第一話
ここは、どこだ。
目が覚めると、俺は見知らぬ場所にいた。視界が正常に働いているのなら、一面真っ白な世界としか言いようがない場所だ。
「白」
ふわふわとした感慨を抱きながらも、一歩を踏み込んでみる。
「な、なんだこれ」
床を踏んだ感触が無く、まるで浮いているような様相だ。白はよく見ると透けていて、幾重もの層がおり重なっているようだ。
「俺は、確か」
ここに来た心当たりが全く掴めない。俺は頭に手を置いて、脳内の世界を少しばかりこづいてみる。
「...」
一旦、深呼吸をした。両手を広げてゆっくりと、心の中で数を数えながら、八のところでぴたりと終わる。それから冷静になったであろう頭に、もう一度頭に手を置いて、考えてみる。
「.....う」
嘘だろ。
焦り出す心を懸命に制御しながら、俺はもう一度脳内を小突いた。いや、殴った。
「な?!」
俺の拳は、俺の頭をからぶった。
「なんだと?!」
信じられない現象に、俺はもう三回程自分を殴る。どう考えても当たっている拳なのに、俺は痛みすら感じない。
そもそも、貫通しているのでは?
「いや...いやいやいや」
現実が受け入れられない。一体全体自分の身に何が起きたのか、その一端を知ることでさえ恐ろしい。
白の空間は、無慈悲にあるだけ。俺の感情なんか知る由もなく、ただそこにあるだけだ。
俺の顔色は、とことん蒼くなっていることだろう。
「なんだよ、ここ」
そして、絶望している。
「俺は、誰だ」
◯
一歩一歩、慎重に歩いていく。どこまでも続きそうな白の回廊を、どこまでも進んでゆく。
先の見えない光明を探して、俺はただ歩いていた。
「もう、どれくらい...歩いたのか」
俺は、遂に止まってしまった。歩き続けた癖に疲労を感じない異常性に、気力が削がれている。
下を向けば、股間がプラプラと情けなく揺れていた。
「あぁ、そういえば俺は、裸なのか」
どんな服を着ていたのかも、皆目見当がつかない。そもそも、服を来ていなかったことだってありうる。俺がそういう趣味の持ち主だということは、絶対にないと思うのだが。
揺れる玉袋を見ながら、俺の疲労は限界に達した。物理的にではなく、精神的に可笑しくなりそうだったから。
「白すぎるだろうが」
移動しても、景色は一向に変わらない。溜まりに溜まって、俺は仰向けになってみる。背中が床に触れた感触はなくて、頭がふやけてしまいそうだ。
「...考えても分からない!」
長い間、目を閉じて考えた。けれど、どうしても思い出せない。俺はむしゃくしゃして、勢いよく立ち上がり走り出した。全力で、このむしゃくしゃが治るまで。
「はぁ..はぁ」
やはり疲れない。疲れたふりをして息を上げてみても、膝に両手を置いてみても疲れない。
なんとも不思議な現象だが、こんな時でも玉袋は揺れていた。
「ーーあの」
「くそ、なんなんだここは」
苛苛する気持ちを抑えるように、俺は腰を左右に振る。揺れる玉袋を術の代わりに、平成を保とうとしていた。
「意味が、分からない」
「なに、してるの」
「え?」
予想外の音声に、俺は頭を上げた。腰は止まり、俺とそいつの視線は交差する。
精神の安寧を図る為の部位が止まる頃、俺の理性は急激に悲鳴を上げた。そいつは気味悪そうに、俺を睥睨している。確実に、ドン引きしているではないか。
「や、やあ」
「...」
黙るな。
沈黙が続けば、俺はどうしたらいいんだ。俺は周囲の景色のように頭が真っ白になって、遂に身体全体が固まってしまう。
そして、スタスタと素通りするそいつの行動を理解するのに、幾分か時間が必要だった。
振り返って、恥を忍んで叫ぶ。
「ちょっと待てえええ!」
「きゃぁ!」
甲高い声を上げたと思えば、そいつは俺から遠ざかるように走り出す。俺は姿勢良く全力で追いかけると。
「こ、来ないでえええぇ!!」
「待てええぇぇぇ!」
この時の俺は、気付いていなかったのだ。そいつが女であり、況してや俺と同じ状況であるということ。
つまり、裸の男が、裸の自分を追いかけ出しているということ。
俺は、気付いていなかったのだ。だから、彼女の肩を掴む時も、配慮なんてかけらもない。
「つ、捕まえた」
「変態!離して!離してぇ!」
「へ、変態?!」
結局、俺が気付くのにはそれから数秒が必要だった。そいつの性別が俺とは対極にいるということに気付くと、急いで股の間についているものを凝視した。
しかし、驚いたことに、俺のそれは反応していなかった。下世話だが、俺はもう一度彼女を見た。
「...」
だというのに、俺の体は正常に反応していなかった。
彼女は怯えている。俺はこの件を急いで棚に上げると、遂に切り出した。
「あの、だな」
「...」
「ここ、どこだか分かるか?」
俺の発言に、彼女はばっと頭を上げる。大きな垂れ目が、ゆらゆらと不安そうに存在していた。その瞳に同調するように、俺の手のひらはいつの間にか握られている。
「あなたは分かるの?」
澄んだ声だった。先程の叫び声とは比較にもならない綺麗な音が、俺の心を落ち着かせる。久し振りの人の声を聞くだけでひどく安心して、彼女の裸は見ないように、そっと声を出す。
「分からない。そもそも、なんでこんなとこに来たのかも分かってないんだ」
「そう..私もよ」
彼女は俯き加減ではあるが、俺に言葉を返してくれる。白の、どこまでも広がる床を見つめながら、彼女は名乗った。
「私の名前は、メレナ」
伏し目に、彼女ーーメレナは両手を悔しそうに握る。すっかり先程の珍事を忘れているようで、俺もすっかり、メレナの雰囲気に呑まれていった。
「あなたの名前は?」
しかし、お互いが裸であることは覚えているのだろう。メレナは一向に俺を見ないが、そんなことよりも、メレナの質問が俺を縛る。
あなたの名前は?
「俺は....タビト」
口を突いて出た言葉は、本人の知るところでは無かった。少なくとも、俺が意識して出た言葉ではない。
けれど、しっくり来る。
体に馴染む。
「タビト..?」
メレナは俺の名を聞くと、不思議そうに首を傾げた。
「..お、おい」
突然、メレナは硬直する。少しの不安を感じて、俺は身構える。
メレナの目は段々と開いていき、右手を口元に当てがってーー言った。
「時魔導士の...タビト様?!」




