、お前そいつが気に──」

「その先を言ったら川に突き落としてやる」

 二人の掛け合いに全員は緊張を緩めた。

 彼の機転により張り詰めた雰囲気がほぐれ、皆の顔に若干の余裕を取り戻していた。

 その事実にローランも沸いた怒りを一先ず棚上げして、クソッタレと溜息をつくしかなかった。



 星々の光の下、彼らは無言の合図とともに町中に飛び込んだ。

 全員が全員、今日顔を合わせたばかりの赤の他人だ。それでも即席の連携で周囲を警戒し、少ないハンドサインで拙い会話を行う。陰から陰へと身を移し、時には身を隠すものが何もない月明かりの下を大胆にも走り抜けた。

 慎重に万全を期したおかげか、幸運の女神が微笑んだおかげか。一行は村を抜けてあっさりと森の中へ逃げ出すことに成功した。

 追手がいない事が分かると、全員足を止めて肩で息をしだす。長く続いた緊張で疲労は予想以上、だが表情は明るい。脱出に成功したという事実が彼らを興奮させ、強張っていた顔をほころばせていた。

「日頃の行いがよかったのかもしれんな」

 そうほくそ笑むのはジョシュ。

 釣られて他の皆も笑いだす。

「ハッ、違いねえぜ。実際、俺の今朝の盗み(おこない)のおかげだしなァ?」

「オイオイオイ、それはどうなんだよ」

「ハハハ、なんだっていいじゃねえか。逃げきれたんだぞ!」

「やった、ついにやったんだ……」

「そうね……まさかこんなにうまくいくとは思わなかったわ」

「これで晴れて自由だ!」

 彼らは思い思いに興奮を口にした。

 ある者は咽び泣き、ある者は感極まって叫んだ。ジョシュとローランに至っては、数十歳差の不似合いな組み合わせで肩を組んでふざけ合ってすらいた。

『はあっ、はあっ、いっ、たい、はあ、なん、なの……?』

 もっとも少女ただ一人は中々息が整わないまま、怪訝な顔で彼らを見上げていたが。

 一同が浮かれていると、空に鳴り響く不穏な鳴き声を耳が捉えた。

「GYA! GYA! GYA! GYA!」

 突然の奇声に男たちは目を白黒させ、ジーナは身をすくませた。

「……なんだ?」

「魔獣じゃない。このあたりの鳥だろう」

「びっ──くりしたぁ……」

 ジョシュは酔いから覚めたように緩めた表情をきりりと引き締めると、髭を撫でさすってこういった。

「少し騒ぎすぎたな。気を付けろ、森が騒がしければ村の連中が異変に気付く可能性がある」

「慎重に行きましょ。見つかっては元も子もないわ」

 彼女の意見に満場一致。一列になって交代で警戒しながら一同は未知の森を進軍した。

 しかし森の中は薄暗く、道中は困難を極めた。

 夜だからというだけではない。生い茂る木の枝葉が頭上を覆っていたからだ。光を求めて成長を続けた木々は今、空に浮かぶすべての明かりを隠して道標を完全に封じ込めていた。もはや感覚に頼る以外に手はない。

 また足元には青々とした緑が一面にびっしりと生え、倒木が転がる足場を隠していた。足を挫かないようにと一行は慎重に足を進める。

 しばらくして、

「なんだこれは?」

 仲間の男が違和感から足を上げると、そこには数本の蔓が絡みついていた。

 引きちぎろうとするが蔓は意外としぶとい。一体どこから生えているのか。どれだけ引っ張っても根っこが引っこ抜かれないし、途中で千切れないのだ。

 ジョシュはいち早く異変に察知。

「どうした?」

「いや、足が蔓に引っかかっちまった。ナイフを貸してくれ」

 彼はそいつを一瞥して納得した。

「そいつは魔獣(モンスター)だ」

「何っ!?」

「魔獣とは言っても植物のだがな」

 驚愕の事実に男は混乱した。慌ててそこから逃げ出し始めるも、蔓は逃走を許さず男は落ち葉の中に突っ伏した。更に引けば引く程、抵抗すればするほど蔓は湿った縄のように硬くきつく彼の左脚を縛り上げていく。

 これには男も情けなく狼狽した。

「い、いいから早く! なんとかしてくれ!」

「慌てるな」

 気付けば足は植物でがんじがらめにされていて全く身動きが取れない状態だ。そんな彼の様子を見てもやけに落ち着いているジョシュに、男は涙目になって必死で助けを求めた。

「こいつは動く生物にゆっくり絡みつくだけで攻撃は加えてこない」

 ジョシュがぶつりと蔓を切り落とすとそれはいとも簡単に外れた。

周りがほっと息をついている間に男はへなへなとその場でへたり込んだ。

「助かった……」

『「だいじょうぶ」?』

「あ、ああ」

「森には植物性の魔獣が多いが基本的に害はない。勝手に木の実を口にしたり興味本位で巨大植物に触れなければ死ぬことはないだろう」

「こんなの初めて見るわ……」

「普段人が通る獣道や、轍のあるような道路に自生することは殆どない。知ってる側の方が少ないものだ」

「たかが植物に腰抜かすなよ……あ?」

 ローランが呆れた表情でぶつくさ文句を言っていると、彼は奇妙なものを視界にとらえた。

 それは光だ。

 彼らが進む先の茂みの奥の奥。星の輝きも全く届かない黒一色の空間に、奇妙な二つの光玉がふわりと浮かんでいた。

「だが動物型の魔獣には気を付けろ。特にこの辺りは──」

 のしり。

 月明りに蹄を打ち付けて姿を現したのは巨体。

 四足歩行、短足、ずん胴。にもかかわらず人を優に超える背丈。土色の体毛に覆われた体はまるで地面に埋まった大岩のよう。だがその幻想を打ち砕くように鉄槍のような牙が口から空に向かって突き出て、己がそれ・・であることを主張していた。

 自然とその名が口を突いて出た。

「──ボアだ」

「そうだ。魔獣化した──」

 気付かず解説しているジョシュの台詞に被せ、ローランは(エメラルド)の瞳を見開き叫んだ。

「ワイルドボアだ!」

 はっと全員が彼の指差す方を振り向いた。

 その先には自らの数倍の大きさの肉の塊。誰もがその巨大さに唖然として、一呼吸遅れて森中に彼らの悲鳴が響き渡った。



 まさに阿鼻叫喚の図。

 その中でいち早く正気を取り戻したのは、ジョシュだった。

「落ち着け! こいつの動きは単調だ!」

 そういってワイルドボアの挙動を睨み付け、じっくりと観察する。

 魔獣は興奮しているのか鼻息が荒い。地団駄のようにその場で地面を何度も踏み付けていた。

「BRRR……BRRRRR……」

 くそっと珍しく悪態をつくジョシュ。

「普段は臆病な魔獣なんだが、何故か興奮してやがる……!」

「どうすりゃあいい?」

 問いかけるのはローラン。

「逃げる…………と言いたいところだが、素直に帰らせてはくれなさそうだ」

 もっとも引き返せば自分達はどんな目に合うか。

 例え魔獣が許したとしても、今更戻るなんてことはできない。

「じゃあどうするんだ。ただで通らしてもくれなさそうだぜ」

 何か手はないかと、青年は周りを見渡した。すると、

『これを使って』

 妙に落ち着いた少女が地面を指して何かを言っていた。

 だがそれが通じる訳もなく、

「あークソッタレ! 何言ってるか分かんねえよ!」

 頭を抱えるローラン。しかしジョシュは少女の指の先を見て理解した。

「……そうか! 分かったぜ、クソッタレ!」

 彼が手にしたのは一ヤード(約九十センチ)もない折れた木の枝だった。地面に転がっていた手頃な太さのそれを手に取り、重さ加減を確認する。

「な……何やってんだ、ジョシュ……」

 突然の行動に青年は正気を疑った。

 なぜなら彼がただの木の枝を、まるで槍か何かのように構え始めたのだ。

「お、おい! まさか恐怖で頭がどうにかなっちまったのかよ! そんな物で魔獣をどうこうできる訳がないだろう!」

 それは魔獣を初めてみる彼でさえも知っている簡単な事だった。仮に魔獣と戦うなら最低限、銃の一丁でもなければ話にならない。それだけ魔獣は強靭な肉体をしているのだと。

 ましてや自分よりも詳しいジョシュがそんな事をしだすのだ。彼の奇行にローランはもはや錯乱しそうだった。

「やかましい! こんな物でも何もないよりかは百倍増しだろうが!!」

 こんな棒切れ・・・で倒せるわけがない。そんなことは百も承知だ。

 だが、素手で立ち向かうよりかは何倍もいい。

 彼は半ば自棄の行動ではあったが偶然にもそれが功を奏した。何も持たないよりは断然精神が落ち着き、周りで慌てふためく仲間に気を配った。

「男どもはなんでもいい、武器になりそうなものを拾うんだ!」

 少なくともあれと対峙するには冷静な頭が必要なのだから。

 そのおよそまともとは言えない行動。だが男たちは便乗した。

 女を下がらせると、彼らは足元に転がっていた倒木や太い枝に手を伸ばす。

「なるほどな……まともじゃねえぜあんた!」

「お、おお!」

「畜生ォオオオ!」

「俺はやってやるぞ!」

「武器は持ったか! 生物である以上頭が弱点だ、足が止まったところを狙って叩きつけろ!」

 士気は高い。これならば行けるかもしれない。

 ジョシュは力強く頷いた。

 やがて魔獣は丸太のような足でずんと一歩を踏み出した。

「くるぞ!」

 魔獣は徐々に速度を上げて走り出す。その様は落石が如く。固まって待ち受ける人間へその巨体を猛烈に突撃させた。

 同時、地面が幾重にも揺れ動いた。地震を思わせる強い振動に一同は足をもつれさせる。

 だが間一髪。魔獣が生み出す風を肌で感じながらも、彼らは土の上を転がるようにして何とか躱すことに成功した。

 直後、ずどんと衝撃音が響き渡る。

 びりりと空間を震わす程の大きな物音を彼らは聞いていた。

 一体どうなったのか、と。

 一同は振り返り、愕然とした。

 そこには破壊の権化が君臨していたのだ。

 魔獣化して止まる事を忘れたワイルドボアは大木に激突。あろうことか、その衝撃でめきめきと幹を真っ二つに折り曲げたのだ。

 信じがたい事実を目の前にして、ジョシュですら驚きで武器をがらんと落とし、他の男に至っては泡を食って錯乱までしていた。

 だがそれも仕方がないだろう。もし仮にその一撃を身体に受けていれば、全身が粉々に粉砕されていたのだから。

 しかし非情にも、魔獣は彼らに休む暇を与えない。

 巨大な図体を一歩下がらせると、近くで倒れていたジーナを見下ろした。

「BRBRBRRRRRRRRRRR……!」

 不細工な鳴き声と共に鈍重な動きで近付くと、突き出た鼻で彼女に触れた。

 ジーナは小さく悲鳴を漏らした。

 身体が不規則に震えだす。

 それが生きていると分かったからか。魔獣は涎を垂らして卑しく喜びの声を上げた。

 目と鼻の先にまで迫る怪物に、ついに彼女は心を支配される。

 ぴくりとも動けない。

 喉が詰まったように息ができず、悲鳴の一つも上がらなかった。

 その代わりにつぅっと両頬を涙が伝い、遅れて尻に生暖かさを感じた。

 恐怖に屈服した彼女は巨大な死神に怯えながらも、

 ──嫌だ怖い来ないでやめてもうやだ助けて怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い────もういっそ、、、殺して………………。

 首にかけられた血生臭い鎌が引かれるのを、じっと懇願していた。

 だが、

「BWR、BWR?」

 唐突に異変が起こる。

 鳴き声と共にジーナから鼻先を離し、頭を上げるワイルドボア。

 一拍遅れて、ぽすり。地面に落ちた石ころ。

『その人から離れて!』

 恐怖に支配されているのはジーナに限った話ではない。この場に居る誰もが一歩も動けないでいた。

 しかし少女は違った。立ち上がってワイルドボアに石を投げつけ、必死に抵抗する。だがそんな攻撃が傷付けられるわけもなく、魔獣は気にせずジーナに向けて獰猛な歯が並んだ顎をがぽりと開いた。

 それでも少女は諦めずに投げ続け──ついにその一投が魔獣の眼球を捉えた。

「BRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!?!?」

 魔獣化してもそこは頑丈ではないのか。ワイルドボアは鋭い痛みに泣き叫ぶ。

 少女も叫んだ。

『──────!!』

 それは魔獣の轟く声に邪魔をされてジーナには聞こえるはずがなかった。

 そもそも少女の言葉が伝わるはずがない。

 それでも彼女には、「逃げて」と言われた気がして。

「っ……はぁっ」

 息が吸えた。

 体が動いた。

 足腰はまだうまく力が入らない。

 それでも殆ど這いつくばるようにしてジーナは全力で草の上を駆け逃げた。

『よかった……』

 少女は安心した表情で肩を上下させていると、

『うっ……』

 魔獣と目が合った。

「BRRRRRRRRRRR! BRRRRRRRRRRRR!」

 旨そうな御馳走を逃し、その上下等な獲物から手痛い反撃を受ける。受けた屈辱にワイルドボアは明らかに機嫌を損ねていた。

 一層興奮した様子で巨体を方向転換させ全身の毛を逆立てると、猛然と少女に向かって駆け出した。

『っ!』

 まさに猪突猛進。

 魔獣は草を踏み潰し、倒木を踏み砕き、樹木さえも跳ね飛ばして突き進む。

 その速さは尋常ではなかった。本能の赴くまま、突き動かされるがままに彼女の小さな体に向かって強靭な肉体を発射させる。

 もはや、手遅れ。

 少女は反応できない。

 顔を青く、ただ呆然としていた。

 そして少女はついに──ローランに・・・・・突き飛ばされた・・・・・・・


 ──え?


 嵐のように過ぎ去る魔獣。

 青年はあまりにもあっけなく、宙を舞った。

 まるで風に吹かれた蒲公英(たんぽぽ)の綿毛のように、ローランの体は軽々と空を舞い上がった。真っ赤な液体をまき散らしながら数秒間空中に浮かぶと、最後に容赦なく地面に体を打ち付けて血を吐いた。

『「ろおらん」!』

 少女は彼の名を叫んで真っ先に駆けつけた。

 その目には涙。

 ぽたぽたと大粒の涙が途切れることなく褐色の瞳から溢れ出て彼の顔に零れ落ちた。

 ローランは息も絶え絶えに、声を絞り出す。

「ハッ、、、ぼうっと、してん、じゃ──」

 しかし喘ぐようなその声にはいつもの力はない。

 途中でごぽりと吐血して、それ以上言葉が続かなかった。

『「ろおらん」! 起きて、「ろおらん」……! ……誰か、誰か助けて……お願い────』

 少女はその名を叫んだ。


 ──あれ──なんだ、これ──


 目が霞んで、前がよく見えない。

 暗闇の中に、赤い何かが覆いかぶさっていた。

 それが何かは分からない。

 けれど、暖かい日向のように妙に心地よかった。

 体はきっともうずたずただろう。

 なのに不思議と痛くない。


 ──俺────死ぬのか──────


 あいつは、どうなったんだ。


「だいじょうぶ…………ろおらん、だいじょうぶ…………」


 ──そっか──────なら、安心だ──────



 光だ。

 瞼の向こう側から、優しい陽光を感じた。

 波一つない湖の底のように穏やかに眠る彼に、天使はそっと覚醒を促す。

 すうっと、翠の瞳が開かれる。

 しかしその輝きは彼の眼を容赦なく貫き、慣れない眩しさに反射的に目を背けた。

「うっ……なんだ……」

 呻き声と共に目を細め、辺りをするりと見回し、最後に困惑した。

 まず、生きていた。

 てっきりくたばった・・・・・とばかり思っていた。自分のしぶとさに思わず笑った。

 次に彼は見たことがある荷台の上で寝ていた。

 自分を囲んでいるのも良く知っている仲間達。彼らの無事にほっと息をついた。

 最後に自分の足元には、少女がすやすやと寝息を立てて抱き着いていた。

 これも同様に良く知っている相手。仏頂面で見つめると問答不要で引き剥がした。人知れず安心しながら。

 聞きたいことは山ほどある。

 覚悟を決めて胡坐をかくと、彼──ローランはジョシュにこう尋ねた。

「これは一体、どういうことだ……?」

「フハハハッ。まあ、普通はそうだろうな」

 面白おかしそうに笑う彼の表情は今までになく自然だった。

 逃げ出して、またここに帰ってきて、まだ笑ってられる状況。

 何故だと青年は首をひねった。

「何もかもが、全部綺麗さっぱり元通りに収まったからだよ」

「ねえ、あんたはどこまで覚えてるの?」

 憑き物が落ちたような顔で笑うジーナに青年が答えると、彼女はその後の状況を静かに語り始めた。

「あんたが魔獣にふっ飛ばされた後、ちょうど御者が村の人間と私らのご主人様をあの場所に連れてきて、持ってきた銃で一斉に魔獣を威嚇したの。魔獣は正気に返って森の奥へ逃げて行ったわ」

 簡潔な説明。だが重要な話がそこから欠けていた。

「俺は……何で生きてるんだ?」

 それは当然の疑問だった。

「なに? あんた、死にたかったの?」

 冗談でからかうジーナにローランは真剣な目で詰め寄る。

「そうじゃねえ……! あの魔獣にふっ飛ばされたんだぞ? お前も目の前で見ただろ、木がなぎ倒されたのを!」

「っ…………そ、そりゃあ見たわよ」

 ジーナは思わずその時の事を思い出して体を震わせた。別の恥ずかしい出来事もつい思い出してしまい、不貞腐れたように赤面しながらそっぽを向く。

 しかしローランはそんなことを気にする余裕もなく、

「じゃあなんで俺は生きてるんだ……」

 力なく疑問を吐き出した。

 何も答えられないジーナに代わり、ジョシュが神妙な顔つきでありのままに答え始めた。

「ローラン。俺達が見たのは、お前が血だらけになっても・・・・・・・・・無傷だった・・・・・という事実だ」

「……言葉通りの意味でか?」

「ああ。お前が吹っ飛んだ時、情けねえ話だが俺たちは動けなかった。俺が駆け寄った時にはすでにお前はその子に抱き着かれて介抱されていた」

 その子、と言われて怪訝な顔で足元で寝転ぶ少女を見つめた。

「こいつが俺の怪我を治した……?」

「そうは思わねえが──」

 ジョシュは顎鬚を撫でながら、

「別に理由なんてなんでもいいんじゃあないか? せっかく命を拾ったんだ。それ以上を求めるのは贅沢だろう。奇跡的に無傷で助かったのか、奇跡が起きて命が助かったのかなんて、些細な違いだ。どちらにせよ、お前は生きてるんだから」

 確かにそうかもしれない。ローランは曖昧に頷いた。

「そう、だな」

「村に戻ってからもその子が付きっ切りでお前の様子を見てたんだ。あとで例の一つでも言ってやれよ」

「ああ。それで……結局俺らは逃げたのがバレたって事なのか?」

 それもまた当然の疑問。

 難しそうな表情で言うローランに、ジーナは楽しそうに肯定するのだ。

「ええ、私達は村に降りてきた・・・・・・・魔獣から・・・・生き延びるために・・・・・・・・邪魔なロープを・・・・・・・仕方なく切断して・・・・・・・・逃げたのよ・・・・・

「…………………………なんだって?」

 その反応があまりにも滑稽で彼女はころころと転がすような笑い声を上げる。

「そういう事になってるわ」

 ジーナがひとしきり笑うと、その男は名乗り出た。

「詳しくは、私から話そう」

 聞き慣れない綺麗な発音と渋い声音。予想外の人物にローランは振り返った。

「市場で会って以来だね。私はスティーヴ・エルフォード、ここより北のエルフォードウッドという町で採掘業をしている」

 起きてから一度も見なかったローランの死角。そこに居たのは洋服に身を包んだ一人の男だ。

 『市場で会って以来』ということは奴隷市場に見に来た男の一人なのだろう。

 ローランは警戒して矯めつ眇めつ観察した。

 身なりが良く真面目な雰囲気。いかにも資産家だという空気を纏った働き盛りの男。

「俺はローラン。…………あんたが俺の所有者か?」

 だがその所有者らしからぬ友好的な態度に、まるで逆立ちで生活している人間を見せられているみたいでローランは戸惑いを感じていた。

 一方でスティーヴは優し気な顔を僅かにしかめ、奇妙な事を言い始める。

「『所有者』という表現はあまり好きではないな。これから私の事は『雇い主』か、または『主人』と呼んでくれ」

「……? 何が違う? 俺ら奴隷はあんたの所有物だろ」

「気分と礼儀の問題さ。真剣に働く労働者・・・には敬意を示すべきだと私は思っていてね」

 奴隷はモノ扱いするのが普通だというのに、

 ──敬意だと? 何を言っているんだこの男は……。

 おまけに身分の違う間柄で会話まで成立していて、ぶわっと鳥肌が立つのを感じた。

「考えるだけ無駄だローラン。そのご主人様は、俺らの知ってる普通の所有者とはまったく違う。理解しようとするだけ時間の無駄だろう」

 年長者のありがたい言葉にローランはガシガシと金髪を掻きむしって、仕方ないと文句を飲み込んだ。

 そんな彼らの様子にスティーヴも苦笑。

「そのあたりは徐々に理解してもらえればいいさ。──さて、本題に移ろうか」

 というと柔和な表情をきりりと引き締めて仕事の顔を作りだす。

 それは口調こそ変わっていないが真剣な声色(トーン)で、

「君は私の仕事場で働く気はあるかい?」

 ローランは身構えて慎重に答える。

「それは、どういう意味だ」

 単純に所有者を警戒しているというのもあった。彼の真剣味に緊張しているというのも確かだ。だが何よりも、ローランは質問の真意を測りかねていた。青年にしてみればそもそも奴隷に働く意思があるかどうかを問う事自体、ありえないことなのだから。

「もしも君が『労働なんて御免だ』と逃げ出したいというのなら、ここで馬車を降りてもらっても構わない。その首輪は外してあげれないけどね」

 それは願ってもない提案だった。元よりそのために逃げたのだから。

 しかし青年が『そのつもりだ』と答える前に、スティーヴは二つ目の選択肢を与える。

「だが、もし働く気があるなら……仕事を与えよう。もちろん楽ではないが、代わりに対価をも出そう」

 ──対価。

 真っ先に頭に浮かんだのはローランが何よりも欲したそれ。

「……金か?」

「多くはないが、働いた時間だけ毎月労働者に賃金を出している。他にも雨風を凌ぐための部屋。それから清潔なベッド。一日三度の温かい食事もつけよう」

 それはなんて魅力的な話だろうか。青年にとって久しぶりの『当たり前の生活』。それをくれるというのだ。思わず喉から手が出るんじゃないかと思ったくらいだ。

 それでもローランは膝を掴んで食いつきたくなる衝動を抑えて、前傾姿勢になって問い質した。

「目的はなんだ」

「そう睨むな、別に何か悪巧みを考えてる訳じゃないさ。私が父から受け継いだ鉱山を稼働させ続けるには、どうしても人手が必要なんだ」

 それに、と彼は表情を和らげる。

「それに家も仕事もなく咎人に落ちた人間がうちで働けば、町の人たちが安心して夜を過ごせるだろう?」

「さあな……」とローランは前科を思い出しながらとぼける。

「別に一生飼い殺すつもりもない。自由を買う事も出来る」

「何?」

「一人金貨八十枚だ」

 それは彼が知る奴隷の価値をはるかに上回る金額だった。

「! ぼったくりじゃねえかっ!」

 安い子供なら四十五、どれだけ高い美女でも六十だ。それでも庶民の金銭感覚からすれば決して安い値段ではなく、五、六年分の収入に相当していた。

「慈善事業でやっている訳じゃない。それでも十年から十五年は働けばそれくらいは稼げる。実際に何人もその金で首輪の鍵を買って普通の生活に戻って行ったよ」

「単に金を持て余した年寄りに自由をちらつかせて追い出して、その金でまた若い奴隷(わたしたち)を補充してるだけじゃない」

「結局は商売だ。私にも利益を出して鉱山を維持する責任がある。それに奴隷に対してあからさまに待遇を良くすれば、奴隷愛好家の連中に目を付けられてしまう。『君は奴隷に金をばらまく余裕があるのか』とね」

 ジーナの不平に彼もしょうがないのだと答えた。

 もしもそういう人間が取引先に圧力をかければ、自分も仕事を畳むしかなくなる、と。

「波風を立てないに越したことはない。フハッ、ご主人様も大層な苦労人だな」

「けっ、面倒くさい奴らだぜ」

 口汚く同情するローランに、スティーヴは改めて質問をした。

「ではローラン、答えを聞こうか──働きに来る気はあるかい?」

 青年は力強く頷いた。

「ああ。あんたに付いていけば前よりはマシな生活ができそうだ」

 ぶっきらぼうだがしっかりした返事に、ふっと笑みがこぼれる。

「分かった。じゃあやっぱり君も魔獣に襲われて・・・・・・・やむを得ず・・・・・ロープを切った・・・・・・・という事だね」

「さっきからなんなんだよ、それは……」

 理解が追い付かない青年にスティーヴは苦笑して、ようやく奇妙な事情を説明し出した。

「あいにく君らの代えのロープがなくてね。町に帰った時、果たして何て言えばいいのか」

「………………ハッ、そういう事かよ」

 それは縛られていない自分たちのための言い訳作りだった。遅まきながらに気付くと、なんていい加減な作り話だ、と知らずの内に一笑していた。

「そうだよ。クソッタレな魔獣から逃げ延びるには邪魔だったからな」

「よし、そういう事にしよう。どうやって切断したかは緊急事態につき不問とする。町に着いたらまずは君の体を医者に診てもらって、それから仕事だ。これから一緒によろしく頼む」

「……本当に変わったご主人様だぜ」

 奴隷と所有者、一見して全く釣り合いが取れない相反する二人。

 スティーヴから差し出した手をローランは笑って握り返した。

「さて、若いローランは採掘でいいとしてだ──」

「なんだ?」

「この子の仕事はどうしたものかと思ってね」

 視線の先には愛らしく唸りながら寝がえりを打つ奴隷らしくない少女。

「こんなガキに俺と同じ仕事ができる訳ねえ」

「私も同意だ。鉱石の選別を任せようと思っていたが、エルオニア語も話せないそうじゃないか。覚えることが多い仕事は無理だ、教える側が匙を投げるだろう」

 それは子供一人買っておいて今更だろう。

 ローランはじっとりと視線を送って追及した。

「確かにまだ子供だが、見た所病気も持っていなさそうだし、怪我もなく見た目がいい割りに安い。それに、難儀だと思ってしまった。放っておけば行先は──考えたくもない。きっと最低な暮らしが待っていただろう」

「ハッ、やっぱり慈善事業じゃねえか」

「まったくだ」

 自分でしたことながらため息を吐くスティーヴ。

 当の本人は、表情は安らか。穏やかな呼吸に合わせて小さな体を上下させていた。

 ローランは呆れ顔で隣で仰向けになる彼女を見下ろすと、

『んんっ──』

「ハッ呑気んがっ! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 小さな声を上げて伸ばされた左拳が彼の顎を突き上げていた。痛恨の一撃にローランは意図せず自分の舌を噛み、声にならない悲鳴を上げる。

 丁度目を覚ました少女は伸び・・をして両手両足を精一杯伸ばしていた所だった。

 彼女がもぞもぞと体を起こすと、そこには口を押えて痛みに耐える青年の姿。

 初めてみる動きにぱちくりと驚き、少女は首をかしげた。

『「だいじょうぶ」?』。

 まさか自分がやったとは露知らず。他人事のように声をかける彼女に、

 ──クソッタレ!!!

 青年は泣きながら内心で悪態を叫ぶのだ。

 かくしてエルフォード家にその身を買われ、道中で生死の境をさまよった少女達。

 しかし彼女らの奴隷としての生活はまだまだ始まったばかり。

 そして、少女の不思議な力(マリステラ)との長い旅路も──

本作が初めての方は、はじめまして。

「じょ!×③」やそれ以外の作品から読まれている方は、お久しぶりです。

しらいさんです。

まずは本作「始まりのマリステラ」を読んでいただき、誠にありがとうございました。


本作は、別のネタを書く途中でふと頭に浮かんだ

「そもそも今書いてるこの魔術とか魔法って何?」

「魔法ってどういう仕組みだろう」

という疑問から生まれた話になります。


(主に身内に)好評であれば、作品の続きを二・三話書いていくつもりです。

そうでなければ、温めてる別のJSネタを書く予定です。


また前作で感想を送って頂いた方、評価してくださった方、本当にありがとうございました。

めっちゃくちゃうれしかったです。すべて執筆の力になってます。


それではまた次回作でお会いしましょう。

早ければ五月の中頃には投稿できると思います。


二〇一七年 五月某日 一人朝チュンを聞きながら

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