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1話

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大人の男性の背丈ほどはあろうかという巨大な翼を羽ばたかせながら、黒い鱗のドラゴンは周囲の木々を震わせるような声をとどろかせた。

口元には上質な皮で作られた手綱がつけられ、それを騎手の男が手慣れた軽やかな手さばきで引くと、任せろとでもいうように軽くうなずき、大きく翼を振り下ろして浮かび上がった。それを追ってドラゴンと鎖で繋がれた赤い荷馬車がカラカラと車輪を回して空へと向かう。地面から離れ上昇する荷馬車の中には、3人の男女がいた。

1人は黒い鎧を着た男だ。

兜はつけておらず、星のように日の光を受けて輝く金の瞳と緩く波打つ赤銀の髪が特徴的で、右頬には刀傷らしきものがあった。自身の武器である十分に広いはずの室内が手狭に感じてしまうほどに大きなランスを無造作に床に放って、取り付けられたソファーの上に膝立ちになり窓から外を眺めていた。時折歓声を上げるその様子は、男の幼い顔立ちとも相まってまるで子供のように見えた。

男をうっとうしそうににらみつけるのは、血のように赤いローブを着た男。

ローブの上部には金糸で刺繍されたドラゴンと剣がツタで繋がれたものが全体にあしらわれ、そのローブの奥にはアメジストの瞳を隠すフレームのない眼鏡と、抜けるようなスカイブルーのさらさらと流れる髪があった。そして鎧の男とまるで対になっているかのように、左頬の刀傷がその存在を主張している。すらりと伸びた長い脚を組み、その横には男の上半身はある何かの骨でできた弓と矢を並べていた。

2人ともがそれぞれとても整った顔をしているが、体からにじみ出るオーラはとても常人のそれではなく、どこか彼らを近づきづらくしていた。

まるで、神か何かのように。

「うっひゃあ、見てくださいよイザベラさん!!ほら、俺たちがいた町があんなに小さくなってます!!」

もうこのくらいですよ!と厳格だがどこか流麗な造りのガントレッドをつけた指を輪の形にしてはしゃぐ鎧の男―――ハーディ・ワイス。

それを見てわざとらしく大きなため息をついて見せ、「あなたは子供か何かですか。」と毒を吐くローブの男―――ティベル・ラインベルト。

ティベルが吐いた暴言に腹を立てたハーディは、一発殴ってやろうと拳を構える。それを見たティベルはいたずらが成功した子供ように、嬉々として応戦する構えをとる。

2人がどちらともなく動き出し、今まさに激突しようとした―――その時。

「まあまあ2人とも、ケンカしないで。外にいる騎手さんとドラゴンに迷惑でしょう?」

今まで黙っていた女が口を開いた。すると二人の動きがまるでビデオの一時停止のように止まり、そのまま首だけを動かして女のほうを向いた。

女は二人のような派手な美しさはなかった。

その顔立ちは例えるなら中の上といったところで、黒い髪も赤茶色の瞳もこの国にはありふれたものだ。けれどどこまでもまっすぐな芯の強い瞳は、それだけで彼女の人柄を表し、ほれ込む男がいるだろう。けれど彼女はその身に似合わないものを大量に所持していた。両腕にはよく磨かれたブレードを黒皮のベルトで止め、腰には数種類の治療用の薬、そして背中には柄にツタがあしらわれた剣を背負っている。脇のほうには女の体つきからして到底扱えそうもない使い込まれた斧があり、白いほっそりとした足にも幾本かのナイフがベルトで止められていた。

過剰なほどの武装だが、防具に至ってはそれらしいものは何も身に着けていない。服というのも簡素なレザースーツで、まるで防御力があるようには見えない。

女が再び「ケンカしない。」というと、ハーディたちはどこか不満げではあったが体制を自然体に戻した。女は満足そうにそれを眺め、子供をほめるように2人の頭を撫でてやった。するとそれまで不満げだった二人の顔が破顔し、うっとりとした様子でなすがままにされている。

「うんうん、そうやって笑っているほうがいいよ。」

そういって、女―――イザベラは、自身も花のように笑った。


王都、マクスフェルは事前に聞いてはいたが広い。私たちがいた町はそんなに小さなところではなかったはずなのに、ここと比べてしまうと全部で12個ぐらいは入ってしまいそうだ。人の多さは言わずもがな、数個の塊になってそれぞれ目的の方向へと移動していく様は、花が咲いたように鮮やかできれいだ。

「どうかしましたか、イザベラさん。」

ぼんやりと下に広がる王都を眺めていると、心配そうに眉を下げたティベルに話しかけられた。はっとして我に帰り、「何でもない。」と言って居住まいをただす。そして大丈夫だというアピールに必死で笑顔を張り付けてみる。「ならいいんですけど…」とティベルは引き下がってくれた。いや、なんか別の意味で引かれた気がするけど。

さて。

唐突だが、私ことイザベラは一度死んだ。笑い事ではなく、はっきり確実に死んだ。自分が死んだことというのは嫌な思い出でしかないので覚えていたくはないのだが、悪いもののほうが良く覚えているもので、もう脳内にこびりついてしまっている。

あの腹が内から焼かれていくような痛み、いやな方向に曲がった自分の腕、だらだらと体から血が抜けていく感覚。今でも夢に見る、あの忌まわしい記憶。

大学からの帰り道、いつものように疲れた体を引きずりながらアスファルトを歩いていると、突然横から伸びてきた腕によって路地裏へと引きずり込まれてしまった。

相手は…顔は夜だったので見えなかったが、そこそこ体格の良い男だったように思う。疲れ切った私の抵抗などは羽虫のように払われ、まず口をふさがれた。いやに肌触りの良い布をさるぐつわに使われ、もう唸り声を上げるのが関の山だった。そこからは語るのもおぞましい。腕を折られ、足を踏みつけられ、腹にナイフのようなものをぐっさりと刺された。加減されていたのかはたまた私の精神が頑丈すぎたのか、ナイフに自分の体を貫かれるまで気絶することもできず痛みに耐え続けるという地獄みたいな目にあった。さらに最悪だったのは、男が私をなぶっている間中ずっと気味悪く笑っていたということだ。

最後に私は思った。この野郎、このまま死んだら祟ってやる、だった。

結論から言えば、私は男を祟れなかった。

次に目が覚めた時、私はこのファンタジーな世界、ニルベルディングに中流貴族の長女として生まれていたからだ。

なぜだかそのことに対して驚きはしなかった。へ―そっか死んで生まれ変わっちゃったのかぐらいなものだった。私自身軽すぎるとは思う。まあそんなこんなで、アンバー家第一子イザベラは誕生したのであった。そしてその後は親の愛情を一身に受け、すくすくと成長した…わけでもなく、悶々と悩みながら成長した。

なぜかというと、このニルベンディングには元の世界とも違う、いやひょっとするとほかの異世界でもないかもしれない特殊な点があるから。それは―――。

魔法に頼りまくった、魔法依存社会なのである。


まずこの世界の基本的構造として、よくあるRPG的なものが土台になっている。剣とか魔法とか、とにかくそういうやつ。人間と魔物は大陸を二分していて、人の領地には人が国を作り、魔物の領地には魔物のリーダーである魔王が城を構えている。その境界ではたびたびいさかいが起こっていて、王都を中心に様々なギルドが魔物討伐に乗り出している、そんな世界だったのだ。

私が生まれるちょうど2年前のことだったらしい。

この世界に、一人の大魔法使いが現れた。

その魔法使いは一人で境界まで行くと、ありとあらゆる強力な魔法を使って魔物を蹴散らし、人間側の領地を10パーセントほど増やした。それに危機感を持った魔王がやってきても、3日にわたる激戦の末に退けてしまったらしい。その戦いにより傷ついた魔法使いは現在は王宮で治療中とのことだ。

この一件以来、人々にはこんな考えが浮かんだ。

『魔法使いこそが、人間の中で1番強い』

それ以来、魔法使いの地位がうなぎ上りに上がった。同じ仕事をしても魔法使いのほうが報酬が高くなり、そのうち魔法使いのほうへ仕事が全部流れて行ってしまう始末。こんな現状ではやってられないと歴戦の戦士たちは剣を置いて姿を消した。

どこまでも魔法使いびいきな国の実態を、授業という名目で半ば魔法使いである家庭教師自身の自慢話のように聞かされた6歳の私はこう思った。

この世界の人間はバカばっかりか、と。

いや、そりゃあ魔法というのは見た目派手で格好よく見えるかもしれない。けれど、魔法使いには一つ重大な弱点がある。

それは単純、魔力切れである。

魔法というのはマジックポイント、つまりは魔力により放たれる。その容量というのはその人の才能によりさまざまであるが、魔法を使い続ければ必ず魔力は底を尽きる。実際大魔法使いが今も治療中なのは、戦いの後3年間魔力切れの代償で意識が戻らなかったためだ。

魔力切れの時をつかれたら、元来体力が付きにくい魔法使いは最悪普通の人よりも簡単に倒されてしまうかもしれないということだ。

何かをするためには必ず何かが欠けていく。そんなこともわからずに最強だなんだと祭り上げるとは、愚の骨頂である。

最悪なことに、このアンバー家は魔法使いの地位が上がったことにより権力を持った家だった。前々当主がそこそこ名を持った魔法使いだったらしく、魔法使いの名門などと呼ばれているらしい。私にもその地は受け継がれているようではあるのだが、なぜだろう。

私は魔法を使えなかった。

者を動かす練習だと家庭教師の言うとおりに杖を振ってみたところ、一向に変化が起こらなかった。その後何度も繰り返したが目の前に置かれた本はピクリとも動かず、家庭教師のほうが必死に私を応援しすぎて倒れた。それが、今日のことである。

どうしたものか、と自室で頭を悩ませる。この家は魔法使いが正義、という主義の下成り立っている。よって魔法が使えない私というのはいつ捨てられてしまうかわからない。

前世の記憶があるとはいえ私はまだ9歳、世の中を渡るには少し厳しいだろう。不幸中の幸いというか、どうやら体力と腕力、握力は人並外れたものがあるようだ。自分自身はそんなに力を入れたつもりがないのにグラスをパリンと割ってしまったり、市街探査をと屋敷を抜け出せば、追いかけてきた使用人長を疲れ果てさせ地面に這わせてしまうなどといったことがあったので、そのことについては確認済みだ。どうやら剣士や魔法使いというのは素質によってきまってくるようなので、私はただ単に素質がなかったんだと思う。名門だなんだといっても、必ずしも同じようなタイプの人が生まれるわけでもないだろ言うし。

「それにしても…これはないだろう、これは。」

ちらりと自分の体を見降ろし、ため息をつく。ふわふわと動くたびにうっとうしいレース、明かりに照らされてきらきらとまぶしい宝石、そして極めつけはまっピンクの布地。つまり何が言いたいかというとめっちゃはずい。なにこれ罰ゲーム?

いやいかに子供だって言ってももう9歳よ?ピンクはないよなピンクは。あと何で子供のパジャマに宝石?何なの金持ちの余裕なのかこれが普通なのか。

恥ずかしさのあまりパジャマを破りたくなる衝動を必死に抑えていると、廊下で何か騒ぐような物音が聞こえた。

何事だろうと廊下へ出てみると、そこにいたのは父と私より年下ぐらいの二人の少年だった。少年たちは使用人の制服を着ているのできっと見習いの子だろう。

父は見たこともないようなひどい顔で少年たちをののしっている。目は血走りつりあがっていて、唾を飛ばしながら汚い言葉を吐く様子はいつもの父ではないようだ。穏やかな父はどこへいってしまったのだろうか。…いや、これが本当の姿なのかもしれない。

今までが、嘘だったのか。

「なにを、しているんですか。」

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