33 ピュア系弟属性
されるがままの猫のように撫でられ続けていると、足音が地下に響いた。体がびくりと跳ねる。
肩を叩かれて、目を向ければ手の主は優しく微笑んで、ベッドへと歩いて行ってしまった。
慌てて槍を手に、鉄格子から離れる。
交代の時間だったらしく、降りてきたのは同僚だった。軽く挨拶をして、上がる階段へと向かう。
視線をさりげなく向ければ、もうこちらには興味のない様子で、スペードの10はベッドに横になっている。
俺の立場を考えてくれているのだろうと思うと、パンひとつしか食べていないこの人がどうしても気がかりだった。
もっと何か、腹にたまるものを持ってくれば良かった。
胸に重石が乗せられたような気持ちで、地下を後にした。
仕事終わりに真っ直ぐ自室へと帰る。同室の友人が夜食を分けてくれると言ったが断って、早々にベッドに入った。
なかなか寝付けない。あの地下で、あの檻の中で、あの人の寂しさや辛さを思うと、眠れるわけもなかった。
翌日の午前中は訓練があって、抜けられなかった。なら、晩だ。見張りを代わってもらって、何か差し入れしよう。
こんなことをしたって、その場しのぎにしかならないが、食わさないよりはマシなはずだ。
晩飯を掻き込み、夜の当番を探す。確か今晩は──ザックだ。
良かった。同期で、よく飲みに行く友人だから、頼みやすい。……今回の事件の被害者となったコニーも合わせて、三人でよく飲みに行っていたのを思い出す。
特にザックはコニーと同郷で、アカデミー入学前からの友人だから、二人はとても親しかった。
俺のこの行動は、友人への裏切りになるのかと考えて、頭を振った。
きっと、あの人の見張りなど嫌がるだろうから、ちょうどよかった。今はそう思おう。
探せばザックが仏頂面でトレーに食事を乗せているところだった。その姿に心臓の鼓動が嫌に早くなる。
まさか、あいつも聞かされていないのか。
昨日俺に命令を伝えてくれた先輩が、ザックの方へと歩いていくのが見えた。
自分でもなぜだかわからないが、二人が会話する様子を見たくなって、足を止める。
青ざめて何かを言い返すザックと小声で諭しているらしい先輩の姿は、きっと昨日の俺と同じなのだろうと思った。
先輩が離れていく。トレーを絶望したように見つめたザックは、ノロノロとした動きで乗せた食事を戻し、顔を歪めてパンをひとつ、ポケットに押し込んだ。
足音を立てないように気を付けて、地下への階段を降りる。
二人の姿が見えそうな辺りから、そっと覗き込んだ。
檻に背を向けるザックと、ベッドで横になるスペードの10が見えた。やはり二日もろくに食べていないせいか、いささか疲れた様子に見える。
そのまま覗いていると、ザックがおもむろにテーブルへと移動して、水差しを手に取った。震える手でグラスに水を注ぐ。そのまま数秒、数十秒とグラスを握りしめて、苦悶ともいえる表情で鉄格子の前へと移動した。
「………………おい」
「……なぁに」
スペードの10の声は昨日とは比べものにならないほど勢いがなく、胸が締め付けられるように痛んだ。
「その…………水、くらいはくれてやっても、いいぞ。欲しいなら、だけど……」
まるで昨日の自分を見ているようだ。きっとザックは、あの人がいつから食事をしていないのか考えて、水を飲ませないのはまずいと判断したのだろう。
昨日はたったコップ一杯の水しか飲んでいないスペードの10は、明らかに弱ってきているように見えた。
「いらないわ。気持ちだけで十分。あなたが叱られるわよ」
「…………そうかよ」
持ったグラスをテーブルに戻し、ザックは顔を歪めたまま、まるでスペードの10の姿を見ないように背を向けた。
ほっと息を吐いて、足音を立てて牢へと向かう。足音に気付いたザックは少し慌てた様子だったが、来たのが俺だとわかって、肩の力が抜けたようだった。
「なんだ、グレンか。どうした? 交代にはまだ早いだろ」
「いや、ちょっとな……」
どうするか、と考えて、ちらりとスペードの10に目を向けたが、横になったまま瞼を閉じている。寝たふりかもしれない。
テーブルの上のグラスに、目を向けた。
「…………水を渡すなら、一口飲まないと駄目だぞ。他国の位持ちの方に渡すんだから、毒味しないと。何が入ってるか、この人には分からないだろ」
「な、なに言って……」
ただでさえ、この人にとっては敵地なんだから、と言い添えて、テーブルの上のグラスを手に取り、昨日と同じように一口飲んだ。
いつのまにか体を起こしていたスペードの10が、無表情でこちらを伺っている。
そのまま鉄格子の隙間からグラスを差し出すと、含み笑いを浮かべ、昨日と同じように軽やかな足取りで近づいて来てグラスを受け取り、一気に飲み干した。
ふぅと一息ついた様子でグラスをこちらに返すスペードの10は、可笑しそうに笑った。
「ふふっ……二度目の間接キスね。グレン君」
……受け取ったグラスを落としそうになった。
「ほ、ほんとに馬鹿なのか、あんた!? 恋人がいるくせに、そういうこと言うなよ!!」
「だって、今日は会えないのかしらって寂しく思っていたら、来てくれたんだもの。嬉しくってついね」
つい、で言うことじゃない。
なおも笑い続ける人を軽く睨み、グラスをテーブルに戻した。
視界の端でザックが酸欠の魚のようになっていたが、放置しよう。
「晩飯、持ってきた」
「……免職になったらどうするのよ。もう持ってこなくていいったら」
「だったら、さっさと食って証拠隠滅してくれたらいいだろ。アボカドとエビのサンドか、トマトとチキンのサンド。どっちがいい?」
「選択制なの!? しかも随分と豪華ね」
その自覚はあるから返答は避けた。
昨日はパンひとつだけしか持ち出せなくて、丸一日悶々として過ごしたから、今日は腹持ちがいいようにと用意したが……。
「どうしよう。なんて贅沢……パン一つでももらえれば十分だと思ったのに、これは……究極の選択だわ……」
「…………冗談だよ。あんたのために作ったんだから、どっちもあんたのだよ」
「えっ、これ、グレン君が作ったの!?」
口が滑った。
しまったと思った時にはすでに遅く、二つのバゲットサンドは奪われた後だった。
「嬉しいわ、ありがとう! どっちから食べようかしら。一つはお夜食にするわね!」
「牢屋で食う夜食ってなんだよ! ……あんた、意外と元気だな!?」
先ほどはぐったりして見えたのに、サンドイッチ片手に小躍りする姿は昨日と同じに見える。……まぁ弱ってるよりは元気な方がいいか。
エビからいくことにしたらしいスペードの10に苦笑しつつ、水をグラスに注いでやって、隙間から差し出して──。
「いや……なにやってんだよ、グレン!」
ザックのツッコミには、コップを片手に、確かに俺は何をやってるんだろうなと自問せざるを得なかった。
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