浅い眠り
城内は夜になっても活気が消えることはなかった。
末王子であるラッセルは三日に一度ぐらいの割合で夜会を開き、七日に一度は大がかりなパーティーを催しているからだ。
ラッセルはうやうやしく私の手をとった。
一番、さまになっている。慣れているのだろう。
若いラッセルは兄たちより少しばかり神経質そうにも見えた。
「ようこそ、巫女姫。夜会をお楽しみください」
目線で合図をすると執事が盆の上に宝石と季節の花をのせて私に差し出した。
「あなたのような愛らしい方を飾れるこの花と石はとても幸せです」
「ラッセル王子」
私は二人に言ったことと同じことを彼にも言った。
「私に何を贈ってくださる?」
「?」
贈り物ならここにあるといいたげな顔。
「私を実際に見て、一番似合うと思うものはなにか、考えてから贈りなさい」
彼は困った顔をした。
「宝石や花は御嫌いでしたか?」
「嫌いではないわ。ただ、名や伝聞だけで選んできた贈り物と、私を実際に見ての贈り物、多少違いがある方が自然じゃないの?」
前にも述べたが、これは一つには彼らが私をどう見ているのかという判断基準にもなる。「・・・」
試験だと彼も気づいたようだ。
「あいわかりました。夜会が終わるまでに用意させましょう」
なにをくれるの?
私はなにをもらっても喜びやしないけど。
遠巻きに私を見る貴族たち。
大粛正は音に聞こえているのだろう。
血生臭い事件もしっているはず。
私は背筋を伸ばし、煩わしい視線から離れた。
「人とは相入れませんか?」
金色の、髪。
「・・・あなたは旅に出たと思っていたわ」
隣にはもうシェスはいない。
私は気に入りなど作らない。
「あなたが亡くなるまでどれだけ長い歳月がかかるというのですか? 泡沫のはぜる間と同じほど。見届けるのもいいでしょう」
私とわざわざ同じぐらいの背丈に化けた旅人がいた。
「ラッセル王子に引っ張られて、巫女姫の御相手をするようにと。近くをこの姿で歩いていた私も間抜けですが」
手をとった。
「ダンスを一緒に踊りませんか?」
「上達したのかしら、あの琴は」
「片時も放さずに練習して参りました。あとで御耳汚しに」
夢の中のようだ。気分がいい。
気持ちがいい。
他人にはままごとのように見えても、ぎこちなくても。
これほどしっくりとくる相手はいない。
「これはこれは、巫女姫はお休みか」
疲れて旅人の膝を枕に微睡む私にラッセルが笑みを含んだ声をかけた。
「お疲れなのです」
「ああ。わかっているよ。大巫女は大人ですら大変な役職なのだ。このように、幼くも賢い方にはなおさら疲れるものなのだろう」
琴の音。
上手くなっていた。素直にそう言うのが悔しくて、思ったほどではなかったわと言ってやった。
でも、曲になってたわとあとでつけ足して。
私は嫌な女になったわ。
「そうしていると、なにやら微笑ましい図だな」
「そうですか?」
琴の音。綺麗な音。この音が大好きで、弓の弦の音はこれを真似た。
「大巫女様と君は古くからの知り合いかなにかなのか?」
「そうです。僕らは共に育ち、道を分かちました」
「そうか」
「彼女が王を決めるなら間違いはないでしょう」
「君も幼いわりに、大人びた物言いをする」
眠りたい。すごく眠い。
おかしいの。今まで私眠ったことなんてなかったのに。
シェスが・・・。
シェスが怒るの・・・。
プレゼントはもらいそこねたけど、彼と会えたのでちゃらにしよう。
「姫君。どうするつもりです?」
「神殿でね、面白いものを見つけたの。昔、あたしが作った双六と骰子。あれで運試ししてもらうつもり」
「なるほど」
細工をしっている旅人はくすりと笑った。
琴の音が流れる。
「気づくまで、続けるつもり」
眠ることの幸せを理解した。
気持ちがいい。けれど、無駄よね。
「あのシェスという女の処遇はどうなさいます?」
「んー・・・。あとで考える」
眠るたびに思い出す。
トゥーリアと名乗っていた頃のこと。
「トゥーリアがティスという名の信仰物に変わるだけだということに、あなたとて気づいているのでしょうに。なぜ幾度も奇跡を演じるのですか?」
わかっているわ。
トゥーリアと名乗ったことを私はずっと後悔していた。
この地から逃げられない。思いは私を縛り付けて、どこにもいかせてくれない。
「でもね、わかるのよ。この国はもうじき、トゥーリアも私も必要としなくなることを。そしたら、一緒にどこか遠くにいこうよ」
「そうですね」
この双六と同じことを私は人間に強いた。
私はそれを加護だという気はない。
「本当はもう、シェスなんて嫌い。私をトゥーリアにもどしてしまった」
「すごろく、ですか?」
集められた王子たちはいっせいに私に問い返した。
「そうよ。先に上がった人が王様。簡単でしょう? トゥーリアの双六よ」
銀の鍍金を施された七宝焼きのすさまじく重い盤。象牙の骰子が二つ。硝子細工の駒が十。
白い白鳥。茶色の熊。青い鯆。黒い豹。黄色の虎。白い猫。茶色の馬。青い翆。黒い燕。黄の太陽。
「これは黄色のウニか?」
「太陽だってば。ちなみに、私もやるから。私が先に上がったら、やり直し。誰かが上がるまでよ」
彼らは苦笑いをした。
甘いのよ。一晩だけで上がれる双六だと思ってるの?
これは意地悪なトゥーリアの作った惑わしの加護の象徴。
「今から夜明けまで。決着がつかない場合は明日の夜に持ち越しです」
最大で二十四まで一度に進めるということは、つまり果てしなく長い道程があるということだ。
『振出し』から『上がり』まで一千二百マスある。その間に『振出しに戻る』というマスが三つ。『十戻る』が、六マス。『八戻る』は十二ある。
そして、骰子はインチキと言われるかもしれないが、作りの上で三と五が出やすくなっている。あくまでも出やすいだけだけど。
「始めてから、何日目だ?」
疲れたようにセザーが言った。
「八日目になる」
クリムが眠そうに答えた。
私は眠らなくても平気な体だが、彼らは眠らねばならない体である。疲労はピーク。
この双六。よほど運がよくなければ、上がれないのだ。計算しつくされて作られている。 確率統計の粋を極めたこの双六。それは文字通り幸運の女神に愛された人間のみが勝利する。
無論、私は毎回上がっている。
「駒を替えるっ」
ラッセルは白い白鳥を青い鯆に替えた。
替えたところでどうなるものでもないけれど。
私が使っているのは白い馬。
クリムは黄色の虎、セザーは黒い燕である。
誰も太陽は選ばない。壊れそうだから。
疲労が一番溜っているのはセザーだった。一番、忙しく外を歩き回っている人だからね。「おかしいじゃないか。おまえしか上がらないなんて」
「おんなじサイコロを転がしているのよ。ズルのしようがないでしょう?」
運もあるけど、大巫女となってからは夜な夜ないつも一人で双六遊びをしていたのだ。骰子の目をある程度自由に操れる。私は賭博師にだってなれる。
「大巫女、おまえはいつ寝てる?」
「神の娘は必要がなければ眠らないのよ」
セザーは羨ましいことだなと吐き捨てるようにいい、席についた。
「いつまで続くんだ?」
クリムの眠そうな声。
「決まるまでよ」
私は骰子を振った。
外では突然、雨が降り出した。
豪雨である。風はないが、地面や屋根を叩きつけるような音が響く。
夜半。
先頭を切っていたラッセルが振出しに戻された。
雨音が耳につく。
この音に誘われて、睡魔に食われているのが二人ばかり。
ラッセルはこの時期はまだ仕事らしい仕事はないけれど、セザーとクリムは昼間みっちりと予定がある。
でもセザーが辛いのは私からの仕返しだから。
「兄上たちが疲労のピークのようです。大巫女。このゲームにどんな意味がおありなのか」 ラッセルが問う。
「意味?」
「あなたも寝ていらっしゃらないことは知っています。私たちはともかく、幼いあなたがそれはどうかと思いますが?」
「たんなる暇つぶし」
ラッセルは溜息をついた。
「王様になりたい、ラッセル?」
「・・・・・・」
彼らは自分の一長一短、兄弟の長所短所をよくしっている。
セザーはラッセルをこう評価した。
『一緒にいて飽きはせん。帳簿をつけるのは得意だ。派手なことが好きなわりに、細かい計算を集計したりするのも好きで、誰に似たのやら。今の時期なら城で宴を開いているころだな。忙しいのは秋から冬の収穫期だから』
贈り物はずいぶん貰ったけれど、彼らは一度として兄や弟の悪口を口にしなかった。子供の私に自分を選ばせるには、相手をいち早く中傷して悪い先入観を持たせることも有効なはずだ。
「なぜ、あなたたちは私に付き合って、けっして終わらない双六を唯々諾々とやっているのかしら?」
「終わらないんですか、これは」
「終われないわ。骰子を替えれば別よ。でも、トゥーリアから与えられたこの一式の双六で、終わりにたどり着けるのは私だけ」
彼らは心の奥で安定を望んでいた。
自分が王位に就くことも、そう望んではいなかった。ただ、他の兄弟が王になるよりは自分の方が少しましだと思っているのだ。その一方で、やはり王になるふんぎりはまだない。
終わらないゲームを望んでいるのはこの三人の王子たちだ。
「姫君。この豪雨で、堤防が決壊したそうですよ」
黄金色の旅人が告げにきた。
「そう」
セザーががばっと起き上がった。
「なにっ?」
「堤が壊れたんですって。すごい雨だものね」
「昼寝がまずかったか。くそっ。俺はいく」
「まだ双六は終わっていないのよ」
「あとにしろ」
「困ったわね。仕返しのつもりだから、いかせるわけにはいかないわ」
「馬鹿な。作物や人命が奪われる事態になるんだぞっ!」
「落ち着きなさいよ、セザー。人員を用意できるの? 絶対命令を出せる王様はここにはいないのよ」
「・・・・・・」
セザーははっとした。
堤を補修していくのは予定された公共事業。人員はあらかじめ用意されている。だが、突然の災害に対処するには常以上の人間を必要とする。それを強制的に集める権限が彼らにはない。
「兄者、金で集めればいい。私が出せる。もともとは国庫の金だ」
クリムが言った。
「そうか。助かった」
「私は兵役の者たちを向かわせる」
私は茶を啜った。
「旅人」
「はい、姫君」
「説明してやって」
「もう、ですか?」
「そう」
三人が怪訝そうに私たちを見た。
「すみません。嘘でした」
黄金色の旅人が彼らに深々と頭を下げた。
怒り出す前に私は言った。
「三人とも半分ぐらい王様なんかいなくたっていいやと思っていたでしょう」
「しかし、たちが悪いっ!」
セザーが本気で怒っていた。
「いつも平和で穏やかならそれでもいいけど。有事はいつ起きるかわからないのよ」
彼らは黙った。
「トゥーリアの加護が当てにならないことはよくしっているでしょう? 民と国を守れるのは人間の王だけよ。国と民を害せるのも、またしかり。みんな起きたことだし、ここで聞くのだけれど、誰が王位につくの?」
私はまずセザーに目を向けた。
「王になれば、妻をもたねばならない。子もだ。それに俺は城に封じられるのは耐えられん。治水に関しても、あんな地味で単調で、辛い仕事がこいつらにできるとは思えん。王になる気は最初からない」
「ずるいぞ、兄者。私とて、財務官はやめられない。二人に裏金を貯めておくだけの狡さがあるものか。急な有事のさいに、金がないのでは話にならん」
「細かな税務処理を誰に任せろというんだ? あれほど不正が行われやすい役職はないんだ。王族の誰かが抑えておかないと」
呆れた顔で旅人が言った。
「姫君、どうするんですか? えらく王位というものが嫌われているようですが?」
「嫌ってはいないっ」
三人が同時に返した。
別に嫌ってはいない。その通り。ただ、この人たちにとって王位より今の仕事が重要なだけ。
「頭悪いわね。王様は一人がいいけれど、一人でならなくたっていいじゃない」
「わからんことを」
「セザーは冬季は治水の仕事はなし。かわりに王様をする。春季から夏季はラッセルの担当。夏の終わりから冬間際、雪が降るまではクリム」
「王権を分担するなんて、今まで前例がない」
ラッセルが言った。
「でも、これが一番いいと思うのよ。納得いかないなら、双六をまた続ける?」
「なぜ上がれないんだ、この双六は」
「この骰子を振り続けると、かなりの確率で同数になるのよ。どんなに運が良くても、五十回以上は骰子を振らなくちゃ終わらない。しかも、出る数字はそれぞれ三か五が出やすくできている。二つ転がせば十五以下が出る確率は七割以上ね。そこまでくれば、三つの『振出しに戻る』と、『十戻る』、『八戻る』の配置を計算することは可能なのよ。理解した?」
『振出しに戻る』を通り過ぎることができても、『十戻る』や『八戻る』にひっかかるようにできている。そうすると、やっぱり振出しに戻されるようになっているのだから、トゥーリアのころの私は人間性が腐っていたのね、きっと。
「神の奇跡ではないのか」
「奇跡よ。神ではなく数学の作った」
こんな馬鹿なものを作るのは暇を持て余した神様しかいないとも思うけど。
私は立ち上がった。
「さてと、新しい王様たち。今夜からはゆっくりお休みなさい」
「おいっ」
「私はほとんど神殿にいるわ。用があれば使いを寄越して」
これが王子たちとの最後の会話だった。
彼らは王になったのだから。
「楽しかったのでしょう。夜通し、双六の相手をしてもらえて」
「そうね。楽しかったわ」
もう、旅人は行く。
私もそういう名前にすればよかった。
そうすれば、ここにこうして縛られなかった。彼はとてもいい名前を自分でつけた。
「あなたが終わりを迎えるころに、また。シェスにお気をつけなさいと言っても、しかたないですね。われらは人ではない。あらゆる裏切りも無意味なものだ」
「そうね」
「昔はよかったと思いますよ。遥かな未来に辿り着いたら、今がよかったと言うのでしょうけど」
つぎに会うときはもっと上手な琴の音色をお聞かせしますと彼は言い、旅に出てしまった。
それでいい。彼は最初の約束通り、私の命が終わるまで、この世界のどこかにいるつもりだから。
もう私は終わりの日まで眠ることはないだろう。
トゥーリアの夢も、ティスであったころの夢も、見ることはない。




