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よろしくお願いします。

 空は青から夕陽色に染まり始め、街灯に明かりが灯っている。

 時間的にそろそろ帰るかとも思ったが、今日したことといえば白ウサギに口説かれて帽子の紳士に会い、双子に怯えて逃げ出してエッグタルトを食べたことくらいだ。

 これは果たして観光なのかしらと少し不安に思えてきた。


 私は今日彼女が帰るわけじゃないと知っているからいいけど、ララはつまらなかったかもしれない。

 しかしそれを聞いてみたところで、はっきりとそう言うわけもないし……。


 何か、元の世界になくてこちらの世界にだけあるものがあれば、と考えていると視線の先に市場の大きな噴水が見えた。

 それを見て、いいことを思いついた。

 あるじゃないか。元の世界になくて、こちらの世界にだけあるものが。


「ねぇ、ララ。少しこれを持っていてくれる?」

「えっ、はい……?」


 ハンプティのキッシュの入った紙袋をララに手渡して、噴水に向かって数歩進む。

 静かに右手をかざせば、噴水の水がふるふると震えだした。

 元の世界になくてこちらの世界にだけあるもの。

 それは魔法だ。




 私の手の動きに合わせて、街灯を反射して輝く水がまるでリボン競技のようにしなやかに踊る。

 こんな魔法の使い方をしたこともリボン競技の経験もないけど、この世界で鍛えられた体は、私の記憶の通りに動いた。


 周りにいる人々から静かな歓声が聞こえる。動きながらララのほうを見れば、彼女は口元を手で押さえていて、瞳がキラキラと輝いていた。

 喜んでくれている。それが嬉しくて、更に水を宙に舞わせ続けた。


「すっごくすっごく素敵でした!」


割れんばかりの拍手と共に、ララが興奮した様子で何度もそう言ってくれてとても嬉しい。


「ありがとう。観光らしい観光が出来なかったから、せめて魔法くらいはと思って。でもあれは、水の魔法が使える人ならだれでも出来ることなのよ」

「そんなことありません! すごく幻想的で綺麗で……本当に、とても素敵でした!」


 何度目かわからない「素敵」の感想をもらって、そろそろ恥ずかしくなってきた。

 本当に水と、あとは風の二属性持ちなら誰でも出来ることだからだ。

 この世界で二属性持ちは少ないが、珍しいことでもない。

 現にゼンも光と土の二属性を持っているし、補佐官のオーウェンは更に希少な三属性持ちだ。




「さぁ、そろそろ帰りましょうか。きっと白の国から返事が来ているわ」


 返事の内容を知っているだけに酷だが、帰らないわけにもいかない。

 ララはきっと喜ぶだろうと思ったのに、今までの興奮が嘘のように眉尻を下げてうつむいてしまった。


「そう、ですね……」


 不思議に思ったが、ここからスペードの城までは距離があるし、あまり遅くなるのもよくない。ララの手を引いて、馬車までの道を歩き始めた。


 ララは城に着く馬車の中で、ずっと静かに外の景色を眺めていた。

 ゲームでのララは、このタイミングではまだ帰りたい気持ちのほうが強かったはずだ。なのにこのララの態度はどういうことだろう。


 互いに無言のまま馬車はララと出会った橋を渡り、スペードの領土内を真っ直ぐに城へと走っていく。

 城の姿が見えたところで、ララが口を開いた。


「自分の世界に帰ったら、もう二度とここには来られないんですよね……?」


 思わぬ問いに、ララの気持ちも考えず「そうね」と正直に答えてしまった。


 もしかして、ララは寂しいと思ってくれている……?

 ゲームでのララは、早く帰りたいと攻略対象と恋に落ちるまで言い続けるのだが、プレイ中の私はそれが当たり前だと思っていた。

 けど、このワンダーランドで生まれ育ったエルザとしては、それは少し寂しい。

 生まれた世界じゃないからララの帰りたいという気持ちもわかるが、この世界が私は好きだから、去ることを悲しんでくれているなら嬉しく思う。


 しかし何といって言葉をかけたらいいのだろう。

 今日帰れることを前提とした会話は、ララが帰れないと知っている私には出来ない。


 そのうち馬車は城に着き、緩やかに停止した。

 先に馬車を降り、続くララに手を差し出すと、そっと手を重ねたララは、馬車を降りてもその手を離さなかった。


「エルザさんのお陰なんです」


 城へ向かう途中足を止めたララは、顔を上げて私を真っ直ぐに見つめて言う。


「昨日、一人で居ずに済んだことも、暖かいベッドで寝られたことも。美味しい朝食を食べて、白ウサギさんに落とし物も返せて。素敵な魔法も見せていただきました」


 眉尻を下げて言葉を紡ぐララの表情に、心臓がどくんと痛んだ。


「全部、エルザさんのお陰なんです。私、この一日を絶対に忘れません。元の世界に帰っても絶対に……」


 とうとう涙がこぼれてしまったララは、それを隠すように私の胸に勢いよく飛び込んだ。


「エルザさんのこと、忘れません……!」


 しがみつき涙を流すララを、抱き留めて髪を梳く。

 必死に言葉を探すが、私の心にあるのは『気まずい』の一言だった。


 さっきは寂しがってくれているなら少し嬉しいなと思ったが、ここまで別れを悲しんでくれるとは思ってもみなかった。帰れないとわかってる私には言葉が見つからない……。


「わ、私もララのこと、忘れないわ。住む世界が違ってもずっと友達よ」


 結局、かけた言葉は月並みなものになってしまった。頭の中には『ごめんなさい』がエンドレスで流れている。


 ララはそっと胸を押して私から離れると、涙に濡れた表情を緩めて笑ってくれた。


「エルザ殿!」


 その涙をハンカチで拭いてあげていると、切迫した声がした。

 声だけでわかるそれは補佐官のオーウェンのものだ。まさか仕事が残ってるぞ、なんてことは……。


「キングがお呼びです。そちらの女性も」


 違ったらしい。怒られ慣れてきてるからつい身構えてしまった。


「白の国から返事が来たのね。わかったわ」



 ※



 くすんだ緑の髪の男性と話す後ろ姿を、じっと目に焼き付ける。

 風になびく空色の髪から細い首筋、ぴったりとしたシャツからも分かる見事なくびれ。そこからの、モデルのような細さとは違う、私から見ても鍛えられているのだとわかる引き締まった太ももへのライン。


 振り返って真正面から見る顔も。細い眉、すっと通った鼻筋。女性的な優しさを備えている髪と同色の切れ長の瞳は、腰に射した剣を抜いたらどう変化するのか。


 ああ……なんて理想的なんだろう。


 先ほどの対応は、あれで間違えていなかった? なんだか困らせていたように見えて、少しばかり焦る。


「ララ。ルーファス、じゃなかった。キングの執務室へ向かいましょう」


 優しい微笑みに安堵する。……うん。この人はきっと泣き落としに弱い、と思う。

 たとえ帰れるとしても、断ろう。だって見つけてしまったんだから。


 私の理想そのもののお姉さん。恋人なんて、好きな人なんて、いませんよね……?

ありがとうございました。

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